第十二話 金井秀人は目論む



「こいつ等だ。間違いない」


 国道沿いにある、檜山組の事務所。しろがねよし野の端にある十五階建てのビルの、十階の一室。


 時刻は、土曜の午前0時。


 頭に包帯を巻いた組員が自席の椅子に座ったまま、憎々しげに言った。手には、すぐ近くに立っている若い組員のスマートフォン。無音のカメラアプリが入っている。画面に映し出されているのは、そのアプリで撮影した写真。タクシーに乗り込む、若い男女。


 秀人は、スマートフォンの持ち主である若い組員の席に座っていた。机に肘をつき、彼等が話し合う様子を見ている。黒いロングコート。鋭く観察する目。その姿は、妖艶な美女にしか見えない。


 包帯を巻いた組員が口にした「こいつ等」とは、間違いなく、先週彼等が話していた少年と少女のことだろう。売春をしている少女と、その少女を助けた少年。


 秀人が、駒として手に入れたいと思った二人。


 秀人は椅子から立ち上がり、スマートフォンを見ている組員に近付いた。


「それって、先週話してた奴等? あんた達を痛めつけたっていう」


 聞かれた組員は苦い顔を見せた。舌打ちでもしそうな表情。それを堪えさせているのは、秀人に対する恐怖だ。


 彼がこんな顔になるのは当然と言えた。暴力のプロと言える人間が、素人の、しかも少年にやられた。それを指摘されて、不愉快にならないはずがない。


 分かっていながら、秀人はわざと言った。からかい半分の嫌味だ。


 苛立ちを隠せないという顔で、包帯を巻いた組員は素直に質問に答えた。


「はい、そうです」


 この事務所の人間は、秀人の機嫌を損ねたらどうなるか、よく分かっている。先週も、組員の一人が顎を折られたばかりだ。その組員は、今、顎の手術のために入院している。


 秀人は、スマートフォンを見ている組員の机に、寄りかかるように手を置いた。


「その写真、見せてよ」

「……どうぞ」


 包帯の組員は、スマートフォンの画面を秀人の方に向けた。タクシーに乗り込む少年と少女。画像は、若干荒い。彼等からかなり離れた場所から、拡大して撮ったようだ。


 差し出された画面に触れる。秀人は、画像をズームさせた。


 荒い画面が、さらに荒くなる。映っている少年と少女が拡大された。


 坊主頭の少年。かなり疲れ切った顔をしていた。反面、その目には、意思の強さが見て取れる。


 少女の方は、荒い画面でも分かるほど整った顔立ちをしていた。気の強そうな眼差しに、長い黒髪。売春などしなくても、いくらでも男に貢がせられそうだ。大抵の男は、風俗店で遊ぶよりもこの少女と寝たいと思うだろう。組の経営する風俗店がこの少女のせいで売り上げを落としたというのも、十分納得できる。


「ひとつ聞いていい?」


 画面から視線を外して、秀人は、スマートフォンの持ち主である若い組員に聞いた。


「何でしょうか?」

「この写真、ずいぶん遠くから撮ってるよね? もっと近くで撮れなかったの?」


 聞かれた組員は、少し気まずそうな顔をした。「あの」「その」と言い淀む。言いにくいことを言おうとしている、という雰囲気ではない。自分が見たことを上手く言葉にできない、といった様子だ。


「女がホテルに入った後、このガキはホテルの近くで女を待っているようだったんです」

「うん。それで?」

「自分は、ホテルとホテルの合間に隠れて、このガキを見張っていたんですけど」


 言葉を選ぶように、若い組員は自分の顎に触れた。先ほどのように「あの」「その」と呟く。


「どう説明したらいいか分からないですけど……このガキ、ホテルの影に隠れていた自分に、間違いなく気付いていたんです」

「隠れてるところを見つかったの?」


 若い組員の話を途中まで聞いて、秀人は、尾行が失敗した言い訳でもするつもりなのだろう、と思った。


 彼は首を横に振った。


「いえ。このガキは、一度も俺の方を見ませんでした。ホテルの壁に寄りかかって、じっとしていたんです」

「じゃあどうして、見張っていることに気付かれた、って思ったの?」

「それは……」


 若い組員は、そのときの少年を真似るように、身振り手振りを交え始めた。着込んだスーツの懐に手を入れる。足を肩幅ほどに開き、身構えた。


「こうやって、懐に手を入れて身構えていたんです。懐には、得物が見えました。たぶん、特殊警棒でしょう」

「でも、この少年は、君の方を一回も見なかったんだよね? 見落としとかじゃなく」

「見落としはないはずです。外見の特徴が一致していたんで、間違いないと思って見張っていましたから」


 外見的特徴──やられた組員達が証言した、少年と少女の特徴だろう。


「それで、どうしたの?」

「ラチがあかないので、一旦その場から離れて、もっと遠くから見張りました」

「最初はどれくらい離れた距離から見てて、見つかった後は、どれくらい離れた距離から見てたの?」

「えっと……」


 若い組員は口元に手を当てた。


「最初は十メートルくらい、といったところでしょうか。それで見つかったみたいだったんで、今度は二、三十メートルは離れたと思います」

「……」


 まさか、な。秀人の胸中で、ひとつの予感が生まれた。この少年は超能力者なのか、と。


 約四十年前に科学的根拠を持って発見された超能力は、今や警察機関や自衛隊で防犯防衛のために使われている。


 超能力の素養を持った人間は、全人口の約五パーセント。素養を持った人間が、超能力の源泉となる脳内の器官に電気信号を送る施術を受けることにより、その能力を開花させることができる。ブレーンコネクトと命名されたその器官に施術を行わない限り、超能力が目覚めることはほぼない。


 ブレーンコネクトは、本来であれば一生活動することのない器官とされている。


 だが、ごく稀に、施術を受けなくても超能力を使える人間がいる。一昔前にスプーン曲げなどで有名になった連中がそれに該当する。


 とはいえ、施術を受けずに開花させられる超能力は、所詮スプーンを曲げる程度のものだ。秀人のように、施術も受けずに超能力を自由自在に使えるようになる人間など、まずいない。例外は、稀少だからこそ例外なのだ。


 秀人は口元に手を当てた。例外は稀少だからこそ例外。反面、稀少でも存在しえる。それこそ、秀人自身のように。


「その少年に気付かれたのは、十メートルくらいの距離で見張っていたときだったよね?」


 少年の写真を撮った組員に、再度聞いた。


「ええ。たぶん。完全に目測ですけど」


 組員の言葉と少年の行動、超能力の汎用性を頭の中で織り交ぜて、秀人は思考を展開した。


 警官や自衛隊員が使える超能力は、攻撃と防御に特化している。銃のように撃ち出す超能力と、体の周囲一センチ前後に膜のように張って身を守る超能力。彼等は、この程度にしか超能力を使えない。少なくとも、秀人の知る限りでは。


 しかし、超能力は、そんなに底の浅いものではない。防御のために体の周囲に張る超能力を応用し、強度を下げる代わりに広範囲に広げると、レーダーのように利用できる。まるで自分が直接触れているかのように、周囲の動きを察知できるのだ。

 

 秀人のレーダーの最長距離は、約十二メートル。


 もしその少年が超能力のレーダーを使って組員の存在に気付いたのだとしたら、秀人に迫る能力の持ち主だということが言える。十メートルもの広範囲のレーダーを使える、少年。


 秀人が思考の中で描いた、少年に関する仮説。それには、ひとつ矛盾がある。それほどの超能力を使えるのに、どうして少年は、先週、少女を襲った組員達から逃げたのか。


 強力な超能力を使えるなら、こんな奴等など、赤子の手をひねるがごとく半殺しにできる。もちろん、殺すことも可能なはずだ。

 

 頭の中で、秀人は思考を枝のように広げた。無数の枝。早送りの録画のように、枝はどんどん伸びてゆく。あらゆる可能性を探るために。


 気付かれていたというのは、組員の勘違い。組員の尾行が下手で、自覚なく見つかっていた。少年は組員に気付いていなかったが、ただ単に必要以上に周囲を警戒していた。様々な可能性を考え、肯定と否定を頭の中で繰り返す。


 もしかすると──


 秀人の思考が、ひとつの可能性に触れた。


 もしかすると、少年は、自覚なく超能力を使っているのではないか。たまたま身に付けた超能力がレーダーであり、それが超能力だと自覚できないから、応用方法も考えられない。


 もし、この仮説が正しいとしたら。

 秀人の口から、小さく声が漏れた。


「取り込むか」

「え?」


 秀人の独り言に、包帯の組員と若い組員が反応した。


「どうしたんですか? 秀人さん」

「いや、なんでもない」


 秀人は組員達に笑顔を向けた。親密な関係を築こう、という笑顔ではない。彼等を脅すときによく見せる笑顔だ。


「それより、覚えてるよね? この写真の子達に関して、俺が頼んだこと」


 組員達は、秀人のこの笑顔の意味を、よく理解している。この、凍るように冷たい笑顔を見せながら人を傷付け、あるいは惨殺する場面を、何度も見せてやった。


 二人は揃って、体を強張らせた。


「もちろんです!」

「可能な限り傷付けずに連れて来る、ですよね?」


 秀人は満足気に頷いた。暴力のプロだからこそ、暴力の怖さをよく分かっている反応だ。


「そうだよ。よろしくね」




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