第八話 金井秀人は冷たく微笑む



 金井秀人は、約二週間ぶりに組の事務所に足を運んだ。


 広域指定暴力団当間会。その傘下である、檜山組の事務所のひとつ。


 四月の夜──午後十時。北海道の夜の寒さは、この時期になってもまだ残っている。秀人は、黒いロングコートを着ていた。


 檜山組の事務所は、一般的なテナントビルの中にある。しろがねよし野の端に位置する、国道沿いの十五階建てのビル。その十階。


 十階にはフロアが三つあり、その全てを組が占有していた。エレベーターを降りて廊下の突き当たりが事務所。右側が経営している風俗店の事務処理を行うオフィス。左側が、昼間営業しているテレフォンアポイントメント業務のオフィスだ。


 ビル内で風俗店やテレアポ業務を仕切っているのは、組の幹部のひとりである。秀人と彼は、もう八年ほどの付き合いになる。


 この組自体の規模は、それほど大きくない。しかし、全国に展開する指定暴力団の傘下の一部であり、後ろ盾は大きい組だ。


 組員は、月に一度、組に上納金を納める必要がある。そのための業務をこのビルで行っているのだ。上納金を除いた利益が、業務を行っている幹部や、その下の者達の手取りとなる。


 秀人は、廊下の奥にある事務所へ向かった。


 小柄な──身長一六〇センチほどの男である。長い髪の毛を、ドレッド風に編み上げている。前髪は上げており、綺麗な額が出ている。その額の下にある顔は、驚くほど整っていた。コートを着ていて体の線が出にくいため、女性と言っても誰も疑わないだろう。というより、声を出さなければ誰もが美女と思い込む。そんな男だ。薄手の黒いロングコートが、秀人が着ることによりドレスにすら見える。


 秀人は、口元に薄い笑みを浮かべていた。微笑みの美女──そんな題名で絵が描けそうだ。浮かべている笑みは、見る者を凍り付かせるほど冷たいのだが。


 廊下の奥まで進んだ秀人は、事務所のドアを開けた。


 事務所には明かりが点いていて、組員が六名いた。机が、向かい合わせに十脚。その奥の窓際に、幹部の事務用机がひとつ。


 まるで、普通の会社のような光景。


 窓際の幹部席に、五分刈り頭に無精髭の男が座っている。鍛えてはいるだろうが、それ以上に脂肪のついた体。知り合ってから八年経つが、出世とともにずいぶん太った。スーツ姿。胸には、組のバッジ。


 この周辺の事務所を仕切っている、幹部の岡田武志おかだたけしだ。


「や、元気?」


 軽い口調で秀人が挨拶をすると、事務所にいる六人全員が一斉に立ち上がった。ガタガタッと椅子を引く音が響く。


「お疲れ様です!」


 岡田を含む六人全員が、揃って体育会系のような挨拶をしてきた。挨拶のお手本のように、上半身を斜め四十五度に傾けている。組員のうち二人は、なぜか頭に包帯を巻いていた。


「そういうのはいいって。俺、別に、組の人間じゃないんだから」


 事務所に顔を出すたびにそう言っているが、この挨拶がなくなることはない。秀人自身も、それを分かっていた。


 秀人は、この組の人間ではない。この組の上位組織に当たる指定暴力団の組員でもない。暴力団員ですらない、体裁上はただの一般人。それでも、この事務所の人間は、秀人に頭を下げる必要があった。


「ほらほら、頭上げて。まだ仕事があるんだろ?」


 秀人が言うと、組員達は「失礼します!」と言って頭を上げ、自分達の席に座り、仕事を続けた。カタカタとパソコンのキーボードを叩く音や、紙幣を数える紙音が耳に届いてくる。


「それで、秀人さん。今日はどういったご用件で?」


 奥の席に座っている岡田が聞いてきた。


「とりあえず、銃の仕入れ状況を、ね。どれくらい仕入れができて、今後の仕入れはどうなるのかなって」

 

 秀人は窓際まで足を運び、そこにある岡田の机の上に腰を下ろした。飛び乗るように座ったせいで、彼のパソコンが机の上でカタンと音を立てた。


 岡田は、少し苦い顔を見せていた。


「勘弁してください。普通の銃ならともかく、警察の銃なんて、そう簡単に仕入れられませんよ」

「うん、知ってる。だから岡田さんに頼んでるんだし」


 警察には、岡田の内通者がいる。だからこそ、この仕事を彼に依頼した。警察が実際に使っている銃の仕入れ。


 もちろん、ただ盗み出すだけではすぐに足がついてしまう。そのため、密造した同型の銃とすり替えていた。厳重に管理されているが故に、すり替えも困難なのだが。


「俺等が用意した銃では駄目なんですか? 性能だって劣る物じゃないですし、決して不便じゃないはずなんですが」

「それじゃあ駄目なんだよ。警察が使用している──警察が管理している物を手に入れるってことが重要なんだから」


 銃は、たとえ同種同型の物であっても、それぞれ個別認識される。発砲する際に銃弾につく、線状痕──銃口から弾が発射される際につく螺旋状の痕──によって。これは、銃一丁一丁で異なる。人の指紋がそれぞれ異なるように。


 秀人にとって重要なのは、警察が管理している銃を手に入れる、ということだった。


「その報酬として、岡田さんのために結構働いただろ、俺。今まで何人殺してやった? 何人、岡田さんのために蹴落としてやった?」

「……申し訳ないです」


 絞り出すように謝罪し、岡田は頭を下げた。表情は苦渋に満ちている。


 事務所内を見渡すと、他の組員達も苦い表情を見せながら仕事をしていた。その中には、ここに来たときにも気になった、頭に包帯を巻いている組員もいる。


「ところでさ、岡田さん」

「なんですか?」

「最近、抗争でもあったの?」

「どうしてですか?」


 秀人は、頭に包帯を巻いた組員を順番に指差した。綺麗な顔立ちに似合わない、複数の傷がある手。自分に課した、過酷な訓練の痕。


「そこの人と、その人。頭に包帯なんか巻いちゃって。どうしたの?」


 岡田が目を伏せた。言い淀むように口を塞いでいる。


「なんで怪我なんかしてるの?」


 岡田が口ごもるということは、抗争ではなく、何か恥とでも言える出来事の結果なのだろう。そう、簡単に推測できた。秀人は意地悪な気分になって、彼を問い詰めた。


「何があったの? 怪我なんかしちゃってさ。教えてよ」


 聞いてはいるものの、秀人は、彼等の怪我の理由を概ね予想できていた。暴力団とは無関係の素人と喧嘩でもしたのだろう。素人に怪我を負わされるなど恥以外の何ものでもないから、言えないのだ。


 岡田をからかうのがなんだか楽しくなって、秀人はさらに続けた。


「あんまり焦らされると、俺、苛つくかもね」


 秀人は、事務所の壁に向かって指を突き出した。まるで銃を突き出すように。壁に向かって突き出された、人差し指と中指。


「バン」


 おどけた声を秀人が出した瞬間、事務所の壁に穴が開いた。壁を銃で撃ったかのように。


 もちろん秀人は、銃など持っていない。


 超能力。統計では、おおよそ五パーセントほどの人間に素養があるとされる能力だ。基本的には、素養のある人間が、一定の施術を受けることによって初めて使える能力。警察や自衛隊には、超能力者のみで構成された特殊部隊がある。


 そんな超能力を、秀人は使えた。必要であるとされる施術も受けず、誰の指導も受けていないのに。


 初めて岡田と会ったとき、彼の目の前で、超能力を使って六人の人間を殺して見せた。圧倒的な力を見せつけて、屈服させるために。自分の手駒にするために。


 事務所にいる組員全てが、仕事の手を止めた。秀人の超能力に恐怖を覚えているのだ。


 すぐ近くにいる岡田は、この八年ですっかり薄くなった頭に、脂汗を浮かべている。


 秀人は、岡田に向かって人差し指と中指を向けた。


「岡田さん。どうしてこの人達は、怪我なんてしてるの?」


 岡田の肩がブルッと震えた。彼は、秀人から目を逸らすように顔を伏せたまま、事情を話し始めた。


 ここ一、二年の間に、経営する風俗店の常連客が複数名来店しなくなった。風俗店の女が、たまたま道端で遭遇した元常連客に、売春している少女の話を聞いた。その少女が、毎週末にしろがねよし野に出没している。少女の提示する値段は風俗店に比べて高めだが、その分長時間楽しめるために客が流れている。


 常連客を奪われると、売り上げに大きく影響する。そこでこの事務所の三人が、少女を捕まえるために、先週末にしろがねよし野に繰り出した。


「え? もしかして、その女の子にやられたの?」

「まさか!」


 岡田は、首を大きく横に振った。


 事務所の男達は少女を囲み、連れ去り、痛い目に合わせ、二度とこの界隈で売春などしないように脅すつもりだった。だが、計画通りに事は運ばなかった。


 唐突に現れた何者かに、頭を強打された。闇夜での闘争のうえに頭を強打されていたのではっきりと目視できなかったが、特殊警棒のような物で殴られたという。三人を殴ったのは、坊主頭の、おそらくは少年という年頃の男。


 少年は、三人を一発ずつ殴って、すぐに逃走したという。


 殴られた組員のひとりは、目の周辺の骨を複雑骨折して、現在入院中だそうだ。


 岡田の回答に、秀人は少なからず驚いていた。てっきり、酔っ払った格闘技経験者とでも喧嘩をしたのだと思っていた。


「そうなんだ。その女の子と殴ってきた奴は、もともと知り合いなのかな。売春婦とボディーガードみたいな」


 顎に手を当てて考える秀人に、頭に包帯を巻いた一人が言った。


「いえ。女の方は、男に助けられたことに驚いていました。男に逃げるよう言われたときも、戸惑っているようでしたし」

「ふーん」


 秀人は、頭に包帯を巻いた二人を見た。岡田とは違って、引き締まった体型をしている。喧嘩のときに髪の毛を掴まれないよう、刈り込んだ五分刈りの頭。筋肉質な体をスーツに包んだ姿。胸にある組のバッジ。堅気ではないことが、一目で分かる姿だ。


 こんな奴等から、見ず知らずの少女をわざわざ助け出した。


 少女を助けた少年は、自分の行動のリスクを考えられないほどの馬鹿なのか。堅気ではない人間に牙を剥くと、後々に大きな危険を孕む。そんな想像すらできないほど幼稚な男なのか。


 ──いや。


 自分の考えを、秀人はすぐに否定した。危険を自覚しているからこそ、少年は三人を一発ずつしか殴らず、すぐに逃走したのだ。自分の顔を見られないため。可能な限り、組員達の記憶に残らないため。


 つまり、少年は、見ず知らずの少女を危険を承知で助けた上、もっともリスクが少ない行動を選択して実践した、ということだ。


 その事実から秀人が想像した少年の人物像は、このようなものだった。正義感が強く、暴力で人が虐げられているところを見逃せない。堅気でない人間を敵に回すことの危険を理解している。特殊警棒を携帯するような、危険に備える必要がある生活をしている。助け方から考えて、警察関係者ではない。速攻と逃走の手際のよさから、人を襲撃することにも慣れている。


 秀人の口の端が上がった。面白そうだ、と思った。もし、この少年が自分の想像通りの男なら、唆して、銃を使わせてみたい。


「岡田さん。当然、その女の子も、女の子を助けた奴も、放っておくわけじゃないよね?」

「当然です!」


 秀人の問いに、岡田は即答した。


「上に知られる前に捕まえて、始末をつけます!」

「そっか」


 秀人は岡田の机の上から降りた。始末をつけるということは、つまり、少年の方は間違いなく殺すのだろう。凄惨なリンチの末に。少女の方は、捕まえて自分達の傘下で売春でもさせるか、上への貢ぎ物にするか──そんなところだろう。


 秀人は、コートのポケットから箱を取り出した。携帯用の栄養補助食品。箱を開け、中で小分けにされた栄養補助食品を袋から出し、口に運んだ。超能力は栄養を大量に消費する。警官や自衛隊員よりも遙かに精度の高い超能力を使う秀人は、その分だけ、大量のエネルギーを必要とする。手軽にカロリーを摂取できる食べ物の携帯は、必須だった。


「ねえ、岡田さん」


 食べながら、秀人は岡田に聞いた。


「その男と女の子、無傷でここに連れてきてよ。で、俺に紹介して」

「……は?」


 岡田は、訳が分からない、という顔を見せた。


「だからさ、そいつら、無傷でここに連れて来て。で、俺に紹介して」

「なん……でですか?」


 困惑しているせいか、岡田は言葉を噛んだ。


「いいから。言うこと聞いてよ」

 

 言いながら、秀人は優しく岡田に微笑みかけた。まるで幻想世界の物語に出てくるような、美しい笑み。


「絶対に無傷で。手足縛るくらいは許してあげるから。なんなら、捕まえるときに痣をつけるまでは許してあげる。でも、大きな怪我とか負わせたら駄目だから」


 岡田は、苛立ちと困惑が混じった複雑な顔をしている。


「何なんですか!?」


 岡田に要求していると、背後から、怒鳴り声を浴びせられた。


 秀人は後ろを振り向いた。


 バンッと机を叩いて、組員の一人が立ち上がった。頭に包帯を巻いた組員だ。


「こっちは恥かかされてるんだ! なんでそんな気ぃ遣わなきゃいけないんですか!?」

「うるさいよ」


 秀人は立ち上がった組員に指先を向け、超能力を放った。壁を撃ったときは銃程度の威力で放ったが、今回はそれよりも手加減した。


 撃たれた組員はその場で倒れ、顎を押さえて悶絶した。顎の骨が砕けたはずだ。


「俺がその気になれば、小便一回するよりも短い時間で、ここの全員を皆殺しにできるんだけど。どうする? おとなしく言うこと聞く? それとも……」


 岡田の冷や汗が、机の上に滴り落ちた。ボタッ、ボタッと。大粒の汗だった。


 他の組員達は、怯えたように目を伏せている。


 秀人は、岡田に顔を近付けた。


「どうするの? 岡田さん。俺の言うこと、聞いてくれる?」


 岡田は小さく頷いた。


「わかった……わかったから、勘弁してください」

「そう。ありがとう」


 お礼に岡田の頭でも撫でてやろうかと思ったが、脂汗で手がベタベタになりそうなので、やめておいた。


 今日の用は済んだと言わんばかりに、秀人は事務所の出口に足を運んだ。


「じゃあ、頼んだから。しばらくは定期的にここに顔を出すようにするから、よろしくね」


 怯える組員達と顎を粉砕されて悶絶する組員を尻目に、秀人は事務所を後にした。


 仕入れさせた銃を使って、大暴れしたい。秀人自身ではなく、自分が飼い慣らした手駒達に大暴れさせたい。大勢の人間を飼い慣らし、銃を手渡し、大きな花火を打ち上げるように、大暴れさせたい。


 それが、秀人が銃を集めている理由だった。


 だが、いきなり大人数を使って大きな動きをすると、どこかで綻びが出るだろう。だから、サンプルが欲しかった。自分の手足となって動く駒のサンプル。どのように動き、どのように暴れ、どのように失敗するか。それを観察し、今後のために検証したい。


 使う駒は、不遇な奴がいい。そういう奴の方が、世の中に不満を抱いている。反社会的な行動を取ってくれる。


 エレベーターまで足を運ぶと、秀人は、下向きの矢印のボタンを押した。


 綺麗な顔には、冷たい微笑みが浮かんでいた。



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