第81話 秘密の夜②
レイナルド様はビュッフェ台を挟んでこちら側にいる私に気づいてくださったようで。けれど、その視線は私の隣にいる給仕の方が持っているお皿に向いている。
そこには味気ないバゲットの欠片がひとつ。
「……」
「……」
私たちの間には不思議な沈黙が流れた。
ま、まずいような……!? レイナルド様は、研究に夢中になるとパンしか食べない『フィーネ』の食生活をとても心配している。
フィオナとしては問題ないはずなのに、何だかいけないことをしている気分になった私は、レイナルド様とは視線を合わせずに給仕の方にお願いした。
「あ、あの、向こうにあるサラダをいただいてもよろしいでしょうか……!」
「かしこまりました」
「あと、お肉の煮込みも盛ってくれ」
「「!?」」
なぜかレイナルド様が唐突に口を挟んだので、私と給仕の方は目を瞬く。コホン、という咳払いの後、レイナルド様は私に話しかけてきた。
「フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢。今日はおめでとうございます」
王太子殿下としての流れるような振る舞いに、私も気を取り直し膝を折って挨拶を返す。
「レイナルド殿下、ご無沙汰しております。この度は兄の結婚式に参列してくださりありがとうございます」
「兄上のご結婚もですが、モーガン子爵家との繋がりはスウィントン魔法伯家にとっても喜ばしいことだ」
「……お気遣いに感謝いたしますわ」
没落して消えたはずの家名を重んじてくださるレイナルド様に微笑むと、隣のご令嬢がひやりとした声色で聞いてくる。
「……スウィントン家のフィオナ様ね」
「サ、サイアーズ侯爵家のウェンディ様。おっ……お久しぶりです」
「噂ではレイナルド殿下とフィオナ様は特別なお友達と聞いていたのですが……そういうわけでもないのですね」
「!」
アカデミーで一学年下に在籍されていたウェンディ様のことは私も知っている。けれど、この問いは直球すぎるにもほどがありませんか……!
どうしよう、と目を泳がせる私をスマートに助けてくださるのは、いつもレイナルド様。今日だって変わらずにそうだった。くすくすと上品に笑いながら、私とウェンディ様の間に入ってくださる。
「ウェンディ嬢。そういう質問は私にしていただけると助かります。さすがに、何度も振られたくはない」
「……えっ? あの、それはつまり、」
「そういうことです。お父上のところまで案内しましょう」
「レイナルド殿下、」
目をぱちぱちと瞬くウェンディ様に腕を掴ませると、レイナルド様は振り返って軽く微笑んだ。
「フィオナ嬢。また」
「は……はい」
私は二人の後ろ姿を見送る。この国の王子様と名門侯爵家のご令嬢でいらっしゃるウェンディ様。二人はとってもお似合いで、思わず見とれてしまいそう。
――レイナルド様の『フィーネ』に対する優しさが特別なものだなんて、とんでもない勘違いだったのかもしれない。
冷や水を浴びせられたように冷静になると同時に、改めて普段どれだけの気遣いがあるのかを理解する。ぼうっと突っ立っている私に戻ってきた給仕の方がお料理を乗せたお皿を渡してくださった。
「どうぞ、お料理です」
「……あ、ありがとうございます……」
そこには、お肉の煮込みとサラダがきれいに盛り付けられていた。あのアトリエで食べるものと変わらずにおいしいはずなのに、レイナルド様とウェンディ様の後ろ姿が脳裏をちらつく。
不思議と味気なく感じるそれを、私は無心で口に運んだのだった。
モーガン子爵家の別邸が持つ大広間はとても広い。さすがに王城にあるようなものには及ばないけれど、たくさんの招待客がゆったりと立食パーティーを楽しみつつ、真ん中でダンスができるぐらいの贅沢さがある。
今日の主役であるお兄様とエメライン様が二人で踊った後、ほかの招待客の方々も少しずつそこに加わっていく。
その端にはレイナルド様の姿が見えた。たくさんの人に囲まれていてよく見えないけれど、もしかしたら隣にはまだウェンディ様がいらっしゃって、これから二人は踊るのかも……しれない。
アカデミー時代、頻繁に行われたパーティーでこんな光景を何度も見たことがあった気がするのに。なぜか今日ばかりは心がざわざわするのが止められなくて、私は会場を出ることにした。
「モーガン子爵家の別邸のお庭って素敵……!」
季節は冬。この結婚式はスウィントン魔法伯家の没落に伴って急いで行われた。だから、雪こそは積もっていないけれど、大広間のテラスから出られる庭には何の花も咲いていない。
それでも中央には噴水が配置され周囲をベンチやフラワーアーチが彩っていて、穏やかな季節の華やかさが簡単に想像できた。生垣の先には湖が覗き、その奥に王家の別邸にあたるお城が見える。
「湖……」
夕暮れの庭を見つめて、ぼうっと物思いに耽る。
子どもの頃の私は、水を龍に変える魔法を使ってあの湖に落ちたレイナルド様を助けたらしい。もちろん覚えているけれど、あの男の子がレイナルド様だったなんて知らなかった。
どれぐらい、そんな風にしていたのだろう。
「――上着を持ってこさせましょう」
「!」
不意に投げかけられた声に私は肩を震わせた。それは後ろ姿を見送ったはずのレイナルド様だった。さっきまで大広間でたくさんの方々の中心にいたのに、どうして。
「そこの湖は夜になるとライトアップされます。そろそろじゃないかな。もし退屈されているのでしたら、一緒に見に行きませんか」
「あ、あの」
「たくさんの魔石を使って彩を灯すんだ。私も初めて見たときには感動しました」
「ま、魔石……!」
魔石の明かりですか……!
断ろうと思ったのに、なぜか私の好みを把握しつくした誘い文句に思わず聞き返してしまう。クライド様が教えたのかなと思いつつ、私は姿勢を正した。
「とてもありがたいお誘いですが、そんなに長い時間、レイナルド殿下を独り占めするわけには参りませんので」
「それは残念です。しかしまだここにいらっしゃるのでしたら、上着を」
「お……お気遣いだけ、ありがたく」
夕暮れの庭は少しの時間であっという間に暗くなる。
私がここに足を踏み入れたときには空はまだ茜色だったのに、今は深い藍色に包まれていた。大広間から漏れる明かりで暗くはないけれど、空に輝く星がひとつふたつ、目に入った。
パーティーが続く大広間からはゆったりとしたワルツのメロディーが聞こえてくる。外は寒いから、早くレイナルド様を室内にご案内しないと。
お風邪でも召されたら大変だし、事情を知るクライド様にきっと怒られる……!
そう思って挙動不審になった私に向かい、レイナルド様は胸に手を当て美しい礼をした。
「フィオナ・アナスタシア・スウィントン嬢。私と踊っていただけませんか」
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