第79話 懐かしい街

 かつてスウィントン魔法伯家の別荘があった街・スティナ。


 避暑地として知られるそこは、美しい湖の周りに王家や有力貴族の別荘が立ち並んでいる。


 湖のそばでは、湖面に映るお城が。森の中では、樹々がつくるトンネルの先に現れるおとぎ話のような別荘が。


 王都とは違った歴史を感じさせる風景の中で過ごす夏の日は、私にとって本当に大切な思い出。


 ……それにしても……!


「まさか、ここでパーティーに参加するなんて……」


 明日着る予定のドレスを見つめながら私は肩を落とす。淡いブルーの布地に丁寧なバラの刺繍がほどこされたこのドレスは、お兄様の婚約者・エメライン様が私のために選んでくださったもの。


 見ているだけでため息が出そうに素敵なドレスだけれど、私の憂鬱はまた違うところから来ていた。


 婚約者の別邸で、私の心配を見透かしたお兄様は優しい微笑みを向けてくる。


「大丈夫だ。縁談の話はきちんとした形で断りを入れている。あのレイナルド殿下がマナーを無視した振る舞いをするはずがないだろう」

「……もちろんそうだとは思うのですけれど、お兄様……」


 明日はお兄様とモーガン子爵家のご令嬢・エメライン様の結婚式。没落したとはいえ、旧スウィントン魔法伯家は歴史ある名門だった。


 お兄様の結婚式に関しても、当然のように王族へ招待状が送られ、なぜか王太子であるレイナルド様がお出ましになるというお返事が届いてしまったらしい。


 どうしてなの……!


 私は子どもの頃にこの街でレイナルド様と会っているのだ。ううん“会っている”というのは大げさで。けれど、印象的な形でお互いを記憶してしまっている。


 もちろんレイナルド様はあれが私だなんて思っていない。魔法で救ってくれた『精霊』と勘違いしておいでなのがせめてもの救いだった。


 それに、縁談をお断りした私とレイナルド様が言葉を交わすことはないはず……なのだけれど。


「スティナの街、というのも少し気がかりで……」

「何だ。他にもまだ心配事があるのか?」

「! いいえ、何でもありませんわ」


 話し過ぎていたことに気がついた私は、慌てて笑顔を浮かべる。


 お兄様にあの日――湖に落ちたレイナルド様を魔法で救った話、をしたことはなかった。だって、魔法を使えることはお兄様と私だけの秘密なのだから。


「フィオナ。あまり浮かない顔をするな。明日は私の結婚式なんだぞ?」

「! そうでしたわ。お兄様、心からおめでとうございます!」


 何のためにこの街へやってきたのか、本来の目的を思い出した私にお兄様は優しく続ける。


「エメラインがフィオナとゆっくり話がしたいと。お前が忙しいから、ここまで時間が取れなかっただろう?」

「ええ。私も、お兄様の支えになってくださる方にきちんとご挨拶をしたいです」

「……王宮でメイドとして働くようになって、フィオナは随分しっかりしたな」

「ふふっ。王宮にいる私はフィオナではなくてフィーネなのですけれどね」


 お兄様から久しぶりに褒めてもらって、さっきまでの不安が消えていく。スウィントン魔法伯家と私のためにずっと頑張ってきたお兄様。幸せそうなお兄様を前に、私もつい頬が緩んでしまう。


 お兄様にこんな顔をさせるエメライン様。早くお会いしてみたい……!





 その日の夕食は、お兄様の婚約者・エメライン様が私を招待してくださった。


 メインダイニングでの食事には珍しい丸テーブルに、エメライン様とお兄様、そして私。

 

 エメライン様は、お兄様に聞いていた通りとても美しいお方で。ほんの少し、ラズベリーのような赤みを帯びた茶色い髪に、スティナの湖の色のような瞳が印象的だった。


「フィオナさんは王都でお勤めをされていらっしゃるのよね? もしお困りだったら、モーガン子爵家に一緒に来てくださればいいのに……!」

「い、いえ、そんな……!」

「私、きょうだいがいないのよ。フィオナさんが来てくださったらとてもうれしいわ。お仕事がしたいならきっと力になれるわ。ねっ、そうしましょう?」

「ですが、あの……!」


 お兄様に迷惑をかけるわけにはいかないし、何よりも自立したいのです……!


 とはさすがに言えず、私はたじたじになっていた。


 エメライン様はお美しいだけではなく、明るくてくるくると変わる表情が本当に可愛らしい。私より二歳年上という話だけれど、アカデミーの友人と話しているような気持ちになってしまう。


 とにかく、お兄様と結婚される方が素敵な方で本当によかった……!


 しかし、それとこれとは別だった。モーガン子爵家へ私も一緒に、というのはありがたいお誘いだけれど、ここはきっぱりお断りしないといけない。私はお皿のスープをすくっていた手を止め、スプーンを置く。


「エメラインお姉様。だ、大丈夫ですわ。私、王都での暮らしがとても楽しくて……」


 けれど、私の言葉は意図とは違った形でエメライン様のお気に召したようで。


「…………! ハロルド様、お聞きになりました!? フィオナさんが私をお姉様、と……!」

「エメライン。その辺で勘弁してやってくれないか」

「まぁ。私、フィオナさんを困らせてしまったかしら? ごめんなさい……!」

「いいや、フィオナは喜んでいるよ。ただ、本当に王都での自立した暮らしが充実しているようでね」

「まぁ……!」


 ますます目を輝かせてはしゃぐエメライン様。それを諭すお兄様の表情と声色は、びっくりするほど優しい。何となく二人のやりとりをもっと見たくなって、私は口を挟まずに見守ることにする。


「それに、私もエメラインとの二人の暮らしを楽しみたいな。せっかく私たちのための別邸が建つんだ。そこで君と二人で暮らしたい、というのは私の我儘だろうか?」

「いえ……ハロルド様。そんな風に……とてもうれしいですわ……」


 とっても甘い会話を交わす二人に、どうしてか私の方が恥ずかしくなって頬を両手で隠してしまう。


 もちろん私にだってお兄様はいつも優しかった。けれど、それとはどこか違う感じがする。モーガン子爵家からの縁談の話があった時、お兄様は二つ返事で快諾していた。もしかしたら、お兄様とエメライン様は以前からこんな関係だったのかもしれない。


 優しくて穏やかなのに、そこには特別な愛情があるのだとひと目でわかってしまうこの表情。


 ……けれど、こんな表情の方を最近見たような。どこでだったのかな。

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