砂の塔で哭く

 不思議と涙は流れなかった。

 瀟洒な調度品などは一切壊れておらず、部屋の中心に置かれた椅子だけが真っ二つになっている。丁寧に作られたものなのだろう、断面から見える綿は随分と柔らかそうで、座った際に優しく身を包んでくれる気がした。



 けれども、それは身を包んでくれるだけで、命までは守ってくれなかった。

 クローフィの部屋。豪華な扉は蹴破られれている。無理矢理弾き飛ばされた扉が、赤い絨毯に自分の存在を刻みながら、壁際で沈黙を保っていた。



 沈鬱な空気が部屋に漂っている。俺を呼んだサラは顔を真っ青にして床を見つめている。普段は軽薄な雰囲気を隠そうとしないブルハさんも眉を引き締め、おやっさんは少しの間だけだが確かに関わった相手がいなくなったことに、多大なる怒りと多大なる悲しみを宿していた。

 ラインは恐ろしいほどの無表情で何を考えているのかわからない。ただ、その髪色と同じく、燃え上がるような感情が胸の奥で煮えたぎっているのではないかと思った。



 クローフィが勇者に殺された。

 凶報を耳にした俺はすぐに屋敷へと駆け付け、そしてこの状態の部屋を目にした。

 一足早く到着していたブルハさんが言うことには、おそらく彼女は抵抗しなかったのだろうと。壁際に飾られている調度品が綺麗なのがその証拠だ、と。

 


 きっとそうなのだろう。クローフィは生きる気力を失っていた。だからこそ俺はこの戦いに挑んだわけで、彼女が逃げてくれさえすれば発生しなかったのだ。

 ……自分が後を付けられていなければ戦いなど起こらなかっただろう? 責任転嫁をするなよ。お前がクローフィを殺したんだ。寄り添っているふりをして、その実一番彼女を苦しめたのはお前なんだよ。お前のせいだ。お前のせいでクローフィは死んだ。



 頭の中でほの暗い笑みを口元に浮かべた俺がひたりと背中を叩く。

 反射的にそいつの首を掴み、思い切り地面に押し倒した。



 違う。違う違う違う。俺は確かに助けようとした。この戦いが終わったら根本的に解決しようとしていたんだ。手は抜かなかった。およそ考えつく限りの努力をした。



 足りねえよ。今まで生きてきて何か上手くいった試しがあるか? いつもそうだろう。お前は何もできない。きっと生まれたときからそうなんだ。何もかも上手くいかない。お前が関わったら不幸になる。よかったな、コミュ障なんておあつらえ向きじゃないか。自分の運命を大人しく享受して、一生誰とも接さない生活をしろよ。



 罪悪感やら自己嫌悪やら憤慨やらが交じり合った自分の姿に、俺は吐き気がした。

 思わず膝をついて嗚咽する。ちょうどのその様子が泣き崩れたもののように見えたようで、サラが心配そうに駆け寄ってきた。



「大丈夫ですか!?」

「………………ああ」



 大丈夫では、ないけれど。



 俺はせめてもの抵抗として、気丈な態度を取ってみせる。震える腕を掲げて指を二本立てる。生まれたての小鹿のように無様な安定感の足は、折れるくらいの力をこめて叱咤した。



「……ポチ」



 ラインの静かな声に視線を向ける。

 彼女は一文字に唇を引き締め、しっかりと腕を組んでいた。

 まるでこうでもしていないと暴れ出しそうだ、とでも言うように。



「私のせいだ」

「……それは、ち——」

「違わない。私のせいなんだ」



 普通に聞けば平坦な声だったが、何処か悲し気な色が宿っているような気がする。赤い髪が小刻みに揺れ、頬を流れていく様が血涙を流しているように見えた。

 彼女は懺悔するように膝を折って俺と視線を交わらせる。

 胸に宿しているのは、どうしようもない怒りか。



「屋敷の入り口を守るのは私の仕事だった。だからこそ私は、誰も通しちゃいけなかったんだ。例え千の軍勢、万の軍勢が襲い掛かってこようとも」



 不可能だ。いくらラインが強くても、その身は一つ。戦いとはすなわち数の比べあいであり、一騎当千の雄が十人いても万の有象無象に蹴散らされる。

 しかし彼女は脅迫的なまでに自分の失態を信じているようだった。薄っぺらい弁護の言葉を吐こうとした俺が口を開けなくなるくらいには。



 その後ぽつぽつと語られたのは、どうしてラインが守っていたはずの玄関が突破されたのか、という話だった。



 まさか勇者が彼女よりも強かったのか。そうじゃない。

 もしやシロと二人がかりで戦った? そうじゃない。

 では彼女の言う通り数えきれない大群が襲ってきた? 違う。



 真実は、数人で同時に襲い掛かってきたプレイヤーを相手している間に、暗殺者のごとく忍び込んだ勇者がクローフィを殺した。



 音はなかったそうだ。それこそ気配察知に優れるラインが気付かないくらい、静かだったそう。丁寧に丁寧に気配を殺して、丁寧に丁寧に舗装された運命をクローフィに授けた。ラインが異変を悟って部屋に駆け込んだ時には、既に彼女はポリゴンすらなくなっていたらしい。



 ぐらり、と来た。

 視界が薄くなる。

 喉を焼くような不快感が臓腑から湧き上がった。



 結局俺は何もできなかった。一丁前に粋がっていただけで、本当に大事なところでは何も為せないガキ。たかだかポリゴンの塊だと妥協できないくせに、ポリゴンの塊に命をかけられない。どうしようもない。救いようがない。



 俺は生まれて初めて心の底から自分が嫌いになった。

 


「………………ポチ君」



 そこに、過去を掬い上げるような声がかけられる。

 真面目に考え込んでいたブルハさんだ。軽薄な表情はすっかり鳴りを潜め、ひたすらに真摯なまなじりが光っている。



「君は覚えているかな」

「何を……」

「『もしも君にとって大事な人がいなくなったとき、君ならこの世に呼び戻すことができる。それが元の形であるかは分からないけどね』と言ったのをだよ」



 はっとした。



 ラインと武闘会に参加するためダンジョンに修行へ行く前のことだ。アイテムなどと一緒に意味深長な言葉を渡され、しかし激動に埋もれていた。当時は意味がまったくわからなかったが、今この状況に照らし合わせれば。



「本当に取り戻したいのであれば、もう一度立ち上がりなよ。少年」



 ◇



 錬金術の起源は古代エジプトや古代ギリシアに求められるらしい。以前中二病をこじらせて調べていた情報だ。それがイスラム世界やらに伝わって、発展したと。

 つまり錬金術とは砂漠のイメージが付いて回る。属性的に考えたなら砂があれば効果が増強されるのだ。



 また広義の意味では、錬金術は金を生成するだけでなく、人の肉体や魂すらもその範囲に入る。何処かで見た人体錬成などはその最たる例だろう。

 吸血鬼を人の範疇に加えれば、彼女の魂を現世に縛り付けることができるかもしれない。ブルハさんが前から考えていたことだと言っていた。



 そして魂に対して現世から最も近いのは、イメージ的に空だろう。

 呼び戻すのならば空に限りなく近いところがいい。けれども山などは周囲になく、仮に山を目指そうものなら手遅れになる。



 だからこそ「砂の塔」なのだ。



 万が一の時のためにブルハさんが作ってくれた砂の塔。俺が錬金術師になったのは偶然だった。たまたま目に付いた「ランダム」なるボタンを押しただけ。しかし、こうして必然性が出てくると、おぼろげな運命という言葉が脳裏をよぎる。



 俺の今までの道筋。それらがすべて、この時のために積み上げて来たんじゃないか。そんな気すら起こった。



「……………………」



 沈黙を保ちながら扉を睨みつける。静かに腕を組みながらその時を待っている。不思議な確信があった。絶対に来ると。

 


 重たい大樹をこすり合わせるような音を上げながら、目の前の扉はゆっくりと開いていった。ほんの一人がなんとか入れるか、という隙間だけ開いて、その男は現れる。



 流石に長時間の戦闘はこたえたのか、蜂蜜を溶かしたような金髪は土汚れに薄れていた。それでも双眸に宿した炎は消えていない。



「ここが最後のステージか。門番を潜り抜けるのに苦労したよ」

「……あぁ、そう」



 砂の塔の最上階。入口にはラインが控え、道中になけなしのトラップも配置した。しかし、やはり彼には通用しなかったようだ。

 勇者は少々疲れたような笑みを浮かべながら、清々しく口角を上げる。



 まるで苦労すればするだけ得られる勝利が尊くなるとでも言うようで、そうであるならば、俺の勝利もまた尊くなるのだろう。



 背後にはクローフィを呼び戻すために作業している魔法の釜がある。あれを攻撃されれば、再び彼女を呼び戻すことはできない。本当の意味でここが最終防衛ラインだ。絶対に通してはいけない。



 向かう敵は最強。

 自分自身は最弱。

 増援は期待できず、増援を待ってくれるほど優しくもない。



 考えつく限り最悪の状況だった。それでも、俺は諦めない。

 諦められない。



 何度も諦めてきた。その都度、後悔した。

 人生を傍観するのは疲れたんだ。かりそめの世界でも、自分が主人公になりたい。



 俺が。



 勇者を下して。



 死に囚われたお姫様を助ける。



 なんて陳腐なストーリーだろう。王道の話を期待した読者はきっと嗤う。不可能だ。最後は正義が勝つんだ。正義とは皆が信奉する者のことだ。

 畢竟、勇者のことである。間違ってもコミュ障で、陰キャで、皆が敵と認定した吸血鬼の真祖に味方する者のことではない。



「そんなのどうでもいい」



 だからこそ、無理を通してみたくなった。



 勇者は困惑したように首を傾げる。真っ黒なローブを全身に纏って、素肌が見えているのは足元と手だけという、明らかに不審者な奴が独り言を呟いたからだろう。

 その様子に一切頓着することなく、ゆっくりと全身をほぐしていく。



 ……ラインから教えられた技術を。今まで積み上げてきたすべてを賭して。



「——勇者ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」



 俺は砂の塔で哭いた。不思議と涙は流れなかった。

 けれども、決して消えない想いが胸に宿っている。

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