ネギを抱えたシスター
その日、俺は思い出した。
さり気なくおやっさんの背に移動して、か弱い小動物の如くプルプルと震え始める。ふぇぇ……異性怖いよぉ……。
「出てこい」
「あっ」
しかし悲しいかな、彼は鍛え上げられた腕力で俺を軽々と摘み上げた。その様親猫に教育される子猫のごと。可愛らしき要諦にて和を以て貴しとなす。
俺は肉食動物の前に出された草食動物のように肩を小さくした。ブルハさんは目をランランと輝かせ、ローブの裾を振り回している。興奮しているのか鼻息が荒い。
「戦争をするんだろう?」
「アッハイ」
「だったらこのブルハさんの出番だね。昔はこれでも迷宮の魔女と呼ばれたんだよ」
はぁ、迷宮の魔女。それは(話しているうちに話題が)迷宮(入りしてしまう)魔女的な意味ですかね。それだったら納得できる。
「だろ、スタベン」
「そこで俺に話題を振るなよ」
「私をダンジョンから引きずり出したのは君じゃないか」
おやっさんは嫌そうに顔をしかめた。なんだか面白そうな話をしていますね。ぜひとも俺に聞かせて欲しい。自分から言い出すことはできないけど。長年熟成されたコミュ障の口は巌のように固く重い。
そんな感じでブルハさんも協力してくれることになり、もはや頭が地面に突き刺さるんじゃないかと思うくらい低いお辞儀をした。腰も低くしすぎて折れてるまである。
彼女は苦笑しながら「そんなに気にしなくていいよ」と手を振ってくれた。やっぱり周りに善人しかいねぇわ。涙ちょちょぎれる。
俺は二人にクローフィの館の場所を伝え——言ってから気付いたのだがこれって他人に口外して大丈夫な情報なのだろうか。今更ながら汗が滝のように湧いてきた——工房を後にした。太陽がまぶしくローブの隙間に刺さる。いよいよ戦いが迫っているんだなという実感が肌に感じられ、緊張感が張り付く。
「はぁ……」
暴れる心臓を撫でつけて一息。これだけやったんだ、絶対に勝てるはず。いや、勝ってみせる。
きりりと胃が幻痛に襲われる。今まで生きてきて一番のストレスが襲ってきていた。何かの間違いで全校生徒の前で喋らなくちゃいけなくなった事件の時よりも緊張してるぜ。あのときは酷かったな。思い返すだけで死にたくなる。
黒歴史を思い出してしまったので流れるように路地裏に逃げ込んだ。影がひんやりとしていて気持ちいい。実家のような安心感。
這い出してきたドクが心配そうにすり寄ってくるが、笑って大丈夫だよと言う。この子にまで心配されるようじゃ駄目だな。結構心配されてきたような気がするけど。気のせい気のせい。
それでも高ぶった息はなかなか収まらず、とりあえずアイテムボックスからお茶を取り出してしばくことにした。鼻に抜けていく香りが素晴らしい。紅茶にはデトックス効果があるらしいけれど、もしかしたらストレスも流れ出ているんじゃないだろうか。緊張に固まっていた身体がほぐれていくのを感じるよ。
「あれ、ポチさん?」
どこかで聞いたことのある声だ。ティーカップから立ち上る湯気を煙らせて、俺はそちらのほうへ顔を向ける。噂をすれば影とは言うが、縁のあるものを飲んでいるだけでも適用されるのだな。実質英霊召喚では?
やはり、そこにいたのはサラであった。胸元にネギが突き刺さったバスケットを抱え——このゲームで初めてネギを見た。修道服に随分と所帯じみた装備だが似合っている——可愛らしく首を傾げている。あー、久しぶりに会った知人に声をかけたはいいものの、何をしゃべればいいか分からなくって気まずい感じね。分かるわー、その気持ちすっごい分かるわー。
まぁ俺の場合は声かけないんですけどね。そもそも知人とかいないんですけどね。閉廷。
「あっ、ひさ……」
日本語っていい言語だよな。だって全部言い切らなくてもニュアンスとボディランゲージで何とかなるんだぜ。ほかの言語もそうなのかもしれないけど。操れないから分かんない。
こちらから切り出したからか、彼女は先程よりも力の抜けた笑顔を向けてくる。危なかった、本性を知らなければ恋に落ちていたところだった。キューピットが弓を構えに来たが、「でもこいつ狂信者なんだよな……」と思ったら退散していった。
「こんなところで奇遇ですね」
「……そっすね」
ごめんなぁこんなところを好むような男で(陰キャ特有の被害妄想)。
冗談はさておき、日も差さないじめじめとした場所で可憐なお嬢さんとお話しするのもあれなので、路地裏を出て噴水近くのベンチに座ることにした。
もしかしなくても周りから見たらだいぶん陽キャポイント高いんじゃないだろうか。勝ったな、風呂入ってくる。風呂には入らなくてもシャワーを浴びたい程度には汗にまみれてるからな今。知り合いラッシュで汗腺がデスマーチしてるのよ。そろそろ休ませてあげたい。
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