歪な強化

 月夜が凪いだ。揺れていた草木は固唾を呑むように動きを止め、二人の間には無言の緊張感が漂う。じわりと浮かび上がる手汗を握りしめた。

 ヴァンパイアハンターは少しの時間の間に回復を終えており、完全なパフォーマンスを発揮するはずだ。睨みつければHPは残りわずか。今度こそ最後のぶつかり合いだと感覚的に理解できる。

 俺は最初から攻撃が当たれば負けるし、ようやくか、と息を張り詰めた。



 足に力を込めて地面を掴む。草が擦れる鈍った音がした。

 杖を構えるは中段。やつはぶらりと腕から力を抜いて、いつでも襲いかかれる構えだ。

 そっと息を漏らし、耳に意識が集中した、瞬間。



「……………………ッ!」



 勢いよく杖を跳ね上げた。固いなにかにぶつかる音が響いて、かすかな痛みが掌に残る。

 ヴァンパイアハンターの腕だった。それが振り抜かれた状態で競っている。ほとんど目で追えない動きだった。今、こうして攻撃を防げたのは偶然でしかない。ラインとの修業によって手に入れた、動物的な勘。

 予想以上の行動の速さだ。現実ならともかくゲームならHPが減れば減るほど強くなるとは思っていたが、まさかここまでとは。

 がら空きに見える足元に蹴りを放ったが難なく躱される。



 俺は大きく跳んで距離を取った。対策がなにもないまま、あいつの攻撃が届く範囲にいては危険すぎる。

 やつは追撃することもなくそれを認めて、なぜ有利なのに決めにかからないのだろうかと疑問を抱いた。一瞬よぎったのは先程自分がステータス確認のために攻撃をやめたこと。しかし、いくらなんでもそれは人間的すぎるだろう。このゲームのNPCなら絶対にないと言い切れないのが怖いところだが。



 どうしてだ? 有利な状況でわざと相手を見逃す……どういう理由がある?

 ジリジリとした緊張感が肌に刺さってうざったい。脂汗が滲んできて、ぼぅと意識がぼやける。その隙を突くかのようにヴァンパイアハンターが地面を蹴った。



「――クッ!」



 反射で構えた杖は握り込みが甘かったか吹き飛ばされる。末端が霞むほどの速度で打ち出された拳を、首を倒すことでなんとか躱した。頬に少し掠ったのか、ダメージがわずか。



【強打】を使って胴体に掌底。加えて【反撃】も発動しているからより威力の高い攻撃に成功した。

 彼は身体をくの字に曲げて平行に飛んでいく。影もかくやという見た目故に、もはや怪異のようだ。

 手元に爆発ポーションを召喚。流れるように放り投げようとして、



「いや、おかしい」



 何かを見落としている感覚。

 得も言われぬ違和感が襲う。

 ポーションのガラスに月影が反射して、脳裏に先程の光景が浮かんだ。



 速すぎる動き、STRがゼロの俺でも競れた力、過剰とも思えるほど吹き飛んだ敵。

 変わったのはHPがなくなる寸前だからだろう。死の間際に強くなるというのは古今東西物語の中なら常道、ゲームならそのお約束はなおさらだ。

 だが、強化される前は【強打】と【反撃】を使ったからといってあそこまで飛ばなかった。これでは強化どころか弱化にしかなら……ない……。



「……そうか」



 わかった。そういうことか。

 事実、それはある意味で弱化なのだろう。

 乾燥した唇を舐める。視線の先でヴァンパイアハンターは重心を下げて立っていた。攻撃を仕掛けてくる様子もない。俺が気付いたことを悟ったのだろう。



 あいつは無条件にすべてのステータスが強化されたわけじゃない。

 もしもすべてのステータスがAGI同様に増加していたのなら、俺はもちろんライン、クローフィですら勝てないかもしれない。いや、彼女らの本気を見たことがないから滅多なことは言えないけど。

 やつの攻撃は軽すぎた。それこそSTRというステータスを失ってしまったかのように。

 やつの身体は軽すぎた。それこそVITというステータスを失ってしまったかのように。

 やつの動きは速すぎた。それこそAGIというステータスにすべてを注ぎ込んだかのように。



 つまり、STR、VIT、DEX、INT、MND、LUKあたりをAGIに追加したのだ。

 完成するのは動きばかりが速い木偶の坊。確かに通常だったら有効な手段なのだろうが、ラインやクローフィといった化け物を見慣れている身からすると不足に思える。

 ……なんかおかしいな? なんで彼女らのほうが速いのだろうか。



「ふふ」



 口元が緩んだ。

 喉の奥におかしさが留まってクツクツと鳴らす。

 ドクが不思議そうに目はないが見上げてきたから、なんでもないと言った。



 なんだ、絶望的な状況だと思っていたが案外そんなことないじゃないか。

 むしろ攻撃力と防御力が下がったのは俺にとって有利だ。悲しいことに速さは見慣れてるからね……嫌な記憶が親しげに手を振ってきた。



「お遊びはここまでだァ! 気合い入れろ!!」

「…………!」



 自分を鼓舞するために叫ぶ。大声を出したほうが力が出るらしいからな。雀の涙のようなSTRでは心もとない。まぁゲームにそんなことが関係するのか知らないが。

 景色を後方に抜き去るくらいの気持ちで走り出す。

 杖は持たない。探していたらみすみす隙を晒すだけだ。

 ここで、倒す。俺が勝つ。



 右手を大きく振りかぶって爆発ポーションを投げつけた。

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