サービスシーン

「はぁ……」



 ため息を一つ。

 口から漏れ出したそれは温かみを帯びて、どこか満足げな気配を漂わせていた。

 それも仕方がないだろう。だって、ここは。



「温泉なんだからなぁ!!!」



 サービスシーンだヨ♡ コミュ障陰キャの入浴シーンとか需要ないって? ほっとけ。

 湯けむり立ち上る、白濁の温泉。温泉以外で嗅いだらおよそ「いい匂い」などと表現できない匂いが充満している。なんでこういうところだとこの匂いは良い感じになるのだろうなぁ。不思議。

 


 ドクは白濁液に溺れるのが嫌なのか、必死にお湯に触らないように遠くにいる。

 クローフィのお屋敷の裏には、温泉があった。どゆこと? なんて疑問は考えない。気持ちよければいいじゃない。人生刹那主義。

 彼女はあんな西洋的外見をしていながらも温泉愛好家なのだ。いや温泉愛好家なのかは知らないけど。そもそも吸血鬼が風呂に入れるのか知らないけど。流水とか駄目だよね。



 どこかで聞いた話だと温泉にはデトックス効果があるらしい。それでドクは入りたくないのかな?

 まぁ嫌がることを無理やりさせるのはよくないので、ニコニコと笑って観察する。当然クローフィはこの場にいません。そりゃいたらレーティングに引っかかっちゃうからね。しょうがないね。

 


 それと吸血鬼的に太陽に当たったら死ぬからなのか、ここには屋根がある。そのため死なずに済むのだが、いかんせん風情がない。

 夜の温泉……満点の星……白い煙立ち上り、少し火照った身体に夜風が涼しく吹き通る……。

 あぁ〜、いいっすね〜。まぁ今は昼なので全然そんな光景は広がってませんけど。悲しい。

 それよりも真っ昼間っから温泉って超絶豪華じゃね? ゲームだからとか関係なく、ちょっとした罪悪感とそれ以上の高揚感。流石に高揚します。



 試練を突破したご褒美的なやつで、クローフィからここの温泉の使用許可を頂いた。

 温泉好きに貴賤なく、陰キャだろうと陽キャだろうと温泉は好き。前者の場合は人がいると十分に楽しめない可能性もありますが。俺は人がいるところで裸になりたくない人です。



 その点この温泉は周りが鬱蒼と生い茂った木々で囲まれており、「覗いてやろう」という確固とした意思を持たねば発見できない場所。俺の裸体に価値を見出す者がいるはずもないので、こうした杜撰な視線管理でも十分満足できるのだ。

 あー、筋肉に追い回された疲れた取れていくー。魂の洗濯だー。



「きゅー」



 ドクが不満げに鳴いている。おそらくさっきからため息を付きまくっている俺に辟易したのだろう。しかし泰然自若。落ち着きまくっている自分は無敵モードぞ。



 結局俺は眷属が我慢の限界にいたり、嫌がらせで毒液を発射してくるまで温泉を満喫したのであった。



 ◇



「いい湯だったな……」



 俺はいそいそとローブをかぶり直しながら、素晴らしいひとときを過ごしたと溜息を零した。

 今までさんざんリアリティのすごいゲームだとは思っていたが、まさか温泉まで再現しているとは。流石日本人。こういうところの謎のこだわりには定評がある。

 まぁドクは非常に不満そうだけれども。茶葉を上げて好感度を稼ぐことを試みてみる。



「きゅー(ぺっ)」



「そんな……(悲しみ)」



 吐き出されてしまった。おぉ、このスライムの粘液で少しばかり溶けた茶葉をどうするべきだろうか。

 どうしようもないか。自然にリリース! 環境破壊とちゃうよ。



 それは冗談だが。ゲームの仕様で一定時間外に放置されたアイテムはなくなってしまう。家具とかのアイテムがそれに適応されてしまうと不満噴出なので、当然消えないようにする設定もあるが。

 つまりはゴミを放置しておけば勝手に消える素敵設計なのさ!



 装備画面からローブを装備すれば一瞬だが、こうしてわざわざ時間をかけて着るのもいとをかし。

 ということでバッチリ準備完了した俺は、早速次の試練に向かおうとしていた。



「……クローフィはどこにもいないな」



 キョロキョロ。

 家の主人に何も言わずに出ていくのはアレなので探していたのだが。



「きゅー」



 ドクも見当たらないと鳴いている。どうも彼女はどこかへ行ってしまったようだ。まぁ吸血鬼の真祖様らしいからな。何者にも縛られないんだろ。しらんけど。

 仕方ないので無言で扉を開いてがいしゅつ! 

 するとムワッとした空気が押し寄せてきて、せっかくお風呂に入っていい気分だったのに台無しになってしまった。ふぁっきゅー高気温と高湿度。














「遠いな」



 手元にある地図を確認しながら歩く。

 クローフィの館から出発してすでに一時間ほど。俺のAGIなどお察しなので、それほど距離を稼げているわけではないのだが。それでも時間の経過は誰にでも平等なので、当然それだけ歩けば嫌にもなる。それが普通の人よりも移動速度がだいぶ遅いのならばなおさら。



 顔を歪めながら睨みつける紙面上。そこに描かれた印は一向に近づく気配を見せない。

 ホログラムウィンドウと比較してもその距離がありありと分かる。これで一番近い場所なんだから勘弁してほしいよな。というかどうしてこんな辺鄙な場所にお屋敷を作ったんでしょうか? 不便です。



 俺が内心文句をたれまくっていると、遠くの方に人影が見えた。

 コミュ障的にはだいぶお近づきになりたくないのだが、もしかすると移動式の試練かもしれないので目を凝らす。しかしどうも一般冒険者プレイヤーのよう。

 何だ、ただのプレイヤーか。

 と、そっと顔を背けようとしたら。



「おいあんた、ちょっと聞きたいことがあるんだが」



 なんか話しかけられた。動くの速いね。

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