絶望
一歩。
たったの一歩だ。
シロに攻撃を入れるために、自分の腕を届かせるために踏み込んだ。
それだけで。
「ッ、ああああああ!」
衝撃を受けたのは右腕。
彼女にカウンターを入れようとしていた右腕が、綺麗な弧を描いた剣によって切り裂かれた。
システム的に切断されるようなことはなかったが、もしもゲームでなければ切り飛ばされていただろう。
速い。速すぎる。
俺の反応速度では対応できない?
いや、まさか、そんなこと――。
認めれない仮定に、破れかぶれ蹴りを繰り出してみる。
しかし精彩を欠いたそれが届くはずもなく、またしても剣によって攻撃を受けた。
目を見開いて、絶望がひたひたと這い寄ってくる音を幻聴する。
「あ、が……」
一瞬身体が停止したところに、随分と洗練された軌道の杖が向かってくる。
呆然と留まっていた俺にそれが躱せるはずもなく、もろに食らってしまった。
駄目だ。
やっぱり、駄目だ。
これまで物凄く調子よく行っていたから勘違いをしていた。
所詮俺は運が良かっただけ。
自分の実力で今この場に立っているのではない。
全て運が良かっただけ。
こんな、ぼっちでコミュ障で、何の取り柄もない俺に、ラインを助けられるはずがなかった。
あぁ、もう、目の前に迫る剣が頭から自分を切り裂いて――――――。
◇
(……お終いか)
シロはその胸中でポツリと呟いた。
彼女は今までの戦いで、苦戦したことがなかった。
何故か対戦相手が初めは油断していたというのもあるが、それ以上に才能。
あまりにも離れすぎた技量に、心が折れてしまったのだ。
もともと武闘会に参加したのだって友達が「一緒に参加しよう!」と誘ってきたから。
それと道端でよく分からないおじさんに話しかけられたからで……まぁこれは理由にならないが。
不思議な、『心躍る戦いが出来る』。
そんなぼんやりとした確信があったからこそ、彼女はこの大会に参加したのだ。
(私、そんな戦闘狂じゃないんだけどなぁ)
何が心躍る戦いか。こちとら乙女やぞ。そんなこと思うはずないじゃないですか。
話下手な兄がいるが、やはり血が繋がっているからか私もそういうことは苦手だ。
いや、兄が戦いが苦手なのかはしらないが。
コミュ障百割くらいは戦闘嫌いだろう。パーセントにすると千。
シロはゆっくりと目を瞑り、自分自身ですら認識できない落胆のため息を付いた。
この戦いだってもう終わりだ。
ほら、対戦相手の顔を見てみろ……フードに隠されて見ることはかなわないが、全身から諦めの雰囲気を漏らしている。心が折れてしまっている。
繰り出した剣がもうすぐ斬り裂かんと迫っているではないか。
いくら強者と言えども、心が折れている状態かつそんな状態から逆転することなど不可能だ。
だから、もう、終わりだ。
◇
あぁ、もう、終わりだ。
俺は負けを確信した。
俺は無様に敗北し、ラインを救うことはできない。
誰とも知らない奴が拳聖の弟子となり、俺はどうしようもない気持ちを抱えて引退する。
しょうがなかった。
所詮俺は井の中の蛙。自分が強いと勘違いし驕り高ぶった道化。
もう何も出来ない。出来るはずがない。
今この戦闘を見ている者全てがそう思っているだろう。俺ですらそう思っているのだから、覆しようのない事実だ。
あぁ、それなのに。
「――――――ポチ?」
声が、聞こえた。
ありえない。
ありえない。
きっと幻聴だ。観客席からここまでにはかなりの距離がある。
それに歓声によって場内は喧騒に包まれているのだ。それなのに、まさか、そんなことが。
都合が良すぎる。
諦めの悪い心が幻聴を聞かせたのだ。そう考えたほうがはるかにありえる。
それでも、俺は。
「…………ライン?」
縋ってしまったのだ。
まだ諦めないでいい理由を、彼女に求めたのだ。
あぁ、もうすぐ剣が俺を斬り裂く。
間違いなくその未来は訪れる。見給え、まもなくシロの鋭い刃が、優しく死に誘うだろう。
しかし目に見えた絶望よりも、俺は。
ゆっくりと進む時間の中、僅かに首を傾ける。
視界が広がり、人混みの中から目当ての人物を探そうと目が足掻き始めた。
数え切れないほどの人がいるのだ。見つかるはずがないだろう。
頭の中の何処か冷静な部分はそう言っているのに、何故か探すのを辞めることは出来なかった。
そして。
「ど、どうして……」
目を見開いて、呆然としているラインの姿を捉えた。
「……ッ、ああああああああああああああああ!!!!」
「⁉」
躱しきれない軌道だった。
間違いなく当たる距離だった。
ならば、反らせばいいだけの話だろう。
俺は目前に迫っていた剣と身体との間に手を滑り込ませると、無理矢理後ろに流した。
随分と力がこもっていた攻撃なのか――それとも「これで終わりだ」とでも油断していたのか。
非常に容易く凶刃は目的地を見失い、なにもない宙を斬った。
そこに、思い切り体重を乗せた拳。
見事に右腕はシロの柔らかい腹に突き刺さり、相応の衝撃によって彼女を吹き飛ばした。
初めて入った攻撃。
だが、頭の中を支配していたのは喜びではなく、圧倒的な困惑だった。
意識すら対戦相手に向いてはいない。
どうして。
どうしてそんな泣きそうな顔をしているのだ。
「――――――――――――」
パクパクと、何かを伝えようと必死に口を動かしている師匠――いや、ライン。
さっきは聞こえたのに、もう聞こえない。
あれはやはり幻聴だったのだろうか。都合のいい妄想が生み出した、偽りの。
「………………」
だが、これでも彼女のもとで修行した元弟子だ。
何度も何度も、何度も何度も何度も言われた言葉なら、口の動きを見れば分かる。
だから、俺は。
『お願い、勝って』
もう諦めない。
◇
ラインは酷く虚しい気持ちを抱えながら、椅子に沈み込んでいた。
座ったことのないほどの柔らかさ。
おそらく相当な高級品なのだろう。
しかし、それすらも慰めにはなりはしない。
「ライン、まもなく決勝戦が始まるぞ。貴様の弟子となるものが決まる戦いだ。少しは見たらどうだ」
「…………私は、」
「あぁ、あの不審者のことでも考えているのか? この大会には私が推薦した者が何人も参加している。もし奴が参加していたとしても、もう残ってはいないだろうな」
「……………………」
ククク、と意地悪げに笑う男。
床を軋ませながら歩き去っていく彼の後ろ姿を見つめながら、ラインは自分の弟子であった者のことを考えていた。
あぁ、しかし、もう遅いのだ。
何もする気が起きない。
ここのところずっとそうだ。きっとこれからもそうなのだろう。
それほどまでに、彼女はあの弟子に入れ込んでしまっていた。
「……こんな姿、ポチには見せられないな」
はは、と卑屈に唇を歪める。
王国の盾ともあろうものが何たるざまか。
段々と高まっていく声に、決勝戦とやらが始まる気配を感じた。
まぁ、私が見に行くことはないだろう――。
そう思って、目をつぶった瞬間。
『さぁ! ポチ選手の入場です!』
ありえない名前を聞いた。
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