期待外れ

「――――【影はシャドウズ・堕落にインヴァイト・誘うディプラヴィティ】!」



 その言葉を唱えるとともに、体の中に熱い感覚が生まれた。

 心臓のあたりでぐるぐるとしていたそれは、やがて動き出して右手へと移動する。

 手のひらに確かな感触を感じたあと、自分の中から「何か」が抜け出していくような感触。



 果たして魔法は正常に発動し、ティーカップは今までとは異なる姿となった。



 …………ただ、その全体を黒く染めるという結果を残して。



「……………………」

『……………………』



 思わず、落ちる沈黙。

 にっこにこだった俺は悲痛な顔に、微笑ましい光景を見るような表情だったイザベルは少し強張った顔で凍りついていた。

 それでも、初めて魔法を使ったんだから、と意識を立て直す。

 そうだ。別に目の前のティーカップは黒くなっただけだったが、本当はバフとかデバフとかがかかっているだけかもしれないじゃないか! この見た目の変化は、それを分かりやすくするためのもので!



 どことなく空元気のような感じで、ホログラムウィンドウを開く。

 震える指先で影魔法の欄を開くと、そこから使用可能魔法の説明に飛んだ。



影はシャドウズ・堕落にインヴァイト・誘うディプラヴィティ

 対象を影に染める。MNDが高い相手には無効化される可能性がある。

 消費MP:5 効果持続時間:5分



 ……ほーん?

 対象を影に染める、ねぇ。

 言葉だけ聞くとかっこいい中二病味を感じる気がするが、意味がよく掴めない。

 


 首を傾げている俺を目にしたイザベルは、若干早口で説明をしてくれた。



『あ、それは影魔法の初歩の技、【影はシャドウズ・堕落にインヴァイト・誘うディプラヴィティ】ですね! 効果は、魔法を使った相手を光さえ飲み込む影に堕とすというものです! 初歩だとはいえ、全ての元は簡単なものです。諦めずに、これから頑張っていけば、新しい魔法とかも使えるようになるので!』



 両拳を胸の前で握り込んで、ふんす! と元気付けてくる神様。

 光さえ飲み込む影、というのにはだいぶ心惹かれるが、如何せん慰めムードというのがいただけない。

 それではまるで、俺が期待していたのとは違う魔法しか使えないようではないか。

 ははは、止めてくれよ。そんな冗談、効かないぞ?



 …………だからさ、「嘘だった」って言ってよ。

 ねぇ! 嘘だろ!? やっと魔法が使えるようになったと思ったら、相手を黒くするだけのものだったとかあんまりだろ!

 ここまで徒手空拳でやってきて、多くの偶然で手に入れた魔法の力。

 期待にあふれていたのに、出来ることと言ったら相手を真っ黒にするだけ。

 一応光さえ飲み込む影らしいが、どうもダメージを与えたり、移動速度を下げたりなどのデバフが与えられる訳でもない。



 中二病が出来るのかとワクワクしてたんだけどなぁ。

 まぁ、真っ黒なローブを纏った、真祖の吸血鬼の眷属ってのも十分かっこいいとは思うが。

 それでも、魔法が使えたほうが良いじゃん?



 俺は天を仰ぎながら、赤血球とか白血球とか血小板とかが含まれない血を、静かに静かに垂れ流していた。



















 しゃーない、切り替えていく。



 俺は天を仰ぐことを止め、オロオロしているイザベルに向き合った。

 目の辺りが何故か濡れているが、何かあったのだろうか?

 不思議なことに、数分前の記憶がない。しかし、覚えていないということは、きっとどうでもいいことだったのだろう。

 使えない魔法を習得したなんて事実はなかった、いいね?



 だが……一体イザベルはどうして急に、俺に加護を与えたのだろうか。

 疑問に思ったので、聞いてみた。



「ど、どうして……加護を、授けてくれ、たんですか……?」



 結構話せた!

 最近、NPCと比較的よく話しているおかげか、以前よりも非常にスムーズに舌が回せるようになった。

 おそらく、現実世界の人間相手じゃないというのもあるのだろうが、これはとても大きい成長だろう。

 まだまだ、プレイヤーには会話が成立しないと思うけど。



『どうして……ですか。……あげたかった、というのも理由なんですが、一番は「本能」のようなものですかね。お恥ずかしい話なんですけど、昔、とある人・・・・に「神は加護を授けるための装置みたいなものだね」と言われてしまったことがあって。その時は否定したんですけど、よくよく考えてみると、確かにそうだな……と。神話とかでも、主人公に加護を授けている神がかなりいると思うんですが、私達はぴーんと来た相手に加護を与えられずにはいられないんです』



 神様を滅茶苦茶信じている人からぶっ殺されそうな思想を持っている人もいるものだなぁ。

 例えば、誰とは言わないが狂信者――まぁサラっていうんですけど、そいつだったら、「イザベル様って加護を与えるためだけの存在でしょ」なんて発言を耳にしたら、地の果てまで追ってきそう。

 でも、確かに神様ってよく加護を与えてるよな。

 あれって本能的な奴なんだ。



 納得した俺は、ブンブンと頭を上下に振る。

 そこでしばらく会話は途切れ、沈黙が空間に満ちた。

 俺はイザベルに促されて椅子に座ると、まだ残っていた紅茶を飲もうとし……それが真っ黒になっているのを見て、全身が硬直した。



 え、これって飲んでも大丈夫な奴?

 影に包まれてるってだけだから、多分害はないと思うんだが。



 飲もうか、飲むまいか。

 一応イザベルに聞いてみようとしたら、突然、



『…………あっ、サラが近づいてきてます!』

「!?」



 耳を澄まさないと聞こえないよな大きさで、焦った声を出す彼女。

 思い返してみれば今の状況は、サラがものすごく会いたいと思っているであろう相手と、秘密で話しているというもの。

 何だか間男みたいな気分を味わい、微妙な表情になった。



 イザベルは見つからないために薔薇窓の絵となってしまったし、後に取り残されたのは気まずい思いをしている俺だけ。

 コツンコツンと足音が近づいてくるのを聞きながら、焦りと罪悪感を飲み込むために、ティーカップを傾ける。鼻に抜けた紅茶の香りは、特に何も変わらなかった。



















「すいません、薬草を採取するのに時間がかかってしまって……って、どうしたんですか?」



 サラが現れ、俺の姿を見て首を傾げた。

 申し訳なさとかその他諸々のせいで、全身から脂汗を放出している今の姿は、どこからどう見ても変質者だろう。目の前に美少女がいるという事実が、更に罪を重くしている。

 だが、幸運なことに、真っ黒なローブで全身を覆っているおかげで、それが人にバレることはない。

 ないが、思わず動きが停止してしまったのも無理ないだろう。



 意志の力で硬直から脱出し、手を振って何でもないと伝える。

 それでもなお不思議そうにしていたが、持ってきたものを見て「あっ」と声を上げた。



「そうですよ、そんなことよりも、御礼の品です!」



 そう言って前に突き出してきたのは、瑞々しさあふれる草。

 これぞ草! って感じの匂いが鼻を突き抜け、少し涙が滲んだ。

 


 しかしそれを相手に気取られてしまうのも非常に申し訳ないので、何とか我慢して受け取る。

 手に取ってみたら、とてもピリピリした。教会に入ったときに感じるものの二倍くらいかな。

 最も近いのは、日焼けしているときにお風呂に入る感じだろうか。余り外に出ないので、日焼けをすることは滅多にないが。



 さぞかし聖なる力が宿っているんやろなぁ。

 大丈夫? ポーション作ったら死んだりしない?

 若干心配になりつつ、薬草をアイテムボックスに収納する。



 ……あっ、クエストクリアのときに報酬が手に入らなかったのは、ここでアイテムが貰えることが確定していたからか。

 その行動とともに、電流が走ったように突如ひらめきが舞い降りた。

 納得した俺は、そろそろお暇させていただこうとサラに切り出す。

 


 しかし、



「えっ!? もうこんな時間ですよ! 大恩あるポチさんを、こんな暗い中帰すだなんて出来ません! よろしければ、泊まっていってください。あんまり広くないですし、ボロっちいですが……」



 踵を返して俺の手を、サラが掴む。

 そして放り投げられた爆弾発言。

 爆弾の名にふさわしく、心臓が爆発しそうなほどに高鳴った。え、今なんて言った? 泊まっていけと?



 ギギギ……と油をさしていない扉のような音を立てて、後ろを振り返る。

 果たしてそこにいたのは、にっこにこの美少女シスター。

 あまりの尊さに死にかけてしまったが、先の発言を聞く限り、さらなる命の危険があるようだ。



「お泊りイベント」……それは、モテモテラブコメ主人公にのみ許された展開。

 大抵はヒロインのお家にご両親が都合よくいなくて、お風呂に入ったり一緒の部屋で寝たりとドキドキのイベント。場合によってはラッキースケベなどもあるだろう。

 そんな、選ばれしものにしか訪れないという幸運が、この俺に訪れたというのですか!?



 断るべきか、受け入れるべきか。

 心情としては圧倒的に後者がいいのだが、如何せんコミュ障的に美少女と一緒に寝るというのはハードルが高すぎる。男の子的には、一秒たりとも時間を開けずに首を縦に振りたいところだが。



 内心の葛藤は、その後五分くらい続いた。

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