ご近所の魔女
俺がおやっさんの指定した場所に到着したのは、工房から出て十秒後のことだった。
もっと具体的に言うと、工房の斜向かいのお家だった。
「えぇ……」
俺は思わず困惑の声を漏らす。いや、近すぎでしょ……。その家の見た目は、この街ではよくあるレンガ造りの立派なもの。しかしその中に生息するのは、あのおやっさんですら嫌がる嫌味な男……いや性別とか性格とかは聞いてないけど、多分そうだと思う。おやっさんそういうの嫌いそうだし。
俺は覚悟を決め、その家の扉をノックする。その瞬間、扉が勢いよく開き、それが外開きであったがゆえに悲劇が起こる。俺の眉間にそいつがクリーンヒットしたのだ。もしかして扉に呪われてるのかな。ちょっと前にこんな事あったよ。そしてこの世界からは外開きの扉はなくなればいいと思う。
俺にそんな攻撃を仕掛けてきたやつは、ぴょこっと扉の後ろから飛び出すと、ニコニコと元気よく笑いかけてきた。
「やぁやぁやぁ待ってたよスタベン! もう待ちすぎて私の方からそっちへ行こうとしてたくらいさ! なにせ私たちの家は近いからね。これはもはや運命じゃないか!? まぁそんなことはどうでもいいんだ! さぁさ、入り給え! なに、私たちの仲だ、遠慮はいらない…………よ?」
ヒートアップしていた熱が冷めたのか、次第に語尾が弱まっていく眼の前の相手。大きな瞳を丸くして、眼鏡越しにこちらを見つめてくる。俺もその様子に頬を引きつらせつつ、冷や汗を垂らした。ごめんなさい、俺はおやっさんじゃないです。それとおやっさんの名前はスタベンというらしい。やだかっこいい……。と現実逃避をしていないと、心が折れてしまいそうだ。期待に胸を膨らませていた相手を裏切る。それがこんなにキツイことだとは知らなかった。
「えーと、君は誰だい? 私たち、会ったことあったっけ? もしそうだったら悪いね、おぼえていないよ」
なかなかな毒を吐きつつ、会話のジャブを打たれる。俺は貧弱なのでもうそれでノックアウト寸前だ。助けておやっさん。
「いや……初めて、です」
「あぁ、やっぱりそうか。そうじゃないかとは思ってたんだ。さて、ところでどうして初見さんの君が私の家に訪問したんだい? ナンパなんだったら残念ながらお断りだ。まだ誰のものにもなりたくないからね」
「その、違くて……おやっさ、……スタベンさんのお使いとして、来ました」
「お使い? あのスタベンに? 君が?」
珍しいこともあるもんだ、こりゃ明日はスライムが降るな、と俺にとって悪夢のような独り言をしつつ、目の前の女性は眼鏡の位置を正した。
「そうとわかれば自己紹介といこう。人に名前を聞くときはまず自分から、というからね。まずは私からだ」
そう言うと、俺のとは比べ物にもならないほど上等なローブに包まれた胸を張り、そこに手を当てて自信満々に告げた。
「私の名前はブルハ。こんななりでも、一応魔女をやらせてもらっているよ」
「なるほどねぇ。私のところにお使いに来る代わりに、魔法の釜を作ってもらうと」
「は、はい……」
ここはブルハさんのご自宅。パチパチと鳴る暖炉の前に置かれた机をはさんで俺たちは座っている。ブルハさんは紅茶の入ったティーカップを傾けると、大きなため息をついた。
「まったく、おかしいと思わないかい? こーんな美少女に会えるというのに、むざむざそのチャンスを捨てるなんてさ」
「……」
誰か助けて。もともと異性と一対一で話すとかできない上に、この答え方の難しい質問。俺のようなコミュ力貧者では対応できない。いや相手はNPCなんだけどさ。人としか思えないんだよ。
「……まぁ、いいか。こういう扱いには慣れているからね。それよりも、君のお使いとやらだが……」
ごくごくっと紅茶を一気飲みしたブルハさんは、瞳を怪しく輝かせ、猫のように笑った。
「スタベンが直接来ないと渡さないよ。そう伝えておいてくれ」
「え」
「それじゃさようなら。あぁ、これはお土産だ。もらっておいてくれ」
そう言って手になにか握らせると、俺の体は勝手に宙を浮いた。
「うわぁっ!?」
そのまま宙を滑るように進み、扉をくぐる。ブルハさんの家を出ても勢いは止まらず、おやっさんの工房に窓から直接ゴール。文句なしのスリーポイント。しかし俺をボールとして使っているという観点から、マイナス百ポイントぐらいはしたいところだ。
窓から入ってきた俺に向かって、何だこいつは言わんばかりの目を向けてくるおやっさん。しかし俺の状況を理解したのか、それが同情を込めたものになる。
「……俺があいつを嫌いな訳、わかったか?」
「……はい、よくわかりました」
人を困らせて悦に浸るような性格なのだろう。現に俺が「え」と言ったときとか、最高に目が輝いていた。とてもじゃないがお近づきになりたいタイプではない。といっても俺にとっては大体の人間がお近づきになりたいタイプではないのだが。
「最初からわかっちゃいたが、やっぱり俺が行くしかないのか」
最初からわかってたんだったら俺に行かせんじゃねぇよ、と言ってやろうかと思ったが、流石に自重。俺は空気が読める男なのだ。読めすぎて自らが空気になるまである。
「どっこいせ……と、おい坊主、お前も一緒に来い」
「え、俺も……ですか」
「一人であいつの相手をさせるつもりか?」
そう強引に丸め込まれ、腕を引きずられていく。くそっ、こういうところでSTR不足が目立つな。全く抵抗できない。それに加えておやっさんがよく鍛えられた職人であるというのもあるだろうけど。
せめて少しでも先延ばしにしようと、踏ん張ってみたりして色々抵抗したが、そのどれもが無駄だった。見れば、すぐそこにブルハさんのお家がある。今すぐログアウトしていい?
俺に心の準備をさせることもなく、おやっさんは大きな音でノックした。そして一歩引くと、いざ殺さんと殺意に溢れた外開きの扉を回避し、余裕を持って中へ進軍する。
「よう、来てやったぞ。ブルハ」
「ふふ、ようやくだね。スタベン」
なんか二人だけの空気を形成してらっしゃる。もしかして今逃げてもバレないのでは? そう思って実行してみたら、おやっさんに速攻バレた。ちくしょう。
聞いたところによると、ブルハさんとおやっさんは幼馴染らしい。それで昔から、ブルハさんの無茶振りに付き合わされていたのだとか。でも、俺から見れば満更でもない感じなんだけどなぁ。きっとそれを言うと怒られるので、心の中だけにしておくが。…………あれ、ちょっと待って? 二人は幼馴染? ということは、年齢も近い……? おやっさんは見たところ五十後半、ではブルハさんは……。
「ふふーん。ポチくん、感謝するよ。君のおかげで、この偏屈爺が私の家に来てくれたからね」
「ヒッ! ……いや、大丈夫、です」
そんな事を考えていたら、やけにニッコニコしたブルハさんが目の前に現れた。あまりのタイミングの悪さに悲鳴を上げてしまったが、さっきまで何を考えていたかは、おそらくバレていていないはずだ。そうに違いない。だが、これからは女性の年齢を考えるのはやめよう。失礼だからネ!
「……おい坊主、この状況をなんとかしろ」
努めて見ないようにしていたが、嗜虐の魔女(俺命名)ことブルハさんの横には、ガッチリと腕を組まれたおやっさんがいた。顔こそ嫌がっていそうだが、実際にはあまり抵抗していなことを見抜く。
またまたぁ。恥ずかしがっちゃってぇ。
とは言えないので、表情だけは殊勝なものにしておく。しかし頭の中では拍手喝采、ブル×スタというカップリングの誕生祭を執り行っていた。どこに需要があるのかは知らない。
その後数十分に渡り二人のイチャイチャを見せつけられ、もういっそログアウトしてやろうか、とホログラムウィンドウを開いたところで、やっと砂糖成分全開の空間が消滅した。良かった、俺みたいな人と関わりの薄い人間は、こういうシーンを視界に入れると体中の体液がはちみつに変わり、終いには死に至るという奇病を抱えているのだ。
ブルハさんから開放されたおやっさんと一緒に工房へと戻り、そういえばとクエストの内容を思い出した。結局あのあとおやっさんは直接ブルハさんからものを受け取り、俺に頼まれていたことは何一つ達成していない。
「あ、えっと、じゃあ、……帰りますね?」
そう言って俺が去ろうとすると、おやっさんが眉を上げて引き止めてきた。
「何言ってんだ。魔法の釜はいいのか?」
「え、でも、頼みごとは失敗しちゃいましたし……」
「……いいんだよ、そんなことは。やってやるよ」
「おやっ、さん……!」
頭をかきつつそう言うおやっさんに、キラキラとした目を向けてしまう。でもこれは仕方ないと思うんだ。そしてちょっと前から思っていたけど、おやっさんってもしかしてツンデレ? 二人っきりでもデレない方の。
「じゃあ待ってろ。今から作ってやる……上等なものを作るから、その分時間はかかるぞ?」
「大、丈夫です。……それで、どれくらい、かかるんですか……?」
失礼かもしれないが、尋ねてみた。するとおやっさんは腕を組んで唸り始める。
「四日……いや、三日。おう、三日で作ってやる」
……三日かぁ。こういう作業は、ゲームではかなり短縮されているものだと思っていたが、だいぶ長い。それでも待てないほどでもないので、俺は作ってもらうことにした。
「お願い、します」
「あぁ。三日後に取りに来い」
そうして、おやっさんはさっさと奥へと行ってしまった。ポツーンと一人になった俺は、しばらくそこに立っていたが、おやっさんが戻ってこないことを察すると、工房の外へ出た。
『クエストをクリアしました』
ポーンという音ともに、メッセージが表示される。そしてクエストクリア報酬を受け取り、『レベルが上がりました』との知らせにびっくりする。
……モンスターに勝つ前に、レベル上がっちゃったよ。
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