四章 暴君


「ぶぽっ」

とろみのある赤い液体が、係員の口から大量に吐き出された。

考えるまでもない事のはずなのに、それが血なのだと理解するにはとても長い時間が必要だった。

「女王の国だ!」

「早く門の中へ!」

私を運んできた人や刑を見物しに来た野次馬達は素早かった。

事態を瞬時に察知した様子で我先にと街へ帰っていく。

私と、仰向けに倒れて痙攣けいれんする短髪係員を残して。

「係員さん…係員さん!」

呼びかける事しかできない。

グルグル巻きの身では手当てどころか立つのさえ困難だ。

結局…一分と持たず係員の痙攣は収まり、ゴポゴポと血が泡立つ音も聞こえなくなった。

いかに無知な私であってもそれが何を意味するかは即座にわかった。

「ぐ…ううう…!」

涙が出る。

彼女、いや彼がつつがなく生きて刑を執行していたなら、私は呪い殺す勢いで彼を恨んでいたのかもしれない。

だが私は涙を抑えられなかった。

「お前はそいつの仲間か?」

頭上からの声。

私が儚い努力と感傷に溺れている間に接近してきた人物らしい。

声の方を見上げると、年嵩としかさの女戦士が立っていた。

他にも数十人の姿を確認できる。

全員が女戦士。大半が年嵩の。

服装に共通点が多い所からして、同じ国の軍団だろう。

さっき虹の街の住人は女王の国と言っていたか…。

ともあれ質問に答えなければなるまい。

「ちょっとした工夫次第で仲間になれたのかも知れません。

絶対に相容れぬ存在だったのかも知れません」

「はっきりしろ」

「私は彼に殺されかけていた…それは確実です」

「ふん、『彼』か。そんな愚物を気遣ってやるとは、相当な変わり者だな貴様」

今の一言で女戦士が虹の街をどう思っているかがおおよそ伝わってきた。

「それにしてもなんと破廉恥な…。

おい!誰かこの目障りな肉を落とせ!」

私と話していたのは軍団の長のようだ。

おさが命ずると、剣を携え駆け寄ってきた部下が短髪係員の乳房を切り取った。

「なっ、なにをするんですか!!」

私が驚愕の叫びを上げると長は心底不思議だという顔をした。

「ん?乳を取ったが。どうかしたのか」

「なぜです!?どうしてそんな…わざわざ死者を辱める真似を!」

「先にこちらの質問に答えろ。

貴様はこいつの仲間ではないのだろう?

寧ろ殺そうとしてきた敵なのだろう?

何を気に病む」

「確かに彼とは反目していた。

私は彼を軽蔑し、最低の卑怯者と咎めた。

殴られたし殺されかけた。

……だからといって、単なる肉塊のように扱われるのを黙って見ていられるかっ!!」

「人が死ぬのを見るのは初めてか?坊や。

少し落ち着け。貴様も知っていよう。

こいつは、この街の者は最低の卑怯者だ。

同情の余地なぞあるまいよ」

「私は彼らに正義を尊敬してもらいたかっただけだ!どんな残虐な裁きも分相応だなどと言う気は無い!!」

禍福はあざなえる縄の如しと本で読んだが、私を縛りつける縄はまさしくことわざそのものだった。

今もし自由に動けていたなら私は怒りで暴れ狂って、そしてあえなく斬り捨てられていたろう。

新種の芋虫みたくドタドタ飛び跳ねる私はさぞ滑稽こっけいな見世物だったはずだが、長の反応は小さい溜め息一つに終わった。

「やはり変人だな。

次は貴様の疑問に答えてやろう。

こいつの乳を削ぎ落としたのはな、全ての女性の名誉のためだ」

長の説明で怒りが一気に消えた。

冷めたのではなく消えた。

私は完全な思考停止に陥っていた。

あまりにも非論理的な情報が入ってきたせいで脳が壊れてしまったのかもしれない。

長は構わず続けた。

「見ろこの醜い乳を。牛のようじゃないか。下劣で汚らわしい。こういう乳が媚態を振りまいているとクソオスどもが勘違いしてしまうだろ?全ての女性はオスの欲望を満たそうとしてる、とな…。甚だ迷惑な話だ。

だからこうして乳を取り、見せしめる事で、二度とクソオスに媚びたりせぬよう牛どもを啓蒙しなければならん」

「あなたが醜く下劣で汚らわしいと罵ったものは男に持ち得ない女の象徴でしょう…。

あなたが牛と蔑んでいるのは他でもない女でしょう…。そして責められるべきは男でも、女でも、男女の営みでもなく、浅ましい勘違いでしょう。

あなたは女を名誉無きものと自ら侮っている。あなたの行動は、全く誰のためにもなっていない…」

「所詮はクソオスか。話にならん」

死を覚悟しての発言だったが、長は冷静に流した。

己の矛盾を指摘されたというのに、寸毫すんごうも気にかけていなかった。

当然矛盾していて然るべきだと言わんばかりに…。

「設置完了しました」

「よーし撃て」

部下の伝令に間髪入れず応える長。

撃つ?何を?

何か作業している音は聞き取れていたが…。

転がり、更に身をよじって音の発生源を見ると、そこには斜めに設置された竹筒のような物がズラリと並んでいた。

次の瞬間、火をつけられた竹筒がシュパーッと軽快な音色をたてながら飛んでいった。

虹の街の中へ。

「ロケット砲だよ。我が軍の兵器だ」

長が教えてくれた直後に轟音が鳴り響いた。

轟音に地響きが加わり、何かの倒壊が伝わってくる。

やや遅れて大勢の悲鳴も追加され、熱風が中の焦げた匂いを運び出す。

私は事ここに至ってようやく自分が正義や善意で助けられたわけではないと断定した。

実際、長含む数十人の兵は誰一人私の縄を解こうとはしていない。

そもそも助けられてもいないと見たほうが良さそうである。

「全弾発射完了です」

「引き上げる」

「このクソオスはどうします?」

「交代で運べ。労働力は多いに越したことはない。縄は解くなよ」

「はっ!」

どうやら私は彼女達の国へと運搬されてこき使われるようだ。

これからどうなるのか…わからないが、憎悪されるのだけは間違いない。

そういう国柄なのは読み取れた。

兵達はただ寝転がって泣いていただけの私をいきなり憎悪していたからだ。


女王の国は巨大だった。

猪の街や虹の街の大きさとは次元が違う。

どこからどこまでが国の領土なのか、人間の目線からでは皆目見当がつかなかった。

もしかすると渡り鳥ですら把握しきれてはいないかもしれない。

世界の半分を占めているのだと説明されても私は信じるだろう。

私はその国の門を荷車に乗せられたままくぐった。

虹の街を追われた身分からすると、労せずして新天地に来られて幸運だと言えなくもない。

今のところは。


「一応教えておいてやる。暴れると死ぬぞ」

そう前置きされて縄を解かれる。

不動に慣れきった体は柔軟運動を始めた私に厳重抗議した。

怠け者め。

「余裕たっぷりだな。だが待ってやる時間も義理も無い。じっとしてろ」

長の指示通り止まると首輪をめられた。

本で見た罪人が付けられていたかせと酷似している鉄の輪。

解放してもらえたわけではないようだ。

両腕も別の鉄輪でしっかり固定された。

「さあ、ついてこい」

首輪に繋がった鎖で引かれる。

行き先は豪勢な宮殿だった。

「立派な監獄ですね」

「バカ。…いや、わたしへの嫌味か?」

「どういう事ですか?」

「バカだったか」

よくわからないが、宮殿は私を使役するための場所ではないらしい。

中は物凄く広かった。

完全に屋内なのに開放的な印象を受けるほどだ。

給仕姿の女がポツリポツリと点在してるくらいでほとんど人が居ない事もより開放感を強めている。

「なぜ私をここへ?」

「外から連れてきたクソオスには一度だけ女王の薫陶くんとうが授けられる。

我が国の高貴な理念を女王御自ら教えて下さる、ということだ」

ひときわ優美な装飾を施された巨大な扉の前で立ち止まる長。

この先に女王が居るのか。

ならば、長への用事は今のうちに済ませておかねばなるまい。

「ありがとうございました」

「ん?」

「命を助けて頂いたお礼です。

あなた方の意図がどうあれ、手段がどうあれ、私が救われたのは紛れもない事実です。もしあなた方が現れなかったなら、私は今頃冥府を旅していたでしょう。

ありがとうございました」

「早死にするよ、貴様は」

照れ隠しという感じもなく淡泊に言って、長は扉を開いた。


宮殿はここに至るまでの道中全てが豪華絢爛な造りだったが、女王の部屋はそれにもまして圧倒的だ。

広さは私の実家を丸ごと収めてなお余りある。

ただ勿体ない事に、部屋中が鎧やら壺やらの美術品で埋め尽くされていて、面積と釣り合わぬ狭っ苦しい印象になってしまっていた。

金銭的価値観を持たない田舎者の目には散らかった部屋としか映らない。

その散らかりの中央に川の如く太い絨毯があり、モサモサと流毛の中を長に引かれて進むと、やがて巨大な椅子の前に辿り着いた。

「どうした」

椅子からの声。

椅子が喋った?

…と思ったが、そんなわけはなかった。

私が椅子の巨大さに気を取られて気付かなかっただけで、ちゃんと座っている人物が存在したのだ。

いや、ちゃんと座っていると言ったのは語弊があるかもしれない。

その人物は深々と腰掛けているにも関わらず、背もたれにも肘掛けにも床にも接していなかった。

明らかに体格と合っていない。

あれでは乗っているとか置かれているとか表現した方が適切だろう。

「捕虜一名を連行しました」

「うむ、こちらへ」

「はっ」

短いやり取りの後、長は私を前に押し出し、背後に控えた。

われが女王である。…頭が高いぞ」

椅子の人物は女王だった。

とりあえず私は頭を低くしなければならないらしい。

儀礼などわかるわけもないので、一か八か騎士物語の猿真似で片膝をついてみた。

「よい」

満足してもらえたようだ。

しわが深く刻まれた顔をほころばせる女王。

女王は長より一周り年嵩だった。

私の母の倍ほど生きていそうである。

まあそれもそうか。

一国の主なのだ、そのくらいでもなければ勤まるまい。

「クソオスよ。そなたの出自は?」

「森生まれ森育ちの旅人です」

「森!ホッホッホッ…まだ死に絶えてなかったのか。忌まわしい、忌まわしいのぉ」

何を言われたのかわからなかった。

「どういう意味ですか?」

「己の加害性と向き合った事がないようじゃの。よい、教えてやる。

森は差別主義の温床なのじゃ。森ある限り、人は効率的効果的に生きねばならなくなる。森は誰が最も森に適応できているかを常に問いかける。森は人に競争を強いる。

そして、競争は敗者を生む。

勝者に服従せざるを得ない敗者は、自由に自分らしく生きる権利を奪われる…。

理解できたか?

森は必ず犠牲者を生みだすのじゃ」

森が厳しい環境だと言いたいのは伝わったし、改めて語られるまでもなく私の骨身に染みついている知識だが、なぜそれが忌まわしいのかはさっぱり理解できない。

話は更に続いた。

「だから我らは森を焼いた。

あらゆる人を置き去りにせず、誰もが生きやすい社会を創るために」

「…………えっ!?焼いた!?」

「元々世界は鬱陶しい緑で埋め尽くされておった。

今でもあの頃の息苦しさは忘れられぬわ。

我が国、虹の街、肉の街の者共とで協力し焼きに焼いた。

そなたもここに来るまでに見たじゃろう?

あの美しい荒野を。あれが自由じゃ。

ホッホッホッ…生き方を強要されぬ道行きはさぞ快適であったじゃろう?我のお蔭じゃ、感謝しろよ。ホッホッホッ…」

女王の語り口は冷静だ。

舌を回している原動力は勢いでも反動でも狂気でもない。

何一つ異常をきたしていない平常心で狂った言葉を紡いでいた。

「しかし森が未だ健在とはのぉ。

大方、肉の街の連中が億劫おっくうがって手抜きしたのであろう。

何か罰を考えておかねばならんな」

「一つお伺いしたい…あなた方は日頃から荒野で生活されているのですか?」

「いいや?あんなエステもスイーツもBLも無い場所で暮らせるわけがなかろう。

やはりクソオスは馬鹿じゃのう」

「では生きていくための競争を消し去りたいがために生きていけない場所を作りだしたのですか!?ただ負けを無かった事にしたい一心で、勝者に従いたくないという反骨心だけのために!?」

「そうじゃが。何を驚く?

自分が負けない事が森羅万象において最も大切じゃろうに。

我らが尊重されぬ世界なぞあってはならん」

呆気にとられるとはまさにこの事だ。

私も記憶が定かでないくらい昔、父や母とのゲーム盤をひっくり返した覚えはあるが、そんな癇癪かんしゃくは五つにもなれば誰しも卒業するものだと思っていた。

眼前の老人は卒業どころか堂々と行い、勝ち誇るべき行為と捉えて恥じずにいる…。

「恐れながら…女王。忌まわしいのは森ではなくあなた方の方です」

「何をぬかすかクソオスがぁ!!棒と玉の分際で何を!!この我に背くつもりか!!差別主義者が!!この二次加害!!これだから森は嫌なのじゃ!!人権後進地の戯言なぞ聞きとうないわ!!黙れ黙らぬかっ!!」

忠言しようとして一言前置いたら怒涛の

ラッシュが始まった。

「黙れ!!」

「あの…先程から黙っております」

「黙れ!!」

「…………」

「貴様は努力が趣味らしいが、今は無意味だぞ」

長から諭され、仕方なく今は諦める事にした。

私とて処刑を欲しているわけではない。

「はあはあ…流石はクソオス。

人の話に全く聞き耳を持っちゃおらん。

森生まれともなれば筋金入りか。

やはり我がダイバーシティーにコミットできるようアップデートさせてやる他ないようじゃ」

「えっ……と」

「多様性と積極的に関われるよう意識改革させてやる、と仰っておられる」

また長の助言。

ありがたい。

私には女王の言葉が都会言葉なのか貴族の暗号なのか、或いはそれ以外なのかの判別もつけられなかった。

「よいか?もはや森の価値観は時代遅れなのじゃ。今は多様で平等で誰もが尊重され、自由に自分らしく、あるがままを肯定される、誰も傷つかない時代なのじゃ。

我が国がそうであるように」

人里で暮らした事の無い私には女王の言う世界がどのようなものなのかピンとこない。

言葉通りに受け取るなら『楽な生活ができる』という意味になりそうだが…私には言葉通りに受け取れない原因がしがみついていた。

「私の自由は尊重して頂けないのですか?」

両腕の鉄輪を見せながら問うた。

「クソオスはダメじゃ」

「なぜでしょう?」

「クソオスは女性を加害し続けてきた。

性犯罪は言うに及ばず、仕事を奪い、出世の名誉を奪い、政治参加の機会を奪い、結婚しない自由、出産しない自由を奪ってきた。

クソオスの鎖を解けば女性が傷つく。

女性の権利を守り、男女平等を実現するにはクソオスが自由であってはならんのじゃ」

「なんと…世の男達がそんな事を?

それは申し訳ない…代わって謝罪します」

「ホ!?ホーッホッホッホ…!ホホホホホ!よい!よい心がけじゃ!」

「二の舞いを演じぬために教えて頂きたいのですが、男達はどういった手段で女から仕事や名誉を奪ってきたのですか?」

「………………」

「女王?」

「ん、ああ…しばし待て!」

どうしたのだろう。

そのように頭を悩ませなければ思い出せないほど過去の話なのか?

「…そうじゃ!

クソオスは女性が手加減してやってると調子に乗って勝ち続けおったのじゃ!」

「え?なら全力を出して勝てばよかったのでは?」

「…あと!女性の出世を阻む透明な天井の如き仕組みを作りおった!」

「それは卑劣。具体的にはどうやって阻んでいたのでしょう?」

「いちいち聞くな!!」

「しかし教えて頂けないと何をどう変えたらいいのかわかりかねます。

意識改革のためには…」

「黙れ!!絶対に仕組みはあった!!

女性が出世できなかったのが何よりの証拠じゃ!!」

「女王、あなたは誤解なさっています…。

私は仕組みの実在を疑っているのではありません。

仕組みを構成する要素を知りたいのです」

「やかましいっ!!

そなたが考えてそなたが改めよ!!」

それだと私の創作による一人相撲にしかならないのではなかろうか。

正直、そんな暇があるなら保存食の一つでも作っていたいのだが…。

もし私が女と何かしら争うのであれば、負けた時には相手の勝ちを認めるだろうし…。

そもそも意識改革させてやると仰られたのは女王ではなかったか?

「そうじゃ、天井と言えば政治よ!

かつてクソオスどもは頑なに女性を政治から遠ざけてきた!」

「政治…すみません、田舎者ゆえ政治がどう運営されるのかよくわからないのですが」

「国民の投票で選ばれた者が執り行っておった。差別解消のため、現在は改めたがのう」

「国民の投票…?

すると女が選ばれなかったとしたらそれは男のみならず国民の総意なのでは…?」

「違うっ!!女性の候補者がクソオスより少なかったからじゃ!!」

「でしたら選ばれる女が男より少なくなるのは必然かと…」

「ああ言えばこう言う!!

当時の政府が女性の候補者を増やそうとしなかったのが悪いんじゃ!!」

「あの…増やすのに特段の努力が必要だったのだとしたら、それは候補者になりたがる女が少なかったとか、候補者に足る女が少なかったとかで、女の側に原因があると思うのですが…。

どちらにせよ、ここまでのお話だと男は特に女を除いたりはしていなかったように聞こえます」

「キエーーーイ黙れ黙れ黙れェェェ!!

そなたは何もわかっとらん!!

絶対に全部クソオスが悪いんじゃ!!

口答えするでないわ!!

兵士長っ!!そやつを殴れ!!」

「はっ」

「おごっ」

つむじに拳骨が降ってきた。

まただ。またしてもこうだ。

私の話には悉く拳が返ってくる。

いや、私が知らないだけで、誰の話であろうと拳で返すのが世界の礼儀なのだろうか?

それならこの世界は、言葉でやり取りする人間という生物にとってすこぶる生きにくい環境なのではなかろうか…?

しかし…私は人間でありたい。

「もう一つ…。男が女から出産しない自由を奪ってきたと仰られましたが、その認識は間違いかと存じます。

出産無くして世は成り立たないからです。

子を産まなければ誰も世を継げなくなるからです。

女が出産しなければ世は容易く滅びます。

世を好き勝手に滅ぼす自由など、女にも男にも、何者にもありはしませんし、あってはなりません。

世を滅ぼそうとする女がいて、男がそれをたしなめたなら、男が自由を奪ったではなく、女があってはならない自由を掲げたと捉えるべきではないでしょうか?

あってはならない自由を制限するのは法として当然ではないでしょうか?」

「そなたらクソオスはいつもそうじゃ!!

何かと言えば統計だの事実だの論理だの道徳だの法だのと、グダグダぬかして女性の声を潰そうとする!!

女性の口をつぐもうとする!!

恥を知れ!!知ったらロジハラをやめて女性に寄り添え!!」

路地…腹?

長を振り向く。

「理詰めで嫌がらせするな、と仰られている」

なるほど。

「女王、理詰めで言葉を失う者のどこに正義があるのですか。

理に背く者に法が寄り添ったのでは世の理が失われるではありませんか。

それでは理を捨て私情に走る悪党のためにしかならない。

法は頑然とそこに在るべきです。

法に人が寄り添うべきです」

「兵士長っ!!」

「はっ」

「ぬぶっ」

「まったく…差別主義者との会話は骨が折れるわ。虹の街の愚者どものほうがまだしも可愛げがある」

虹の街…そうだ、あの街に関してどうにも納得がいかない謎があった。

謁見は一度だけと説明されたし、真意を伺うなら今しかない。

「女王、この国は虹の街と争っているようですが、なぜでしょう?」

「決まっておろう。

奴らが女性の権利を侵害するからじゃ」

「どういう事ですか?」

「あれは平たく言えば性の自由を標榜する街じゃ。

女性に生まれようがクソオスに生まれようが、中身は好きに自称させよという連中じゃ。我にはそれが許せん。

クソオスの癖に女性として扱われる権利をよこせだなどと、図々しいにも程がある!!

クソオスはクソオスに決まっとろうが!!

いったいどこまで我らに加害するつもりなのか!!」

初めてかもしれない。

女王の意見に共感を見出だせるのは。

私も許容範囲を広げる事はあれど男の体は男、女の体は女という最低限の線引きは残さなければならないと思う。

ただ、私は私を羽交い締めにした中年男の存在が女への加害だとは露ほども感じないのだが。

何より…。

「それだけの理由で殺戮をしているのですか…?」

「十二分じゃろう。

女性の権利はクソオスを徹底排除してやっと守られるものじゃ。

女性だけの世界でようやく実現できるものじゃ。

虹の街の思想は、そうした女性の権利を根底から破壊しようというものじゃ。

我らは被害者であるからして、女性の権利を守るために抵抗せねばならん」

「あの街には女の体を持った者達も大勢いましたが」

「裏切り者の帰趨きすうなど知るところではない。奴らはクソオスを自称しクソオスに迎合した名誉クソオスじゃ。女性ではない」

羊頭狗肉なら本で知ったが、女王の言い様は人に犬の毛皮を被せて殺すような理屈だった。

「ではあなたが納得する女性とはどんな存在なのですか!?女性の定義は!?」

「女性は我らじゃ。我らが女性じゃ。常識ぞ」

聞けば聞くほどわからなくなってくる。

ここまでの話のどこが多様で平等なのだろうか。

「わかりません…結局私に、いや男にどうしろと仰られるのですか?」

「黙って寄り添え」

「女に何をされても何を命じられても文句一つ言わず従え、という解釈でよろしいですか?」

「よい」

「無条件で糞と蔑まれ、全ての責任を押しつけられながら…?」

「人聞きの悪い事を言うな。

女性がクソオスに責任を押しつけるのではない。クソオスに全ての責任があるのじゃ。

それでこそ男女平等は成る」

「女王、それを平等と呼ぶのはお止め下さい。

それは使い捨てです。支配ですらない。

また、都合が悪くなる度に男を取り出し、無敵の盾として用いる事が平等だと言うのなら、裏を返せば女もその道具に等しいと言っている事になります。

あなたは男を蔑むがゆえに女の立場をも貶めている」

「たわけ!!曲解するでないわ!!

我の言う平等とは女性がクソオスと対等の権利を持った状態なのじゃ!!」

「男が何をされても何を命じられても文句一つ言わず従い、あまつさえ全ての責を負ってようやく対等なのだとしたら、男が引っ張り上げ、抱きかかえ、足蹴にされつつ、どんな行為も要求も黙認しなければ対等になれないのだとしたら、その関係は女が何一つ自分で行う能が無く、結果を己の責とする理も守らず、代わって働く相手への感謝の情さえ持たない怪物だという事を意味してしまいます。そんな人の皮を被った怪物は男か女か関係なく、人間と対等に扱われてはならない存在ではありませんか?」

「言うに事欠いて怪物じゃと!?

女性蔑視!!許さん!!」

「女王、私は女王の発言の意味を整理したまでです。

私自身は母の仕事ぶりを尊敬しております。どうかその事を踏まえてお聞きください。

私の母の仕事は父が上手くできない事です。父の仕事は母が上手くできない事です。

両親とも相手の得意分野で強く口出しはしません。

権利とはこのようにあるべきではないでしょうか?

根拠の無い幻覚に等しい平等より、実力で勝ち取った領分までを権利とする公正の方が、実体である人間にふさわしいのではないでしょうか?」

「やかましい!!

そなたがいかに詭弁を弄しても無駄じゃ!!女性は女性であるだけで尊い!!それが事実!!我は女性の権利を守るぞ!!」

「あなたは女に生まれた者達を裏切り者と蔑み、間接的に殺し、女とは自分達だと公言して憚らない。

あなたが守ろうとしているのは女の権利ではありません。自分達の権利です。

物理的事実を無視し、自分の気持ち次第で決めた範囲内の権利です。

それも悪逆無道を裁かれない怪物の権利ときている…。

改めて申し上げます。忌まわしいのは森ではなくあなたです、女王」

「クワァァァ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!

時代錯誤の差別主義者めが!!

我を肯定しろ、今すぐに!!

新しい価値観にアップデートしろ!!」

「新しければ良いとは限りません。

新しい暗黒時代が幕を開ける場合もあるでしょう。

実体で構成された世界にとって、個人のお気持ちに振り回されるのは災難そのものかと存じます」

「個人の気持ちの何が悪い!!

それこそ弱者の心の叫びじゃ!!

最も尊いものじゃ!!

弱者の心が踏みにじられる世界こそ地獄じゃろうが!!」

「女王…家族という小さな社会しか経験していない私でもわかります。

社会より個人の気持ちを尊ぶ者は悪人です。個人の気持ちが悪いのではありません。

社会という他人の集合を、複数の個人を、その法と理と公正を、自分のために踏みにじる者が悪人なのです。

善悪や尊卑は強弱や生まれでは決まりません。

悪を為す者は弱くとも悪なのです。

卑しきを行う者は神であろうと卑しいのです。

地獄とは、弱く卑しい悪人が怪物の如く善人を痛めつける世界の事なのではないでしょうか?」

「ガ…ガガガガ…!!」

女王は口角から泡を吹き出すほど興奮している。

発汗量も目に見えて増え…て…!?

いや、女王に生じた異変はそんな生理的な次元のものではなかった。

「女王っ!!

お顔が…お顔が割れておりますっ!!」

「ガ!?」

「割れているだけでなく溶けて…!?

大丈夫ですか女王っ!!長っ、見ていないで手当てを!枷のある私では…!」

焦って長を振り向くと、彼女は緊急時だというのに笑いを噛み殺していた。

「死刑ーーーーーーーっ!!!」

「えっ!?」

女王の絶叫が私の首に急激な負担をもたらした。

「死刑死刑死刑死刑!!シッケエエーーイッ!!」

「はっ、仰せのままに」

「えっ、えっ、あの、どうして…」

どうして急に死刑なの…?

私は呆然としたまま長に連れ出された。


女王の間の扉を背にした時、女王の絶叫が脳裏に蘇った。

死刑。

宣告されるのは早くも二度目だ。

だが、言われた瞬間から徐々に死んでいくようなあの頼りを失う感覚は如何いっかな減じない。

前回と異なる点を挙げるなら、ある程度覚悟していた分清々している事か。

そう、元々覚悟はしていた。

女王に口答えするからには当然想定はしていた。

しかしわからない。

なぜ生意気にも面と向かって諫言かんげんしてくる捕虜でなく、自らを気付かう者に激昂したのか。

死刑にするつもりがあったならもっと早くしそうなものだが…?

「貴様は化粧を知らんのか?」

前を歩いていた長から突然の質問。

「そういうものがあるとは本の記述で知りました。………まさか女王のあれが?」

「くっ…ふっふっふ…貴様にしては鋭い嫌味だと思ったが、本当に知らなかったとはな…ふふふっ…」

余程面白い出来事だったのか、笑いを殺しきれていなかった。

「どういう事なんでしょう?

皺を粉で埋め立てるのが化粧であるなら、なぜ女王はそんな真似を?

そしてなぜいきなりあれほどの怒りを?」

「貴様には一生かけても理解できん」

即答であっさり断言されるとムッとしてしまうが、確かに自分でも理解できる気がまるでしなかった。


ひとしきり笑った長はそれきり口を開かず私を連行し、やがて下り階段に行き着くと、私に前を行くよう指示した。

階段は深く、暗い。

ここで捕虜に背中を預けるのはいくらなんでも不用心過ぎるとの判断だろう。

私は燭台の光を頼りに爪先を降ろしていく。

「転げ落ちるなよ。手間が増える」

長の言葉が腑に落ちなかった。

「新しい処刑法と考えればむしろ手早いのでは?」

「処刑?」

「女王は私を死刑と…」

「この国は広い。労働力は恒久的に不足している。殺すなど勿体ない」

「てっきりこの先に処刑場があるものだと思ってました」

「地下には労働場があるだけだ」

労働場…つまり、私は当初の予定通り扱われるわけか。

「しかしそれでは女王の命に背きませんか?」

「貴様が喝破した通り、あの御方はご自分では何もなさらない。言葉に責任を持たない。一時間後にはあの時何を喋ったかなど忘れているし、明日には貴様を存在ごと記憶から消している。

命令など有って無きようなものだ」

それは国に仕える軍人としてあまりに虚しい現実ではないだろうか。

だが長はどこまでも淡々としていた。

「あなたはそれで納得がいくのですか?」

「誤解するなよ。

わたしは現状に満足している。

あの御方にも国にも自分にも。

クソオスは嫌いだし、クソオスに敗れるくらいなら諸共滅びてやる。

貴様流に言えば、わたしは怪物でありたくて兵士をやってるのさ」

怪物でありたいだなんて…やはり長も女王の語る『女性』の一人なのか…?

少し近付けたと思いきや、不意に出現したガラスの壁に阻まれた気分だ。

怪物性を自覚できる客観力がある分、ガラスを越えられそうに思えて余計に歯痒い。

もう階段を降りきって労働場の扉らしき所まで来ているのだが、歯痒さを解消したい私は構わず話を続けた。

長も拒む事はしなかった。

「少なくとも私には、あなたの方が王にふさわしく感じるのですが」

「女王はあれでも、否、あれだからこそ資格がある。わたしにあそこまでの熱は無い。

奔放に力を振るえるあの情熱こそ統治者に求められる資質だ」

「そうなのでしょうか…」

「決め事には必ず反対する奴がいる。

それが誰の目にも明らかな正義でも、確実に必要な準備でも、必ず強硬な反発を受ける。全員の意見をまとめて取り入れる話し合いに固執すれば、必然として反社会の意見も採用され、最善最要の政策は闇に葬られる。

そこで反発力をへし折るのが王の仕事だ。

国を治めるべきはリーダーではなく王だ。

中途半端なまとめ役ではなく絶対的権力者だ。

仲良し小好しで損得は埋められんし、損がある限り反発力も消えないからな」

「それは非常に危険な博打ではないでしょうか?

もし王が悪を断行する人物だったなら…」

「否定はせん。しかし反対意見を潰せなければ統治者が存在意義を失うのは本当だ。

そうである以上、善政を求める民は賭けに出るしかないって事だよ。

そして賭けに敗れた場合、または賭けから逃げた場合、民がツケを払うしかないという事でもある」

「ツケとは?」

「自分で聞いて回れ。

時間ならあるし、貴様の趣味だろう」

長はそう言って地下労働場の扉を開いた。


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