第3話 再会、そして……

 スクーターで走り抜けるコウキ。

 こういう時ピザ配達で培った、裏道や近道が役に立つ。

 コウキは自分からユイに何もアクションを起こさなかった、そして連絡すらしなかったことに今更ながらひどく後悔した。

 悪い癖であった。

 結局何か理由を付けて、嫌われたくないから自分からは何も動こうとしない。

 変な例え方だが、悪者になりたくないだけ。

 とらえ方によっては卑怯者ひきょうものである。

 しかし当たり前のことだがこんなに連絡を長くおこたっていれば、愛想を尽かされてもおかしくはない。

 その点に関しては、リキに感謝しなければならない。

 コウキとユイの関係を壊さない為に、繋ぎとめてくれたのだから。

 流石に期限が今日まで、というチケットを渡してくるとは思わなかったが。

 あの人も抜けてるところがあるんだな、とコウキは含み笑いをしつつ、急ぎながらも安全運転でスクーターを飛ばした。




 何とか閉館三十分前に到着した。

 受付を通って会場に入るなり、コウキはユイの名前が書かれている作品を探した。

 会場内は人がまばら。

 受付で無料パンフレットも貰ったのだが、慌てているせいか見る余裕がない。

 そんなことをしているうちに、会場内の奥に飾られている大きな絵に目が止まった。

 何故だか分からない。

 遠目でタイトルも作者名も分からないのに、その大きな絵に目を奪われるコウキ。

 まるでその絵に呼ばれているような気がした。

 惹かれるように、釘付けにされるように、目が離せず近付いていく。

 絵の横には、最優秀賞という言葉が添えられていた。

 タイトルも書かれていた。


『深海の底に咲く花』


 作者の名前が添えられていた。


『高坂ユイ』


 彼女の作品だった。

 その絵は周りが薄暗く、タイトル通りの深海の底をイメージしている。

 だが、ほんのりとスポットライトのような小さな光が注いでいて、その光の中に小さな気泡がチラチラと浮いていた。

 そしてその光の中心に確かに「花」が咲いていた。

 美しい絵だった。

 絵画かいがに疎いコウキでも、あまりにも構図といい、発想といい、観ているだけでここにほのかな温もりを感じた。

 ただただ見惚れていると、あることに気付くコウキ。

 中心に描かれている花。

 花なのだがよくよく観てみると、何かの形をほどこしている。

 それは一目では分からない。

 コウキはあっと声を上げてしまった。

 その花は音符の形に似ていた。

 よく観なければ分からない。

 騙し絵トリックアートの技法を上手く使った、だが間違いなく音符だった。

 いつかユイが話してくれた


(耳が聞こえない感じって、すごく孤独感がある宇宙に放り投げられた感覚、海の底に放り込まれた感覚)


 この絵の薄暗い表現は、もしかしたら……。

 聞こえないという彼女の想いが具現化されているのか。

 そしてこの光は、ユイのかなわない“音のある世界”への希望……それが花を照らしている。


(聞こえなくても、聞いてみたい)


 そんな風にコウキは感じ取れた。

 ユイの、彼女の希望が、この絵に全て注ぎ込まれている。

 それだけじゃない。

 この一輪の花はユイでもあり、コウキでもあるのだ。

 メッセージにも似たような一輪の花。

 コウキはこの絵に見惚れていく。

 そして気付いた。

 そういえば、初めてユイの描いた作品を観たということに。

 こんなにも目を奪われるような美しい絵を描くんだ。

 見惚れていると、誰かに肩を叩かれた。

 振り返るとそこにはいつもの三つ編みの眼鏡姿。

 笑顔のユイがいた。

 何故ここに、ユイがいるんだ?

 突然のことにコウキは狼狽してしまう。

 そして彼女の指が囁く。


(久しぶり…なのに、何故泣いているの?)


 気が付かなかった。

 コウキはこの絵を観て、いつの間にか泣いていたようだった。

 それは感動なのか、何かは分からない。

 ただひとつ言えるのは、この絵に心を奪われた、という事実だけだ。

 そのままコウキは自然と、ユイを抱き寄せる。

 会いたかった。

 それなのに避けてしまった。

 自分の都合で。

 勝手な思い込みで。

 コウキは後悔と会えた喜びで、どう表現して良いか分からなかった。

 でも会って確かに分かったことは、ユイがこんなにも好きであるというコウキの気持ちだった。

 奥手のコウキも、流石に観念した。

 彼女の前で飾らなくていい。

 耳が聞こえないから何だ。

 自分のこの感情にだけは嘘なんて付きたくなかった。

 ユイは優しくコウキの髪を撫でた。

 やっと会えた。

 時間はかかってしまったけれど。

 ユイ自身も会いたくて仕方がなかった。

 コウキの肩を叩く。

 ユイを抱きしめていたコウキが離れて正面を向く。

(やっと会えたね。もう待ちくたびれたよ。まさか最終日に来るとは思わなかった)

 ユイは怒る真似をして、微笑んだ。

(えっ? まさか、ずっと待っていてくれたの?)

(そうだよ。来てくれることを信じて、開催かいさいしてからずっと待ってた)

(ごめん。先輩が今日チケット渡してきて。まさか今日までなんて、リキ先輩もちゃんとチケット渡すタイミング考えてくれたら良かったのに。あの人も少し抜けてるんだね)

 ユイは笑った。

 絶対に渡すから任せておけ、って言っていたのにまさか最終日に渡すなんて。

(でもこの絵。凄いね。感動していつの間にか涙が止まらなかった)

 コウキがそう伝えると、ユイは絵の前に立ち直って振り返った。

(この作品は、私からコウキ君に対しての感謝を伝える作品なの。コウキ君が観てくれたことでやっとこの絵は完成した)

 そのままユイは手話を続ける。

(私、無理を言ってリキさんから、ライブハウスのチケット、取ってもらったんだ)

 コウキは走馬灯の如く、ルナの言葉を思い出した。


「似たような娘が、奥の方に見えたんだけど」


 あれはルナの見間違いではなく、本当だったのか。

(もちろん聴こえる訳ないんだけど)

 ユイは舌を見せた。

 驚きを隠せなかった。

 聴覚障害者がライブハウスに来る、この行為は相当な勇気が必要だったに違いない。

(あのっ!)

 コウキはそのまま、ユイに気持ちをぶつけた。

 苦痛になるかもしれない場所に、何故足を運べたのか。

 何のメリットもないはずなのに。

 ユイの指が告白し始めた。

(私はね、コウキ君から、色々と与えてもらったの。両親、ボランティアの人達以外の健常者で、初めて手話を交わしたのはコウキ君。障害者だからといって色目で見なかったのもコウキ君)

 ユイの優しい手話がコウキの心に囁く。

(上げたらキリがないぐらい、本当に色々と与えてくれた)

 ユイの頬が少し赤く染まり、しかし満面の笑みで手話を続けた。

(ライブハウス、当たり前だけど聴くことなんて出来なかった。でもね、ステージで奏でるコウキ君の楽器の音。その音だけが何故だか分からないけど、振動となって私の身体に響いた感覚があったの。あの経験は絶対に忘れない)

 こんな不思議なことがあるだろうか。

 コウキは信じられなかった。

 だが聴覚障害者のユイがそういう体験をした。

 これが嘘だとも思えない。

(初めての経験で、驚きと感動を覚えたの。だから今度はユイの番。コウキ君に何かしてあげたかった)

 そこでコウキは確信した。

 この絵の美しく咲く花、よく観なければ分からないトリックアート。

 聴くことは叶わない。

 けれど確かに伝わったのだ。

 そのイメージをユイは絵画という手法を使って、コウキにしか分からないメッセージを添えたのだ。

 確かに受け取った。

 ユイの絵画から、色々なものを受け取った。

(それとね、海外から来た先生がこの作品を観て下さってね、是非アメリカで絵画を学んでみないか? って誘われて。ウチの大学教授と長い付き合いのある方だから、安心して良いって言われて。一年間なんだけど離れ離れになっちゃう)

 少し悲しそうなユイ。

 留学に迷っているのだろう。

 コウキはユイに伝えなければならなかった。

 今を逃したら一生後悔する。

 コウキは勇気を振り絞り、ゆっくりと指先で想いを伝える。

(ありがとう、ユイさん。あと今まで連絡しなくてごめん)

(気にしないで、リキさんと新しい音楽を始めるんでしょ?)

(留学、迷っているんだったら行ってきなよ。画家になるのが夢だって言ってたじゃん?)

(でも離れ離れになるのが…)

 コウキは深呼吸した。

 一世一代の大勝負とは今まさにこの事であろう。

(どんなに離れていても僕はいつでも味方だし、今だってそうだ。頼りないところもあるけれど、もう自分に嘘はつきたくない。僕はユイさんが好きだ。音楽とか耳が聞こえないなんて関係ない。僕はユイさん自身が好きなんだ)

 自分の気持ちに正直になった。

 少しだけ、コウキは成長したのかもしれない。

 ユイは少し頬を赤く染めて、

(私もコウキ君のことが好き。この絵を描いている時だって、コウキ君のことを想いながら描いていた。こんな気持ちは初めてだし、そういう気持ちに気付かせてくれたコウキ君が、どんなに不器用だって私は大好きだよ)

 再び抱きしめ合う二人。

 そして自然と惹かれるように、二人は口づけを交わした。

 閉館の放送が鳴り始めたが、暫く二人はそのまま熱い抱擁ほうようを交わす。

 目の前にある作品とともに。

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