第6話 コウキとリキ

 だいぶ陽が暮れてきた。

 コウキは蛍光灯のスイッチを入れる。

 さっきまで薄暗かった部屋が明かりに照らされる。

「おいおいおいおい!」

 リキが思わず部屋に埋もれている音楽機材を見て唸る。

「何です?」

「お前、これ全部自分で揃えたのか?」

 リキはコウキの部屋に入って、音楽機材があることまでは分かっていた。

 だが改めて見ると、コウキの目の前にあるⅮTMにシンセサイザー、トラックボール、簡易型防音ブースからギターにベースなど選り取り見取り。

「本当に改めてこうして見ると完全にスタジオだぜ」

「全部高校生の時から揃えてきましたから」

「あっ! これ懐かしいエフェクターじゃねぇか!」

「あの!」

 コウキが吠えリキを睨んだ。

「リキ先輩…」

「分かってるって、そんなに怖い顔するなよ」

 コウキは小さい椅子にリキを促す。

 リキはゆっくり座ると静かに語り始めた。

「そうだなぁ、どこから話せばいいか。とにかくバンドが二年で解散したのは事実だ。それも若気の至りってヤツだろうな。解散の理由は俺がもう、歌う理由が無くなったって事が、キッカケかもしれねえな」

 驚いた。

 まさか解散を切り出したのが、リキであったとは。

 よくある音楽性、方向性の違いで解散という理由ではない。

 しかし。

 歌う理由が無くなった、とはどういう意味なのか。

 無くなったと言うのだから、歌う理由があったのだ。おそらく強い理由が。

「俺ん家、母子家庭だったんだよ。兄弟もいない一人っ子。だから母親と二人暮らしだった。母さんが聴覚障害者だっていうのはお前も知っているだろ?」

 コウキは頷いた。

「聴覚障害者の母さんは少ない稼ぎで、俺を育ててくれた。んでな、俺もイジメられていたんだ、母さんが原因でな」

 何か似ている。

 ユイがいつか話してくれた、幼い頃に耳が聞こえない事でイジメられたことと、どことなく似ている。

「手話でしかコミュニケーションが取れない訳さ。でも俺からしたら、それはごく自然で当たり前のことだったから、イジメられる原因が分からなかった。だからどこかで悪ガキが、俺と母さんが手話で会話しているところを見たんだろうな。それが物珍しくてバカにし始めた。俺がイジメられるのは全然よかった。だが、母さんのことを馬鹿にされるのだけは悔しかった」

 子供ながらにどうしていいか、分からなかったのだろう。

 怒りの矛先をどこに向けていいのか。

 イジメっ子なのか、母親なのか。

 コウキは何も言わず、黙ってリキの話に耳を傾ける。

「ある日、俺の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れて、イジメていたヤツらをボコボコにしてやった。小学生の時の話だ。今でも忘れねえさ。子供とその親同士の話し合いが会議室で行われた。あの時イジメに参加していたヤツらの親が、母さんに向けたあの目。憐憫れんびんの目。耳が不自由だから、こういう子どもが育ってしまうと勝手に理由付けして、勝手に理解した様な目。あの日から、いつかコイツらを見返してやると心に誓った」

 コウキがもしもリキの立場であったら、どうだったのだろうと考えた。

 イジメていたヤツらを許せる訳がない。

 しかも母親を馬鹿にされているのだ。


“お前の母ちゃんは聞こえない、話せない"


 そこまで聞いてコウキは、まるで自分の母親と重ねるようにして憤慨ふんがいした。

 例えそれが過去の話であったとしても。

「それから中学、高校って進学して、ずっと心に引っかかっていたことを気になり始めた」

「引っかかっていたことって何ですか?」

 暫く黙って聞いていたコウキは、つい口を挟んでしまった。

 するとリキは呆れるような表情を見せた。

「聴覚障害者の母親に、どうにかして俺の声が届けられないかってこと。どんな形でもいい。俺の声が、俺の気持ちが届いて欲しくてな。血迷ってバンドなんか組んだ。そして自分の声を、心の叫びを、魂を、何かしら届けたかった。無理だって分かっているのにな」

 何ともやり切れない表情をするリキ。

 分かっていても、何かしら伝えたかったのだろう。

 やり方がどうであろうと、その気持ちは分からなくもない。

「バンド組んでは解散、っていうのを繰り返し、十八になって高校卒業した頃ぐらいかな。スコルピオを結成したのは。それからの活躍はお前が知っての通りだ。さて、ここからだ。コウキは聞く覚悟が出来ているか? それとも勘のいいお前のことだ、何かに気付いたか?」

 コウキはまさか、と勘付いた。

 今までリキが話してきた内容には、過去形が使われている。過去の話をしているのだから、当たり前なのだが腑に落ちない部分がひとつだけあった。

「何かしら届けたかった」

 届けたかった?

 この部分だけ、どうも違和感を覚える。

「あの、まさかとは思うんですけど…先輩が歌わなくなったのは、お母さんが亡くなった……ってことじゃないですよね?」

 コウキの答えに、リキは黙って頷いた。

「交通事故だ、しかも耳が聞こえなかったのが災いしてな。交差点で歩行者信号が青、だけど車が突っ込んできて。呆気なかったよ。ひとりになってしまったショックより、もう何をしても足掻き続けても、母さんに俺の声を届けるなんてことは出来ないんだって」

 うつむきき溜息を吐く。

 リキから感じる悲哀。

「馬鹿な話だ、無理だって分かっているのに意味のないことをし続けていた。だけどな、その時はマジで何でもいいから、形として残しておきたかったな」

 歌う意味が無くなった、とリキは言った。

 その真実は、とてつもなく残酷だった。

 もし神がいるというのなら、何故こんな結末を作ろうとしたのか。これでは余りにも、酷すぎる。

 コウキは唇を噛み締めた。

「さぁ、話したぞ。コウキ、話してみて俺とお前はよく似ていると思う。だが傷の舐め合いっこってのはナシだ。俺と組むか組まないか」

 じっと見つめてくるリキ。

「もうひとつ、あとひとつだけ。聞かせてください」

「おう、何だ?」

 一呼吸おいて、決心がつく。

「元スコルピオのボーカル/ギターのRIKIが、何で僕と組もうと思ったんですか? 今の話がとても答えだと僕には思えない。何故ですか?」

 するとリキは、笑顔になりこう言った。

「コウキとユイちゃんのおかげだよ」

 コウキの目が点になるがリキは続ける。

「不器用ながらも、お互いに想い合っている姿を見ていたら、俺はまだ何もしちゃいなかったって気づいた。バンド辞めて六年、ただ腐っていただけなんだ。それ相応の大義名分を謳っているクセに、何もやっていなかった。気付くのに六年かかっちまったけど、お前らを見ていたら、今なら亡くなった母さんに何か届けられそうだ。いいか、俺みたいにお前は腐っちゃダメだ。お前にはお前の可能性がある。俺はそう見抜いた。お前にだったら預けられる。これが俺の答えだ。ダメか?」

「預けられる? 何をです?」

「かぁ~。勘がいいって言った直前にそれかよ。俺の声だ。俺のボーカルとお前の作る音楽。いつか大事な人に、音楽を届けることが出来る日が必ず来る。それがいつかは分からねえが、俺達二人ならそれが出来る」

 コウキを真っ直ぐ見つめるリキ。


 コウキとユイ。

 コウキと母親。

 リキとその母親。


 関係性は違えど、どこか似ていて通ずるものが何かある。

 その答えは何か分からない。

 けれど答えなんて鼻から必要なかったんじゃないか、とコウキは思う。

 想い合う、それがそもそもの答えだったのではないのか。

 コウキはおもむろにスマホに手を伸ばす。

 今までユイからの、チャットメールを無視していた。

 自然とスマホの画面をスライドしていた。

 溢れんばかりのユイの声。

 こんなにも想っていてくれたのか、ユイという娘は。それを無視し続けた、自分が情けない。

 勝手にコウキの意に反して、涙が止めどなく溢れてくる。

「おい、泣くなよ。でも良かったな、良い娘に巡り合えて」

 リキはコウキの頭を、少し乱暴だが撫でた。

 しゃっくりじりの鳴き声で、コウキはリキに言わなければならなかった。

「僕でいいんですか? こんなどうしようもないヤツですけど」

 リキは真っ直ぐな眼差しで、しかしやっぱり上から目線で、

「お前がいいんだ。お前と組んでやる。でないと俺は歌えない」

 色々と話し込んで、中には重い話もあった。

 中々脳内が追い付けないコウキ。

 だが、ひとつだけ分かっていること。

 この日、コウキとリキが音楽を一緒にやる為に組むという“未来”だった。

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