第2話 突然の来訪者
『スピン・メディア』は解散した。
スケジュール自体が空白になった為、ブッキング等の損害は殆どなかった。
形としては「円満な
ルナはマネージャーの勧めで事務所に残った。
コウキを始め、ススム、トオルは契約解除となった。
心に穴が空いたような空虚感が、コウキの心を漂う。
暫く音楽から距離を置きたかった。
それからのコウキは働き詰めの毎日になった。
何かにとり憑かれたかのように、週七で休みなく働き続けた。
忘れたかった。
何もかも。
解散してから一度も作曲もしていない。
いや、作曲をしたくないといった方が正しいかもしれない。
だからいつの間にか大事なはずの音楽機材、ベースなども
コウキの生活は、ハードワークと帰って就寝の繰り返しになっていた。
貯金も貯まる一方で、コウキは一切手を付けずにただがむしゃらにアルバイトを詰め込んでいた。
そして同じ日々の繰り返し。
働き続け、最低限の生活しかしなくなり、ふと思えば「自分が目指していたものは何だったのか」と考える毎日が続いた。
とにかく音楽から離れたかった。
忘れたかった。
そんな生活をして、半年の月日が流れた。
気が付けば三月下旬、春先を超えて、桜が満開の季節になっていた。
バイトから帰る道すがら、桜を見ながらコウキの目は淀んだままだった。
傷はまだ癒えない。
そういえばユイはどうしているだろうか。彼女と出会ってそろそろ一年になる。
ユイのチャットメールは、まだ開く事が出来ない。
開く勇気がなかった。
思い返したらキリがない。
コウキは急いで帰路に着く。
アパートに着くなり、すぐにシャワーを浴びた。夕方にもう一つバイトを入れていた。
その準備に取り掛かろうとしていたその時、突然スマホが鳴った。
これから向かうバイト先からだった。
シフトの手違いで、コウキの出勤が無くなった知らせだった。
スマホを切ると、その日のやることがなくなってしまった。
働いて稼いだ金も、かなりの貯金額になっている。
だからといって何か欲しいものがある訳でもないし、コウキは煙草も酒もやらないから使い道はどこにもない。
さぁ、どうする? と考えている時に、玄関のチャイムが鳴った。
別に通販を頼んでもいないし、
そんなことを考えていると、またチャイムが鳴る。
面倒くさそうにコウキは玄関に向かいドアを開けた。
「よっ。久しぶり。ちゃんと生きてっか?」
そこにいたのはリキであった。
コウキは思わずドアを閉める。
実はリキが働いているバイト先を、コウキは辞めてしまっていた。
ユイのこともあって、顔を合わせ辛かったからだ。
「おい、人の顔を見て閉めんじゃねーよ。開けろ、バカヤロウ」
あまり騒がれても困る。近所迷惑になってしまう。
コウキはゆっくりドアを開けた。
リキが仁王立ちしている。
コウキは思った。
殺される、勝手に辞めたことで殺される。
「おい」
あ、死んだ、と思った。
しかし返ってきた言葉は意外だった。
「少し痩せたか? ちゃんと食ってるか?」
気遣う言葉。
心配して来てくれたのか。
「何度も来てたんだぜ。なのにいつもいねぇじゃねぇか。今日はバイト、休みか?」
「…はい、すみません。本当はシフト入ってたんですけど、向こうの手違いで今日は空きになりました」
「そっか。ここで立ち話も何だから上がるぞ」
コウキの断りもなく、勝手に部屋に上がり込んできた。
「ちょ、ちょっと…」
「何だよ、ダメか?」
「いや、何でもないです」
ピザ配達の名残の恐怖で、条件反射で答えてしまった。
だから仕方なく、部屋に招き入れることにした。
「狭いですが、適当に座って下さい」
コウキはそのままゲーミングチェアーに座った。
「なんだこりゃあ…完全にスタジオみてえじゃねぇか」
その言葉をコウキは聞き逃さなかった。
まるで、音楽スタジオに入ったことがあるような
あのピザ配達のバイトリーダーで、怒鳴り散らしているリキが?
そんな話、一度もしたことがない。
「リキ先輩。今、スタジオじゃねえかって言ってましたよね? 音楽を…バンド組んだりって、あるんですか?」
「言ってなかったっけ? 元バンドでボーカル・ギターやってたって。あ、そういえば言ってねぇな」
そうだった。
この人は仕事に関しては真面目だが、そのほかのことに関してはいい加減な人だった。
コウキは
この人に絡まれると疲れるだけだ。
早々にお引き取り願おう。
「とりあえず、何か御用ですか? なければ帰ってもらいたいんですけど」
遠回しではあるが部屋から出てってもらうように促すコウキだが、リキはムスッとした表情で言った。
「お前もなかなか失礼なヤツだな。理由があるからここに来てるんじゃねぇか。それよりバンド、解散したって聞いたぜ」
「えっ? 誰から聞いたんです?」
「お前が所属していた事務所の社長だよ。ちょっとした知り合いでな。対バンの時にはそりゃあ世話になったもんさ」
この人は一体幾つエピソードを持っているのだろう。
叩けば叩くほど、無限に出てくるんじゃないのか?
おっかない人だ。
しかし、そんなことはどうでもいい。
リキ曰く、理由があるからここに来たと言っている。
コウキは少し迷惑そうな表情になっていた。
「それよりも……一体何の用ですか?」
すると、リキは急に真剣な表情になる。
「コウキ、俺と組んで音楽やらねえか?」
一瞬何を言っているのか、思考が追いつかなかった。
いきなり何を言っているのだ、この人は?
鬼軍曹、悪魔、と散々あだ名を心の中で更新して呟いていたが、遂に『アホ』にでもなってしまったのか。
「ふざけてますよね? 完全に。完全に悪ふざけが入ってますよね?」
あまりのことにコウキは二回言った。
それも当然だ。
まだ何も聞いていない。
リキ自身の実績を。
それを当たり前のように「俺と組め」と言うのだから。
「あー、やっぱりな。その反応、そうくると思ったわ。お前だと世代が違うから、知らねえのも当然か。“スコルピオ”ってバンド、聞いたことがないか?」
スコルピオ。
聞いたことがあるし、CDも持っている。
コウキは慌ててCDラックからアルバムを探し出す。
少し埃を被っているが、一枚のアルバムを手にする。
「何だ、持ってるじゃん。なら話が早いや」
スコルピオというバンドは、インディーズ
何故ならインディーズでありながらCDチャートで一位になり、ライブの動員数も半端ではなくチケットは数分で完売するほどだった。
そしてメジャー契約寸前で、突然の解散。
活動期間はたったの二年。
解散理由も
コウキはブックレットを開く。
スタッフ欄の上記に記されているメンバーの名前を確認した。
「RIKI・Vocal/Guitar」
間違いなく、リキの名が記載されている。
スコルピオのボーカリストがリキだとは。
その声は男性でありながら、かなりの高音ボイスでしかもファルセット(裏声)を一切使わないというスタイルだった。
そしてその歌唱力は攻撃的な、だが時に低音で語りかけるような、不思議と心を鷲掴みされるボーカルだった。
残念なことにブックレットには、メンバー達の写真が一枚もないデザインになっている。
しかし、リキの名前が載っている。
「どう? 信じた?」
楽観的に言うリキ。
「いや、でも、全然違う……」
「普段の声と、歌っている時の声が違うのは当たり前じゃねえか。おちょくってんのか、お前は」
そう言われてしまっても、やはり信じられない。
だが嘘を付いているようにも見えない。
「どうやったら信じてもらえ……って何だ、こりゃ?」
リキの視線の先。
それは簡易型の防音ブース。
「あ、それ防音ブースです。即席で作ったやつですけど、集音性はバッチリなんですよ」
「えっ? そうなの? 完全にお前の部屋、スタジオまんまじゃん!」
物珍しそうに防音ブースを眺める。
すると何か想いついたようにコウキにこう言った。
「スピン・メディアで唯一、スローテンポの曲があったよな? 今から流せるか? このブースの中で今から俺が歌う。オーディションだと思って聞いてくれや」
歌う? 今から?
いや、それよりもリキは『スピン・メディア』を知っている?
コウキは一度もリキにバンド名を教えたことがなかった。
聞かれることもなかったからだ。
「あの…何で、知っているんですか?」
「お前はアホか? 事務所の社長と知り合いだって言っただろう。それで知ったのもあるし、どんな曲か、聴いてみたかったから買ったよ」
「あ、ありがとうございます」
「お前、良い曲作るじゃねえか」
その言葉を聞いた瞬間、コウキは今まで腑抜けていた感情に火が付いた気がした。
コウキはまるでスイッチが入ったように、パソコンや機材の電源を入れ始めた。
この耳で確かめてやる。
あの伝説のバンドといわれるボーカリストなのか、まだ
言葉では何とでも言える。
歌えば嘘なんて付くことが出来ないのだから。
全てが整うと、コウキはリキを防音ブースに促した。
ヘッドフォンを装着するリキ。
「それじゃあ、今から流しますね。マイクの位置は自分で調整してください」
「おぉよ、本格的なレコーディングみてえだな」
「いいから、流しますよ!」
パソコンの画面に映る“再生”をクリックしたと同時に、コウキもヘッドフォンを装着した。
イントロが終われば、すぐにボーカルパートだ。
そこで全てが分かるはず。
コウキは防音ブースに目もくれず、画面だけを見ていた。
そろそろイントロが終わりAメロに入る。
ボーカルパートだ。
イントロが終わった瞬間だった。
コウキは耳を疑った。
スコルピオのボーカルの声だ。
しかも今流している曲は、かつてのボーカル、ルナのキーに合わせているからそれなりの高音だ。
それを原曲キーで自然に歌い上げている。
思わず防音ブースに目を向ける。
確かに歌っているのはリキだ。
驚きと同時に、コウキは興奮を覚えた。
この引き込まれるボーカルに。
天性のボーカリスト。
その言葉がまさに当てはまる。
紛れもなく今、天才がこの小さな1Kで、この即席防音ブースで歌っている。
伝説は真実だった。
曲が終わり、防音ブースからリキが出てきた。
「どうだ? これで信じたか?」
暫く
その余韻の中で幾つかの疑問が生まれた。
「おい、聞いてんのか?」
装着していたヘッドフォンをリキに無理矢理取られる。そこでハッと我に返るコウキ。
「どうだったよ?」
「先輩…本当だったんですね……スコルピオのボーカルだったんですね」
「やっと信じたか、鼻から嘘なんて付いてねえよ」
「だったら、教えてください」
コウキの疑問は膨れ上がるばかりだ。
その疑問が解消されない限りは、組むことだって考えられないと思った。
「何故スコルピオは解散したんですか? しかも経った二年で。教えてくださいよ、でなければ僕は先輩とは組めません」
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