第3話 ナーバスな自分達

 当たり前のことだが睡眠時間すいみんじかんが足りなかった為、バイトにあまり身が入らないコウキ。

 両肩を回し始める。気付かぬうちにくせになっていた。あまり頭が回らない。

 コウキのバイトは、メインが配達はいたつピザの配達係。

 手が空いている場合は、調理場ちょうりばに入る事もある。

 丁度ちょうど手が空いていた為、調理場に入ってピザを専用レンジで見ていなければならなかったのだが、完全にうわの空。

 怒号どごうが響き渡る。

「おい! コウキ、焦げてるじゃねえか! 何やってるんだ、お前は!」

 気が付くとレンジの中でピザが燃えて、隙間すきまから黒い煙が出ている。

「あ」

「あ、じゃねーよ! どけ!」

 コウキは押し退けられて立ち尽くす。

 怒号の相手はリキという、ここのバイトリーダーだ。

 長いことこの配達ピザでバイトしており、店長からの信頼も厚い。

 しかし新人であろうがベテランだろうが、ミスを犯すとまるで職人しょくにん親方並おやかたなみにキレる。

 これが原因で何人ものバイト仲間が辞めていっただろうか。

 だがそれを抜きにすれば、普段は面白い先輩せんぱいであることは間違いなく、頼れる人であるのは間違いない。

「すみませんでした」

「もうここはいいから配達が入っている。早く行ってこい」

 コウキはピザが入っている箱を手に取って、外にある配達用スクーターに乗り込んだ。

「事故んなよー!」

 ヘルメット越しからもよく聞こえるリキの声。

 どうしたらそんな声量せいりょうが出るのだろうか。

 コウキはそのまま出発した。




 配達の帰り道。

 今日の出来事を思い出していた。

 ユイのことだ。

 高坂ユイ。美大二年生。

 オシャレには気を使っていない所謂いわゆる『芋女子』なのだが、仕草や文字の丁寧ていねいさ、とにかくあの可愛らしい笑顔。

 耳が聞こえないこと以外は、普通の彼女。

 筆談でも打ち解け合うのは簡単だった。初対面のはずなのに。

 波長はちょうが合うというのはこういう事なのだろうか。

 コウキは女性に対して、異常なまでに奥手おくてである。

 過去に幾つか恋愛だってしてきた。

 だが残念な事にコウキの恋愛は、奥手がわざわいして手すら握れないほど。

 だから二十一歳でありながらも、未だに童貞である。

 恥ずかしくて誰にも相談できない。

 別に童貞だから恥ずかしいという訳ではなく、女性とちゃんとコミュニケーションが取れないことが恥ずかしかった。

 バンドメンバーのルナは、メンバーという事もあって女性として見ていないせいか平気に話せる。

 というより、ルナが良い意味でも悪い意味でも、コミュニケーションに長けている。

 そのせいで他のバンドと殴り合いの大喧嘩になった訳だが。

 コウキはスクーターを走らせながら思った。

 こんなことは初めての経験だ。

 秒速で打ち解けられたのは。

 彼女の耳が不自由で、しゃべれないから?

 いや、そんなのは関係ないはずだ。

 言葉では表現しにくい、何かがあったはずだ。

 それが一体何なのか。

 コウキには分からなかった。

 答えなんて到底とうてい出せず、そのまま店舗てんぽに到着した。




 バイトが終わりアパートに帰ってきたコウキ。

 部屋の明かりをつけると、すぐにパソコンやシンセサイザー、その他の音楽機材おんがくきざいのスイッチを入れ始める。

 1Kロフト付きの部屋。

 ロフトがコウキの寝室。

 それ以外の場所は、全て音楽機材で埋め尽くされていた。

 一番場所を取るのが最近の大きな買い物、完全防音かんぜんぼうおんマット一式いっしきだった。

 そのマットを半畳ほどの大きさに切り分けて、隙間なく組み立て『簡易型かんいがた防音ボーカルブース』を作った。

 ローン返済が嫌いなコウキは、これを購入する為に死に物狂いでピザ配達バイトのシフトや他のバイトなどを入れ込んだ。

 自身の食費を削り、約半年で目標金額に到達し一括購入に至った。

 おかげで今までⅮTMに打ち込んだ音源データをバンドメンバーに共有するより、仮歌を入れる事で伝わりやすくなったことは間違いなかった。

 コウキはパソコンが立ち上がるとゲーミングチェアーに座り、ヘッドフォンを装着そうちゃくしそのまま黙々と曲作りを始めた。

 明日は久しぶりに何も予定が入っていない。

 思う存分作曲に集中出来る。

 部屋にはシンセサイザーの鍵盤を叩く音、トラックボウルを擦る音しか響いていない。

 このような生活をコウキは高校生の時から繰り返している。

 軽音楽部に所属しても、活動は週に二回あるかないかぐらいだった。

 それ以外は別に何もすることがなかった為、バイトのシフトを限界げんかいまで入れ、入った給料をコツコツ貯めて欲しかった機材を購入する。

 そんなことばかりしていたから、学業は最悪だった。

 コウキは音を追求する為に、どんなに高額であろうと妥協はしなかった。

 時々コウキはこれが原因でコミュ障なのでは? 奥手なのでは? などと自分自身で思ったりする。

 だが、やっぱり止められない。


『プロになって飯を食う』


 という夢を高校生の時に誓ってから、このスタイルは全く変えずにいた。

 趣味程度であれば、こんなに機材を買い込む必要性もない。

 しかしプロになるということは、地道な下積みが必要だとコウキは信じている。

 だから馬鹿みたいに金がなくなっていく。

『スピン・メディア』がライブデビューし、ある程度の知名度が上がり始めた頃だった。

 アルバムを制作することを視野に入れ始めた。

 しかしフルアルバムを出すのに、スタジオ録音費用、CD生産数、ジャケットデザイン等色々なものを込みで、最低でも約百万ほどかかることが分かった。

 百万なんて大金ではあるが、彼らにとっては夢の切符でもある。

 アルバムを作れば多くの人達の耳に届く。

 だからバイトの数も増やし、一人二十五万という計算で、皆で出し合いアルバム制作に掛かった。

 元々ライブデビューした頃から曲数も多かった為、作詞・作曲・編曲には困らなかった。

 出来上がったアルバムに、メンバー全員歓喜かんきしたのをコウキは今でも覚えている。

 初のアルバム。

 自分が作曲担当したアルバム。

 これで少しは夢に近付ける。

 そう信じた。

 しかし、現実というのは余りにも過酷かこくで厳しい。

 制作する上で流通会社と契約、つまりプロモーション等は完全にバンドメンバーで行っていかなければならなかった。

 何とか苦労をして、インディーズ専門CDショップに置いてもらえることになったが、都内でしかライブをやっていないからCDの売れ行きも限界があった。

 この時に現実がどれだけ厳しいかとコウキは痛感した。

 だが捨てる神がいれば拾う神もいる。

 そのアルバムを手に取った人物から契約オファーがあり、晴れて『スピン・メディア』は現在のインディーズ事務所に所属することになる。

 その事務所は二店舗、インディーズCDショップを展開していて、そこにもアルバムを置かせてもらった。

 しかしやはり在庫の山は減ることがなかった。

 ファンは確実に増えているのだが、CDの売れ行きは中途半端ちゅうとはんぱ

 爆発的に売れる訳でもなく、全く売れない訳でもない。

 事務所社長いわく、最初はこんなものだというが、コウキはこの現実に大きなショックを受けた。

 おそらくほかのメンバーも、そう感じたに違いない。

 井の中のかわず大海たいかいを知らずとはこのことだ。

 自分たちで制作したアルバムを出して、インディーズ事務所に所属して半年以上経った時に、ススムがデザインした『スピン・メディア』のグッズをライブ会場で売り出した。 

 それでも結果は赤字。

 在庫が残ってしまう。

 ライブでは客が入るのに、何故なのか分からなかった。

 同じ事務所に所属しているバンドと比較ひかくしても『スピン・メディア』のCDやグッズは売り上げが低い。

 演奏えんそう完璧かんぺきだし、ファンも微々たるものだが着実に付き始めている実感もある。

 いきなり売れるなんて思ってもいなかったが、ここまで現実を叩きつけられると、やはりバンド内に不穏ふおんな空気が流れるのは当然のことだった。

 特にこれからセカンドアルバムを制作する。

 最近のバンド内の空気も尋常じんじょうじゃないほど重苦しい。

 それぞれ次のアルバムへの意気込みもあるのだろう。

 仲良しこよしでやっている訳ではない。

 言わば「戦友」に近い。

 だからこそ結束力けっそくりょくは大事だとコウキは常々つねづね思っている。

 だが、不安がないと言ったら嘘になる。

 バンドメンバーを信じていない訳ではないが重苦しい空気の中、険悪感けんあくかんも何故か感じ取れてしまうのだ。

 それはコウキ自身も含めてだ。

 ルナは作詞で手を抜かない。それは当たり前だし、あってはならないこと。

 歌だって勿論、手なんか抜くはずもない。

 毎度毎度自分なりに反省点を見つけている。

 だが、思うようにいかないからといって、破壊行為はかいこういに走るのは如何いかがなものかと思う。

 ペットボトルを床に投げつけたり、大事なマイクを叩きつける。

 それだけならまだいいが、外にある自販機に蹴りを入れた事もある。

 社長から他事務所のバンドとの大喧嘩でかなり灸をすえられたのだが、人に当たることが無くなった代わりに物への破壊行為。

 ススムはプロを目指しているのであれば、もう少し自信を持ってほしい、とコウキは考える。

『スピン・メディア』に最後に加入したのはススムだ。

 だが、今までパンクバンドしか経験してこなかった為か、違うジャンルに対して探り探りになりがちである。

 その不安も分からなくもないが、必要として加入してもらった以上、やはり自信を持ってほしい。

 ギタリストは花形とも言えるのだから。

 トオルは完璧だ。

 隙も、無駄も無い。

 しかし、メンバーに対して八方美人なところが目に付く。

 それに気付いたのは、ルナとススムが些細な事でいさかいを始めた時だった。

 間に入ってその場をおさめたのだが、ルナに対して、ススムに対して、良い顔をし過ぎている。

 ちゃんとお互いの言い分を聞き、なだめるのだがそれがまるで手中におさめているように、コウキは感じ取ってしまった。

 表面上は上手くいっているように見えるのかもしれないが、本当に上手くいっているのか? もしそう問われてしまったら、コウキはおそらく明確な答えを出すことは出来ない。

 今、コウキが勝手に抱えている問題がこれだ。

 考えすぎかもしれない。

 知らないうちにナーバスになっているだけ、かもしれない。

 でも、とやはり考えてしまうのだ。

 コウキはいつの間にかパソコンの画面を見ながら、シンセサイザーの鍵盤を叩いていないことに気付いた。

 今日は一日、様々なことがあった。

 疲れもあるかもしれない。

 だが曲作りは手を抜けない。

 座ったまま背伸びをすると、少し身体の緊張感が抜けた気がした。

 そして再びパソコン画面に向き合いながら、黙々と曲作りをし始めた。

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