第7話 その言葉の意味
「見ててね」
八月末、日曜日の朝。イリー校で最も大きい中央グラウンドに女子のAチームとBチームが姿を現す。そんなグラウンドへと出る前に、シンはリネアからそう言われた。
周囲の寮や校舎から顔を覗かせる生徒がいれば、グラウンドの脇に広がる芝生に座って観戦する人たちもいる。
また、明日から入学する新入生たちが、続々と姿を見せて見学していた。
スタメンを決める試合として、新入生へのデモンストレーションとして。
この日は毎年、ラグビーの試合が行われる。
最初は興味半分で。けれど、グラウンドに踏み込むプレイヤーの熱気に当てられて、真剣な眼差しで観客が見守る中。
試合開始のホイッスルが鳴り響いた。
Bチームのスタンドオフであるリネアがドロップキックで敵陣へと蹴り込む。
フォワードたちが落下点へと走り、キャッチしたAチームのフォワードを止める。
様々な声が乱れて、グラウンドに轟く。
スタメンを死守しようとするAチームとスタメンを奪ってやろうとするBチームのボルテージが一気に最高点まで膨れ上がった。
女子とは思えない身体でディフェンスラインに突っ込み、ヒット。
タックルで当てたディフェンスの肩とオフェンスの身体からバゴンと音が鳴る。
一瞬の均衡はオフェンス側のAチームが相手を弾き飛ばしたことで、破られた。
その魂の攻防が身体に、声に、行動に現れる。
互いの闘志が真っ向からぶつかる。
これだ。これこそがラグビーだ。
前にボールを出せないのに前を目指す歪なスポーツ。
だからこそ、チームは、プレイヤーはそれに抗う。
ある者は戦術で。ある者は身体で。ある者はテクニックで。
同じような体型や能力値では得られない、勝利を手にするために。
様々な個性を持った十五人が敵陣を目指し、敵の攻撃を死ぬ気で防ぐ。
熱い。心が震える。こんなに熱い試合に、心が踊らずにいるなんて不可能だ。
すると観客席から「あぁ〜」と声が漏れる。ボールが落ちたことによって。
ボールが溢れたのを見て、Bチームのフォワードが即座に反応してボールへと飛び込む。
すぐに人が集まってきてラックが形成され、ハーフがリネアへとボールを放った。
敵陣でのマイボール。加えて、相手側のノックオンの反則によるアドバンテージ。
左端付近からボールを受け取ったリネアが選択したのは、ハイパントだった。
反対側のサイドラインギリギリを目掛けて、高くボールを上げる。
落下地点は敵陣のゴールラインの内側――インゴール。
端に立っていたウイングが敵陣へと全速力で走る。
最も早く走れる選手が務めるウイング。サイドを突破する脚力が最も必要となるポジションの強さを見せ付けるように、すぐにトップスピードへと達して走り込む。
それに対して、Aチームの後方にいたフルバックが対応。キックに速度、ステップの切れに身体の強さが、総合的に強い選手がなるフルバックがボールをキープしようと走る。
互いに空高く飛び上がった。
くしくもボールは弾かれ、ボールが転がる。Bチームのウイングが倒れながらもボールを抑えようとする。フルバックも体制を崩しながらボールへと飛び込む。
互いに譲れないものを懸けて。届くと心から信じて。
仲間と己の矜持のために、彼女たちは手を伸ばした。
ホイッスルが吹かれる。
無情にもボールはデッドボールラインを超えてしまって。
しかし、アドバンテージを見ていた審判が反則のあった地点までボールを戻す。
今回は基本通りのプレイを見せたリネアが、ペナルティーキックを選択する。
そんな様子を見ていたシンは、病院にいた時のことを思い出していた。
悔しさで染まった、あの表情。
リネアの悔しそうな表情は、自分のプレイに対してだったのだ。
勝つために意外性を持った自由なプレイも、基本に忠実なプレイも、両方を使いこなす。そんな、柔軟なプレイスタイルを目指しているのかもしれない。
しかし、それは誰もが目指す理想の形。
それが出来るからこそ、そういう人たちはプロになる。
理想的なプレイを目指して、練習して実行する。だからこそ、前回のプレイは自由過ぎたのを反省して、今回は理性的に動いているように見える。
こんなプレイを見ていれば、リネアのことを知らない人でも分かる。
彼女は本気なのだと。たった一つ、貪欲に勝利を掴むために。
キックティーの上にボールを静かに置く。グラウンドが静まり返る。
静寂に支配されたフィールドにリネアの深呼吸する音が微かに聞こえた。
ルーティンをしてリネアが助走に入り、キックティーに置かれたラグビーボールを蹴る。
芯を捉えた音をシンの耳が捉えた。サイドラインギリギリから蹴り込まれたラグビーボールは放物線を描いて、ゴールポストの内側へと吸い込まれていく。
審判のホイッスルの音を掻き消すほどの歓声が響いた。
リネアは前回のプレイを反省して、今日のゲームメイクに反映させている。
これが唯一、女子の一学年でBチームまで上がった少女の実力。
これがラグビーなのだ。
性別なんて関係ない。ただ、前に進むことを目指した紳士のスポーツ。
「君が……羨ましい」
シンがポツリと呟いた声は誰にも届くことはなくて。
チームメイトに声を掛けられ、ウォーミングアップのために隣の芝生へと向かう。
後方からリスタートのホイッスルが吹かれる音を聞きながら。
ドッと歓声が聞こえて、一瞬振り返るも、シンは踵を返した。
彼女は「見ててね」と言った。
それはきっと試合を全て見ていて欲しいという意味ではないのだと、シンは思った。
彼女が挑んでいる世界を、そのために超えないといけない分厚い壁を、何より、真摯にラグビーに向かう姿勢を、彼女はプレイで語っているのかもしれない。
どこまで出来るか分からない。
けれど、ラグビーを嫌だと思う自分は……いつの間にか、いなくなっていた。
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