第8話 こんな自分が嫌いだ
後半に入り、残り二十分というところで、リネアが交代するのをシンは見ていた。
スタメンを決める試合。リザーブの選手も見ておきたいと思ったのだろう。けれど、端から見ていたシンにとっては、現実の厳しさを思い出させられるものだった。
シンは静かに一度瞼を閉じてから、目の前にいる選手に意識を戻す。
肩を温めるためにペアとなった選手と肩をぶつけ合う。
全てのウォーミングアップを終えて。
今回使用するサインの最終確認とブリーフィングを行って。
シンはセカンドジャージに腕を通した。
女子の試合が終わり、男子の試合が始まる。
Bチームのリザーブとして選ばれたシンは、ベンチから試合を眺めていた。
四学年の体格とテクニック。何より、場慣れした経験値の差が終盤になるにつれて発揮されている。咄嗟の判断力、監督が指示を出さなくても指針を変更できる対応力。そんなテクニックやフィジカルではない部分が顕著に現れていた。
試合はAチームが三トライをあげて折り返す。
十メートルラインを突破できても、二十二メートルラインまで踏み込めない。
圧倒的ディフェンス能力。キック処理の精度の高さ。ディフェンスラインを抜けるラインブレイクをしたプレイヤーにフォローできる運動量の多さ。
メンタル面に加えて、ほぼ全ての要素で負け始めてしまう。
それでもトライだけを許していない状況。意地でもトライだけは取られないという強い意志がギリギリの所で勝利の可能性を残していた。
スクラムからターンオーバーされて敵ボールに、タックルされながらパスを出すオフロードパスが繋がる。ラインブレイクを許すも、フルバックがゴール手前、二十二メートルラインで止め、ギリギリの攻防が続く。
交代しようにもゴール近くに十分以上もいれば、変えようにも変えられない。
交代しただけでトライを取られかねない。そんな状況が続く。
シンが出ることなく、時計の針は進む。
例年よりも気温が低いとはいえ、既に何十分と戦った後。
全員の疲労が色濃く出て、汗を大量に流し、呼吸を整えるのも辛くなる。
湯気が見えるほど稼働させた体躯でラストを迎える。地獄のラスト十分を。
Bチームの監督が動いた。
グラウンドを見ていた監督がベンチにいる選手へと身体を向ける。
これは。これはきっとあれだ。
――僕を。
監督が手に持ったタブレットをジーっと眺める。
――どうか僕を。
監督がペンでタブレットに何かを記載した後、選手へと視線を送った。
「ダニエル、トミー、ルカ。前列の三人と交代だ。ポジションはお前たちに任せる」
フォーワードから読み上げられ、十六番から十八番のジャージを着た三人が返事をする。
バックスの番号はリザーブの番号でも後半。なら、自然と名前を呼ばれるのも後半。
どうか。この試合に。
――出て、何をしたい?
自分の中で、何かが崩れる音がした。
凍りついたようにシンは目を見開く。
――どうして、ラグビーをする?
ただ、楽しかった昔とは違う。
――どうして、試合に出たい?
少し出来ただけで褒められていた、昔とは違う。
――ただ、痛いだけのスポーツを、――――どうして?
怪我は普通に練習中でもする。
突き指程度ならテーピングして無理矢理、練習に参加する。
肩が痺れて熱くなっても気のせいだと頭に言い聞かせる。
目に肘が飛んできても、足をスパイクで踏まれても、練習はもちろん試合も続く。
誰かが倒れていても、すぐに試合は止まらない。命に関わるものでない限り、基本的に選手たちは自分たちの意思でグラウンドに残り続ける。
何のために?
何のために、そんなに痛い思いをして、努力を続ける。
何のために、過酷な試合に出場して、自分はパスを出す。
一体、何のために……。
――――努力して、ラグビーをする。
ロクに努力をしてきた訳でも、ラグビーに向き合ってもいなかったくせに。
途端に、シンは見開いていた瞳に恐怖が宿った。
足が竦み、足元から冷たい冷気が忍び寄ってくる。
足が動かない。喉が硬直して、声が出せない。
「バックスはハーフの、……シン、どうした?」
監督がシンの異常に気が付いて。
そして、手が震えているのを見て、口を閉ざした。
「いや、何でもない。アレックス、ロニーと交代だ。フィンをフルバックにして、アレックスはウィングに入ってくれ」
ハーフの次のポジションを呼ばれる。シンのポジションを飛ばして。
チームメイトが胡乱な視線を向けてくる中で、シンは自分のことが嫌いになっていた。
今、どこかで呼ばれなかったことに安堵していた。
監督がグラウンドに視線を戻した途端に、脚の硬直が解かれ、声が出た。
シンは来ていた服を強く握り締める。
すると監督は試合を見詰めたまま「シン」と呼んだ。
呼ばれて、無意識にシンは顔を上げる。
「試合が、ラグビーが怖いか?」
監督に図星を突かれて、シンは黙り込む。
「……私は君のプレイと無口なところを見て、大人びているのだと思っていた」
シンは叱責の言葉ではなく、全く別の話題にキョトンとなった。
「最初に比べてあまり練習も、プレイのキレもなくなっていたことに気が付いてはいたが、君は何も言ってこなかった。だから、そこまでの問題ではないのだと思っていた」
ただ、静謐に。
「だが、君は、自己主張が苦手な、ただの少年だったことを私は忘れていたようだ」
抑揚なく、監督は言葉を紡ぐ。
「まずは何を悩んでいて、何をしたいのか、人の助けも得ながら考えてきなさい」
それは抑揚がなくて、冷たい言葉にも感じられたけれど。
「試合に、いや、ラグビーをするのはそれからでも遅くはないはずだ」
自分のために言葉を選んでいることが伝わってきた。
シンはどうにか込み上げてくる気持ちを押さえ込んで。
そのせいか、監督に返答出来ずにいると、
「――そうだ。私としたことが君に言い忘れていた」
監督は振り返り、ニヤリと笑みを浮かべた。
「今でも私は、いや、チームは君を高く評価している。それは覚えておいて欲しい」
その言葉と同時にBチームがトライを挙げて、二トライ差まで縮める。
シンは上がった歓声に被せるように、小さく「はい」と声を漏らした。
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