天敵

 部屋に戻ってから、クリカの様子が少し妙だなと悠は感じている。

 変にそわそわとしていて、なにかと悠の方をじっと見ているのだ。しかし悠がクリカを見ると、まるで視線を逸らすかのように別の事をしてごまかし始める。


「あのっ、何?」


 さすがに気になって、悠は訊ねる。これでは課題に集中できない。


「えっ? いやっ、何でもないよー」


 明らかに何かあるという風に、クリカは誤魔化した。嘘をつくのが下手すぎると、悠は内心苦笑する。


「無理には聞かないけど、相談に乗るよ」


「なんである前提で話し進めるのさ! なんにもないってば!」


 本人がそう言い切るのだから、悠には何もできない。言いづらそうにしているところを見ると、それなりに込み入った話なのかもしれないと悠は考えた。

 それならば、無理に聞き出すのは忍びない。


「飯でも作るか……」


 少し早い時間だが、このままでは勉強にならないので気持ちを切り替える事にした。

 台所に立ち、仕切り代わりのロールスクリーンを下ろす。これが無いと油が部屋に飛んで行ってしまう事に最近気づいた。

 そのために自分が取り付けた物のはずなのに、悠はつい昨日までこのロールスクリーンの存在を知らなかった。

 こういう些細な記憶の喪失が、悠を地味に落ち込ませる。


「何とかならないもんかな……」


 気を取り直して、冷蔵庫を開けながらメニューを考えていると、唐突にクリカが声を上げた。


「真阿連くん! なんか変だよ!」


 いや、さっきから十分変だぞと思いつつも、口には出せないので代わりに「どうした」と声をかける悠。

 スクリーンをよけて部屋を覗くと、クリカが上着を羽織っていた。


「あのビル、何かに襲われてる!」


 ビルと聞いて悠がすぐに思い浮かべるのは、ついさっき訪れたアムリの廃ビルだ。


「どういう事?」


「一応、向こうに監視用のシンカーを一匹おいてきたんだ。それが―――」


 クリカの足元で、小型のシンカーが顔を出していた。


「行こう!」


 悠の言葉にうなずいて、クリカは手を差し出した。悠がそれを掴むと、二人は深界に落ちる。

 すでに場所は分かっているので、シンカーに乗って直行した。

 ものの十分ほどで、商店街に到着。瞬間、頭上の夜空に何か巨大な影が横切ったのを悠は見た。


「何かいる!」


「浮上するよ!」


 クリカの号令で、シンカーが地上に出る。二人はすぐさまシンカーから飛び降りて、空飛ぶ影を追いかけた。

 クリカが気づいたとおりビルは襲撃を受けている様で、その上空を複数の影が旋回していた。

 それは蛇の様な長い胴に四本の羽が生えた奇怪なシルエットをしていた。


「空飛ぶ蛇か……」


 宇宙人の次は怪獣かと、悠はめまいを感じる様だった。どんどん日常が、怪異に侵食されている。

 怪獣はアムリタの花を狙っている様で、アムリタ自身が空にツルを伸ばして、敵を迎撃しようと戦っていた。

 その様子を、ビル前の路上でアムリが不安そうに見上げている。


「アムリさん!」


 二人が駆け寄ると、アムリは慌てた様子ながらもどこか安堵したように出迎えた。


「あぁ、良かった。お二人とも、来てくださったんですね!」


「あれはいったい何なの?」


「ナーバガンという、アムリタの天敵です。あれはアムリタの花を食べてしまうんです!」


「花を食べる……」


 悠はビルの屋上に咲いた一凛の巨大花を見る。とても食べたいとは思わない様な毒々しい見た目なのだが、確かに食いではありそうだなとそんな事を思ってしまう。


「あの、こんな事をお二人にお願いするのは、お門違いだって分かってます。

けど……」


 不安そうに言い淀むアムリの肩を、クリカが叩いた。


「いいよ。あんなのが飛んでたら、こっちだって困るしね」


 アムリの表情が安堵でいっぱいになった。


「ああ、良かった。ありがとうございます。私の力では、けん制するのが精いっぱいで……」


 なるほどなと、悠はアムリタを見上げた。ツルが伸びる距離には限度があるのだろう。上空を自在に飛び回る相手は、まさしく天敵なのだ。アムリタにとっても、アムリにとっても。


「ちょっと行ってくる」


 そう言って、クリカは跳躍した。更に蹴って、上へ上へと飛翔していく。

 突然現れた闖入者ちんにゅうしゃに、ナーバガンたちが吠え立てる。優先して排除するべき相手と判断したのか、襲う目標をアムリタからクリカへと移した。


「人が一生懸命育てたもの横取りするとか、マジでないってのっ!」


 向かい来るナーバガンの頭めがけて、クリカは拳を放った。打たれた箇所から泡となって消失し、ナーバガンは墜落する。

 脅威としては大したことが無い相手だが、唯一注意すべきはその鋭利な牙。地球の蛇と同様に毒があるような気がして、クリカは相手の噛みつきには注意を払う。

 数は七匹ほどいる。一度に複数の敵に襲い掛かられると、クリカも回避に専念せざるを得ない。

 空中を巧みに蹴り上げて移動しながら、クリカは確実に一匹ずつ仕留めていく。

 その様子を、アムリと悠はハラハラしながら見つめていた。


「苦戦してますかね?」


 不安そうなアムリに、悠は「大丈夫」と元気づける。


「クリカさんは強い。だから、信じましょう」


 そう言いつつも、悠自身やはり見てるしかない自分に嫌気がさす。もし自分もクリカと同じ能力者だったなら、今すぐあそこへ飛び込んで助けに行くのにと。

 そんな二人の死角から、新手のナーバガンが襲い掛かった。

 気配をいち早く察知し、悠はアムリを抱えて地面に倒れた。


「危ないっ!」


 二人が倒れた直後、その真上をナーバガンの身体が通過した。


「なんだアイツ、大きいぞ!」


 悠は顔を上げて襲撃者の姿を目にした途端、慄いた。

 他のナーバガンが一メートルほどしかないのに対し、二人を襲った個体は十メートル以上もの長さがあったのだ。

 頭の大きさもかなりのもので、悠の上半身くらいならば丸まる口の中に納められそうだった。通常の個体など、頭の大きさはせいぜい大人の拳ほどしかない。

 明らかに他の個体よりも大きかった。


「あれが親玉ってことか」


 ちらりと悠はクリカの様子を窺う。戻って来るにはもう少しかかりそうだ。

 ここは自分が何とかしなければ。旋回して引き返してくる敵の姿を前に、悠は覚悟を決める。

 アムリを立ち上がらせて、彼女の手を引く。悠が取れる手段は一つ。


「逃げましょう!」


 アムリもそれに異論は無かった。悠と共に走りながら、彼女は地面に何かを撒く。


「こっちだ!」


 悠がアムリの身体を抱き寄せて、脇道に飛び込んだ。そのすぐ横を、ナーバガンの頭が通過する。

 二人が飛び込んだのは路地とも呼べない細い隙間。ナーバガンの巨大な体躯ではまず入って来れないだろうと、悠は一息つく。


「ふぅ、なんとかなったか」


「ごめんなさい。私のせいで、こんな……」


 申し訳なさそうに謝るアムリへ、悠は気休めの言葉をかける。


「そんな。アムリさんのせいじゃないでしょう」


 アムリはかぶりを振る。


「いいえ。私のせいです。私とアムリタが原因です」


「どういうことです?」


「きっと、アムリタのマナが奴らを引き寄せてしまったんです。私がちゃんと、領域を閉じていなかったせいで……あぁ、どうして! ここまで来れば、追ってこないと思ったのに!」


 ひどく追い詰められた様子で、アムリは頭を抱えた。


「アムリさん、落ち着いて」


「……ごめんなさい」


 一瞬取り乱しかけたアムリは、悠の声で何とか冷静さを保つ。


「貴女は、奴らに追われているのか?」


 悠の問いに、アムリは重い空気をまとう。


「私だけじゃありません。ドライアナ人全てが奴らの標的なんです。

 昼にもお話ししたとおり、アムリタと私の種族は共生関係にあります。アムリタが絶えるという事は、私たちも滅びるという事なのです」


「だからアムリタの天敵であるあの怪物は、君たちの敵でもあるのか」


「そうです。かつてあった先祖の母星は、奴らによって滅ぼされたと聞いています。それ以降ドライアナ人は宇宙中に散らばって、奴らの手が届かない安住の地を求めて旅をしてきました。私もその一人……」


「だから貴女はここに来たのか。安住の地を、ここに定めて」


 アムリは頷く。


「誓って、この星に迷惑をかけるつもりはありませんでした。私は、両親以外に同族を見た事はありません。私たちは、滅びゆく種族なのです。それはもう仕方のない事だと分かっています。だからせめて安全に暮らせるこの場所で、静かに生きていきたかった。ただ、それだけなんです」


「アムリさん……」


 彼女の苦悩を、悠には察する事ができない。想像はできるが、あくまでもそこまでだ。故郷を滅ぼされ、旅を続けてきた。そんな話があまりにも遠い出来事の様で、悠には共感するだけ失礼な気がした。


「やはり、別宇宙への移住は間違いだったのかもしれません。私のせいでこの街に、不要な混乱をいくつも招いてしまっている」


 ここを出ていくと覚悟を決めたようなアムリが、悠には不憫でならない。


「領域を完全に閉じた今、マナっていうのは外に漏れだしていないんでしょう?」


「ええ。それは間違いなく」


「なら、出ていく必要はないんじゃないかな。あいつ等を追い返して、こういう事が二度と起こらない様にすればいい。一度や二度の失敗で、諦める事も無いよ」

 悠の言葉に、アムリは意外そうにする。


「貴方は、地球人として余所者の私が邪魔だとは思わないんですか?」


「難しい問題だけど、僕は少なくとも思わない。宇宙は、そもそも誰のものでもないんだ。この地球には人間以外にもいろんな生物がいて、共存したり戦ったりしてる。その中にアムリさん一人くらい増えたって、ちょっとくらい許されるんじゃないかな」


「貴方は―――」


 信じられないという驚きの表情で、アムリが何かを言いかけたその時、二人の頭上で唐突に破壊音が轟いた。

 見上げると、ナーバガンが無理やり顔を突っ込んで、二人に向かってきている。


「まずいっ! 外へ!」


 悠はアムリの手を引いて、再び大通りに飛び出した。

 ナーバガンは両側の外壁を破壊しながら、二人を追って無理やり路地から抜け出す。

 直後、横から飛び出したシンカーが、飛び出して来たナーバガンの首元に噛みついた。


「ジシャアアアアアアアアッ!」


 うめく様な悲鳴をあげて、ナーバガンが墜落する。噛みついたシンカーをはがそうと、地面の上で暴れ出した。

 それはまるで、巨大な鞭が暴れている様。その巨体で周囲の建物を容赦なく破壊する。それは悠たちにも当たりそうな勢いだった。

 逃げるに逃げられず、悠は背後にアムリを庇う。


「このままだと街が……」


 悠は窮地に追い込まれて焦りを感じている。もうすでに通りはめちゃくちゃになっていた。そのうち電柱の一二本はなぎ倒す勢いだ。自分たちもいつ巻き込まれるか分からない。


「私のせいで……これ以上は!」


 アムリが地面に手を添えた。

 直後、アスファルトを突き破っていくつもの植物が飛び出した。それらのツルがナーバガンの身体にまとわりつき、拘束する。


「これは君の力なのか?」


 まさに植物を操る力。彼女も異次元人なのだと、悠は感心する。

 しかし、アムリは苦い顔をしていた。


「やはり、これではもたない……」


 ツルがぶちぶちと音を立て始めている。ナーバガンの力が、ツルの拘束力を上回っているのだ。


「ここにいるのは危ない。とりあえず離れましょう」


「はい!」


 拘束が解ける前に退避しようと、悠とアムリは駆けだした。

 瞬間、ナーバガンがツルを引き裂いてしっぽを振るった。ツルを割いた反動か、より強烈な一撃を周囲の外壁に叩き込み、反対側へと跳ね返る。その軌道上に、アムリがいた。


「危ないっ!」


 悠が背後からアムリを突き飛ばした。代わりに前へ出た悠は、飛んできたしっぽの餌食となる。


「ぐっは―――!」


 体の中にあるモノ全てが外へぶっ飛んでいくような衝撃を体に受けて、悠はそのまま壁に叩きつけられた。

 視界が点滅し、鼻腔の奥で血の匂いが香る。それでも悠は何とか意識を保っている。

 すぐ近くに居るはずなのに、アムリの悲鳴が遠くから聞こえる様だった。


「とりゃああああああああっ!」


 唐突に、天上から雄たけびのような声が轟いた。

 アムリが頭上を見上げると、クリカが落下してくるのが見えた。

 飛び蹴りならぬ落下蹴りが、ナーバガンの頭蓋にさく裂する。衝撃はそのまま頭蓋を砕き、一気に頭部を泡状に分解させた。

 爆ぜる様に頭部を失い、ナーバガンの身体は身震いの様に震えて沈黙した。頭部の分解が身体にまで及び、ナーバガンは少しずつ消滅していく。


「二人とも無事?」


 クリカの問いに、アムリが勢いよく首を振った。彼女の青い顔を見て、クリカも状況を察する。しっぽと壁の間に挟まれている悠の姿を視認し、すぐに駆け寄った。


「真阿連くんっ!」


「ああ、クリカさん。助かったよ」


 消え入るような声でそう言って、悠はナイスと親指を立てる。


「いや、絶対助かってないって!」


 しっぽをぶん投げて、クリカは悠を救出する。

 クリカに抱えられながら、悠はアムリの無事を確認して喜んだ。


「良かった。なんともなくて」


「良くないですよ。どうして、そんな無茶を……」


 泣きそうな顔で、アムリは悠に駆け寄った。


「ほんとに無茶。真阿連くんは自分が普通の人だって自覚をもって」


 クリカにまで叱られてしまい、悠は困った風に笑った。


「ごめん。必死だったからつい」


「本当に、お二人にはなんとお礼を言って良いか……」


「今回は間違いなくあの花が原因なんだし、私としては気にするなって言うのもちょっと無理って感じなんだけど」


 悠の事もあるからか、クリカは厳しい目を向けた。つい半日前に誓った以上、アムリもそれを重く受け止める。


「はい。返す言葉もございません」


 深々と頭を下げるアムリを見て、悠はなんだか不憫に思った。今回の事に限って言えば、彼女もまた被害者だ。


「アムリさん、アイツらはまた現れると思う?」


 悠の問いに、アムリはかぶりを振る。


「いいえ。お約束します。もう絶対に、奴らをこの地へは呼び込みません」


「どうして言い切れるの?」


 クリカは少し疑っているようだった。


「奴らは、アムリタの放つマナに引き寄せられてきたのです。私が昼間、領域を閉じるのを忘れてしまったせいで、感知されてしまったのでしょう。今後は、このような事は二度と起こらないと誓います。領域を開く必要ももうありませんから」


「だから、許してあげてもいいんじゃないかな?」


 悠がクリカに伺いを立てる。クリカは少し不満げに息を吐いた。


「真阿連くん甘すぎ。でもまあ、君が許すっていうなら、私は構わないよ」


 それを聞いて、アムリは胸をなでおろす。


「本当に、ありがとうございます。この恩は、必ずいつかお返しします」


 深く頭を下げて二人に感謝するアムリ。彼女はそれから悠に近づいて、その頬に口づけをした。


「ええーっ!」


 悠の隣で見ていたクリカの方が、激しく動揺する。

 あまりにも急な事で何をされたのかも瞬時に理解できなかった悠は、ようやく事態を呑み込んで顔を赤らめた。


「な、なっ、な?」


 なんで? そんな言葉も出ないほど放心する悠に、アムリはほほ笑んだ。


「貴方様は、命の恩人ですから」


 ほんの少し照れくさそうにして、目を伏せながらアムリはそう告げた。


「ふーん」


 クリカがこれまで見せた事も無いような冷めた目で悠を見る。


「えっ? なに? どういう目なのそれ!」


 悠にはクリカの反応こそ理解できない。

 深く深く頭を下げたアムリに見送られて、二人は帰るために深界へと潜った。

 帰りの道中、シンカーの上でクリカが言った。


「なんか、真阿連くんって異次元人にあまいよね」


「そうかな?」


 悠にはあまりそういう感覚が無い。


「アムリさんは人に近いし、攻撃的じゃないから分かるけどさ、この前なんてバージェット相手にも、おとなしく退けなんて言ってなかったっけ?」


 どこか疑う様なクリカの視線に気づいて、悠は困る。本当に意識はしていないのだ。


「そうだな。やっぱり僕は、クリカさんに戦ってほしくないからだと思う」


「そんなこと?」


 意外そうに、クリカは目を丸めた。


「大事なことだよ。僕はクリカさんにだって、傷ついてほしくないんだから」


「……」


 クリカがそっぽを向いた。いらぬ気づかいで彼女を怒らせてしまったかなと、悠は少し不安になる。


「あー、お腹すいた! 帰ったらご飯にしよっ」


 突然空気を打ち壊すように、クリカが叫んだ。


「真阿連くん、今日のご飯は?」


「シャケと豆腐です」


「納豆もつけて!」


「良いよ」


「やった!」


 喜ぶクリカを見て、悠も嬉しくなる。悠としてはただひたすらに、彼女がこうして笑っていられる環境が続けばいいなと、願うばかりだった。

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