異次元人の少女
「私たちの事を宇宙人と呼ぶのは、正確ではないかもしれませんね」
三階への階段を上がりながら、先導するアムリはそんな事を言った。
三階は二階と違って綺麗に掃除されており、扉も新しいものがついていた。
部屋は半洋室、半和室の作りになっており、家具も一通り揃っている。アムリがここで生活しているのか、真新しい生活の痕跡があった。
それだけみれば普通の部屋だが、悠たちを困惑させるのはやはり植物のツルだ。
びっしりと並んだ太いツルが、天井でドーム型になっている。天井は突き抜けているのか妙に高く、照明の代わりに巨大な実の様なものがドームの頂点で光を放っていた。
花の腹の中にいるようだと、妙な感想が悠の中に浮かぶ。
アムリは二人を、和室スペースに座らせた。ちゃぶ台に、アムリは煎餅の入った器と、湯呑を置く。
アムリが着物を着ているせいか、悠は一瞬昭和にでもタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。彼女が宇宙人だとすれば、ずいぶんと染まっているなと感じた。
「宇宙人というのは、この宇宙の中の、別の惑星から来た存在を指す言葉なのでしょう? 私たちはマルチバースを超越した存在。貴方たちの感覚からすれば、別世界の宇宙から来た存在なのです」
急須で緑茶を注ぎ、アムリは二人の前に湯呑を並べる。
「別世界の宇宙……」
クリカがやや戸惑ったように呟いた。
ずいぶんとスケールの広い話になって来たなと、悠も困惑する。
「ですから私たちの事は、異世界人。もしくは異次元人と、そう呼ぶのが正しいでしょう」
「名前なんか、別にどうでもよくない?」
クリカの反応に、アムリは残念そうな顔でかぶりを振った。
「いいえ。大事な事です。意味のない言語は存在しない。名前もまた同じです。言葉は名を生み、名は言葉を生む。私は、あなた方人類が作った美しい言葉が好きなのです。そのあなた達が、それをないがしろにするのは悲しい」
アムリはそばに置いてあった国語辞典を手に取り、表紙をなぞる。辞典を見る彼女の表情は、慈しむような優しいものだと悠は感じた。
「なら貴女は、人類に対して敵意などないはず。なぜ、この町の人々に危害を加えるのです?」
悠の問いに、アムリは驚いた様子だった。
「えっ? そんな。私はそんな事―――」
否定するアムリ。
クリカはそんな彼女を疑う様に見ながら、上を指さした。
「なら、この花は何なの?」
思うところがあるのか、アムリはその指摘を否定はしなかった。
「この花は、アムリタと言います。私たちドライアナ人は、この花と共存関係にあるのです。この花がないと、私は生きていけない。アムリタが、私に最適な環境を作り出してくれるのです」
一見害のなさそうな話だったが、悠は「環境を作る」という発言が気になった。
「もし間違ってたらすみません。もしかしてアムリタとは、ある種のテラフォーミング装置なのでは?」
悠の推測に、アムリは頷いた。
「はい。お察しの通りです。この花は、根付いた環境を私たちの住みよい環境に作り替えるという特性があります」
「やっぱり! 敵意がないなんて嘘じゃん!」
アムリを敵とみなし始めているクリカに、アムリは慌てだす。
「い、いえ。本当にあなた方を害する気はないのです」
「その気がないとしても、僕ら人類は地球の環境を勝手に変えられることは望まない。それは分かってほしい」
悠の言葉に、アムリは強く「もちろんです」と同意した。
「ですから、アムリタの影響が及ぶのはこの建物の敷地内だけに制限しています。外から来られたあなた方になら分かるはず。アムリタのツルは、他の建物には侵食していなかったはずです」
確かにと、悠は納得する。びっしりと建物が並んだこの商店街の中で、この廃ビルだけにしか巨大花の影響は及んでいなかった。
「この建物の中は、アムリタのおかげで私の領域となっています。ここでは世界からの干渉もある程度は防げるのです。けれど、ビルの外では普通に力が使えたでしょう? それがアムリタをここに隔離している証明になるはずです」
アムリはクリカに問いかける。
その辺の事は悠には感知できない話だったが、クリカの難しい顔からなんとなくアムリが本当のことを言っているのだと分かった。
「貴女の言い分は分かりました。ただ、街に影響が出ているのは確かなんです。この花の花粉とかに、人を眠くさせるような効果はありませんか?」
悠がそう言った途端、アムリの顔が青ざめた。
「あっ! ああ……も、申し訳ございません!」
すっと後ろに下がると、アムリは額を畳に押しつけて謝りだした。
「それは完全に私の失態です! 今すぐ、対処いたします!」
アムリは体を起こすと、手を叩いた。開いた彼女の手の中には、光る印の様なものが浮かぶ。それがふっと消えた瞬間、周囲の空気が変わった事を悠は感じ取った。
「いったい何が?」
「じ、実は……」
言いにくそうにアムリが視線を逸らす。彼女がはじめて言い淀んだ。
「言いなさい!」
クリカがビシッとアムリに指を突き立てる。
「は、はいぃ! 実は、アムリタは本来マナを吸収して育つ植物なのです。ただ、そのマナがこの世界にはないので……代わりに周囲の生命力をちょっと吸収したりして……」
「いや、なにしてくれてんの!」
より当りのきつくなったクリカに、アムリは必死に弁明する。
「ち、違うのです。吸収といっても、ほんのちょっといただくだけで、生命に関わる事は無いのです。ちょっと疲れて眠くなったりするくらいで」
自分がこの町に入った途端、急に眠くなった原因はそれかと悠は理解する。
「つまり今のは、アムリタが生命力を吸うのを抑制したと?」
「はい。アムリタを完全に私の領域で隔離しました。アムリタの影響が外に漏れる事は絶対にありません」
「けど、生命力を吸収しないと、生きていけない植物なのでは?」
悠の疑問を、アムリは否定した。
「マナが必要なのは成長の間だけです。花が完全に開けば、アムリタ自身がマナを発生させるので、領域内に閉じ込めておけば霧散せずに自給自足ができるようになります。満開にはまだわずかに足りませんが、おそらくもう大丈夫でしょう。
本当は夜の間だけ、生命力をいただくようにしていたのですが、つい領域を閉じるのを忘れてしまって。ご迷惑をおかけして、ほんとうに申し訳ございません」
再び深々とアムリは頭を下げた。
「どうだろうか?」
悠はクリカを見た。悠としてはクリカが戦わなくて良い平和的な解決が一番だ。アムリに嘘を言っているような様子も無く、地球に害がない存在なら無理に排除する必要はないと考えている。
ただ、あくまでも地球の守護者はクリカであり、彼女には宇宙人もとい異次元人を排除しなければならない理由がある事も、悠は理解している。
最終的な判断は、クリカに任せるつもりだった。
クリカもその意思を受け取って、頷く。
「念を押すようだけど、この花がここに咲いていても、本当に外には害がないんだね?」
「はい。お約束いたします。万が一にも何かあれば、その時は守護者である貴女の沙汰に従う事を誓います」
アムリは真っ直ぐにクリカを見て、言い切った。
「分かった。貴女の事を信じる。ただ一つ。私は、今この世界に何か影響を与えている存在について調べてる。問題なのは、その影響が何なのかが分からない事。分かっているのは、世界が改変されたという事実だけ。貴女の花は環境を変えてしまうそうだけど、私はそれが原因じゃないかってにらんでる」
クリカの言葉を真剣な表情で聞くアムリは、一つの見解を示した。
「それがアムリタで無いとは断言できません。ただ、私にも心当たりがあります」
「どんな事でも良い。教えて」
「はい。それは、我々異次元人がこの地球に来ている訳、そのものでもあります。空間に穴が開いている―――いえ、それでは不適切です。どちらかといえば扉。そう。別の宇宙とこの都市をつなぐ扉があるのです」
「扉?」
「はい。空間に開いた綻びのようなものと申しましょうか。恐らく最近になって現れたものでしょう。それが現れた事で、外なる者たちがこの星に来訪しやすくなっています。私が地球に来ることができたのも、そのおかげでした」
「その空間は、人為的に開いたものなのか?」
悠の疑問を、アムリは肯定する。
「可能性はあるでしょう。異次元人たちの中には、高度な科学力や能力を備えた者たちも少なくありません。そういった存在の中には、高次元への干渉を行える者もいます。もちろん、彼らはそれだけ強大な存在でもあります。私なんかとは比べ物にならないほどに」
強大な存在、そう聞いて悠は不安に駆られた。悠の視線は自然と、クリカに向く。クリカの様子は、平然と見えた。
「貴女や黒犬が地球に現れた原因は、その綻びのせいって事か」
「ええ。多くの異次元人がこの地球に来訪しようとしているでしょう。すでに来ている者たちも多いかと」
「そう。ありがとう。参考になった」
クリカは立ち上がる。
「とりあえず、貴女たちについては保留にしとく。真阿連くん、帰ろう」
「分かった」
クリカが良いならと、悠は立ち上がる。そんな彼を、アムリは引き止めた。
「お優しい方。どうか、これを持って行ってください」
アムリは悠の手の中になにかを差し入れる。それは、試験管のようなガラスの管だった。中には銀色の液体がほんのわずかに入っていて、コルクで栓がされている。
「これは?」
「アムリタの露です。どんな傷も癒すことができます。あまりとれないので、量は少ないですが」
おそらく貴重なものなのだろうという事は、悠にもわかる。本当に数滴分の雫を集めた量しか入っていないからだ。
「こんな貴重そうな物、もらってしまっていいんですか?」
「はい。貴方は余所者である私に、対話する姿勢を示してくださいました。敵とみなしてもおかしくない状況だったのに。その心に対する、これは感謝の様なものとお考え下さい」
「ありがとうございます。大事にします」
こんな友好的な宇宙人もいるのかと、悠は少しだけ嬉しくなった。争わなくていいのなら、やはりそれが一番だと思う。
アムリに見送られ、二人は部屋を後にする。
ふと、一つの疑問が浮かんでクリカは足を止めた。
「ごめん真阿連くん。ちょっと下で待ってて」
「分かった」
悠と別れ、クリカは部屋に引き返した。
戻って来たクリカに少し驚きながら、アムリは「どうしましたか?」と出迎えた。
「ごめんなさい。もう一つだけ、教えてほしい」
「何でしょう」
「どうして貴女たち異次元人には、私の姿が見えているの?」
「ああ、そうですか。やはり……」
腑に落ちたという様子で、アムリは頷く。
「仮に人類が存在する次元を3次元としたとき、貴女が今存在しているのは3.2次元の世界。何かの影響で、少しだけ立っているべき位置からずれてしまっているのでしょう。
原則として、高次元に存在する者は、下の次元の者たちを観測できます。逆は不可能なのです。だから人類には、貴女を観測することはできない。我々異次元人が人類に感知されないか、されてもあいまいになってしまうのもそのせいです」
「……ありがとう。参考になった」
礼を告げて、クリカは部屋を後にする。
クリカがビルを出ると、さっきまでの静けさが嘘の様に商店街は活気にあふれていた。
通りには人が行き交い、シャッターが閉まっていたはずの商店街は営業を始めている。
「なんていうか、びっくりする変わり様だよね」
悠が街の様子を見て苦笑する。
特に騒ぎになっている様子もない。アムリタの影響から解放された途端、街の人々は何の違和感もなく普通の生活に戻った様子だった。
「そうだね……」
「お昼は何か買っていこうよ……クリカさん?」
戻って来たクリカの様子が少し暗い事に気づいて、悠は心配する。
「ああ、ごめん。何でもないよ。行こう」
クリカは悠の背を軽く叩いて、歩き出す。悠は腑に落ちないながらも、その後に続いた。
「視えるのは、異次元人だけか……」
嘆く様なクリカの呟きを、悠は聞き逃した。
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