巨大花

 バージェットを倒してから二日が経った。

 監視を続けた結果その間に黒犬の発生は確認されず、悠とクリカはひとまずこの件が解決したものと判断した。

 二人は黒犬の件からとりあえず解放された安心感から、部屋でくつろいでいた。学業と侵略者への対応を両立するというハードな日々を過ごしていた二人にとっては、初めてゆっくりとできる日曜日だ。


「良かった。あの火事、けが人は出てないんだって」


 新聞を広げたクリカが、ほっと胸をなでおろす。

 戦いの際に燃えた建物は、無人の倉庫と廃屋だったらしい。この数日、クリカはそればかりを気にしていた。

 悠が気になるのは、クリカが持っている新聞。悠は新聞を取っていないので、この部屋に有るはずもないのだが。


「クリカさん、それどこから持ってきたの?」


「えっ? 一階の古紙箱からちょっと借りてきた」


 要はゴミ捨て場から拾ってきたという事だ。通りで二日も前のニュースを読んでいるわけだと、悠は納得する。


「たしか、ゴミ捨て場から物を持ち去ると、窃盗罪になるって聞いたことあるな」


「えっ! マジっ? いや、これは借りてきただけ。後でちゃんと返すから!」


 あたふたと慌てだしたクリカが微笑ましくて、悠はつい笑ってしまう。少しからかっただけのつもりなのだが、真面目なクリカには結構効いてしまう様だ。


「結局、バージェットはクリカさんが解決すべき対象では無かったって事なのかな」


 火事の話が出たところで、悠は話を切り出した。そもそもの目的は、クリカが宇宙人より依頼されたという、地球の改変を探る事にある。

 当初からクリカが考えていた通り、黒犬バージェットはその”改変”の原因ではなかったようだ。

 世界には未だ何の変化もなく、クリカに備わった守護者としての能力も、認知されないという呪いも継続されたままである。


「そもそも、改変っていうのがなんだか分からないとね」


 クリカも難しい顔をする。


「それなんだよね。他に手掛かりはないの?」


 悠は彼女が何か思い出したりしていないかと期待をしたが、クリカはかぶりを振った。


「いいや。前に話した以上の事は、宇宙人から言われてないしね」


「宇宙人か……そもそも、バージェットが原因じゃないなら、あんなのがこの辺に他にも潜んでるって事になる。そんな何人も宇宙人なんて居るものなのかな?」


「それな。あんなの一人でいいっていうの」


 どこかうんざりとした口調で、クリカは同意する。


「あーもうっ! モヤモヤしてきもちわるい! せめて指示は明確にしろっての!」


 宇宙人への愚直をこぼして、クリカは寝っ転がる。


「あっ!」


 唐突に、クリカが大きな声をあげた。


「なに、どうしたの?」


 何事かと心配する悠に、再び起き上がったクリカは新聞を見せた。


「真阿連くん、これ見て!」


 クリカが指さしたのは、新聞に載った一枚の写真だった。カラーの写真で、どこかの商店街を映したものだ。記事の内容も老舗の煎餅屋を紹介するなんてことのない普通の風景だが、明らかに見て分かる異常がそこには映っていた。


「なんだこれ……」

 

   ◇


 地上二駅、地下鉄一駅を経て、二人は橋神町という地に降り立った。件の写真に写っていた商店街の最寄り駅だ。

 駅を出てすぐに、橋神町商店街と書かれたアーチ看板に出迎えられる。二人の目的地は、おそらくこの商店街の中にあるはずだった。

 二人は商店街に入った途端、その違和感に気づく。休日にも関わらず、街に人の気配がないのだ。


「なんか、静かすぎない?」


 クリカの意見に、悠も同意した。


「うん。静かすぎる」


 通行人はおろか、商店街の住民の気配もない。シャッターは全て下ろされ、営業している店は全く無かった。

 二人に侵略者の気配を感じさせるのには、十分過ぎるほど奇妙な空気が一帯を満たしている。

 ふいに、悠が体勢を崩す。膝をついた彼を、クリカは心配した。


「どうしたの、真阿連くん!」


「ごめん。なんか……すごく眠い」


 理性では抗えないほどの強烈な眠気に襲われて、悠はその場で眠ってしまいそうになる。

 そんな悠のでん部に、突然強烈な痛みが走った。


「いってぇーっ!」


 飛び上がった悠が振り向くと、顔を出したシンカーがいた。どうやらお尻をかじられたらしい。


「あははははははははっ!」


 そばで始終を見ていたクリカは、腹を抱えて大爆笑。


「笑うなよ。めちゃくちゃ痛かったんだから」


 痛いやら恥ずかしいやらで抗議する悠。


「あははっ―――ご、ごめん。でもっ、あー可笑おかし」


 息も絶え絶えといった様子で、なおも笑い続けるクリカ。どうやらツボに入ったらしい。

 二人のやり取りを見て、シンカーが申し訳なさそうに項垂れる。


「別に怒ってないよ。助けようとしてくれたんだもんね。ありがとう」


 噛まれた痛みで、悠を襲った眠気は綺麗さっぱり消えていた。悠が感謝を伝えると、嬉しそうにパシャパシャと跳ねて、シンカーは深界へと戻っていった。


「行こう。やっぱりここは何か変だ」


 守護者に備わった免疫力なのか、クリカには異常がない様だった。自分だけを襲った不可解な眠気が、街の静けさの正体なのではないかと悠は推測する。


「う、うん。そうだね」


 ようやく落ち着いたクリカもうなずいて、二人は目的地を探し始めた。

 写真の情報を頼りに、二人は割とあっさりと、目当ての物にたどり着くことができた。


「本当にあるのか、これ……」


 写真に写っていた異常。その実物を目の当たりにして、悠は驚愕する。

 三階建てのビルが、丸まる巨大な植物に侵食されていた。太いツルに絡まれて、窓も隙間も無い。屋上には見たことも無いような巨大な花が咲いていて、周囲の日照権を堂々と侵害していた。


「いや、衝撃で言ったら黒犬以上なんだけど……」


 悠よりもずっと宇宙人との遭遇歴があるクリカも、そんな感想を口にするほど現実離れした光景だった。

 そしてやはり、地域住民はこれを感知していないか、しても気にしていないのだろう。こんな歪なものが存在しながら、街の様子は至って穏やかだ。


「中に入ってみよう」


 クリカが提案する。


「大丈夫かな?」


「私には免疫があるみたいだから、たぶん平気。真阿連くんは、ここで待っていてもいいよ」


「そうさせてもらおうかな。足手まといになっても嫌だし」


 荒事をクリカ任せにしてしまうのは忍びなかったが、事実悠は全くの無力で、下手をすると悠のせいでクリカを危険にさらす可能性もある。

 バージェットとの戦闘を間近で体験した今、悠はその辺を弁えるべきだと考えていた。


「必要ないと思うけど、何かあったら叫んで。助けに行くから」


「オッケー。じゃ、行ってくる」


 軽い調子でそう言い残し、クリカはビルへと侵入を試みる。

 ビルの入り口は厚いツルで覆われていたが、それをいつもの様に分解してこじ開けた。

 ビル一階は階段の入り口と駐車スペースだけで、部屋があるのは二階からという構造になっている。

 入ってすぐ現れる階段をのぼり、クリカは二階の部屋を覗いた。ドアは外れて床に倒れている。元々廃屋だったのか、中に家具などはなく、壁紙や床材はカビて剥がれかけていた。そこに天井や壁を突き抜けて無数のツルが飛び出し、部屋の中は混沌としていた。

 クリカは警戒しながら部屋の中へと入る。

 すると、それまで静止していたツルが突然ずるずると動き出した。まるで彼女を出迎えるように、天井から花が下りてくる。

 ツルの先に咲いた黄色い花は、直径六十センチほどの大輪だ。

 まるで顎門あぎとの様な形状の柱頭が、クリカを威嚇する。

 花に敵意があるのだと即座に理解し、臨戦態勢に入るクリカ。

 直後、複数の方向からツルが伸びて襲い掛かってきた。

 向かってきたツルを手で払う。


「―――っ?」


 いつもと違う感触に違和感を感じたクリカは、次いで迫って来たツルを攻撃し、その理由に気づいた。


「っ! 能力が、どうして!」


 触れてもツルを分解できない。彼女の能力が発動しなくなっていた。

 ここに入る時には確かに使えていたのだ。いったいどのタイミングから? クリカは攻撃を避けながら理由を考える。

 彼女が持つ唯一の攻撃手段である分解能力。それが封じられてしまった今、どうやってもクリカには敵を倒す手段がない。

 一時的な撤退も考え、クリカは深界への穴を開こうと試みる。しかし、それも失敗に終わった。

 動揺する彼女の足に、ツルが絡みつく。


「しまった! ―――きゃあっ!」


 そのままツルに引きずられ、クリカは真っ逆さまに吊り上げられた。


    ◇


「たーすーけーてぇー!」


 クリカの悲鳴が聞こえ、悠は急いでビルの階段を駆け上った。


「クリカさんっ!」


 部屋に入った悠の目に飛び込んできたのは、複数のツルに絡まれて逆さ吊りになっているクリカの姿だった。

 スカートも盛大にめくれ、その下の物が堂々と露になっている。

 悠は咄嗟に目を覆って、顔を背けた。


「く、クリカさん、どうしてそんな事に?」


「もうそんなの気にしないから、早く助けてぇー!」


 投げやり気味な訴えからクリカが限界に近いのだと悟って、悠は精神を切り替える。


「シンカー! クリカさんを助けて!」


 悠の足元から、シンカーが飛び上がる。シンカーがその身を叩きつけると、クリカを拘束していたツルが一斉にちぎれた。


「あぶないっ!」


 悠はクリカの真下に滑り込み、頭から落下した彼女を受け止める。

 二人を拘束しようとツルが再び迫ってきたが、それより先にシンカーが花に噛みついた。花を強引に付け根からちぎり取ると、動いていたツルが一斉に力を失ったように垂れ下がる。


「た、助かったぁー。シンカーは呼べるのかぁ」


 ほっと胸をなでおろすクリカ。思わぬ盲点だったと、彼女は自分の失策を反省した。


「クリカさん、ケガとかない?」


 落下したクリカを、悠は彼女の下から気遣った。

 悠を下敷きにしている事に気づいて、クリカはすぐさま飛び上がる。


「うわっ! ごめん! 真阿連くんこそ、大丈夫?」


「うん。大丈夫」


 クリカに起こされて、悠も立ち上がる。床に視線を向けると、一仕事終えたシンカーが優雅に泳いでいた。


「シンカーのおかげで助かったね」


 悠の言葉にクリカは頷く。


「ホントにね。ありがとう」


 シンカーが応じる様に、くるくると回る。


「さすが霊獣さんですね。私の領域にいとも簡単に侵入するなんて」


 聞き慣れない声に、二人は即座に反応して振り向いた。

 いつの間にか、入り口に少女が立っていた。萌黄色の着物を着た、悠らとそれほど齢の変わらない女の子。

 クリカは咄嗟に悠を背後に庇い、身構える。


「あんた、何者?」


「私はアムリと申します」


 クリカの問いに、少女は穏やかな仕草で辞儀をしながら答えた。それは少女が、クリカを認識しているという事。

 一見悠たちと同い歳の人間の少女にしか見えないが、彼女の頭部には左右に角があった。それが悠には、花の蕾の様に思えた。


「アムリさん。君は、宇宙人なのか?」


 悠の問いを聞いて、アムリはのどかにほほ笑んだ。


「立ち話もなんですから、よかったら」


 アムリは手を添えて、上階の方へと二人を促す。

 宇宙人からの意外な申し出に、二人は思わず顔を見合わせた。

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