黒炎怪人バージェット

 そこに宇宙人がいた。

 黒犬と同じ様な漆黒の体色と、金属質のボディ。頭の形もどことなくイヌ科の様である。しかし確かにそれは人型で、着ぐるみやコスプレというにはあまりにも人間離れした骨格をしていた。

 関節の節々からはやはり紫の炎を猛らせていて、その攻撃的な見た目と彼自身の放つ殺意によって、圧倒的な存在感を放っている。

 悠にはその姿が、怪物にも、漫画のヒーローの様にも見えた。


「あんたが、黒犬の親玉?」


 クリカに問われた瞬間、宇宙人はぶちぎれた。


「あんだとっ! ふざけるなっ! オレを犬と呼んだか、おんなっ!」


 宇宙人の纏う炎が一層激しさを増す。十メートル以上離れているというのに、すぐ近くで炎が燃えているかのような熱気を悠たちは感じていた。


「犬ってのは、お前らが飼いならす下等生物の事だろうが! 俺はお前ら人間を糧とする。お前らよりも高度な存在だ! バージェット! 俺の事はそう呼べっ!」


 宇宙人は猛りながら名乗りを上げる。その発言で、対話による和解の余地は無いなと悠は悟った。


「糧、とはどういう意味だ?」


 答えてくれるとは思っていなかったが、悠は問いただす。


「てめえらの造った言語で話してんだぞ! 分からねえってどういうことだよ! 餌って事だよ! 俺の種族はな、てめえら人類のような下等生物のメンタル体を食らう。ここは湿気た星だが、お前らはなかなか悪くねえ。無駄に感情豊かでずいぶんと生き辛そうだがよ、俺にとってはそいつが丁度いいごちそうよ」


 怒りながらも、律儀にバージェットは目的を明かす。


「僕ら人類はそれを望まない。このまま何もせず、帰ってもらう事はできないか?」


「そりゃ無理だろ。そういうのはよ、強い立場の奴が言うセリフだぜ。強者は俺。弱者はてめぇだろうがよ!」


 悠の提案を、バージェットはね付ける。悠自身、聞き入れてもらえるとは思っていなかった。彼の心配事は、クリカがこの後こいつと戦うという事。

 当のクリカ本人は、すでに覚悟を決めている。


「無駄だよ。こいつはもう何人も食ってる。さっきの子だって……あんな小さな子を襲うなんて!」


「はんっ! 知るかそんなもん。幼体だろうが成体だろうが、俺にとってはただの飯だ。お前らの事情なんか気にするかよ」


「そういう事。だからこいつは、生かして帰せない」


 静かな闘気をまとうクリカを、バージェットは笑う。悠にはそれが、不敵な笑みに見えた。


「何だ、おんな。俺とやる気か?」


 軽く構えをとるバージェット。完全に侮っている敵へ、クリカは強く踏み込んだ。その接近が、応答の代わり。すでに言葉は無用だと。


「≪イルフレルマーシャ≫!」


 それまでの言葉とは打って変わって、バージェットはひどく聞き取り辛い声音で呪文めいた言葉を唱えた。

 同時に、彼の手から火球が放たれる。バスケットボール大の火の球を、連続して発射した。

 弾丸のごとくバージェットへと迫るクリカは、飛んでくる火球を全て手で払い消した。

 彼女の手に触れた途端、火球すらもキューブ状の泡に分解される。

 それにはバージェットも驚く。

 すでにクリカは彼を間合いに入れていた。


「クッ!」


 クリカが放った掌底打ちを、ギリギリで回避するバージェット。

 バージェットの両腕の形状が変化し、爪のような刃が伸びる。


「≪バンザッ!≫」


 バージェットが両腕を振り下ろすと同時に、不可視の刃がクリカを襲う。

 微かな風の流れからそれを感知して、クリカはそれを手刀で受けた。

 彼女の手に触れた途端、それは同じ様にキューブ状の泡となって霧散する。


「強い……」


 悠は思わずつぶやいた。これほどの力がクリカにあったとは驚きだ。

 それは、対峙するバージェットも同じこと。人類と侮っていた分、悠以上に衝撃を受けていた。


「≪バ、バルルフォズオールナジャサテーシタ≫!」


 言語こそ理解できずとも、悠にもバージェットが怯えているのが伝わって来た。

 クリカはただ静かに、一歩|踏み出す。バージェットが一歩引いた。


「お前、いったい何者だ!」


 バージェットが再び、人間の言葉でクリカに問う。

 クリカは静かに、また一歩踏み出した。


「くっ!」


 退けないとばかりに、バージェットは腕を振り上げた。

 異常な速度で腕を振るい、いくつもの斬撃をクリカへ飛ばす。

 わずかに軌道をそれた斬撃が、川底を抉り、橋の欄干を両断する。悠のすぐ近くにまで飛んできた斬撃は、コンクリートの堤防を削り取って破壊した。


「うわぁっ!」


 飛び散ったコンクリート片をかぶりながら、悠はその場にしゃがみ込んだ。立っていればそれだけ巻き込まれる確率が高くなる。

 しかしその攻撃を向けられているはずのクリカは、全くの無傷だった。

 迫る斬撃をすべて払い消して、バージェットへと迫る。

 バージェット自身、相手を間合いに入れれば、その瞬間に自分もその力で分解される事には気づいている。気づいているのだが、すでにクリカは目前まで迫っていた。


「くそっ! ≪バールフレイマスティディーカ≫!」


 斬撃を止め、至近距離での火炎爆破攻撃に切り替える。

 クリカの目の前に現れる火の塊。回避するのは距離的に不可能。

 バージェットは火を浴びたところでダメージなど負いはしない。勝ったと確信する。

 ―――が、クリカの判断は早かった。

 避けられないとすぐさま判断し、クリカはその炎が膨れる前に握りつぶした。

 彼女の手の中で、爆破の火種は泡となって消える。

 バージェットとクリカの間に隔たるものは、もう何もない。

 クリカは逆袈裟に、バージェットの胴体をえぐり取った。


「グィヤアアアアアアアッ!」


 悲鳴をあげながら、バージェットは大きく跳躍してクリカから距離をとる。

 バージェットの胴体に、コバルトブルーの光が斜めに走っていた。光り輝く抉られた傷が広がり、キューブ状の泡となって彼の胴体を崩壊させていく。

 しかし、わずかに浅い。致命傷にはなっていない。

 それはバージェットの機敏な動きから、戦闘に参加していない悠にも理解できた。

 とどめを打とうと、クリカが動く。

 彼女の足に力が入るのを見て、バージェットは逃げ出した。

 川沿いに、一目散に走りだす。


「っ!」


 クリカもわずかに遅れて追いかける。

 外野で見ていた悠には、追い詰められたバージェットが逃げ出す選択は予想の一つとしてあった。

 しかしクリカからしてみれば、あれほど威勢の良かったバージェットが、背を向けてがむしゃらに逃走する事など、微塵にも考えていなかったのである。


「シンカー!」


 悠が呼ぶと、シンカーが深界から顔を出す。


「お願い。クリカさんを追ってくれ!」


 その背に乗って、悠は両者を追跡した。シンカーは浮上したまま、地上を滑走する。

 同じように、クリカも光の軌道を描きながら、水上を滑走していた。走っているバージェットよりも、はるかに速度がある。

 追いつかれると判断して、バージェットは逃走を諦めた。

 立ち止まり、最大火力で迎え撃つ。


「≪ヘイルフレイストメーフビィーシャ≫!」


 閃光。追跡していた二人の視界が、音もなく白一色に覆われた。


「シンカーァァァッ!」


 光の中で、悠はクリカの叫びを聞いた。直後、悠を乗せたシンカーは深界へと潜航する。

 悠の頭上で、紫の炎が爆ぜた。川全体を埋め尽くすほどの火炎流が、滝のようにバージェットの腕から流れ出す。


「うわああああっ!」


 火炎流の影響外に居る悠が、思わず叫んでしまうほどの脅威だった。それはさながら、全てを呑み込む火の津波。

 生き物であれば本能的に恐怖する自然災害の類だ。

 炎が止んだ時、川の水は蒸発していた。

 中州は煤けて黒く染まり、植物は全て焼失。

 火炎流の勢いは川の外にまで影響を及ぼし、両岸の建物に燃え移り始めている。

 そんな地獄の様な状況の中で、クリカは無傷で立っていた。

 持てる力をすべて出し切り、まとう炎すらも弱弱しく揺れているバージェット。

 勝敗は既に決定的だった。

 周囲が騒がしくなりつつあった。火事に、地域住民たちが反応し始めたのだ。

 それと同時に聞こえてくるのは、叫びと悲鳴。嘆く声。この戦闘による被害が、街に不要な混乱を招いている。

 クリカは唇を噛み締めた。


「オイオイッ! おいおいおいっ! ふざけんな。どうしてお前がそんな顔をするんだ? 勝ってんのは、お前の方だろうがよ!」


 バージェットは苛立ちに吠える。

 追い詰められている自分よりも、はるかにクリカが悔しそうにしている事が癇に障った。


「私はやっぱり、ヒーローにはなれない」


「何の話をしてんだよ!」


 バージェットが再び斬撃を放つ。炎を出す力は既に無く、彼に残された攻撃手段はこれだけだった。

 ほぼ同時に不規則に放たれた斬撃は、クリカの対応範囲を超えて彼女の身体を傷つける。

 しかし、クリカ自身最初から避けるつもりがない。彼女の目的は、バージェットへと迫る事。

 間合いに入った。バージェットが後退するよりも早く、クリカの手がバージェットの頭を貫く。


「―――ブゲェッ」


 潰れたような悲鳴を上げて、キューブ状に細かく分解されながら爆ぜるバージェット。彼の存在は光の粒子となって完全に消え去った。


「クリカさん! 大丈夫?」


 浮上したシンカーから、悠が駆け寄る。

 クリカは振り向いて、彼に笑顔を向けた。


「平気へーき。完勝だぜぃ!」

 

その姿を見て、悠は言葉を失った。

 悲しい事に耐えながら、無理やりに笑うその表情があまりに痛々しかった。悠はそれに似た顔を彼女がするのを昨夜も見ている。

 自分の認識がずっと甘い事を、悠は思い知らされた。倶利伽羅星来は、漫画の中から出てきたスーパーヒーローなどではないのだと。

 妙な事に巻き込まれてしまっただけの、ただの普通の女の子だったのだと。

 ただカラ元気で、地球の守護者を演じているだけに過ぎない。

 そこにあまりにも期待をかけすぎてしまった事を、悠は後悔した。


「クリカさん。血、出てるよ」


 彼女の足や腕についた切り傷からは血が垂れていた。痛ましくそれを見る悠に、クリカは明るく返す。


「大丈夫。こんなの浅い傷だから」


「ダメだよ。ちゃんとしなきゃ痕になっちゃう。帰ったらご飯の前に手当だね」


 帰ろうと、悠が手を差し出す。クリカはきょとんとして、それから嬉しそうに微笑んでその手を取った。


「真阿連くん、なんかご褒美に作ってよ」


「いいけど、材料しだいかな。もう買い物いけないし」


「オムライスがいいなー、なんて」


「あー、それならいけるかも」


「おっ、やったぁ! 約束だからね!」


「はいはい」


 はしゃぐクリカを見て、悠は少しだけ安心した。それがカラ元気か、本心からなのかは判断がつかなかったが、まだ笑えているだけ彼女は大丈夫だと思ったのだ。

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