追跡

 放課後、悠はクリカに提案した。


「これから黒犬の行動範囲を調べようと思うんだけど、どうかな?」


「行動範囲?」


「うん。実は昼休みの間に、生徒から黒犬について話を聞いてきたんだ。クリカさんと違ってあいつらは存在を隠そうともしてない。必ず噂になってると思ってね」


 意外な積極性に、クリカは目を見張る。


「いないと思ったら、そんなことしてたんだ。それで?」


「予想通り。結構噂になってたよ。都市伝説っていうのかな。場所を特定した話はあんまりなかったんだけど、それでも黒湯崎町と尊桜寺で襲われている人を見たって話が。隣り合った町だし、昨日の夜行ったところも尊桜寺の端あたりだ。もしかしたらあの辺に、敵の活動拠点とかあるんじゃないかな」


「そこまで考えてたんだ。すごいじゃん。真阿連くん探偵みたい。てか、そんな行動力あるのに何で友達いないのさ」


「なんでなんだろうねー」


 言ってて悲しくなる悠。ただ、いちいち記憶喪失になったと説明しなくていいだけ、親しい人間がいなかったのは良かったのかもしれないとも思う。


「なら、せっかくだしその辺り調べてみようよ」


「うん。行こう」


 二人はシンカーに乗って、噂の地である黒湯崎町へと移動した。悠の部屋がある地域の隣街なので、それほど学校からも距離は離れていない。


「さてと……」


 到着するなり、悠はリュックからメモ帳とペンを取り出した。


「それで何するの?」


「小道具かな。学生がこういうの持って、都市伝説調べてるんですって言えば、話してくれそうじゃない?」


 意外とちゃっかりしている悠に、クリカは苦笑する。


「やっぱり、真阿連くんって変わってるね」


「そうかな?」


 本人としてはあまり自覚がない。


「そうだよ。けど、頼もしいよ。さっ、始めよ」


 クリカと悠は地域住民に聞き込みを開始する。噂話が好きそうな婦人や、小学生など話してくれそうな相手を選び、噂を集めていく。

 そうして二人は、黒湯崎町から尊桜寺を横断するように移動していった。


「しっかし連中、本当に隠れる気がないな」


 数ページびっしりと埋まったメモ帳を見て、悠は呆れたようにつぶやいた。

 もはや周知の事実と言い切って差し支えないほど、黒犬の話は浸透していた。目撃例も数知れず。宇宙人だの侵略者だのは、人目を忍んで行動する物とばかり思っていたのだが、本物はそうでもないらしい。


「それ、どうするつもりなの?」


 一見乱雑に集まったような情報の束を前に、クリカは難しい顔をする。


「帰ったら、これを地図と照らし合わせよう。黒犬がどこに現れるのか分布が作れれば、敵の行動の癖とか、潜伏先とかが絞れるかもしれない。正直、最初は適当にいろんな場所に現れているのかと思ってた。けど、これを見るだけでもだいぶ偏りがありそうだ」


「なるほど。そういうやり方もあるのか。私なんかには思いつかなかったよ」


「これまではどうしていたの?」


「シンカーをいくつか偵察に回して、発見次第私が倒すって感じかな。確かに、この地域一帯に集中しているのはなんとなく感じてたよ。ただね――」


 クリカは困った風に肩をすくめた。

 人に感知されない彼女には、悠のような他人を頼る調査は不可能なのだ。シンカーを使った偵察が、彼女のできる最大限の情報戦略だった。


「真阿連くんがいてくれて助かるよ」


「まだ分かんないよ。それはこいつが成果をあげてから」


 悠はひらひらとメモ帳を振る。

 手探りでやっている事なので、徒労に終わる可能性もなくはないと悠は考えている。

 足跡を追うこの方法は、相手がどれだけ迂闊うかつに行動してくれているかが成否を分ける。そういう意味では、隠れる気配の全くない様子にうまくいきそうな予感はある。

 ふと、悠は通りの端に黒い影を見た。昨夜追いかけられたのと同じ姿の兵士である。昨日の記憶がぶり返し、悠は身震いをした。


「どうしたの?」


 立ち止まった悠を気にするクリカは、彼の視線の先にいるものを見て納得する。


「ああ、徒庁の警邏けいら隊か」


 警察でも自衛隊でもない、悠にとっては未知の存在を、クリカは当たり前のように認識していた。


警邏隊けいらたい? あの兵隊みたいなの、何なの?」


「法律を取り締まってるんだよ」


「法律? そりゃ警察の仕事だろう」 


「ええっと、何だっけ? せいしょーねんけんぜん何ちゃらってヤツ。ああ、ちょうどあるじゃん。これだよ」


 クリカがコンクリート塀に貼られたポスターを指す。

 未成年への注意喚起を目的に貼られているらしいそのポスターには、法律によって定められていると思しき項目が箇条書きにされていた。


 ・未成年者の19時以降の夜間外室を禁ずる。

 ・上記に違反する可能性がある部活動の禁止。

 ・ゲーム・漫画・アニメーション・検閲外の映像作品、楽曲、書籍等の視聴および所持の禁止。

 ・許可証の無い未成年者の携帯端末所持の禁止。

 ・インターネットに接続可能な機器の未成年による個人所有の禁止。

 ・修学日以外の未成年だけでの外出禁止。

 ・未成年者による生活必需品以外の物品購入を制限。販売者側にも厳しく制限を設ける。また、19時以降は未成年に対しての全ての品物の提供を禁止する。

 ・未成年の異性交遊を固く禁ずる。

 ・都指定の枠から外れた過度な服装、装飾、頭髪、化粧の規制。

 ・緊急の場合を除き、未成年への声かけ、接触する行為の規制。

 ・違反が確認された場合、更生施設での指導を義務とする。


 目を疑う内容に、悠は嫌悪感をあらわにする。


「なんだこれは……」


「なんかあった?」


 全く疑問視する素振りの無いクリカに、悠は異質な目を向けた。


「いや、だってこれ、おかしいでしょ!」


 ポスターの異常を指摘する悠に、クリカはそんな事かと頷いた。


「ああ、まあ、言いたいことは分かるよ。けどしょうがないじゃん。そういう国に生まれたんだしさ。大人になるまで我慢だよ」


「いや、僕が言いたいのはそういう事じゃなくて―――」


「まあ、持ち物まで規制されるのとかは、ふざけるなーって正直思うけどさ。私らが生まれる前からこんなだし、もう諦めるしかないじゃん?」


「生まれる前?」


 それが本当ならば、十六年以上前からこの状態だったという事になるが、悠の中にはそんな常識は存在しない。

 常識を疑え。そんな言葉が脳裏をよぎる。しかし比較する情報が悠の脳から欠落している以上、目の前の現実を否定できない。

 自分がただ納得できなくて、目の前の物事を違和感だと勝手に変換しているだけなのか。


「おかしいのは、僕か?」


 改めて、悠は自分の中に残った記憶すらも否定された気分になった。何を信じればいいのか、分からなくなる。

 電気屋の前を通りがかった。陳列窓のテレビでは夕方のニュースを放映している。大統領の文字に目がとまり、悠は足を止めた。

 映っている場所は、庁舎の一階にある会見スペース。大勢の記者に囲まれて、女性が話をしていた。

 都大統領、白金麗子。

 そう書かれたテロップが、女性の肩書を示している。

 若者たちに対する強固な支配体制を築いた政府と、そのトップ。悠にはそれが、得体のしれないものに感じられた。



   ◇



 部屋に戻った悠は、集めた情報を基に黒犬の出現分布を作り始めた。

 一帯の地図上に、赤いシールを張っていく。これが黒犬の目撃情報があった場所である。

 そしてクリカの記憶を頼りに、実際に黒犬と遭遇した場所を青いシールで示す。


「できた。これで全てだ」


 悠がすべてのシールを貼り終えた事を宣言する。


「ここ、すごい事になってるね」


 のぞき込んでいたクリカは、街同士の境を流れる河川をなぞった。

 シールの分布はかなりの広範囲をまばらに飛んでいたが、そのほとんどは明らかに河川沿いに集中していた。

 噂である以上は誤った情報も当然存在するだろうが、それを考慮してもそこに何かあると確信できるほどに集中している。

 その中でも特に固まった地域に指で円をなぞる悠。


「ここだ。数が多いだけじゃなく、分布の中心点にもなってる。この辺りに、黒犬の巣、もしくはクリカさんの睨んでいた様な飼い主がいるのかもしれない」

 悠が指し示す範囲から放射状に分布が広がっていくが、その形に偏りはない。


「これはつまり、この地点が黒犬の発生源である可能性が高いって事か」


 クリカも悠の予測に納得する。


「調査してみる価値はあるんじゃないかな」


「うん。行ってみよう」


 シンカーを使って二人は移動する。人目を避けるために、範囲内にあるマンションの屋上へ浮上した。

 住宅地の真中な様で、手すりから下を見れば民家が集中して並んでいる。

 幼稚園のお迎えなのか、通りを歩く親子が見えた。

 ふと、悠は自分の家族について考える。そこに関しても記憶はやはり無い。おそらくは存在するのだろうが、所在も連絡先も不明。こんな自分を仮に親族が知ったら、どんな反応をするのだろうかと気が重くなった。

 そして同時に、クリカの家族についても気になる。本人は家出の様なものといったが、人に感知されなくなってしまった事が、その原因だったのではないかと。


「そういえばクリカさん、何日も家に帰ってないんでしょ? その、家族と

かって―――」


 言っている途中で、クリカが酷く嫌そうな顔をしている事に気づいて言葉を止めた。


「別に、真阿連くんが心配するような事じゃないよ。平気。誰も私なんか気にしない。いてもいなくても、一緒なんだもん」


 そう言うクリカの言葉には、少しだけ憎しみがこもっているように悠には感じられた。


「さっ、それより調査でしょ」


 クリカはぱっと明るい表情に戻って、話を逸らした。


「偵察用のシンカーを集中させて、この辺の監視に当たらせてる。何かあればすぐに分かるよ」


「ここからは僕にできる事はないか」


 戦いになれば、悠にできる事は何もない。足手まといになると分かっていても、ついてきたのは見届けたいというわがままだった。自分が展開した推論が、実際にどんな結果になるのかを確かめたかったのだ。


「十分だよ。私一人でうだうだやってたら、ここにたどり着くまでもっとかかってたと思う。その分、犠牲者も増えていたと思うから……」


 クリカが表情を曇らせる。もしかしたら彼女は、自分自身を責めているのかもしれないと、悠は感じた。どうやらクリカは責任感が強い人らしい。


「クリカさんは十分やってるよ。むしろこれだけ周知されていて、騒ぎにもなっていないこの状況がおかしいんだ」


 悠は再び屋上から街を見下ろす。日が暮れかけているにもかかわらず、街には無警戒に歩く人の姿が目立つ。黒犬の事など、まるで知らないかのように。

 事件になっていていいはずなのだ。それだけの認知度がある事を、悠は自身の調査で確認した。

 それなのにニュースにもなってなければ、警察も動いていない。

 作為的とも思える様なこのあまりにも無警戒な街が、悠には不気味に感じられてならない。


「一人で全部の責任を背負う事はないよ。地球の事は、みんなの問題なんだ」


 街の全員が危機感をもって身を守れば、犠牲者は減ると悠は考える。クリカは一人しかいないのだ。この町全ての人間を救うには手があまりにも足りない。


「それが、私を手伝ってくれる理由?」


「それも一つの理由。だけど一番は、実際にクリカさんが戦ってるところを見たからかな。僕はクリカさんみたいに戦えない。黒犬からあの女の人を守り抜くことはできなかったと思う。下手すれば僕だってやられてた。

 でも、それでも、あいつらから守りたいんだ。あんな怪物に人が襲われてるのを知っちゃったらさ、それで誰かが死ぬのなんて見たくないって思ったんだ。それを解決してくれる人がいるなら、その力に少しでもなりたいと思った。それがみんなを助ける手伝いになるのなら、何でもしようって」


 悠の言葉を聞いていくうちに、クリカの表情はまた曇っていった。

 そんな彼女に気づいて、悠は口を紡ぐ。なにか、不快にさせるような事でも言ってしまったのかと、心配になる。

 クリカが返した言葉は、そんな悠の想像していたものとは少しだけ違った。


「真阿連くんはすごいね。そんな風に思えるなんてすごい。私は、そんな真っ直ぐには考えられないよ」


 不安げに、自信なさげに、クリカは呟いた。


「それって、どういう―――?」


 問う間もなかった。何かに気づいて、瞬時にクリカは手すりを飛び超えて落下したのだ。

 慌てて落下する彼女を目で追うと、クリカは何もない空中を蹴って跳んでいた。蹴り上げられた空間が、一瞬キューブ状の飛沫をあげて爆ぜる。まるで水たまりを踏み飛ぶようなステップで、クリカの姿は遠ざかっていく。

 彼女には地上も空もないらしい。

 追えないもどかしさと戦っていると、ふいに悠の背後で水音がした。振り向くと、シンカーが背中を見せていた。


「乗せてくれるのかい? ありがとう。クリカさんを追ってくれ!」


 いつものように背に乗って、深界へと潜水する。

 障害物の無い移動経路のおかげか、悠はすぐにクリカに追いついた。

 はるか上空を飛行する彼女の姿を、異空間の中から視認する。

 ふいに、女性の下を通過した。子供を探しているようで、“ようくん”としきりに呼んでいる。

 その訳を、悠はすぐに察した。自分たちの向かう方向に、四歳くらいの男の子がいた。なぜか堤防の下にいて、その目の前には例の黒犬がいる。

 クリカが何に反応したのかを理解し、悠はシンカーを急かす。


「シンカー! 全速力でいい。あの子を助けてくれ!」


 グッとスピードが上がり、悠は振り落とされないように背中へとしがみつく。

 黒犬が男の子に噛みつく寸前で、横からシンカーがさらった。

 大きく跳び上がったシンカーは、男の子を口にくわえて宙を舞う。

 そのまま堤防の上まで上りきったところで、シンカーは男の子を放した。悠はシンカーの背から飛び降りて、それを受け止める。

 幸いケガはない様だった。大泣きする男の子を悠はあやす。


「おー、よしよし。怖かったね。もう大丈夫だから」


 堤防の下を見ると、クリカが既に黒犬と戦っていた。


「ようちゃんっ!」


 悠が振り返ると、そこに男の子の母親がいた。彼女も黒犬の存在に気づいて、顔を強張らせる。


「逃げてください!」


 悠は男の子を母親に返し、避難を促す。母親は軽く頭を下げると、子供を抱えて一目散に逃げて行った。

 その背中を見送り、悠は堤防の下へと視線を戻す。すでに黒犬を倒した後だった。クリカの足元で、黒犬の死体が分解されている。


「お疲れ!」


「ナイスアシスト!」


 悠が下に降りると、クリカが拳を突き出した。悠はそれに応じて拳を打つ。


「―――ほう、お前らかい。俺の捕食器を潰して回ってんのは」


 唐突に川の方から声がした。その気配を感じた瞬間、二人は同時に身構える。相手が敵であることを瞬時に認識した。

 黒犬で奇怪な存在には慣れたつもりだった悠は、その認識が誤りであったことを理解する。その姿を一目見た瞬間、悠の常識が吹き飛んだ。

 そこに宇宙人が立っていた。

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