学校
目覚めたとき記憶が戻っているのではないかと淡い期待を抱いていた悠は、覚醒早々に期待を裏切られて落胆するという、なんとも気持ちの良くない朝を迎える事となった。
時計の短針は六時を指している。あの後二人が眠りについたのは四時。実質二時間しか寝ていない。
ベッドから下りようとして、悠は慌てて足をひっこめた。すぐ下でクリカが寝ている。
夜更かしの上に、連続で怪物と戦闘を繰り広げるというハードな夜だったのだ。自分と違ってしばらく起きる事はないだろうと、静かに悠は移動する。
悠の悩みは、目下のところ学校へ行くか否かという選択だった。
今日は木曜日。通常なら学校へ行っているはずなのだが、そもそも悠には行き方が分からない。
しかも、こんな状況でのんきに学生なんてやっていて大丈夫なものかという不安もある。
地球が黒犬の様な怪物に侵略されてしまったら、それこそ学生もへったくれもない。
「朝飯作ろ」
悩んだ末に結局、現実逃避。いやいや、手を動かしてるうちにいろいろ考えるんだと自分に言い訳をしながら、お湯を沸かす。
その音でクリカが目を覚ました。
「おはよー」
「おはよう。パン焼くけど食べる?」
「いただくー」
「了解」
朝食はトーストとインスタント味噌汁。それらを用意し終わるころには、クリカもすっかり覚醒していた。
「二時間ばっかりで大丈夫?」
睡眠時間の事を指摘すると、クリカは「別に」と平気そうに返す。
「学校行かなきゃだし。最悪昼休みにでも寝るよ」
「学校行くの?」
少し意外で、悠は驚く。
「そりゃあ、行っても出席つかないけどさ。授業に置いてかれるのはマズいっしょ」
至極まっとうな言い分に、なんだか悠は感心してしまった。
「意外と真面目なんだね」
「意外って何だ、意外って」
ジト目で訴えるクリカの圧を、悠は愛想笑いで受け流す。
見た目の印象というのはなかなか強力で、クリカの場合は特に癖が強い。髪の色は一見黒く見えるが、染めているのか光の加減で青く見えたりもする。耳には無数のピアスが刺さっていて、瞳はカラーコンタクトなのか自然の色ではない。目つきは凛々しいと言えば聞こえはいいが、ややきつめで強い印象がある。
人によってはお近づきになりたくないような強烈さがあるのだが、話してみると意外と真面目で礼儀正しい。それを悠は、まるで犬がニャーと鳴いたぐらいのギャップとして受け止めていた。
「事件が解決すれば元の生活に戻るんだから、そっちをないがしろにする訳にはいかないじゃん?」
「そうだね。クリカさんの言うとおりだよ」
時計を見ると、七時になりそうなところだった。
「実は学校の行き方が分からないんだけど、時間って大丈夫かな?」
「ん? ああ、平気へーき。シンカー使っていこうよ」
「ああ、なるほど」
地球を守るための超能力をそんな雑事に使って良いのだろうかとも一瞬思ったが、クリカが良いというのなら問題はないのだろう。
朝食を済ませ、登校の準備を終えた二人は、昨夜と同じ方法で異空間に移動した。シンカ―の背ビレに捕まって、学校まで乗せて行ってもらう。
「私ここの事、深界って呼んでるんだ」
移動中、クリカが唐突に言った。
「海?」
「いや、深い世界で深界。なんかそれっぽいでしょ」
「確かにそれっぽい」
「ここにいるシンカーたちってさ、なんか幽霊みたいな見た目じゃん? でもさ、ちゃんと言葉が通じるし、意思の疎通できるんだよ」
「そうなんだ」
悠は自分が捕まっているシンカーを見た。とても話の通じる相手には見えないが、現にこうして二人を乗せてちゃんと目的地まで移動するのだ。それなりに知能の高い存在なのだろうと、考察する。
「シンカーって名前も、クリカさんがつけたの?」
「いや、それは私じゃない。宇宙人に力をもらった時に、なんかそういう知識みたいなものも漠然ともらったみたい」
ずいぶんと融通の利く宇宙人だな、なんて感想を抱く悠。彼女の持つ戦闘能力も、そういった要素に起因しているのかもしれなかった。同い年の女子があれだけ強烈なハイキックを怪物にかます姿は、いまだに悠には現実と思えない。
そうこうしているうちに、シンカーは浮上して二人を人気のない校舎の隅へと連れて行く。
「ありがとう、シンカー」
さっきの事もあってか、悠はシンカーに礼を言う気になった。すると、シンカーは背中だけを浮上させたまま、その場をぐるぐると回り出した。
それを見て、クリカが感心する。
「へぇ、こんなの初めて見た。真阿連くん、懐かれたんじゃない?」
「そうなのかな。だとしたら、ちょっと嬉しいな」
この不思議生物に愛着がわき始めている悠は、その背中をそっと撫でて別れを告げる。
記憶を失ってから初めての学校は、悠が想像していたよりも抵抗感の無いものだった。やはり潜在的な記憶が存在するのか、この場にいる事に違和感はない。
ただ、同級生たちの顔を見てもまったく覚えがなかった。クリカを同級生と認識できなかったのと同じで、人に関する記憶はなくなっている様だ。
ぼうっと教室の様子を観察していると、一人の女子生徒が近づいてきた。
生真面目そうな表情をしているが、整った顔立ちをしていて、かけている眼鏡も相まって静謐で知的な印象を受ける。きっちりと制服を着こなすその少女は、いかにも学級委員長という肩書が似合いそうな雰囲気で、実際その通りらしかった。
「これ、真阿連君が休んでいた間のプリントです。こっちのは期限が過ぎているので、今日中にお願いします」
極めて事務的な口調で、少女は告げる。あまりにも外見と役職がマッチしているので、悠はおかしくなってしまった。
口の端を緩ませる彼に気づいて、少女は怪訝な顔をする。
「何か?」
「いや、何でもないよ。ごめん。あの、一つ聞いて良いかな?」
「何でしょう?」
「僕って、どれくらい休んでいる事になってるの?」
本来なら自分が一番把握しているであろう質問なのだが、悠は彼女に聞いてみた。やはり怪訝な顔はされたが、彼女はきっちり答えてくれた。
「二週間ほど。正確な日数は、私も把握していません」
「そっか。ありがとう。変なこと聞いて」
「いえ。それでは」
軽く会釈して、委員長は去っていく。あまり関わりのない相手なのか、そういう性格なのか、終始事務的だったなと悠は感じる。
「それにしても二週間か……」
目覚めたのは昨日の事だ。二週間もあの部屋で眠っていたとは考えにくい。
「これはどういう事なんだ?」
「どうしたの?」
ひょこりと表れたクリカは、机の上に置かれたプリントを見て納得したように頷いた。
「ああ、文化祭のスケジュール。記憶ないんだもんね」
「いや、別にこれで悩んでたわけじゃないよ。これはさっき、委員長みたいな人が持ってきたもので―――」
「ああ、小林さんね」
どうやら、あの委員長は小林というらしい。
「まあ、
遮るようにチャイムが鳴った。空席なのか、クリカは悠の隣の席に座る。
「詳しい話はあとでね。みんなに見えてないんだから、一人で話してる変な奴だと思われるよ」
クリカは苦笑しながらそんな事を言う。さすがに奇行を周囲に晒すわけにもいかないので、悠も黙る。
出席の点呼では、クリカの名前は出なかった。不在ではなく、最初から居ないという様な扱いになっているらしい。
しかしクリカは確かに悠の隣にいて、授業に向かう一人の生徒として溶け込んでいる。
彼女が他人には見えないという事実が、悠にはなんだか信じられなかった。
休み時間にその事をなんとなく話すと、クリカは慣れた様子で「認識されないってそういう事」と返した。
「あそこに女子が二人いるじゃん?」
クリカが示した方を向くと、女子が二人談笑していた。
「いけっち―――池上さんと田畑さん。二人とは仲良かったんだけど、今は二人とも私の事なんて奇麗さっぱり忘れてる。話題にも出ないんだもん。ヘコむよねー」
わざと陽気に話しているようだったが、無理をしているのが見え見えだった。
「寂しくないの?」
「そりゃ、寂しいに決まってんじゃん」
力なくクリカが笑う。
あえてそんな事を聞く必要もなかったと、悠も自分を責めた。
そんな空気を払しょくするためか、クリカは悠を茶化した。
「てか、朝から見てたけど真阿連くんこそ、友達いなくない?」
「うっ……」
クリカの指摘が悠の胸に刺さった。悠の事は周囲にも見えているはずなのに、誰も声をかけてくる相手がいない。あったのは今朝の委員長との事務的な会話のみ。
悠自身も同級生に関する記憶がないので、特に話しかける用もない。
これはいよいよクリカの見立てが正しいなと、納得するしかない。
「なんか、そうみたい」
「おー、よしよし」
ちょっと泣けてきた悠の頭を、あやす様にクリカが撫でた。
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