星の覚悟
倶利伽羅星来は闇の中で目覚めた。
一切の光は無く、自分自身の姿さえ見えない。
そして、まるで金縛りにあっているかのように動けなかった。指の先一つ動かせないのでは、足搔き様もない。
自分はどうしてこんな場所にいるのだろうか。考えても、彼女には答えが分からない。気を失う前の記憶が飛んでいた。なにも思い出せない。
自分の事はどうかと、思考を巡らせる。
名前は倶利伽羅星来。親しい友人にはクリカと苗字で呼ばせている。星来という名前には、どうも複雑な思いがある。天文学者の父親がつけたその名前を、母親はやや浮ついていると嫌っていたから。
自分の事はどうやらはっきりしている。その事が少しだけ彼女を安心させた。自分が消えてしまう夢。そんなものを、見ていた様な気がしたから。
『目が覚めたか』
唐突に闇の中で声がした。
誰だ? とクリカが心の中でつぶやくと、声の主はそれに応じた。
『すまないが、名乗っている時間は無いんだ。本当に申し訳なく思っている。君を巻き込んでしまって』
口に出さずとも相手に伝わると分かって、クリカは問いかける。
『ねえ、それってどういう事?』
『今、この地球を侵略者が狙っている。そいつは自分の都合のいいようにこの世界を改変させた。それを君に、対応してほしい』
『侵略者? 何言ってんのアンタ。宇宙人が攻めてくるとでもいうわけ?』
『そうだ。もう攻めてきている』
冗談なんて気配はみじんも感じさせずに、声の主は真剣にそう返した。
クリカは呆れた。この人は、頭がどうかしていると。
『ばかげてる。私を拘束して拉致したの?』
『そうではない。すべて、本当のことなんだ』
『そんなの、信じるわけないじゃん!』
ふっと光が現れた。それが自分の手の中にある光だと、クリカは認識する。
『俺の力を君に託す。そのために最低限必要な知識も。今は信じられなくていい。ただその力で身を守ってくれ。いずれ君に再び会いに行く。その時に、全てを話そう』
一方的に言うだけ言って、声の気配は唐突に消えた。
「待ちなよ!」
声が出た。反動で、体が起き上がる。金縛りが解けた様だ。
クリカが周囲を見渡すと、そこは倉庫か何かの様だった。高いところに窓があって、そこから外の光が差し込んでいる。暗い事には変わりないが、さっきまでとは違う。まるで唐突に、どこかからその場所へ瞬間移動でもしたみたいに。
さっきの声の主も、もしかしたら宇宙人だったのではと思う。俗にいう、アブダクションというやつだ。
「ははっ、まさかね」
ばかげているとかぶりを振って、外へ出ようと動き出す。手探りで簡単に扉は見つかった。しかも鍵はかかっていなかった。
見知らぬビルの屋上。クリカが目覚めたのは、その隅に置かれた小さな物置だったらしい。
すぐ近くに、庁舎のタワーが見えた。
「どうして私、こんなところにいるんだろう?」
そうして不思議がりながらも地上へ降りて、彼女は知った。自分が人には見えない存在となっている事を。
最初の夜。すべての始まり。そんな記憶を、彼女は夢に見ていた。
ああ、そうだったと思い出す。自分はあの日、彼に会っていたのだ。
クリカが宇宙人だと思い込んでいた存在は、真阿連悠だった。クリカを消滅から救うために、己の力を貸し与えた。あれはそういう事だったのだと。
クリカは目を覚ました。眼前に広がるのはコバルトブルーの美しい光。
彼女の周囲では、複数のシンカーたちが群れて泳いでいる。それはまるで巨大なカーテン。彼女を守るために彼女の周りを泳ぎ続ける渦だった。
クリカは目を閉じる。今は独りで、ここは安全な場所。ならば沈もうと。
孤独はクリカにとって安息だ。自分の存在で誰も傷つかない。誰も自分を傷つけない。
けれどあの日、クリカは知ってしまった。透明人間になった夜に。
倶利伽羅星来の望む孤独は結局、人の群れの中に居て、初めて成立するのだと。
誰かの傍に居たいのに、一人になりたいのはきっと我儘な事なのだろう。
クリカは孤独が好きなのではなく、人といるのが怖かっただけ。
拒絶されたくない。否定されたくない。それなのに、彼女には家族も友達もいる。
誰かに必要とされたかった。誰かに居て良いよと言ってほしかった。
世界で独りになった代償に、彼女はそれを手に入れた。
守護者。世界を守るモノ。世界のために、君は必要だと言われた気がした。
だから戦っていたのかもしれない。本当はとてもそれが嫌だったけれど。
殴る感触が嫌いだった。誰かを暴力で傷つけるのは好きになれない。人類を守るために、異次元人の命を奪う。そんな行為が自分に許されるものなのか。
地球のため。世界のため。そう自分に言い続けてきたのに。自分には最初からそんな免罪符も無かったんだとクリカは苦悩する。
それは全て借り物だった。世界はクリカの存在を認めたわけではなかった。
それどころか彼の邪魔をしてしまった。自分のせいで、世界はおかしくなってしまった。多くの人が被害を受けた。
すべて自分のせいで起きた事。その罪は、あまりにも重すぎる。
やはり自分は、この世界にはふさわしくないのかもしれない。
もうずっと昔に、それは分かっていたのに。世界から孤立しても、世界に否定されても、消えたくはないと心が叫んでいる。
誰かに、居て良いよと言ってもらいたかった。ここに居て良いと、信じたかった。
「違う、違うだろバカっ!」
クリカは怒鳴る。本当に、心底自分が嫌になる。
ずっとクリカの傍には誰かが居たのに、それを見なかったのは自分だ。
父も、友も、そして悠も、クリカを否定しなかった。
悠は言ったのだ。ここに居て良いと。居てほしいのだと。
理由はどんな物でもいい。残した結果だけが真実なのだと。クリカの戦いは正しかったのだと。
恵まれていたのに、望んでいたものは持っていたのに、結局クリカは自分自身を信じられなかった。自分を肯定しきれなかった。
彼女の痛みは、ただそれだけだったのに。
自分自身の弱さのために、これ以上誰かを傷つけるのなんてうんざりだと思った。
「ああ、そうか。それが、君の覚悟だったんだ……」
いつか、悠が同じことを言っていたのを思い出す。
その覚悟に、クリカは腹を立てた。あの時はそれが理解できなかったが、自分が妬いていたのだと気づいた。
誰かのためにとかそんな理想ではなく、単純に彼がそう言い切れる覚悟に妬いたのだ。
悠が悩んでいたことを、クリカは知っている。記憶がない事で、彼は自分を信じられないと言った。自己肯定感なんて、きっと彼にもなかったのだ。けれど彼は、自分の信じた道を行った。正しいと思う事を常にした。それがきっと、覚悟なのだと今は思う。
それは自分には無かったものと思い込んでいたけれど、有ったはずなのだ。
子供を襲ったバージェットに怒りを感じた時。アムリの花を襲った怪物に苛立ちを感じた時。悠を襲った彼方を許せないと感じた時。いつだって、体は動いた。迷いは無かった。
『無駄だよ。出来損ないのあんたなんかに、できるわけない』
闇が囁く。クリカの中の闇が。
「やってみなくちゃ分からない」
『できなかったら? 失敗したら?』
「いいよ。殴られたって、その方がずっとマシだと思うし」
本当に怖いのは、自分のせいで誰かが傷つく事。自分が戦わないせいで、大切なものが傷つく事。
どうせできないと諦めて、塞ぎ込んで、それで何も変わらない事なんて当然のことなのに。誰かが変えてくれるのを待つなんて、ばかげている。
戦ったから、悠に会った。戦ったから、真実を知る事が出来た。
やった事だけは残る。それは紛れもない真実として。
「どうにもならないかもしれないけど、戦わなかった頃よりずっとマシだって分かったから。私は行くよ」
闇は囁かない。それは最初から、クリカ自身なのだから。
目を開いた先には何もなかった。いつのまにか、クリカは白い光の中にいた。
光以外には何もない場所で、目立つ黒い点が一つ。
黒いスーツを纏う、羊頭の紳士だ。
奇怪なモノには見慣れている。クリカは驚かない。それが何か、直感で分かったから。
「貴方が、守護者の親玉?」
「いいや。私はただのメッセンジャーだ。この宇宙と世界、その意思を代弁する装置に過ぎない。守護者もまた、その一部だというだけだ」
「この力を返せと言うのなら、少しだけ待って。真阿連くんを、助けたいんだ」
「構わない。我々は力の返還を望まない。君は代理人としての使命を果たし、守護者の使命を全うしてきた。それを我々は評価する。感謝を、セイラ・クリカラ。そして、君を正式に守護者と認めよう」
「っ!」
体の内側で、何か変化が起きたのをクリカは感じた。手の中に、光が輝く。
悠から力をもらった時と同じ光景だが、内に宿った力はそれよりはるかに強力だった。
「それが君の守護者としての力だ。借り物ではない。正真正銘君の物となった。それをもって、君を第十九号と認定しよう。ディクタトールをせん滅しろ。ユウ・マーレは領域を崩し、この一瞬君に機会を繋いだ」
「っ! 真阿連くんは今、戦ってるの?」
ぷつりと、周囲の光が消えた。
景色はコバルトブルーの海に戻り、羊男の姿も消える。まるで接続が絶たれたかのように。
地上で何かが起こっているのだと、クリカは理解する。
そんな彼女の目の前で、何か漂っていた。手に取るとそれは、試験管の様な細いガラスの管だった。
「これって、たしか……」
以前、アムリが悠に渡したものだ。その露は、どんな傷でも癒すと説明していたか。
クリカは貫かれたはずの自分の胸を指でなぞる。最初から傷などなかったかのように綺麗に塞がっていた。
悠はクリカに託したのだ。彼女が必ず息を吹き返し、戻ってくると信じて。
「ありがとう。私、助けてもらってばっかじゃん」
その信頼と想いが、彼女の胸を締め付ける。
試験管を抱いて、彼女は天上を見上げた。
「シンカーたち、お願い! 私を真阿連くんの所へ連れて行って!」
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