侵略者ディクタトール

「勝った……のか?」


 悠は自分でも気づかないうちに呟いていた。誰かにそうだと言ってほしい。だが、誰も言葉を返さなかった。

 単純な策である事は承知している。だからこそ、これほど事がうまく運ぶとは思っても見なかったのだ。

 ディクタトールの虚を突いて拘束し、その間にカロンでとどめをさす。この作戦の要はアムリの存在にあった。

 ディクタトールはアムリの事を感知していない。突然植物に襲われれば、混乱が生じる。その混乱が最後のつけ入る隙だった。

 ディクタトールの能力であれば、絡まるツルを分解して脱出することも可能だ。それも考慮して彼方の触手による二段構えの拘束も用意していたのだが、それは使う必要も無かった。

 ディクタトールが不意打ちに対して意外と対応能力がなかったという事実に、悠たちは救われた。

 今やディクタトールは首の付け根からごっそりと食いちぎられ、断面からは血の代わりに光を放出している。バチバチと、その周囲で小さく光が弾けていた。

 彼は地球上の生命体とは、根本的に作りが違うらしい。本当に死んだのかどうか、悠にも分からない。大抵の動物は頭を失えば死ぬ、というのが悠なりの持論なのだが。

 恐る恐る一歩、悠が前へと踏み出した。

 瞬間、ディクタトールの内側から放出されていた光が、黒く反転した。

 途端に、周辺一帯の気配が変わった。周囲の空気が重く沈むような感覚を、悠は感じ取る。

 直後、ディクタトールを中心とする半径10メートルのあらゆる物体が消滅した。

 音も無く一瞬にして、地面を抉った様なクレーターが現れる。

 その様子を、悠は上空から見下ろしていた。間一髪で彼方の転移能力により、上空へと退避する事が出来たのだ。


「カロン、頼む!」


 悠が呼ぶと、空中にカロンの背中が現れ、自由落下している悠に追走する。その背中に、悠は掴まった。


「何なんだあれは……」


 悠の呟きは二つの物をさしている。一つはクレーターを形成した、ばかげた能力。もう一つはクレーターの中心に揺らぐ黒点だった。光を飲み込むような漆黒の半球が、グズグスとノイズを立てながらそこに在る。悠はそれが、なんとなくブラックホールの様に思えた。


「真阿連くん、大変です。領域が急速に縮小を始めています」


 彼方が念話で悠に伝えた。


「どういうことだ?」


「おそらく彼は、領域を維持するためのリソースを攻撃に転じはじめたのでしょう。守護者が地球上に存在するエーテルを攻撃に転換するように、彼も領域内を満たしていたエネルギーで同じことをやっていたはずです。その割合を攻撃にすべて割いた。奴は自ら領域を壊してでも、貴方を仕留める気です」


「今まで手加減されていたっていうのか?」


 悠にはそれが信じられない。だが、否定もできなかった。

 悠がディクタトールを追い詰めたというのは、領域が展開される前の話だ。領域はそれを作り出した異次元人にとって最適の環境。ディクタトールは今、全てにおいて万全な状態なのだ。

 あの黒点こそが、ディクタトールの本来の力なのだと聞いて、悠は背筋が凍る様だった。あれは今の自分にはどうしようもないという事が、分かってしまった。

 同じ生命体というライン上に立っていれば、殴れば痛いし、刺せば傷つく。その定義のもとに、悠はディクタトールと対峙してきた。

 しかし、すでに目の前の者は同じラインにはいない。人類よりもはるかに高次元の超常存在としての側面を、これでもかというほどに見せつけてくる。


「空虚さん、奴の領域が無くなるまで、あとどのくらいだと思う?」


「彼のエネルギー切れを期待はできません。もう少しペースが速まっても、領域が消えるまで半日ほどの猶予はおそらくあるでしょう」


 悠は歯噛みする。目の前の存在はおそらく一瞬で悠を殺せるだろう。

 それに、悠には撤退という選択肢が初めから存在していない。ここで退く事ができたとしても、ディクタトールはその間に世界を変えてしまう。

 悠が着地すると、待っていたかの様に黒い半球が縮小した。内側からディクタトールが現れる。

 純白だった外殻は漆黒に変化し、体も以前よりわずかに大きくなっている。


「これは敬意だ」


 ディクタトールは重く言葉を発する。これまで彼にあった砕けた態度が、一切消えていた。王者と呼ぶにふさわしいだけの威厳と風格を備えた、本物の武人だと悠は感じ取った。色だけでなく、まるで精神すらも反転したようだと。


「我に慢心があったとはいえ、お前は虚を突き、策をもって我を出し抜いてみせた。その非力な身でだ。真の勇者に敬意を表す。お前には王の資質があり、王は他の頂点を許さない。故に、お前を殺そう。侵略者、略奪者として」


 一切の侮りも慢心も捨てて、ディクタトールは宣言した。

 力の差が歴然というこの状況の中で、悠には策がない。いくつか用意していたそれらは、クレーターの発生と共にすべて消し飛んでしまった。

 それでも悠は、構えをとった。敗走は許されない。それは一人の人間として、地球を思う矜持だ。

 その姿を満足げに視界へ収めて、ディクタトールは動いた。

 瞬間移動。そう悠が感じるほどの速度で、一瞬にして数メートルの距離をディクタトールは詰める。

 目の前に迫る岩の様な拳をすれすれで回避し、悠はその懐へ飛び込んだ。圧倒的な体格差が逆に、こうした動きには有利に働く。

 一切の抵抗がない無防備な胴体に、悠は拳を叩き込んだ。相手の分解能力によって、腕が砕けるのも覚悟の上だ。しかし、拳はそのまま胴体にとどいた。

 その鋼の塊を殴ったかのような感触に、悠は歯噛みする。相手の身体は、人間が素の力で破壊できる強度をはるかに超えていた。

 ディクタトールが後ろに飛び退いた。しかし悠を警戒しての行為ではない。攻撃のための、最適な間合いづくり。

 ディクタトールは着地と同時に踏み込んで、拳を放った。

 すべての動作が一瞬で行われた。悠には対応する猶予もない。かろうじて、半端な形で防御の姿勢をとれたのみ。

 拳に打たれた悠は、数メートルをぶっ飛んで墜落した。クレーターの縁に背中から叩きつけられ、悠の視界がひっくり返る。

 拳を受けた腕は、両方とも折られた。今の衝撃で、背中の方も何本か折れたなという実感が悠の中にある。

 分かっていた事だが、力の差が圧倒的過ぎる。まるで素手で戦車に立ち向かうような気分だった。

 ディクタトールは無言のまま悠に近づいて、その頭を片手で掴み上げる。砕こうと手に力を入れた刹那、ディクタトールの身体にツルがまとわりついた。


「っ! 生きていたか」


 ディクタトールが振り返った先に、満身創痍のアムリがいた。


「その方を、放してください!」

 きゅっとツルが締め付ける。ツルに付いた茨が、ディクタトールの身体を傷つけた。しかしそれは表面を削る程度にもならない。


「笑止」


 突然アムリの周囲を巨大な影が覆った。


「なっ―――!」


 アムリは頭上を見上げて驚愕する。ビルが、降ってくる。

 墜落したビルが砕け、衝撃が周囲に瓦礫と砂埃を巻き上げた。ディクタトールと悠も粉塵に巻き込まれ、周囲一帯が薄暗くなる。

 視界が悪くなった一瞬の事だった。

 バスンッという破裂音と共に、ディクタトールの腕に衝撃が走る。

 ディクタトールと悠の間を隔てる様に、鈍色の扉が現れていた。その発生に巻き込まれ、ディクタトールの腕は切断されたのだ。

 間髪入れずに、彼の足元の空間が揺らぎ、触手の束が飛び出した。

 ディクタトールは後ろに飛び退いて、それを回避する。なおも追撃するように、足元から触手が現れた。二度三度と繰り返し、ディクタトールは悠から距離を取らされる。


「ふんっ、よくねばる」


 ディクタトールは特に慌てた様子も無く、それらを嘲笑った。

 力尽きたように、扉と触手が消える。


「すみません。私も、もう限界の様です」


 彼方が謝罪する。

 悠は痛む体を何とか奮い立たせ、立ち上がった。彼女たちにここまでさせて、ただやられるわけにはいかなくなった。

 その姿を見て、ディクタトールは首をひねる。


「分からないな。なぜそうまでして立ち上がる?」


 折れた骨が内臓を傷つけたのか、悠は血を吐いた。そのまま彼は口を開く。


「諦められないんだよ。……いろんな人が俺のために、地球のために力を貸してくれたんだ」


 一歩、悠はディクタトールへ踏み出す。


「お前を止める責任が、俺にはある」


 クリカを、彼方を、アムリを、この街の人々を巻き込んでしまった。悠がディクタトールを仕留めそこなったばかりに、多くの被害が出てしまった。


「俺は死んでもお前を止める」


 悠の瞳から、決意は消えていない。両腕も使えず、まともに動くのも難しいこの状況でも、彼は諦めていない。それがディクタトールには理解できない。


「希望は無いだろう」


 悠は笑った。自虐的にも、不敵にも、ディクタトールには映る。


「あるよ」


 悠は踏み出して、ディクタトールへ向かって走り出した。


「俺はきっと最後まで役立たずさ。だから、せめて時間くらいは稼ぐんだ!」


「今さらお前に何ができるっ!」


 ディクタトールも駆け出した。

 二人の距離が縮まる。ディクタトールの突き出した拳を、悠はギリギリでかわした。

 体をひねった反動で激痛が走る。悠は血を吐き戻しながら、歯を食いしばった。


「がぁあああああっ!」


 唸るように叫びながら、悠はディクタトールの胸倉を両腕で掴み、自分の身体を引き上げた。 

 互いの顔が接近する。悠は体をのけ反らせ、額を全力で叩きつけた。


「ぬおっ!」


 ディクタトールが軽く怯んだ。

 彼はすぐさま悠の背中を掴み上げて引き剥がし、地面に叩きつける。


「ぐおっ! あぐっ、がっ!」


 痛みにうめきながら、悠は地面を撥ね転がった。今のでさらにいくつかの骨が折れたのだろう。すでに立ち上がるのも困難な状況で、それでも悠は這い上がろうとあがく。


「そうまでして足搔くか。未練がましいな、守護者!」


 もはや相手に脅威は無いと判断し、ディクタトールはゆっくりと悠に歩いていく。


「あがぁああああああっ!」


 悲鳴にも似た唸り声をあげて、悠は体を起こす。迫る敵を前に、悠は意地だけで立ち上がった。


「言っただろう。無様でも、諦められねぇんだ!」


 悠はディクタトールを殴った。大した事は無いだろうと、ディクタトールはそれを正面から受け止める。

 実際、ディクタトールには何の痛みも無かった。なぜなら、殴りつけた瞬間に悠の腕がぽっきりと折れて吹っ飛んだからだ。

 塞がっていた太ももの傷も出血する。傷を塞いでいた彼方にも限界が来たのだ。


「ぐああああああっ!」


 復活した激痛に、悠は気を失いそうになる。

 彼方の最後の意地か、幸いにも腕からの出血は全くない。

 しかし悠は今度こそ立ち上がれなくなった。足の支えを片方失った事で、悠はその場で膝をつく。


「フハハハハッ! 無様ぶざま! そのまま死ね!」


 愉快に嘲笑し、ディクタトールはとどめの一撃を悠へと振り下ろす。


「……いいや、まだだ。彼女は、間に合った!」


 ディクタトールは背後に気配を感じ、即座に振り替える。


「いい加減にしろぉっ!」


 の放った蹴りが、ディクタトールの顔面にさく裂した。

 その衝撃はディクタトールの身体を吹っ飛ばし、近くのビルへ砲弾の如くぶち込んだ。衝撃で崩落し始めたビルの瓦礫が、ディクタトールを圧し潰す。

 しかしこの程度で倒れるような相手ではない。

 クリカは悠をかばうように、前に立った。


「来てくれたんだな」


 悠はその背中に、これ以上ないくらいの頼もしさを感じた。彼女の気配には、もう一切の迷いがなかったから。


「うん。本当にごめんね。私もう、迷わないって決めたのに」


 クリカは拳を固め、決意を示す。


「ここからは、私が守るから」

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