上位者
悠は闇の中で目を覚ました。
体勢的に、何かに座わらされているようだ。
立ち上がる事はできない。拘束されている訳でも、金縛りにあっている訳でもない。ただ、倦怠感から立つのがとてもつらい。
体に重くのしかかるその重さが何によるものなのか、悠は思い出す。恐らく血を流し過ぎたせいなのだと。
自分の腕が繋がっている事に気づいて、悠はこれが夢なのだと理解した。正確にはそれよりもはるかに鮮明なものなのだが、悠にはそれ以上に正しい表現が見つからない。
「いるんだろう?」
悠が目の前の闇に問いかける。途端、パッと周囲が明るくなった。今度は白一色。演出めいた登場で悠の目の前に現れたのは、一人の紳士だった。
否。それが男かどうかは分からない。男物の高級な黒いスーツを身に着けているが、頭は羊だった。
「ようやく繋がった」
感情のまるで感じられない、静かな声だった。
悠はこの怪人を知っている。彼らこそが上位者と名乗る宇宙意思の代弁者。真阿連悠という人間を守護者にした存在だ。
とはいえ、悠は彼らの事をあまり詳しくは知らない。彼らはただ、地球に危機が起こると、近くにいる守護者に指示を出して解決させる。
正常に宇宙を保ち、その行く末を見守るだけの存在なのだ。それが個人なのか、集団なのかも分からない。
そんな彼らが長期間連絡を絶っていたことが、悠には不可解だった。彼らからの説明さえあれば、記憶がなくとも悠がここまで遠回りをする必要は無かった。倶利伽羅星来があれほど思いつめる事も無かったのだ。
「今さらになってどうして現れた?」
「この改変事象の中で、我々と君を繋ぐのは君の記憶だけだ。君が我々の事を忘れてしまった事で、
上位者は直接事件に介入する事は無い。だが、守護者の力を悠たちに与えるような存在である時点で、並の異次元人よりもはるかに強大な存在なのは確かである。そんな彼らの介入を阻んだディクタトールの力量に、悠は改めて脅威を感じた。
「記憶は全て戻ったのか?」
「いいや。まだ断片的だよ。だけど、大体の事は理解している。それにしても、君らの介入を拒んだのか。それほどまでにディクタトールは脅威か?」
「そうだ。彼は用意周到で抜け目のない狡猾な技術者だ。だが、守護者の脅威ではなかった。なぜだユウ。なぜあの時セイラ・クリカラの救出を優先した? 彼女の犠牲を黙認すれば、ここまで事態は悪化しなかった」
上位者に対して機械的な印象を持っている悠は、彼らの合理的で冷たい指摘を、特に何の感情も無く受け止めた。
「反省はしている。だが、後悔はしていない。人命の優先が俺の信条だ」
「バージェットの到来とディクタトールの攻勢。この二つで出た被害はそれ以上だ」
上位者の言うとおり、領域の創造を許したばかりに今回の事件は起こった。二人の異次元人の行動によって出た死者の数は、悠には計り知れない。
「その事実も重く受け止めている。完全に俺のミスだった」
償いようのない、取り返しのつかないミス。そう悠が思うのは、それが防げた事だという確信があるから。
任務を優先し、ディクタトールを殺す事。消滅しつつあったクリカの存在を保護する事。その二つは冷静に行動すれば同時に達成できることだった。
悠が最初にディクタトールを追い詰めた際、敵は最後の力を使って領域を展開した。ディクタトールにしてみれば、領域内では自己再生ができる。当然の行為だ。
悠がその直後にディクタトールに止めを刺していれば、余波こそあっただろうが領域の成立は食い止められたのだ。その後にクリカを探し出し、守護者の力を貸し与えれば、余波から彼女を救う事は可能だった。
しかしそれは、後から冷静に分析したからこそ出た結論。現場は常に迅速な判断が求められる。
領域が成立してもクリカは消え、それを阻止してもその余波でどのみちクリカは消滅していた。
ディクタトールが領域を展開した時、悠は殺すか救うかの二択を迫られ、どちらかを選ぶという判断しか取れなかったのだ。それがすべての原因だった。
「そうか……いや、これ以上はよそう。我々は君を責めに来たのではない」
上位者は何かを言いかけ、修正した。
「ディクタトールの計画は完了されようとしている。彼が天変の楔と融合すれば、この領域は現実に定着し、すべては偽りの改変事象ではなくなる。そうなればその影響は今度こそ全世界に広がるだろう。全人類がディクタトールを神と崇める。そうなる前に使命を果たせ。守護者第二号、ユウ・マーレ」
「承知している」
上位者の指令に、悠は頷いた。失態は成果でしか覆せない。こうなってしまった以上、世界を元に戻すのが悠の責任だった。
「失われた俺の力は、元に戻せるのか?」
「残念ながら不可能だ。未だ、領域内には手が出せない。ディクタトールの領域は、以前よりもさらに強固なものになろうとしている。おそらく、君から受けた傷は癒えたのだろう」
「それは十分に分かっている」
身をもってその力を理解した。ほとんど完敗という形で死にかけたのだから、それ以上説得力のある体験も無いだろう。
結局力は戻らないまま、再戦しなければならない。悠としてはそれほどうんざりする話も無かった。
「健闘を祈る」
上位者は終始冷たい口調でそう告げて、交信を切った。
プツンと、テレビの電源でも切るかのように悠の周りは再び暗くなる。
◇
悠が目を開けると、光の下にいた。
もはや見慣れた天井。自分の部屋にいるのだと、悠はすぐさま理解する。右手を持ち上げる。腕はきちんと繋がっていた。
「おや、目覚めましたか?」
聞き覚えのある声がして向くと、すぐ目の前に彼方の顔があった。
「君が助けてくれたのか?」
彼方は黙ってにっこりと笑う。悠には時々、この異次元人の思考が全く分からなくなる。
とりあえず体を起こす。貧血気味なのか、脳が揺れた。
「あまり無理をしないように。血を流し過ぎましたから」
彼方はそう言って悠の背中を支える。
ふと、悠は自分の腕に針が刺さっている事に気づいた。管が繋がっていて、その末端には血液袋があった。
どこから持ってきたのかは分からないが、彼方が用意したものに違いない。
「よく俺の血液が分かったね」
「その程度の事は、味をみれば分かります」
さらりとそんな事を言う彼方。少しだけ、悠は彼女が怖くなった。
「腕も繋げてくれたんだな。ありがとう」
包帯で巻かれている切断面が少しだけ痛んだが、悠の手は指の先までしっかりと動いた。
「切断面の空間同士を限りなくゼロに近づけて、疑似的に繋いでいます。正確には繋がっていないので、あまり無理をしないように。あと、少しだけ短くなっています」
悠は両腕を伸ばして確かめる。確かに、斬られた腕の方が少しだけ短くなっていた。分解系の能力故に、断面も少し削られたのだろう。
「これはそのうち、上位者たちに修復を頼むよ」
悠はベッドから下りて、テーブル上のリモコンを手に取った。状況を少しでも把握しようとテレビを点けると、どこの局も映らなくなっていた。
「しばらく前からこの有様です」
「なるほど。どおりで」
テレビを見るために部屋に残った彼女が、電源を落としていた理由に悠は納得する。
「俺はどのくらい気を失っていたんだ?」
「一時間と十三分四十二秒です」
時計も見ずに正確な時間を告げる。悠は一瞬冗談かとも思ったが、彼方はいたって真面目だった。
「ディクタトールはどうなったか分かる?」
「あの後庁舎前から移動し、現在も動き続けています。私と違って、転移系の能力は無いのでしょう」
「そうか。ありがとう」
例を告げ、悠は適当な着替えを探す。
「やはり、彼女はダメでしたか」
ふいに彼方が言った。その物言いに少しだけ悠はむっとする。
「そういう言い方は止めてくれ。彼女は十分にやった」
「事情はどうあれ彼女には力があり、それ故に責任もある。責任は果たすべきです」
「だから君は、彼女に少し当たりがきつかったのか?」
「そうですね。彼女には自覚が全くなかったので」
「それは許してあげてほしい。彼女はほとんど何も知らなかったんだ。俺が大した説明もせずに彼女に託してしまった。それで俺が忘れていたのだから、どうしようもなかったんだ」
「そういう事にしておきましょう」
彼方は少し不服そうにしていた。
「欲を言えば、もう少し早く君に助けてほしかったよ。もちろん、君にその義務も義理も無い事は分かっているけどね」
「クリカさんを見捨てたとお考えですか?」
「そこまでは……いや、そう聞こえたな。ごめん。そういうつもりじゃない。ただ、違う展開もあったんじゃないかと思ってね」
「正直、私も限界まで悩んでの判断でした。私にももう、余裕はないので」
彼方は少しだけ青い顔をしていた。それに悠は今さら気づく。
「大丈夫か? 具合が悪そうだけど……」
「ええ。ご心配なく。今の状態ではどうしようもない問題ですから」
そう言うと、彼方の姿がずるりと変化した。粘土かスライムかというところまで原型がなくなり、それは収束して手乗りサイズの小さな生き物になる。一つ目のタコだった。それがふわふわと空中を浮かんでいる。
「そ、それが君の本当の姿なのか?」
あまりにも人間離れした姿に、悠は度肝を抜かれた。異次元人だと分かっていても、なまじ人の姿をしていると実感が無くなる。
悠の言葉を、彼方は冗談じゃないとでもいう風に否定した。
「まさか。これは省エネモードと言ったところです」
「省エネ……つまり、エネルギーが尽きかけていると?」
「ええ。私の力の源であるドリームダストは、この宇宙では補充できません。少々癪ですが、ディクタトールの領域は入るのこそ容易ですが外に出るのは難しい。内側から外宇宙との接続を開き続ける事は困難でした」
「要するに、君は事件が始まって以降、三週間近くエネルギーの補充ができていないのか?」
「一度、エネルギーの補充を試みてはみたのです。貴方も覚えているでしょう。学校中の生徒全員を眠らせた―――」
「ドリームストーンか。あれはまさか、そのための?」
「はい。人類が夢を見るときにのみ保有する特殊な要素、それが私のエネルギー源と酷似していたため、利用できないかと考えたのです。結果的には無駄に終わったうえに暴走を起こし、貴方をずいぶんと大変な目にあわせてしまいましたが」
先日の事件の真相を知って、悠は怒るに怒れなくなった。悠としては人生最大に怖い経験トップ5には確実に入るのだが、彼方からすれば生死にかかわる必死な行為だったわけである。
「つまり、君は消耗する一方か」
「ええ。命に関わる問題ですので、世界改変の危機は私にとっても他人ごとではなかったのですよ」
「なるほど。世界全体が改変されるような事態になれば、領域は強固になる。完全に外との交信は望めなくなるのか」
「そのとおり。私はすでに戻る手段を無くしています」
「君が僕らに解決を迫ったのは、そういう事だったのか」
「はい。私としては、エネルギーを大量に消費するような行動は避けたかったのですが、ディクタトールが覇権を握ってからでは遅いと判断し、やむを得ず妨害も行いました」
「妨害?」
「異次元人をこの領域へ招いたのは私です」
「なんだって! じゃあ、空間の綻びというのは……」
「ええ。私が作ったゆらぎの事を指しているのなら、その通りです」
平然と彼方は言った。その態度に悠は怒りが込み上げてくる。
「君は、そのせいでどれだけの人が死んだのか分かっているのか!」
「貴方の気持ちは理解します。しかし、他の異次元人がしたことはあくまでもその者たちの責任です。私にも貴方にも、責められるいわれはないはずです」
事務的な彼方の口調のおかげか、少しだけ悠は冷静になる。
「……そうだな。その通りだ。だけど、どうしてそんな事をしたんだ?」
「領域内に別の領域を作られるというのは、かなりの負担を強いられるからです。
ディクタトールにとって領域の維持は、元から相当な負担になっているはずなのです。貴方に瀕死の状態まで追い込まれたのであれば、なおさらに。そのせいか、改変が始まってから一週間の間、彼は沈黙を保っていました。私はその状況からディクタトールの状態を推察し、別の異次元人たちを来訪させることで領域の破綻を試みたのです」
「なるほど。この都市から出られない以上、来訪した異次元人たちは必然的にこの街の中で自分の領域を作るんだな」
悠の頭には、アムリの姿が浮かんでいる。彼女のビルこそその典型だったのだろう。
「ですが私の目論見は結局、ディクタトールが意外とタフだったという誤算の前に失敗してしまいましたがね」
「だが、時間稼ぎにはなったんだろう?」
「ええ。ですが、貴方たちに余計な仕事を増やしたのであれば、むしろ失敗と呼べるかもしれません」
「俺としては、バージェットの様な奴が都市から出てしまう事の方が問題だ。失敗してくれてよかったよ」
もし仮にあれ以上バージェットの活動範囲が広ければ、発見するのは困難だっただろう。被害はそれだけ増えていたはずである。
「ただまあ、時間稼ぎが全くの無駄ではなかったことは確かです。ディクタトールが公に姿を現して以降、領域の変動が起こっています。その影響か、滞在に必要なエネルギーの消費が急激に早くなっているのです」
「君が今追い込まれている理由はそれか」
「ええ。貴方たちを助ける事に
死んでいたかもしれないと聞いて、悠もさすがに彼女に対して申し訳なくなった。
「そこまでして、俺を助けてくれたのか」
「貴方たちを失えば、それこそ私が生存できる可能性は無くなってしまいますからね」
「だとしてもだ。すまない。さっきはずいぶんな事を言ってしまった」
「いえ。倶利伽羅さんを助けられなかったのは事実ですから」
淡々と話す彼女の口調は変わらない。悠は彼方の事が少しだけ分かった気がした。空虚彼方という存在は、感情の動きとは別にずっとこういう話し方をするのだ。
「俺はずっと、君を誤解していたのかもしれないな」
「なら、誤解が解けてよかったです。行動を起こすのでしょう? 私にできる事はもう、ほとんどありませんが」
「ああ。君には十分助けられた。後は、僕ら自身の手で何とかする」
「勝算はあるのですか?」
「全くと言って良いほどない。ほんのわずかな可能性に賭ける。ほとんど死にに行く様なものかもな」
そう言って悠は玄関へ向かう。扉を開けて外へ出ると、悠の目の前に奇妙な光景が現れた。
空が、何かで覆いつくされていたのだ。
よく目を凝らせば、それが壁であることに気づく。はるか遠くの地点で屹立する巨大な壁。それが横幅も高さも途方もない大きさであるために、空が無いように見えたのだ。壁の終わりがどこも大気で薄れて見えなくなるほどに遠い。
「なんだあれは……」
ついさっきまで、こんなものは存在していなかった。突然現れたのだとしたら、それはディクタトールの仕業に違いない。
「あれは天変の楔と呼ばれる侵略兵器の一種です。我々にとってもかなりの
「あの壁が兵器なのか?」
「大きすぎて今は壁に見えますが、あれは実際には剣のような形をしているのです。ディクタトールがこれだけ広大な領域を維持できたのは、あれのおかげでしょう。
あれはこの領域を地球に固定させておくためのいわばピンの様なもの。そして、改変事象を地球に定着させるための概念変換装置です。これまでディクタトールが隠していただけで、あれはずっとあそこに在ったのですよ」
「なら、あの楔とやらを破壊すれば、改変は消滅するのか?」
「ええ。ですが、見ての通り容易ではありませんよ。それにディクタトールも、今あそこへ向かっているのです」
「奴にとって、計画の完遂にあれは必要なものなんだな」
「そうです。我々は、ディクタトールをあれに接触させないように妨害するしかない」
「分かった。やってみよう」
悠が覚悟を決めてシンカーを呼ぼうとすると、通路をパタパタと駆ける足音が聞こえてきた。他の住人かと思って見ると、そこに意外な人物が立っていた。
「あれっ、アムリさん!」
離れた町に住んでいるはずの彼女が、なぜか悠の目の前にいる。走って来たのか、彼女は二人の前まで来ると、激しく呼吸した。
「や、やっと見つかりました」
息も絶え絶えに、何とか言葉をひねり出すアムリ。
「どうしてここに? というか、どうやって?」
アムリは額の汗をぬぐうと、恥ずかしそうに笑った。
「アムリタの露の匂いをたどってきました。なんだか大変そうな事になっているので、皆さんのお手伝いができればと」
それを聞いて、悠は胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。異邦の人々であっても、地球のためにと立ち上がってくれている。それがうれしかった。
「ありがとう、アムリさん。申し出ありがたいです。けど―――」
「危険なのは承知しています。でも、私も地球が好きですから。こんな侵略は認められません」
固い意志のある表情で、アムリは告げる。覚悟は決まっている様だ。
「アムリタからたっぷり妖気をいただいてきましたから、外での活動もしばらくは大丈夫です。戦いでもお役に立てます」
「戦力が増えたのは好ましい事です」
悠の肩の上にちょこんと乗っかって、彼方が言う。
同じ異次元人だからだろう。アムリは空飛ぶ小さなタコに対して特に驚いた様子もない。
「あら、貴方は?」
「私はヨグソレイス。同好の士と思っていただければ。彼方と呼んでください」
「それはそれは。よろしくお願いしますね、彼方」
「ええ。こちらこそ、アムリ」
異種間交流も済んだところで、悠はアムリに頭を下げる。
「危険な戦いになると思います。それでも良ければ、どうか力を貸してください」
「はい。よろこんで」
アムリは頷いて、それからきょろきょろと辺りを見回した。
「そういえば、もう一人の方は―――」
クリカの姿が見えない事を、アムリは不思議がる。悠の身体が微かに震えた。
「クリカさんは……」
悠の表情から事情を察して、アムリも悲しい顔をした。アムリは悠の手を包むように握った。
「残念です。あの方には返しきれない御恩がありましたのに。……守りましょう、この地球を。あの方の分まで」
悠はしっかりと頷く。クリカのやってきたことを無駄にしないためにも、ディクタトールに地球を渡すわけにはいかない。
「シンカ……!」
悠が呼ぶ前に、シンカーが顔を出した。
「カロン! お前も無事だったか!」
共に戦った相棒の無事を視認し、悠は喜んだ。咄嗟に口を突いて出た名前に、悠はハッとする。
「そうか。僕は君の事も忘れてしまっていたんだな」
悠はカロンと呼んだシンカーの頭を優しくなでる。カロンは嬉しそうに体を揺らした。
カロンは本来、悠が持つ守護者の力の一部だった。悠が星来に力を貸し与えた際に、彼女へとその命令権は譲渡されていたのだ。
だが、カロンにも星の獣としての知性が備わっている。改変の影響を特に受ける事の無いカロンは悠の事を覚えていたために、非力な彼に力を貸し続けていたのだ。
「僕とクリカさんを守ってくれてありがとう。もう少しだけ、力を貸してほしい」
カロンは同意するように三人へ背中を差し出した。
「よし。深界を通ってディクタトールを追いかけよう。空虚さん、奴の位置は?」
「大丈夫です。今も監視を続けています」
「道案内を頼む。アムリさんの能力については道中教えてください。行きながら作戦を立てましょう」
「はい。わかりました!」
行動を確認し合い、三人はシンカーの背に乗って深界へダイブした。
コバルトブルーの光の海に三人は包まれる。彼方が笑った。
「世界情報の中枢ですか。ここに我々を連れてくるとは不用心ですね」
「ここは世界の中心で、宇宙情報の根源。だからここの情報を書き換えれば、侵略は簡単にできてしまうって?」
彼方の発言が冗談だと分かっているから、悠も笑って返す。
悠の言うとおり、彼らが深界と呼ぶこの空間は、世界の事象全ての起点となる場所である。見方を変えれば世界のあらゆる情報が記されたアカシックレコードであり、ここの情報を書き変える事で宇宙すべてのルールが変わる。
ディクタトールの様な侵略者がそれを試みないのは、第一にここへ到達する術がない事。第二に、情報を書き換える事ができないからだった。
それに接触できるのは、最高次元的存在。それを人類は原初の存在、0、神と呼称する。
どのような存在にしろ、宇宙を作ったはるかに遠く強大な存在だ。
それに比べれば、いかに人類から超常的存在に見える異次元人たちも、所詮は別の宇宙からやって来た一生命体に過ぎないのである。彼らは神ではない。
その摂理を、三人は肌で感じていた。この空間が、未知の何かの手によって作り出されたものなのだと。
雄大な自然を前に、自分の無力を突き付けられたかのような感覚。
穢してはならないモノ。触れてはならないモノ。神聖であり、霊的であるモノ。
世界の一部として生まれた生命であるからこそ、根源的にその畏敬にあらがえない。そこはそういう空間だった。
そんな空間を優雅に泳ぎ回るシンカーたち。魚の形をしたそれらの正体は、悠にもよく分からない。ただ、カロンの様に悠たちを助けてくれる地球の守護者であることは確かだった。
そんな彼らが、群れて渦を形成している。それは、悠が彼らに頼んでそうしてもらっていた。あらゆる障害から、クリカを守ってくれるようにと。
渦の中心にいるであろう彼女へ向けて、悠は小さな声で告げた。
「クリカさん、行ってくるよ」
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