クリカの死
素早い動きで距離を縮め、クリカがディクタトールの間合いに入った。
クリカはディクタトールに掌底打ちを放つ。
ディクタトールは拳で、それを受け止める。
瞬間、バチッと弾ける様な音が轟いた。
両者が互いに触れた瞬間、両者の間で能力が相殺されあった結果、衝撃が起こったのだ。
「なんで!」
反動で体を反らして、クリカは驚く。
触れた一瞬で、相手の能力の特性を理解した。
それもそのはず。ディクタトールの放った能力はクリカと全く同質のものだ。
「それが自分だけの能力とは思わない事だ。倶利伽羅星来!」
ディクタトールはすぐさま反動を殺し、反撃の拳を放つ。
クリカは腕でそれを受け止めた。
再び能力が相殺し合い、空気が弾ける。
クリカの額に冷や汗が流れた。
「なんとか、私にもできた……」
力で力を相殺する。そんな事はクリカにも初めての技術だ。彼女はこれまで手の先からしかその能力を使ったことが無かったのだ。
素早く距離を取り、クリカはディクタトールの間合いから離れる。
「それで逃れたつもりか?」
ディクタトール周囲の空間が四か所歪み、そこからビームが放たれた。
四方向から迫る熱線を、クリカは回避する。ビームはクリカを追いかけて向きを変えた。
背後から迫るビームに追いつかれ、やむを得ず避けきれない一つを受け止めた。
熱の余波が、彼女の肌を焼く。
「くそっ! ―――きゃあっ!」
被弾面でビームが弾け、クリカは吹き飛ばされた。腕も使って、なんとか受け身をとって着地する。
「ハハハッ、犬の様に這いつくばるその恰好。お前にはお似合いだな」
「言ってろ怪物!」
クリカは再びディクタトールへ向かう。
ビームという攻撃手段がある以上は、敵から距離をとるのは下策。防御手段が完全ではないクリカには消耗戦となってしまう。ディクタトールへ接近している方が勝算が高いと判断した。
拳、腕、脚。体の全てを駆使して攻撃を放つ。両者の身体がぶつかり合うたびに、弾けて空気を鳴らした。
「ハハハッ、必死だな!」
クリカの格闘能力は高い。ディクタトールの虚を突くことも一度や二度ではなかった。しかしダメージが通らないのでは意味がない。能力が相殺し合う際の衝撃の余波は、基本的な威力すら消し去ってしまう。
「借り物の力では、しょせんその程度というわけだ!」
「どういう意味?」
「ハハッ、まさか気づいていないのか?」
ディクタトールがクリカから距離をとる。
二人の戦闘を見守っていた悠に、ディクタトールは親し気に声をかけた。
「やあ、そんなところにいたのか。久しぶりだな」
「……僕は君なんか知らない」
「ハハッ、そうかい。泣けるね。それともその様子、もしかして記憶がないのか?」
ディクタトールの指摘に、悠は目を眇める。その些細な反応を、ディクタトールは見逃さない。
「アハハッ、やっぱりそうか。そうだよな。そうでなければお前が代理人なんかを立てるわけがない」
何が滑稽なのか。ディクタトールは片手で顔を覆いながら、笑って天を仰ぐ。
「お前は、僕の何を知っている?」
悠は、ディクタトールの口から自分の事が出るとは微塵にも思っていなかった。この状況、この相手。悠には嫌な予感しかない。
「お前だよ。お前が本物の守護者だった」
一転して、苛立ちを押し殺す様な苦悶の声をディクタトールはあげた。
「三週間前、私はお前に殺されかけたんだ。あの屈辱を忘れはしないぞ。あれほどコケにされたのは初めての事だった。それをお前が忘れているとはな。滑稽じゃないか。力も失って、今じゃ女に戦わせて見ているだけか?」
ディクタトールは言葉通り、怒りに打ち震えていた。そこに偽りがあるとは思えない。
「彼が守護者? どういう事?」
戸惑うクリカを、ディクタトールはあざ笑った。
「ハハハッ、滑稽滑稽。奴に殺されかけて瀕死の状態だった私を、お前が救ったんだよ」
「そんなこと、あるわけない!」
「そうかい? だが事実だ。世界の改変は始まる直前だった。領域の展開間際というところで、この男は私にとどめを刺す事よりも、お前を助ける事を優先したのさ。分かるだろう? この領域はレイコの、お前の母親が望んだ理想をそのまま現実に再現したものだ。麗子にとって必要なものが用意され、不要なものは消し去られた」
瞬間、クリカは理解した。母親にとってクリカは不要な存在だ。真っ先に消されるものがあるとすれば、それは自分だという事に。
「嫌っ! 嫌、いや、イヤッ!」
お前さえいなければ。そんな母親の拒絶の言葉が、クリカの中で渦を巻く。恨みのこもった虚無の瞳が、彼女を射抜く。それはクリカの意思とはもはや無関係に、彼女の精神を呪縛する呪いだった。
「クリカさん! ―――くっ!」
進もうとした悠を阻むように、ビームの熱線が目の前を横切った。
「聞かせてやれよ真実を。この娘は実の母親に殺されかけたんだ。領域の中で起こった事象は、領域の消失と共に元に戻る。だがな、死んだ人間は死んだままだ。世界の修正力ってのはそこまで都合は良くないらしい。なら、領域の中で消えた人間はどうなると思う?」
ディクタトールは嫌らしく嗤った。
「だからお前は私の始末より、この娘を救う事を選んだ。全くお優しい事だ」
無防備なクリカを、ディクタトールはただぶん殴る。悲鳴を上げて、クリカが倒れた。
その姿を嘲る様に見下ろして、ディクタトールは告げる。
「お前は偽物の守護者なんだよ。その身体能力も、エーテルへの干渉能力も、すべてあの男からの借り物。全く同じ動きをするんだ。やり合ってて笑い転げそうだったよ。そのおかげで、お前は辛うじてこの世界に存在が繋ぎ止められている。視える私たちからすれば、なんとも生き恥晒して無様なものだ」
「私は、偽物だった?」
クリカは消え入りそうな声でつぶやいた。
「そうさ。お前のせいで、奴は私を仕留め損ねて敗北した。つまりお前は、世界を救うどころかその邪魔をした存在なんだよ!」
ディクタトールがクリカを踏みつけようと足をあげた。
「クリカっ!」
「―――っ!」
悠の声に反応して、クリカは飛び起きる。ディクタトールの攻撃を回避して、距離をとった。
ディクタトールの踏んだ足場が、わずかに消失する。
クリカはそれでも、ほとんど戦意を失っていた。構えこそとるが、雑念が彼女の心を束縛し、体すらも拘束する。それは思考だけでは抗えない、より深い場所に根差した呪いだ。
「世界を救うなどバカげている。お前は世界の破滅に手を貸した。この私に手を貸した。お前は母親同様に、世界の裏切り者なんだよ!」
「耳を貸すなぁっ!」
悠の叫びに応じる様にして、シンカーが飛び出した。
それをディクタトールは、ビームで地面ごと焼き払った。シンカーは悲鳴も上げずに、吹き飛んで深界へと消える。
「シンカーっ!」
悠がシンカーに視線を奪われている間に、ディクタトールはクリカへの攻撃を再開する。
ディクタトールの放つ拳をなんとか避けるが、クリカの動きにはさっきまでの様な機敏さは無い。大きくあいた隙を、ディクタトールは見逃さなかった。
ディクタトールの腕が、クリカの胸を貫いた。
穿たれた傷穴が、キューブ状に分解されていく。
「うくっ―――」
咥内が逆流した鉄分の味に満たされ、クリカは血を吐きだす。
痛いという感覚が不思議となかった。クリカの中にあるのは、混沌としか例え様のないぐちゃぐちゃとした感情だ。
母からの否定の言葉。ディクタトールの話した真実。自責の念。羞恥。それらが醜悪な泥となってクリカの精神を腐食させていく様だった。
守護者として世界に必要とされた。それは苦痛な使命だったけれど、その事実はこの世界にクリカの居場所を与えてくれた。世界が、彼女の存在を許してくれたように感じていた。
それらがすべて偽りで、悠から奪ってしまったものだと知った今、彼女は自分を肯定できない。彼女自身が、自分を不要なものだと結論付けてしまったから。
「ごめん」
薄れていく意識の中で、悠の姿が見えた気がした。ただ一言だけでも、そう伝えたかった。贖罪がしたかった。けれど、声が出なかった。
悠は絶叫した。
とっさに、足元に落ちていたライフル銃を手に取る。警邏隊が残していったものだ。
ゴム弾だという認識もどこかに飛んで、ただ引き金を引く。
ディクタトールは鬱陶しげにそれらを払いのける。連射される球は殺傷力こそないが、当たればディクタトールでも痛い。
彼はクリカから腕を引き抜いて、少し後退した。
「シンカー! クリカを!」
悠の指示に従い、シンカーが落ちるクリカの身体を受け止めた。そのままクリカの身体を連れて深界へ潜っていく。
「ハッ、意外と冷静じゃないか。今さら死体なんぞどうする気も無いがね」
弾が切れても、悠の指はしばらく引き金を引いていた。空撃ちの音が少しだけ、悠を冷静にさせる。
睨む悠を、ディクタトールは嗤う。
「おいおい。そう怖い顔をするなよ。あの女を巻き込んだのはお前だろう?」
「ああ、そうだな……」
ディクタトールも憎いが、悠はそれ以上に自分を責めていた。
星来を追い詰めてしまった原因は自分にあるのだと。星来ならできると言う傍らで、自分はいつも見ているだけ。守護者という役目すら押し付けて、自分は戦えないからと傍観していた。そんな自分が腹立たしい。
倶利伽羅星来はごく普通の少女だった。悩みを抱え、苦しむありふれた一人だ。
世界の危機に対処する役割を担うには、彼女は脆すぎだった。
彼女が少しだけ勇気のある少女だったという事実の前に、霞んでしまっていただけ。悠が見ようとすれば、常にその危機はあった。
いや、見ていたのだ。見ていて、自分には何もできないのだと決めつけた。
全てを彼女に背負わせたのは、自分だったのに。
ディクタトールから話を聞かされたからか、それともクリカが倒れたからか、悠の記憶がわずかに戻り始めている。
「俺は大馬鹿野郎だ。一瞬だ。一瞬だけ、あの時迷った。お前を殺すか、あの子を助けるか。迷わなければ、どっちもできるだけの時間はあったのに」
「宿命さ。おまえは私を殺せない。あの娘は死ぬ定めだった。そういう事だろう」
悠の苦悩を、ディクタトールはそんな言葉で貶めた。
悠の握り拳から血が滴る。強く握るあまり、爪が皮膚を割いていた。
「ぬかせ悪党! お前があの子を殺したんだろうが! なぜだ。なぜあの子を苦しめた? あんな事をしなくても、お前はあの子に勝てただろう!」
ディクタトールは噴き出した。
「アハハハハッ、随分な言葉だなそりゃ。殴るより精神的になぶる方が
ディクタトールは唐突に冷めて、悠を見下した。
「だがな、これは最初から私とお前の戦争だ。戦争にルールは無い!」
「ああ。あの時、先にお前を殺しておくべきだった!」
悠が構える。それを見てディクタトールは嘲笑う。
「フッ、守護者の力を失ったお前に何ができる」
「できる事ならあるさ」
ディクタトールの背後に、シンカーが現れた。その巨大な
「エーテルの霊獣か!」
ディクタトールがギリギリでシンカーを
「あぐっ!」
不意打ちに、ディクタトールがよろめく。
「くそっ! このっ―――!」
すぐさま反撃を試みるが、既に間合いから悠は離れている。悠に気を取られているディクタトールは、シンカーの接近に気づかなかった。
バクンッ! シンカーの
「ぐぅあああああっ!」
絶叫を上げて身をよじるディクタトールの後頭部に、悠は再びライフルで打撃を叩き込んだ。
「ぬおっ!」
ディクタトールの視界が点滅する。
ちぎれた腕の断面から、彼の生命線となるエネルギーが流出していく。
「くそがぁっ!」
ディクタトールが雄たけびを上げると、無くなった腕が元に戻った。
「ちっ、再生能力。さすがは領域内か!」
敵の消耗を期待していた悠にとって、この事実は痛い。
ディクタトールはどんな傷も再生できてしまうという事だ。
致命傷。それも即死に至るような傷を相手に叩き込まなければならない。
悠自身に大した力がない以上、それは困難を極める。
自分が上手くシンカーに隙を作るしかない。そう判断し、行動に移る。
ディクタトールも黙っていない。ビームを発射し、悠を狙ってきた。
当たれば悠にこの熱線を防ぐ手段は無い。既の所で回避し、接近してライフルの銃身で殴りつけた。
ディクタトールはそれを腕で受け止める。触れた個所が、わずかに分解された。
その隙に、シンカーが背後からディクタトールの頭を狙って襲撃をかけた。
牙が届く寸前、頭上から放たれたビームがシンカーを貫く。そのままシンカーは墜落し、深界へと消えた。
「っ! シンカー!」
「最後の手段も消えたな!」
狼狽える悠に、ディクタトールが襲い掛かる。瞬間、地面すれすれに浮上したシンカーが、ディクタトールの足をさらった。
「くっ、獣の方は不死身か!」
地面を引きずられるディクタトールは、ビームでシンカーを攻撃する。当たる直前に、シンカーはディクタトールを放り出して潜航した。
投げ出されながら体勢を何とか立て直したディクタトールに、悠が殴りかかる。
ディクタトールはライフルの銃身を掴むように受け止め、それを破壊した。
「―――うっ!」
銃身を手放してすぐさま離脱するべきだったのだが、悠はわずかに出遅れた。その隙をディクタトールは見逃さなかった。
頭上から放たれたビームが、悠の左太ももを貫通する。
「がぁああああっ!」
バランスを崩した悠に、ディクタトールが腕を振り下ろす。庇う様に悠が出した右腕を、ディクタトールは切断した。
「ぐああああっ!」
二度目の絶叫。地に落ちた悠の体を、赤い血だまりが縁取っていく。
彼の腕からとめどなくあふれ出る血液を見て、ディクタトールは勝ち誇った。
「ハハハッ! 今度は私の勝ちだな、守護者!」
死角からシンカーが襲い掛かる。それを掴んで受け止め、ディクタトールは悠へ放り投げた。投げつけられた衝撃で、二つの身体は転がりながら吹っ飛んでいく。悠が小さく悲鳴を上げた。
立ち上がろうと悠はもがくが、痛みが想像以上に体を拘束する。無理をすると死ぬぞと、体が悠の理性に抗っていた。
くそっ! 立てよ。立ちやがれ!
悠は訴える。だが精神力だけでは、物理的な損傷を凌駕できない。
もがくばかりで立ち上がれない悠を目にし、ディクタトールは勝利を確信した。
「ようやくだ。お前を消して、ようやく私は安心して人類を手に入れられる!」
ビームで悠の急所を貫こうとした刹那、ディクタトールの足元に扉が現れた。
「なにっ!」
後ろへ飛び退いた直後、扉が開いて底なしの奈落を地面に空ける。逃げたディクタトールを追跡するように、扉の中から触手が無数に飛び出した。
「これは、守護者の攻撃なのか?」
迫る触手を破壊し、ディクタトールは距離をとった。
現れた時と同様に、突然彼の前から扉ごと触手が消える。
まさかと思い悠の方を見ると、すでに悠の姿は無かった。切り落としたはずの腕も消えて無くなっている。
「逃げられたか……まだ協力者がいたとはな」
一瞬思考し、ディクタトールは問題ないと結論付けた。
「まあいいさ。時間稼ぎをしている間に、私が勝つ」
ディクタトールの視線は、はるか遠くを見つめている。そこには壁の如き巨大な刃が、地球に突き刺さっていた。
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