王の降臨
庁舎前の広場は、ニュース映像のとおりデモ隊に占拠されていた。警察だか警備だかが、デモ隊を一定ラインより敷地には入らないよう抑制している。
二人がついた頃には、その人数はテレビで見た時の倍以上に増えていた。未成年者だけでなく、成人や年配者の姿も多い。むしろこのデモの中核を担うのはそういった人々の様だった。
「俺達には自由に生きる権利がある! これは人権に対する明確な攻撃だ!」
デモ隊を率いているリーダーらしき若者が皆を扇動して叫んでいる。
悠はそれを見て、違和感を感じていた。
「ねえ、これってなんかおかしくない?」
「こうなると、何もかも変な感じに思えてくるんだけど」
「まあね。いやさ、敵の目的がこの街を支配下、統制下に置くことだったとして、どうしてわざわざそれをみんなに否定させるようなことを許すんだ? この反対運動を敵が仕向けたものだとして、自分の支配を否定させることに何の意味があるんだ?」
「それは、本人に直接聞いてみよう」
クリカが庁舎を見上げる。
天へ届くような勢いの巨大な摩天楼。そのどこかに、白金麗子はいる。
「どうやって入る?」
「シンカーで、あの人のいる場所に直接乗り込む」
クリカがシンカーを呼び出し、二人は深界を経由して庁舎内部へと侵入した。深界から現世を見上げれば、庁舎の内部がすべて透けて見える。
十数階分を上昇して、シンカーは現世へと浮上した。
二人が飛び込んだのは、大統領の執務室だった。
部屋にいるのはちょうど白金麗子ひとり。彼女は突然現れた二人に驚いて少し飛び上がる。
「なによアンタたちっ! どこから入ったの! もしかしてデモ隊の?」
「いいえ、私たちは違う。……娘の顔はもう忘れた?」
クリカのその発言に、麗子は一気に冷めて攻撃的な表情へと変わった。
「ああ、アンタね。何? こんなところまで乗り込んできてどういうつもりよ」
「単刀直入に聞く。この街を改変させたのは母さんなんでしょ?」
「何の話?」
訝しむように麗子はクリカを見た。
「怪物と手を組んで、自分の都合がいいように世界を作り替えたんでしょう」
「フンッ、何を言い出すかと思えば。やっぱりアンタ、頭がおかしいわ」
呆れたように麗子は首を振る。その反応は、常人であれば至極まっとうなもの。
悠もクリカも、こういった反応が返ってくることは想定していた。彼女が世界の改変に関わっていたとしても、それをわざわざ明かすはずがない。
「子供のお遊びに付き合っている暇は無いの。私は忙しいのよ。帰って頂戴」
「何も知らないならそれでいい。けど、それでもこれだけは言える。こんなのは間違ってる。こんな風に街の人たちを縛り付けて、いったい何がしたいの?」
麗子が不機嫌そうに舌打ちをする。
「無能な子供が大人のやる事に口を出すな。より良い国と世界を作るために、私は全てを捧げて正しい事をしているだけ。判断力の無い子供は、大人の言う事に従っていればいいの。それを分からないバカと論者が、ああやってバカ騒ぎをしているだけよ。あれこそ低能の証拠。自由だなんだと言ったって、結局自分たちの欲のためでしょう。あいつらは子供の事なんて考えていない。子供の質が下がるという事は、ひいては国の人材の質が下がるという事よ。民度が低下すれば、国の質が下がる。私はね、人々に選ばれてここにいるの。優秀だから選ばれた。そういう人間に黙って従っていればいいのよ。あんたみたいな劣等民は」
麗子は見下す様な目で、クリカの姿をまじまじと見つめた。
「如何にもバカそう。アンタと血が繋がってるってだけで、嫌になる。優秀な私から、どうしてアンタみたいなのが生まれるのよ。あの人のせいに決まってる」
「お父さんを悪く言うのは止めて!」
初めてクリカの声に、怒気が混ざる。
「生意気に。アンタさえ優秀なら、結婚だってすべて上手くいっていたのよ。完璧な経歴にみそがついたのはアンタのせい。アンタを生んだことは、私にとって人生最大の汚点よ!」
そのあまりの言い草に、悠はいても立ってもいられなくなる。
「貴女、それが娘に対してかける言葉ですか!」
「外野が口を挟むんじゃないっ! そもそも、あんたはなんなのよ!」
「もういいよ。退こう」
クリカが冷静に悠を制した。クリカの問題である以上、悠は彼女の判断に従うしかない。
二人は部屋を出て、来た時と同じ経路で外へ出た。
◆
「はぁ、まったく……」
来訪者が去り、麗子は呆れた様子でため息をついた。
その背後に、ぬっと黒い影が現れる。
「良かったのかいレイコ? 君の娘だったんだろう?」
「あんなの、私の子供じゃない」
「ハハハッ、まったく非情だねキミは」
黒い影は陽気に笑った。それを疎ましい目で睨みつけて、麗子は言う。
「そんな事より、今は暴動の鎮圧が最優先よ。警邏隊はどうして動かないの?」
「ああ、心配なく。もうすぐ行動を起こすさ。安心していい。暴動はすぐに鎮圧されるだろう」
「そう。ならいいわ」
麗子は机に向かって仕事に戻る。
「まったく。こっちは対応しなきゃならない事が山ほどあるっていうのに……」
愚痴をこぼす麗子に、影は陽気に告げた。
「いいや、レイコ。君はもう、働かなくていい」
「どういう意味? ―――うっ!」
怪訝に思って振り返った麗子の首を、影が掴んだ。
「圧政に民衆が異を唱え、指導者を失墜させる。これは世の常だ。そして民衆は新たな指導者を立てる。実に奇妙だとは思わないかい? 面倒なことは他人に任せたいが、そのために支配されるのは嫌だという。民衆とは勝手なものだよな、レイコ。だが安心していい。そういう時代は終わる。優秀な者に民は管理されるべきだという君の考え方に、私は賛同しているんだ。ただ欠点があるとすれば、それを人間がやる事だ。人間が人間を管理しようとするからダメなんだ。圧倒的で完全な力を持った別の何かが判断を下す様にすれば、不満など起こりはしないさ」
「アンタ……まさか……」
「そう。君はスケープゴート。民衆に倒される悪い支配者の役だ。そして私が、君の後を継いで新たな指導者となろう。喜びたまえ。君の理想だ。人類をより良く導いてあげるよ。君より優秀な私がね」
影は笑った。
麗子はもがく。そんな事はさせるものかと。人の上に立つ権利があるのは自分。自分こそ、人を従える選ばれた人間なのだと。
「ハハハッ、やはり君は良いね。勘違いで身を滅ぼす典型だ。君は自分を選ばれた特別な存在だと思っているんだろう? 特別だから、他者とは違う。何をしても許される。なぜなら自分は特別だから。だけどね、私からすれば君は数多いるただの人間の一人にすぎない。いや、人類を裏切り、世界を侵略者の手に渡したんだ。もっと
陽気に笑って、影は麗子を放り投げた。
◇
悠とクリカはデモ隊から少し離れたところで、庁舎の様子を監視していた。
クリカからの強い要望によるものである。悠としては、麗子が黒幕という説に関しては半信半疑なところがあった。
「クリカさんは、本当にあの人が黒幕だと思う?」
「分からない。けど、私はそんな気がしてる」
個人的な感情が混ざっているんじゃないか? そう喉まで出かかって、悠は言葉をのみ込んだ。
「そもそもこの話に関しては、空虚さんに誘導された節もある。白金麗子が怪しいのかもしれないけれど、本人が否定している以上は、間違いって可能性もある」
現に改変を起こした異次元人には、悠たちは一度も遭遇していない。白金麗子が怪しいとしても、彼女に力を貸している異次元人はどこにいるのか。二人が本来追うべきはそいつである。
「真阿連くん、大事なことを忘れてる。あの人には、私の姿がはっきり見えてたんだよ」
その指摘に、悠はハッとする。そう。普通の人間にクリカの姿は見る事ができない。それが可能な人類は、異次元人に関わっている可能性が高いという事だ。
その直後だった。広場の方で発砲音が鳴った。デモ隊から悲鳴が上がる。
「っ!」
「待って、クリカさん!」
悠の制止を無視し、クリカが飛び出した。
警邏隊が、デモ隊へ向かってゴム弾を乱射していた。制圧という名目なのだろう。すでに何人かが撃たれ、地面で苦しみもがいている。
クリカは間に入ってゴム弾を防いだ。
突然の介入者に、警邏隊の兵士たちはすぐさま反応する。自分に銃を向ける兵士たちの姿を見て、クリカは敵の正体を悟った。
「やっぱりお前たち、異次元人の!」
クリカは敵の銃を破壊し、兵士たちを張り倒す。相手がただ操られている人間だった時のことを考慮して、致命的な攻撃は避けた。
「いったい、何が起こっているんだ?」
クリカの姿が見えない群衆は、目の前で突然吹っ飛ぶ警邏隊の姿に呆然としていた。
悠はその様子を、気をもみながら見守っている。クリカが人前で戦うのは、悠の知る限り初めての事だ。見えないとはいえ、何が起こるか分からないと危ぶんでしまう。
唐突に、遠くの方で爆発が起こった。
「何だ?」
悠と群衆は、庁舎とは全く別方向の空に黒煙が上がっているのを目撃する。
街が騒がしくなり始めていた。同時多発的に、デモに対する制圧が各所で始まっているようだった。
「そうやって、暴力で解決するのがお前たちのやり方かーっ!」
デモ隊の一人が叫んだ。それに呼応して、警邏隊への非難が飛び交う。
白金麗子を退任させろ。白金麗子をここに出せ。群衆の熱が最高潮に達する。
瞬間、はるか上空で悲鳴が上がった。
庁舎の窓から女性が投げ出され、数十メートルを落下する。
「っ! シンカー!」
クリカの命令で、シンカーが女性を受け止めた。シンカーの身体がぐにゃりと変形し、衝撃を吸収する。その反動で女性は再び投げ出され、地面を転がった。気を失ったのか、女性はピクリとも動かない。
纏ったスーツを見て、クリカはそれが麗子だと気が付いた。
「お母さん! どうして?」
彼女が飛び出して来た窓を見上げ、クリカは更に驚愕する。
そこに怪人が浮遊していた。深紅の衣を纏い、金の装飾に縁どられた白亜の甲冑を着込んだような姿。それは威光の様な存在感を放ち、天上に浮かぶ姿も相まって人々に神の如き印象を植え付けた。
群衆は、怪人に気づいてざわめきだす。
「諸君、私の名はディクタトール。諸君を圧政から解放する者だ。たった今諸君が目にした通り、支配者は倒れた。君たちの勝利である!」
演劇の台詞回しかの様に大仰に、怪人ディクタトールは人々に宣言した。
その直後、警邏隊が一斉に融解する。溶けて黒い塊となり、蒸発して消えた。
誰一人、それを異常とは感知しない。
目の前に現れた救世主に、歓声を上げる。自分たちの勝利、開放の宣言に湧き上がる。街中が歓喜に包まれていた。
悠とクリカには、その光景が極めて異質に映る。
この異質な状況で、人々の反応が統一され過ぎていた。まるで演劇の流れとして、それが定められているかのように。
「ディクタトール! ディクタトール! ディクタトール!」
群衆が怪人の名を呼び称える。
その呼び声に答える様に、ディクタトールはゆっくりと地面に降下してきた。
「ありがとう。君たちの行動によって、悪しき支配者は討たれた。これからは私自らが君たちを導こう」
その宣言に、群衆は歓声を上げた。
もはや民衆が操られている事は明白だった。誰一人、ディクタトールの言葉に異を唱える者はいない。
ディクタトールが両手を挙げると、歓声が一気に静まり返った。
「さて。それじゃあまずは、反乱分子に躾をしようか」
ディクタトールはクリカを見ていた。
相手が戦う気なのだと分かり、クリカは身構える。
ディクタトールが右手を突き出した。その手のひらから、光の熱線が放たれる。
「ビームって!」
クリカの背後には群衆がいる。回避するわけにもいかず、クリカはそれを真正面から受け止めた。
彼女の分解能力はビームにも機能している。ただ、ビームから発せられる熱の余波が、クリカの肌をわずかに焼いた。
「ぐっ……!」
焼ける痛みに耐えながら、クリカは背後の群衆を庇う。
ディクタトールに歓声を送っていた群衆も、自分たちの方に攻撃が飛んできたことを認識し、逃走を始めていた。
悲鳴と怒号が行き交い、広場前からはいっせいに人がいなくなった。
そこでようやく、ディクタトールの攻撃が止む。
「やる事が、ずいぶんとあくどいんだけど」
睨むクリカを、ディクタトールはあざ笑う。
クリカの掌は火傷によって真っ赤に変色していた。
「今さら守護者が出てきて何になる。私の侵略は既に完了した。君の出る幕じゃない」
「なら、お前を倒して元に戻すだけだ」
クリカはディクタトールへ向かって駆け出した。
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