動き出す異変

 次の日が来た。

 目覚めると、悠は右腕の感覚がない事に気が付いた。右腕だけベットの下におろしていて、その手をクリカが握って寝ている。

「自分が寝落ちるまででいいから」と言われ、この体勢で手を握ったまま昨夜は横になったのだ。そのまま先に自分が眠落ちてしまった結果がこれである。

 起こさないように慎重に手をはがし、悠は自分の右腕を救出する。持ち上げた途端に血が流れ始めて、痺れを起こした。


「結構痛いなこれ」


 呟いて、朝食を用意するために台所へ向かう。用意している間にクリカが目覚めるのが、いつもの流れだった。


「お、おはよう。真阿連くん!」


「ああ、おはよう」


 起きたクリカに挨拶を返し、二人分の朝食をテーブルに運ぶ。

 本日の朝食はトーストの上に目玉焼きを置いたシンプルなものだ。

 起きたばかりであまり食べられないので、朝はパン食が恒例になっている。

 悠独りであればそれこそ食パンも焼かずに食べてしまうのだが、クリカを来客とみなしている様で、無意識に手が込んでしまうのだ。


「いただきます」


「い、いただきます」


 なんとなくクリカの様子が妙な気がして、悠はちらりと様子を窺う。同じ様にしているクリカと目が合った。途端、彼女はそっぽを向いた。


「?」


 何か妙だなと思っていると、クリカが戸惑う様に言った。


「その、なんて言うか、昨日はありがとう」


 その表情がとても恥ずかしそうで、悠は察した。


「ああ、うん。大丈夫」


 悠も思い出して少し恥ずかしくなった。

 強烈な出来事が連日続いたからか、これまで認識が甘くなっていた事実が、今さらながらに悠を意識させる。

 異性の同級生と二人きりで生活というのは、よく考えればいろいろと問題がある気がした。

 当初は食事だけでもという話だったのに、今では当たり前の様にクリカもここで寝泊まりしている。

 とはいえ、今さら出ていけと言うわけにもいかず、言うつもりも悠にはない。ここがクリカにとって唯一の活動拠点なのは変わらないからだ。

 ちょっとだけ気まずくなりながら食事に集中する二人。そんな二人に助け舟を出す様な着信音が唐突に響いた。

 悠はすぐさま受話器を取る。


「はい、どちら様でしょうか? ああ、はい。真阿連でございます。――はい。はい、分かりました。失礼します」


 電話を切った直後に電話帳を開いた悠を見て、クリカは内容を察する。


「連絡網?」


「うん。今日は休校だって」


「また突然どうして?」


「さあ?」


 通常あり得ない事なのだが、理由について悠は聞かされなかった。ただ休校だと伝えられただけだ。

 悠が電話をかけている最中、クリカは外の様子が騒がしい事に気がついた。

 ベランダに出て下の様子を窺うと、道を人の群れが行進していた。何やら板の様なものを掲げている事から、デモ隊なのだとすぐに分かった。


「こんな朝早くから?」


 クリカが部屋に戻って時計を見ると、まだ七時を過ぎて少ししか経っていない。

 悠が電話を終えて受話器を置いた直後だった。唐突にインターホンのチャイムが鳴る。


「こんな時間に誰だろう?」


 悠は不思議に思いつつ玄関へ向かう。そもそも来客自体がはじめての事だ。

 インターホンの画面で確認すると、そこに意外な人物が立っていた。


「っ!」


 悠は玄関を開くかどうかをわずかに考え、結局開けた。途端、外側から扉を全開にして段ボールの塊が侵入してくる。


「うわっ! なんだこれ!」


「どうも。おはようございます」


 段ボールの末端に、空虚彼方の姿があった。

 悠の声を聞きつけて廊下にやって来たクリカも、彼女の来訪に驚く。


「あんた、どうしてここに?」


「ちょっとした差し入れを持ってきました。学校で見るわけにもいかなかったので」


 そんな事を言う彼方。

 彼女の言うとやらを確認し、悠はまた驚かされる


「うわぁっ、これ8Kテレビじゃん!」


 60型以上の大型サイズだった。十万以上は軽くするであろう買い物を、


「私には安い買い物ですよ」


 なんて言って見せる異次元人。

 値段も驚きだが、悠は何よりその大きさに圧倒されている。


「こんなでかいものどこに置く気だ!」


 悠の部屋はもともと独り用なので、部屋の面積が極端に少ない。ベッドとテーブル、それと棚とラックを一つずつ置いているがそれですでにいっぱいだった。


「おや……本当ですね。まさか貴方たちの秘密基地が、こんなに小さかったとは」


「小さくて悪かったね。ここはボクの家だよ」


「なら、少しスペースを増やしましょうか」


 パチンッと彼方が指を鳴らした途端、クリカが小さく悲鳴を上げた。悠が振り返ると、部屋にささやかな変化が起きていた。ほんの少しだけ、面積が増えている。


「あっ! 勝手に人の部屋を拡張するな!」


「これならテレビも置けるでしょう?」


「いったい何がしたいのよ……」


 クリカはめまいを感じて、鼻根をつまんだ。


「地球防衛軍なら、情報収集のためにテレビくらいは持っておくべきですよ」


 どこか冗談めいた調子で、彼方は段ボール箱を運び入れる。

 しかたがないので、悠は渋々テレビの設置を手伝った。

 カードを差し込み、線をつなぐ。

 電源を入れると、彼方は説明書も読まずに高速でリモコンを動かし、設定を瞬時に完了させる。


「あんた、よくそんなパッパとできるね」


 手際の良さに舌を巻くクリカへ、彼方はしたり顔で返す。


「この程度の情報処理、私には造作もない事です」


 正体をすでに晒した後だからか、彼方の態度が少し柔らかくなっているように、悠には感じられた。


「購入品の試運転がてら、貴方たちにこれを見せてあげようと思いましてね」


 そんな事を言って、彼方はニュース番組を映した。


『ご覧ください! 庁舎前には早朝にもかかわらず、デモ隊が殺到しております!』


 空から地上の様子を写した映像に、そんなリポーターの声が響く。

 施設の前に作られた広場の前で、群衆がプラカードを掲げて何かを訴えていた。

 それは現体制に対する不満。この街の若者たちを縛る、法律の廃止を求めるデモだった。


「さっきのって、これだったんだ」


 外で見たものの正体を知り、クリカが納得する。


「どうしてこんな朝早くから?」


 デモ自体に悠は疑問を持たなかったが、いくらなんでも時間が早すぎると感じた。ある程度日が高く昇ってからでも、遅くはない集会だ。


「常識を疑え。この街は何もかもが異常なのですよ」


 彼方はそう言って、座り込む。


「さあ、どうぞ。お二人も遠慮なさらずに」


「ここは僕の部屋だ」


 悠は抗議しつつ、座った。


「今の世界は、何かと人の動きが極端すぎるとは思いませんか?」


「それには同意する。確かに、街の人たちに関してはずっと違和感があった」


 明らかに悠の中にある常識と、世間の当たり前が乖離している。それは街の人々の反応にも表れていて、黒犬の被害を前に無警戒であったりした。

 アムリから認識をかく乱するような領域が作れると聞かされた後でも、悠にはそれが引っ掛かっている。バージェット自体は潜むような行動をとっていない。あくまでも住民たちの反応は別の要因があると考えていた。

 そんな悠に、彼方は告げる。


「やはり貴方は、他の人間と違って元の感性を残しているようですね」


「確かに、僕の認識と噛み合わない事は多い。それが改変の正体なのか?」


「ええ、まあ。その一端ですね」


「そもそもこれ、あんたの仕業じゃないの?」


 クリカはテレビ画面を指して、彼方を問い詰める。


「昨日だって、先生たちを操っていたでしょ。そういう事が、あんたにはできるんじゃないの?」


「ええ。可能です。ただ、私ではありませんよ。約束は守ります。証拠はありませんが、貴女だって本当は犯人に心当たりがあるのでしょう?」


 彼方に問われ、クリカは「そうね」と頷いて身を引いた。


「身の潔白を証明するとまではいきませんが、ある程度私が把握している敵の情報を開示しましょう」


「ありがたい。情報提供なら助かるよ」


「ええ。喜んで」


 彼方は悠に笑顔を向けて、どこからか白紙の紙を出す。


「例えば世界の改変について。この紙が、本来の世界であるとしましょう」


 紙をテーブルに置いて、彼方はまたどこからか取り出した赤いインクをその上に一滴たらした。


「この赤いシミがこの街。つまり改変領域だとします。シミは世界である白紙を完全には覆っていません。つまり、この都市の外はまだ正常な世界なのです」


「昨夜言っていた、この都市だけが改変を受けているというのはそういう事か」


「でも、それだと都市の外とは噛み合わない事が出てきちゃうんじゃないの?」


 クリカの問いに、彼方は頷く。


「ええ。ですから、この都市は結界の様なもので隔離されています。この都市は厳密には世界との関わりを断たれた孤立地区なのです。外側の人々は、無意識のうちにこの地域への干渉を避ける様になっているはず。ある意味では、そちらは世界規模の認識操作と言って良いでしょう」


「孤立しているのなら、どうして世界規模の危機になるんだ?」


「このシミが、広がっていくとしたらどうでしょう? シミが広がり続け、やがて白紙の紙をすべて赤く染め上げてしまったら?」


「みごと世界征服ってわけか」


「その通り。ですがご心配なく。このシミはまだ広がる気配がありません」


「準備ができていないって事? だから、敵はこれをやらせているの?」


 クリカがテレビを指さす。デモは庁舎前だけでなく、都市の各地で起きているようだった。ニュースが延々とその話題を報じている。


「ええ。おそらくは。これが何を意味するのかまでは、私にも分かりませんが」


「君はさっき、このシミの事を改変領域と言ったよね。もしかして、この都市そのものが異次元人の領域なのか?」


 悠の問いに、彼方は頷いた。


「ええ。それが伝えたかった二つ目の情報です。異次元人の使う領域の特性については、あなた方は既に理解していますね」


 二人は頷く。


「私の能力が封じられる」


「ええ。ですが、厳密に言えば意図して封じているわけではないのです。それはあくまで副次的な効果です。異次元人の使う領域という概念は、自分の最も活動しやすい空間、つまり陣地を作るという行為にあります。地球の環境に対して適応能力がなくとも、領域として区切られた空間であれば活動はできます。私も、実は常に体の周囲に領域を展開し続けているのです。貴方達にイメージしやすい物で例えるのなら、潜水服や宇宙服のようなものです」


「なぜそれが、クリカさんの能力を抑制させるんだ?」


「守護者の力は、この世界からのバックアップで成り立っているものなのでしょう。領域は世界からの干渉を防ぐもの。だから能力の一部が極端に制限されるのです」


「なら、この都市の中で私が能力を使えるのはどうして? ここは異次元人の領域の中なんでしょう?」


「領域は世界からの干渉を防ぐ代わりに、膨大なリソースを消費します。その力の種類が何であろうともその原理は一緒です。だから本来、領域は大きく作れない。我々の様に異なる宇宙から来た者たちは、故郷に存在するリソースをこの宇宙で補充できるとは限りませんからね。

 ですから、この都市の様に極端な大きさの領域を作ろうとすれば、リソースの消費量も尋常ではないはずです。だからこそ、領域としての効力は限定的なのかもしれません。改変という一つの効果に振り切っている」


「敵はそれだけ無理をしてるって事か」


「ええ。相手が迅速な行動をとれていないのもそのせいでしょう。だからこそ、タイムリミットが迫っている事を自覚してください。私からは以上です」

 彼方は話を終えると、クリカを見た。クリカはその視線に気づいて、頷き返した。


「あのね、真阿連くん。話があるの。私、この犯人に心当たりがあるかもしれない。たぶん、真阿連くんなら感づいていると思うんだけど―――」


「白金麗子だね」


 悠の答えに、クリカは首肯した。

 強権的な法律を施行する、実質的な支配者である行政。そのトップであるこの都市の大統領。そして、倶利伽羅星来の母親だった女。

 そもそも悠の中の常識では日本に大統領という役職はないし、その活動拠点が都庁のはずがない。明らかにおかしなことが常識として進行しているあまり、悠にはこれをはっきり違和感と言い切る事ができなかった。


「つまり、世界の改変の正体は、あの法律か」


 悠の頭に浮かんだのは、件の未成年者の活動を制限する法律。そもそも条例であっても破綻しかねない内容のものが、法として置かれ、市民の生活を警邏隊などという兵隊によって監視している。それはあまりにも常識から外れた光景だ。

 悠の指摘に、クリカも頷いた。


「たぶん。私は違和感なかったけど、私自身が改変の影響を受けていたのだとしたら、納得は行く。確かにあれは強権的過ぎる。あんなバカな法律を作る人なんて、よく考えたらあの人しかいない」


 クリカは悠の手を取った。


「だからね、私と一緒に行ってほしいところがあるんだ」


「直接、確かめに行く気なんだね」


 不安気に、クリカは頷いた。

 悠はもう、ついていかないつもりだった。昨夜分断されて、自分の無力を思い知ったからだ。悠自身の弱さが、クリカの弱点になるような局面が今後ないとは言い切れない。

 だが同時に、クリカを一人で危険な場所へ向かわせたくないという思いもある。

 クリカから頼まれてしまえば、悠は断れない。昨夜あんな話を聞かされた後では、なおさらにこの頼みだけは断れなかった。


「分かった。一緒に行こう」


 二人は立ち上がり、出かける準備に取り掛かる。


「いってらっしゃい。どうかお気をつけて」


 彼方は二人にそう告げると、テレビのチャンネルを適当なバラエティーに切り替える。ここに居座るつもりらしい。


「いや、出て行ってくれよ」


 悠は呆れながら、彼方に言った。

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