学校の怪談
悠が部屋に戻ると、クリカが居た。薄暗い部屋の隅で、膝を抱えてうずくまっている。
「ただいま」
「……おかえり」
クリカは顔をわずかに上げて、悠をちらりと覗く。
「ごめん。騙していたのは私のほうだった。本当は地球の事とかそんな大それたことはよく分かんなくて、ただ自分のこの状態を元に戻したいから、なんとなく宇宙人に言われるまま戦ってただけ。私、真阿連くんが思ってるような、かっこいいヒーローなんかじゃない」
唐突に、クリカは独白する。今日一日、ずっとそんな事で悩んでいたのかと悠は心配になった。
彼女は思いつめている様だが、悠はずっと前からそれを知っている。悠は彼女がどれだけ強がっていたのか、すでに気づいていた。
「私なんかにさ、本当はこんな役向いてないんだよ。何もうまくできないし、居なかった事にされても誰も困らない。誰にも必要とされない、存在する価値なんてない。
君の信頼すら素直に受け取れない私なんかに、手伝ってもらう資格なんかないんだ!」
いつになく荒れているなと、悠は思った。彼女を追いこんだきっかけが何かあったかと記憶をたどる。思い当たる節が多すぎて、どうにもならなかった。
「ごめん、メンドくさくて。私、メンタル弱すぎだよね」
少し落ち着いて、クリカは泣きながら謝った。その声は、どこか自虐的に笑っていた。
「知ってる。全部知ってたよ。クリカさんは、そんなに強くないって」
クリカがクスリと笑った。
「はっきり言うじゃん」
「まあね。けど、僕も同じだ」
悠はあえてクリカに視線が合わない様に、離れたベッドの上に腰を下ろした。
「毎日悩んで、うじうじやって、それでもやらなくちゃいけない事があるから、何とか前進できてる。綱渡りみたいだよ」
「意外。真阿連くんでもそう思うんだ」
「自分が何だか分かってないからね。その辺、なんかナーバスになってるのかも」
人に胸を張れるほど、悠自身迷いのない生き方はできていない。
「後悔してたんだ。あの日、バージェットと戦う前。マンションの屋上でさ、なんか偉そうなこと言っちゃって。僕は見てるだけしかできないのに、クリカさんに辛いこと全部任せきりにして、あの言葉で余計に背負わせちゃったよね」
「確かに、すっごい重かった。あれはひどいよ」
クリカは茶化してみせたが、悠は重く受け止めた。
「うん。反省してる」
クリカが望んで戦いに身を投じたわけではない事を、あの時だって知っていたはずなのに。熱に浮かされていたのだと思う。自分たちを守ってくれるヒーローみたいな強さを目の当たりにして、彼女自身の気持ちを忘れてしまった。
「でもね。僕はそれでも、クリカさんが守護者で良かったと思う」
「なんで?」
「クリカさん、いつも誰かを助けるとき一生懸命だから。戦いの余波で街が燃えた事も、すっごい悔しがってた。クリカさんは真面目で、優しくて、そういうところ本当に尊敬してるんだよ。
別にさ、理由なんかいいじゃん。動機が何だってさ。下心があったら人を助けちゃいけないなんてことはないよ。助けてもらったら、嬉しいんだから。ヒーローじゃなくったって、クリカさんがみんなの命を守った事は嘘にはならないよ。やった事だけが、全部真実でしょ?」
クリカは声を殺して泣いていた。その涙がどっちのものなのか、悠には分からない。それでも。
「存在する価値がないなんて言わないでよ。僕の友達はクリカさんだけなんだ。いなくなられたら、寂しいよ」
クリカが笑った。
「もっと友達作りなよ」
「今日分かった。僕はそんなに器用じゃないらしい」
「ふふっ、しょーがないなぁ」
袖で涙をぬぐって、クリカは立ち上がった。
「
クリカはそう言って、くしゃくしゃの顔で陽気に笑ってみせた。
◇
落ち着いたところで、悠は学校での事をクリカに伝えた。
学校の内部で何かが起こっている事、そこに異次元人の関与が疑われる事をクリカも理解した。
「よしっ! 学校へ行こう!」
概要を聞き終えたクリカは、すっと立ち上がって宣言した。
「これから?」
「もちろん。異次元人の仕業なら、わざわざ律儀に通学はしてないでしょ」
悠の盲点をクリカは図らずも指摘する。
悠は、謎の生徒がアイテムを流しているという情報に固執しすぎていたことに気がついた。
「それに今回の相手は、なんか私に特別喧嘩を売ってる気がするんだよね」
冗談抜きで、クリカは少し怒っている様子だった。その感情は、悠にも十分共感できる。
おそらく誰の記憶にも残っていないのだろうが、個人のプライバシーをあんな形で意図的に流布するというのは悪意しか感じられない。
「見つけたら必ずとっちめてやる!」
「とっちめるって……」
怒りのせいか意気込みがすごいが、いつもの調子に戻ったクリカに、悠はほっとしていた。
◇
夜の校舎は不気味だと、悠は思った。ありきたりな感想だが、それ故に誰もが抱く感覚なのだと思い知る。
これほど無機質で巨大な建築物が無人でそこに存在するという、ある種の空虚さが現実離れした空間をその一帯に作り出していた。
「うわぁ、やばっ」
クリカは悠の背後に隠れるようにして密着する。
「クリカさん、怖いの?」
「いや、こんなん誰だってビビるっしょ!」
確かになと、悠も同意する。
校舎の中は底なしの闇。そこへ入って行くのは、自ら怪物の腹の中へと飛び込むようだと悠は思う。
だが、実際ここが異次元人の拠点になっていた場合、その感覚はそれほど誤りというわけでもない。
肝試しではなく調査なのだから、やはり警戒はしておくべきだろうと悠は判断した。
「クリカさん、シンカーで偵察を出そう」
「あ、うん。そうだね」
クリカが呼び出すと、小型のシンカーが無数に地面から頭を出した。悠にはそれがどことなく、撒かれた餌に群がる鯉みたいに見える。
「この学校の敷地内を、隈なく監視して。敵がいるかもしれない」
クリカの簡単な指示を聞いて、シンカーたちはいっせいに散らばった。
「これで何かあれば、すぐに分かるよ」
「よし。僕らも入ろう」
鍵をこじ開けるわけにもいかないので、深界経由で校舎内に侵入する。
懐中電灯の明かりで照らし出された壁には、壁掛け時計があった。時刻は七時三十分。
生徒は当然いないとしても、教員まで全員帰ってしまう時刻なのだろうかと悠は疑問に思う。
外から見た時、明かりのついた窓は一つも無かったはずだ。
玄関を入ってすぐ右が体育館へつながる通路。左が校舎となる。
「二手に分かれる?」
悠の提案に、クリカはぶんぶんと首を振った。
「無理むりむりっ! 絶対に一緒! こういうのは、一人になった途端に襲われるの。そんなの常識っしょ!」
それはサスペンスホラーのセオリーなのでは? とか思いつつ、悠はクリカに従う。確かに悠一人で敵に遭遇しても、対処ができない。
しかしクリカ自身にはそんな意図は無かったのだろう。彼女は悠の背中にがっしりとしがみつく様にして隠れている。
「ねえ、クリカさん……歩きづらいんだど」
「ごめんだけど、しょうがないじゃん」
「もしかしてクリカさん、幽霊とかダメな人?」
「うん。もうほんっと無理」
「異次元人も似たようなものだと思うんだけど……」
「だからどっちも苦手なんだって。でも幽霊は何か、もっと無理なんだって!」
今にも泣きそうな声で、クリカは訴える。侵入しているという感覚が恐怖によって吹っ飛んでしまったのか、その声は廊下中に響いているのではという大音量。
これだけ叫べば幽霊も寄ってこなさそうだなと、悠は苦笑する。
「いや、でもこの体勢だとすぐ振り向けないし。僕も後ろを警戒できないのはちょっと怖いんだけど」
悠の言葉で、クリカは震え上がる。
「ちょっ、やめてよ!」
慌ててクリカは後ろを振り返った。
そこには何もいない。しんと静まり返った暗い廊下があるだけだ。
ほっと一息ついて、クリカは強がって見せる。
「ほーら、何もいない―――」
前を見ると悠が居なくなっていた。
「えっ? ……真阿連くん? ちょっ、嘘でしょ! 真阿連くん、冗談やめてって!」
彼女の声が響くばかりで、廊下には誰の気配もない。
悠がこんな冗談を仕掛けるとも思えず、クリカは周囲を警戒し始める。
「真阿連くん、どこ?」
校舎という建物には、何かが潜めそうな死角など山ほどある。特にそれが人ならざる者であれば、より柔軟にこの地形を利用できるのだろう。
クリカはすでに何かの攻撃が始まっていると判断した。
「シンカー!」
クリカが呼ぶと、いつもの大型シンカーが顔を出す。
「真阿連くんを探して!」
シンカーは指示を受けてすぐさま行動に移る。
クリカもビビりながら廊下を進み始めた。
暗闇の中には得体のしれない何かが潜んでいそうで、気味が悪い。幽霊と名をつけてしまえば簡単だが、クリカが嫌なのはその得体のしれない漠然とした危機感そのものなのだ。
悠を救わなければという一心で、臆する心と戦っている。
不意に、光の線が廊下に走った。職員室の扉がゆっくりと開かれる。
なんだ、教師がいたのかと少し安堵したクリカは、直後に身構えた。
部屋から出てきた影が、不自然な動きをしていたからだ。のそのそと歩き、不自然に上半身を左右に揺らしている。
それはジャージを着た男性教員だったが、目は虚ろで表情は無かった。
何かがおかしい。
幸いなのは、クリカの姿は人には見えないという事。
そっと後退したクリカに、教員はビクンッと体を震わせて反応する。
直後、それまでの動きからは想像もできない速さでクリカに迫って来た。
「な、何なのよぉ!」
半ベソ状態ながらも、クリカは襲い来る教員をぶん投げた。勢いを乗せた背負い投げ。
背中から床に叩きつけられた教員は、ピクピクと跳ねて転がりまわる。その様子が魚みたいにクリカには思えた。
「キモッ!」
不気味な光景に引いていると、クリカは背後に新たな気配を感じとった。
振り返ると、職員室から複数の教員が出ようとしていた。何人も入り口に殺到し、詰まっている。そしてその全員がやはり虚ろな顔をしていた。
空虚な瞳が、一斉にクリカを見る。
「ぎゃあああああああっ!」
悲鳴をあげながら、クリカは全力で走りだした。悠を置いて逃げるわけにもいかず、来た道を引き返さずに奥へ奥へとクリカは進んでいく。
「真阿連くん、お願い! 無事なら早く合流して!」
祈るように叫んだクリカの足を、唐突にぬかるみが捕まえた。
コンクリートでできた床だ。沈むものなどあるはずがない。つんのめりそうになりながら、クリカは怪訝な顔で足元を見た。
ぐにゃりと、泥の様に足場が沈んでいた。
周囲の景色が唐突に変わる。目に見える全てが血の様に赤い泥へと変わり、クリカの足はさらに沈んだ。
「うそっ、何なのこれ!」
ぬかるみから脱しようと足掻けばあがくほど、クリカの足はずぶずぶと泥に飲み込まれていく。
唐突に、泥が目を開いた。泥の中に眼球が現れて、クリカを凝視する。
「うっ……」
クリカは恐怖と嫌悪で顔を歪ませた。その目は、足元にいくつもあるのだ。
一つ一つに意思があるようで、明確な視線を感じる。そしてその気配は、足元だけではなかった。
恐る恐る顔をあげて、クリカはゾッとした。
天井にも壁にも、無数の目があった。それら全てがクリカをじっと見つめている。
サーッと、血の気が頭から引いていくのをクリカは感じた。
「いや、ありえないって―――」
ふっと意識が飛んで、クリカはその場でひっくり返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます