不可視の少女

「へぇ、真阿連くんって、こういうのが好きなんだ」


 ラックに並べられた怪獣のソフビ人形を興味深そうに見つめて、クリカが呟いた。

 兵士の目を盗んで無事自室に帰還した悠は、約束通りクリカの為に食事の用意をしている。

 その間、クリカは部屋の中を物色しない程度に観察していた。


「ねえ、これ触ってもいい?」


「どうぞ」


 悠の許可を得て、クリカがソフビの一つを手に取った。


「これ昔見たことあるよ。なんとか星人っていうやつ。なんだっけな」


 本気で考えている様子のクリカを見て、悠はこっそりと苦笑する。なにぶん、悠にも答えが分からない。

 この部屋にある以上はあれが自分の所有物であることは間違いないのだが、関する記憶はやはりきれいさっぱり消えていた。


「クリカさん、食べられない物とかある?」


「大丈夫。何でも食べられるよー」


「分かった。なら、具は全部入れよう」


「なに作ってんの?」


「チャーハン」


「おっ、良いね中華!」


 米と具を炒めて、溶いた卵とガラのペーストを絡める。簡単で、すぐに作れる料理だ。

 材料の在庫、調味料の種類、調理器具の場所。全て悩まなかった。やはりここは自分が使っていた部屋なのだと実感する。

 分からないのは、なぜここで倒れていたのか。記憶喪失になった原因は何なのか。

 悩んだところで、答えは出ない。


「しっかし、真阿連くんもワルだよね。こんなの隠し持ってるなんてさ」


 何のことかと、悠はクリカを見る。その手にはまだソフビ人形が握られていた。“こんなの”とは人形の事だろうか。


「そんなの、ただのおもちゃだろう?」


「そっか。おもちゃなら良いんだっけ? あれ、でもフィギュアの所持って禁止だったような……」


 ぶつぶつと呟くクリカに、悠は肩をすくめた。さすがに玩具の所持まで犯罪にはならないだろう。


「できたよ」


「おおっー、やったー!」


 橋で出会った時とはまるで別人のテンションで、席に着くクリカ。この変わり身に、悠は内心驚いていた。

 二人分の皿をテーブルに乗せ、悠も向かいに座る。

 いただきますと一言、クリカはがっつくように食べ始めた。ここ数日何も食べてないといった雰囲気だった。そう思うのは、彼女の顔が薄汚れているせいもあるのだろう。

 あっという間に食べ終わって、ごちそうさまと手を合わせるクリカ。満足げに、彼女は体を倒して天井を仰いだ。


「あー、食べた。満足まんぞく。深夜の中華ヤバいなー」


「気に入ってもらえてよかったよ」


 彼女にとりあえず元気になってもらいたかった悠としては、一安心だ。


「ここ最近、まともに食べれてなかったからさ。助かったよ」


 やはり考えていたとおりだったらしい。


「もしかして、家出とか?」


 悠の問いに、クリカが静かになった。気まずい沈黙が部屋を満たす。そう感じているのは、悠だけかもしれないが。

 しまったと、悠は思った。何気ない一言だったが、状況を蒸し返すような無神経な発言に、悠は自分を殴りたくなった。

 しかしクリカはそれほど思いつめた様子もなく、


「……まあ、そんな様なものかな」


 と簡単に返す。

 あまり彼女が気にしていなかったことに、悠はほっと胸をなでおろした。


「ところでさ、聞きたいことがあるんだけど―――」


 唐突に起き上がり、クリカは悠を凝視した。彼女の視線が、悠の視線を固定する。悠は彼女から目が離せなくなっていた。

 まるで尋問でもするかのような力強い圧をもって、しかしあっさりとした口調で彼女は問う。


「君さ、何者なの?」


 質問の意味が分からない。名前はお互いに知っている。同じクラスだと言ったのは彼女だ。そういう意味では、クリカの方が悠自身より悠を知っていると言えるかもしれない。

 だから、そういう問いではない。もっと根本的な、お前は何だという問い。しかしそんなもの、記憶の無い悠には答えようがない。答えられない。

 クリカはただじっと待って、悠が何かを返すのを待っていた。

 その時だった。ふいに二人の前を、何かが横切った。二人の視線が切れる。


「うわっ!」


 緊張が切れて驚いた悠は、すぐさま横切った何かを視線で追いかける。それは魚だった。正確には、魚のような形をした何か。鱗や器官のようなものはなく、のっぺりとした風船の塊のようだ。

 それが悠にはなんとなく人魂のように感じられて、魚のお化けというなんとも間の抜けた結論が脳裏に浮かぶ。

 魚のお化けはそのままポチャリと水面に消えた。否。水ではない。悠の部屋に水はない。何もない空間に波紋を残して、それは突然消えたのだ。

 そして再び、四角い飛沫をあげて何もない空間から魚は顔を出す。


「な、なにこれ!」


 驚愕する悠とは対照的に、すぐ横でだるそうなため息が聞こえた。


「はぁ、またか」


 クリカはおもむろに立ち上がると、部屋の隅に投げ捨てていた上着を拾って羽織る。


「私行かなきゃ。ごめんね、真阿連くん。ごはんおいしかったよ。ご馳走様」


 そう言い残して、ふらりと歩き出した彼女の身体が、魚と同じ様に何もない空間へと消えていく。


「えっ! ちょっと―――!」


 咄嗟に立ち上がり、悠はクリカの服を掴んだ。吸い込まれる彼女を、助けようと体が動いてしまったのだ。

 結果、悠は異空間へと放り出された。

 ドボンッ! 水の中に入ったようなそんな感覚があって、悠は閉じていた目を開ける。

 衝撃で発生したものか、無数の四角いあぶくが視界を覆っていた。それが晴れた先に見えたのは、ターコイズブルーに輝く鮮やかな海だった。暗がりは無く、底も果ても存在しない様な光の海。

 そんな目に痛い世界の中では、先ほど現れたような魚の霊が、何匹も遊泳している。悠がそこを海だと感じたのは、その光景のせいだ。


「うわっ! なんで入ってこれるの!」


 傍らで、クリカが驚いていた。


「ごめん。なんか、咄嗟に引き止めようとしちゃって……」


「本当に君、何者なのさ」


 クリカはじっと観察するように悠を見る。正直、その問いを投げたいのは悠も同じ。この異空間に対して驚いているのは悠だけで、クリカはさも当たり前のように佇んでいる。


「ま、良いか。ついて来ちゃたんだからしょうがない。一緒に来て。私が何をしてるのか、君に見せてあげる」


 巨大な魚が泳いできて、二人の下で止まった。

 クリカは悠の手を引くと、魚の背ビレを掴ませる。


「振り落とされないように、シンカーの背にしっかり捕まってて」


「シンカー? こいつの名前?」


「そう。それじゃあ、よろしく」


 シンカーと呼んだ魚の背を、クリカが叩く。それを合図に、シンカーが泳ぎ出した。

 湿った感触こそないものの、水中にいる様な抵抗感が悠の全身を押し付ける。クリカの言うとおり、手を放せば後ろに飛ばされてしまうだろう。

 とはいえ厳密には水中では無いおかげか、呼吸などには支障が無いし、首を動かして周囲を見渡すくらいの余裕はあった。

 障害物の無い奇怪な海を、シンカーは自動車並みの速度で突き進む。

 ふと悠が頭上を見上げると、そこに街があった。ちょうど、地面の下から街を見上げているような視点だ。後ろへ流れていく街の景色は、水中から見たように霞んでいる。


「街の下に広がる海……か」


 ぽつりと呟いた悠の言葉を、クリカは肯定する。


「それ、たぶん正しいよ。ここは世界の下に広がる海なんだ」


「どういうこと?」


「ここは世界の基礎で、世界を形作る情報の海。街も地球も宇宙も、この上に在る表層の世界でしかないんだ。まあ、他人の受け売りなんだけどね」


 実際にこんな異空間へ来なければ、そんな話は信じなかっただろう。しかし自分の目で見てしまった以上、今さらクリカが自分をからかっているなどという発想は、悠には出てこなかった。恐らくすべて事実なのだろうと。


「君は、宇宙人なのか?」


 まるで冗談を聞いたみたいに、クリカは小さく笑った。


「ううん。違うよ。私は―――」


 急にシンカーが上昇を始めた。圧のかかる方向が急に変わり、二人は会話どころではなくなる。

 水の爆ぜる音とともに、体にまとわりついていた抵抗感がなくなった。目を開けて悠が周囲を見渡すと、そこはすでに地上だった。

 シンカーが背中だけを異空間から浮上させ、二人を地上に戻したのだ。二人が降りると、シンカーは再び潜っていった。


「ここは?」


 都市内のどこか。特にこれといって特徴もないガード下の近く。クリカが異空間を通ってまで、こんな場所に来たのが不思議だった。


「見て、あそこ」


 クリカがガード下を指し示す。悠が目を凝らすと、歩いている女性が見えた。会社帰りなのか、スーツを着ている。


「あの人がどうかしたの?」


 クリカは答えず、じっとガード下を見つめていた。その真剣な様子に、悠も質問をやめて女を観察した。

 途端、ガード下の暗がりがポッと明るくなった。紫色の揺らめく光が周囲の闇を払い去る。女性も背後で起きた異変に気付いて振り返る。そして、走り出した。

 何かに追われていると、見ている悠はすぐに気づく。それは黒い犬だった。いや、正確には犬のような形状をしているだけで、似ても似つかない怪物である。

 体毛の無い体は金属の様にのっぺりとしていて、関節の節々から紫色の炎を噴き出していた。そしてその体躯は、虎と並ぶほどに大きい。


「あれは!」


 悠には見覚えがあった。怪物が纏っているのは、クリカと出会った川で見た爆発の炎と同種のものだ。

 ヒールを踏みそこなったのか、女性が転倒する。その隙を追跡者は見逃さない。

 女性を助けなければと、体が動く。そんな悠よりもわずかに早く、クリカは行動を起こしていた。

 人間技とは思えないような跳躍で一気に距離を詰めると、そのまま落下からの飛び蹴りを黒犬に見舞う。


「ブホッ!」


 笛を乱暴に吹かした様な奇怪な悲鳴を上げて、黒犬は身をよじった。

 クリカは更に相手を蹴り上げて、黒犬を吹っ飛ばす。

 そのままガード下入り口のコンクリートに激突して、黒犬は地面をのたうち始めた。

 クリカの驚異的な脚力に驚きつつ、悠は女性に駆け寄って助け起こす。


「大丈夫ですか?」


 女性が頷いたので、ひとまず安心する。


「その人の事お願い」


 クリカは振り返らずに悠へ指示を出す。

 あの黒犬と戦う気なのだと分かった。だが、悠に彼女を止める気は起らない。すでにあの蹴りを見た後では、危険だと言うだけ野暮だと思った。彼女はこの怪物に対処する心得があるのだなと、なんだか納得してしまったのだ。


「フリュールルルッ!」


 美しい笛の音のようでありながら、怒り狂う雄たけびのような、そんな咆哮を響かせて、黒犬はクリカへと襲い掛かった。

 クリカは冷静に、ゆっくりと、襲撃者を向かい打つ。

 開いたままの掌を、迫る怪物に突き出した。

 見ていた悠は、彼女の腕が食いちぎられる光景を想像する。

 が、破壊されたのは黒犬の方だった。クリカの手が触れた部分から、黒犬の身体がブロック崩しの様に崩壊していく。

 それは、異空間の中で悠が見たキューブ状の泡とまったく同じものだった。怪物の身体が泡になって消えているのだ。

 吹っ飛ばされた黒犬は、着地して体勢を立て直す。

 破壊されて下顎を失った黒犬は、クリカを睨みつけたまま動かない。牙という主要な攻撃手段を失い、攻めあぐねていた。

 その停滞を、クリカは容赦なく攻めた。

 指を並べ、その腕を剣のごとく黒犬の身体へと突き立てる。

 貫かれた黒犬が、内側から爆ぜた。異空間と同じターコイズブルーの光を放って、キューブ状に崩壊していく。

 瞬く間に、黒犬の身体は消滅した。

 その様子を、悠と女性は驚愕しながら眺めている。

 怪物を圧倒し、人を救うヒーローの様な少女に、悠は魅せられていた。

 戻って来たクリカに、悠は訊ねる。


「君はいったい、何者なんだ?」


 隣にいた女性が、異常な目つきで悠を見た。


「あ、あなた、誰と話してるの?」


「えっ?」


「な、なんだかよく分からないけど、助けてくれてありがとう」


 悠が何かを言う前に、女性は逃げるようにして去っていった。


「どういうことだ?」


 逃げていく背中を見送って、悠は首をひねる。そんな悠に、クリカは呟く様に告げた。


「視えないんだよ、あの人には」


「えっ?」


 振り向いた悠は言葉に詰まる。あまりにも、クリカが悲痛な表情をしていたからだ。感情を隠そうとしているのか、どこかその顔は無機質でもあった。

 それが悠に、妙な想像をさせる。


「君はもしかして、幽霊なのか?」


「まさか。私はちゃんと生きてるよ……だとおもう」


 悪い冗談だと笑って、クリカはどこか自信なさげにそう返した。


「この世界のだれも、私を認知できない。今の私はね、透明人間なんだよ」


「そんなバカな。だって僕は、現にこうして君と―――」


「だからね、異常なのは君なんだよ」


 クリカの気配が変わった。彼女の視線が悠を射抜く。探るように、警戒するように、見つめながらクリカは問う。


「君は何?」


 もう何度もされている問いかけ。自分自身にすら問われていること。悠はその答えを、提示できない。


「僕は……自分が分からない。もう何度も言っているけれど、記憶がないんだ。今の僕には、自分が何者かすらよく分かってない」


 口に出してみれば、それは漠然とした不安から恐怖に変わった。

 異常な事が、そう立て続けに起こるはずもない。常でないから、異常なのだ。

 記憶喪失という異常。人を襲う怪物という異常。超能力者の少女という異常。

 それらがすべて一繋ぎの事件なら、クリカにとって自分は何なのだろうと。

 敵か、味方か。


「分かった。信じるよ。ごめんね、脅すようなことして」


 クリカは柔らかい表情に戻ると、悠の肩を叩いた。緊張の糸が、その衝撃で切れる。

 悠は深く息を吐いた。緊張で、呼吸をしていなかったことに気づく。そんな自分を、クリカはどう見たのだろうか。そんな事が気になった。

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