続 ラスボスであった男
婚約者の家を訪ねて、茶会を重ねる。
それは貴族の間ではわりと一般的な親交の深め方だ。
私も、婚約者が出来た時からずっと茶会等を重ね、婚約者との関係を深めようと時間を重ねている。
今もそうだ。
少しでも私を分かって貰おうと、愛は無くても、お互いに尊重できるようになれれば、と。
政略結婚だからこそ、この様な時間を大事にすべきだろう、と。
彼女もそれは分かって居たのだろう。思う事は色々あっただろうに、断る事無くこうして、親交を深めていった。
だが、今日はいつもと、なにかが違う。
この場所が好きなはずの彼女は、咲き乱れるバラに一度も視線を向けない。
本題を切り出すタイミングを今か今かと測っている。
後ろに控えている者も静かに主を見守っている。
ここは年長者として、私が水を向けるべきか。
「大事な話があると聞きましたが」
私の言葉に彼女も決意したようだ。顔を上げ、私に向けて告げる。
「ええ。本日をもって婚約を解消しましょう」
一瞬聞き間違いかと疑ったが、彼女の表情はそれが本気である事を示している。
「……理由をお聞かせくださいませんか?」
「心当たりがおありでしょう?」
「いえ、ありませんが?」
残念ながら本当に無い。
「父とわたくしが、わたくしの婚約者にと望んだのは、わたくしを当主とし、わたくしの補佐を行ってくださる方です。当家を乗っ取るつもりの婚約者は不要です」
「……待ってください。それはつまり、私が侯爵家を乗っ取るつもりだとそう仰るのですか?」
「ええそうです」
「何故、そのような話になったのでしょう。私はそのような事は考えておりません。確かに色々調べ、勉強はしましたが、あくまで貴方の補佐をするためであり」
「白々しい嘘は結構です」
白々しい、ウソ?
「それに随分と気前の良いことをなさってましたね。下々の酒場ならば、わたくしの耳に入る事がないと思ってましたか? むしろ、わたくしの心配をして、貴方の言動を教えてくださる方々ばかりでした」
下々の酒場? 平民達が飲む酒場の事か? 確かに行った事は有るが、ここ数年は行っていない。
私の婚約にも妹の婚約にも響くだろうからと、自重していた。
「女性を侍らせて、随分と上機嫌に毎回、酒を奢っているそうですね。将来はこの土地の領主になる男だと言って」
「待ってください。私はそのような事をしてません」
「残念ながら、わたくし自身が貴方のお姿を確認しています。女性を連れて、酒場の階上に上がって行ったのを。屋敷に戻って、それがどういう事を意味するのか聞きました。知っていれば、その場で婚約破棄を申しつけることも出来たのですけど」
ため息を一つ付く彼女に私は頭が痛くなってきた。
「それは本当に私でしたか?」
「ええ、そうです。貴方ですわ」
彼女が断言した事で確信が持てた。
「では、偽者です」
「……何ですって?」
「私はここ数年、正確に言えば、私達の婚約が決まってから、平民達が出入りする酒場には行ってません。行ったとしても『変装』を行っていたので、一目で、『私』だと分かるはずはありません。何者かが、私を陥れたいと思っているのでしょう」
「そのような言葉で逃げるのですか?」
「……逃げているのではなく」
どう言えば通じるだろうか。いっそ、変装を見せれば納得してくれるだろうか。
「ここで婚約解消に同意してくださらないのであれば、わたくしは婚約破棄も視野にいれております」
「…………何故です?」
婚約解消ならば問題ない。政略結婚であれば両方に利があって当然だ。だが、状況の変化によって、政略結婚を行う意味が無くなる場合がある。
だから、解消であれば、どちらにも非がなく、あくまでお互いに条件が合わなくなっただけと見なされる。だが、破棄は違う。
一方的に契約を切る事が出来る程の何かを相手が犯した事になる。
「わたくしを支える立場であるはずの貴方が、すでに領民からの覚えが悪いからです」
「…………」
なんだそれは。
「わたくしは完璧な、領主にならなくてはならないのです」
絶句した私に対し紡がれる言葉に、私は悟った。
彼女は私が不要なのだと。
私は彼女を領主として、守り支えるつもりだった。
だが、彼女はそんなつもりは最初から無かったのだ。
どれだけ時間をかけても、彼女は私を受け入れる事がない、と。
私は落胆し、これ以上は無駄だと婚約解消を受け入れた。
結局未来は変わらなかったな。
帰りの馬車の中でぼんやりとそんな事を思った。
思った内容に、自分自身が不思議に思い、首を傾げた。
未来とは、何だ、と。
その疑問を持った事が、切欠だったのか、突如、己の運命を識った。
まるで手の込んだ劇を見るかのように、未来を識る。
もう少ししたら妹が断罪されて、それに父と兄が怒り、反乱を起こし……。母は監獄へと送られる。
私は、婚約破棄された事で、傷心旅行と称して旅に出ていて、戻ってきた時には全て遅く……。
家族を奪った者達を恨み、私は王都を火の海にする。
「……ああ、そうか。そうだったんだ」
だから、どう頑張ったって無駄だったのだ。
彼女が私に思いを寄せる事は無い。
彼女に捨てられる事は私の運命なのだから。
それでも……。今ここで識ることが出来たのだから、変えることが出来るのだろうか?
剣を抜き、刀身に移る己を見つめる。
傷心旅行では無く、傷心による自死ならば、妹も卒業パーティーなどには出ず、領地に慌てて戻ってくるかも知れない。
そうすれば、妹が皆の前で嘲笑されるという事態を避けられる。
婚約破棄を回避するのは難しいかもしれないが、あの様な場で、見せしめのように行われなければ、まだ妹が救われる可能性が高い。父も兄も妹のために動けるはずだ。
そうすれば、私以外の家族の死は免れるかもしれない。
元婚約者は、後ろ指を指されるかも知れないが、彼女に対する想いはもう残っていないから、構わない。
私の死によって、彼女が真実を知る機会があれば、上々というべきか。
いや、もしかしたら、彼女の行いが明るみに出る方かも知れない。
どちらでも良い。家族のためならば、この命一つ。安い物だ。
剣に映る己の、まるで魔物のような黄金の瞳を見つめる。
何も不安はない。恐怖も。むしろ、安堵の方があり、口元に笑みが浮かぶ。
そして、己の身に剣を突き刺した。
*
*
「ハイデス。起きなさい。いつまでふて寝しているのです?」
母上の声に体を起こす。
腰に手を当て、怒っていると態度でも示す母と、カーテンを開けるメイド達。
結局私は死ねなかった。
無かったことにされた、というべきか。
気付けば無傷で、屋敷に着いた。
私の死は、私の居眠りという扱いになった。
「まったく情けない。婚約を解消したことは辛いでしょう。ですが、どうしてそこで止まるのです? 貴方を陥れた者を探そうとか思わないのですか?」
「興味が無いですね」
素直に答えたら母上の笑みが深まった。
「そう。では、わたくしが嫌でも立ち上がらせましょう」
母上が手を叩いたら、従者達が一斉に入って来て、私をベッドから引きずり下ろし、着替えさせる。
それが旅装束であった事に嫌な予感がした。
そして、あっという間に、玄関へ、そして門へと運ばれる。
一人旅に必要と思われる荷物と共に。
なるほど、運命に抗うように家にいたらこうやって強制的に放り出されるわけか。
しかし、実に半端な時期に放り出されたものだ。
いや、それとも的確だと思うべきか。
母上は真犯人を見つけてこない限りは敷地に入れはしないと言っていた。
そして、それを行えば、私はあの日見た運命と同じように間に合わず戻ってくる事になる。
「はぁ。ほとぼりが冷めるまではよろしく頼む」
そう門番達に告げて、彼らの横に陣取る。
母上と私の根比べである。
もっとも私は、暇になれば彼らと話せばいいだけだ。
真犯人などどうでも良い。下手をすれば、私の元婚約者が真犯人なのだ。
そんな真実など暴いてもなんの面白いことはないだろう。
私がよほど嫌われていたと知らしめられるだけである。
家的には、重要な真実でも、私的には重要な真実ではない。
一日目、二日目、用意してされていた干し肉を囓って過ごしていたが、三日目からは、門番達が交代するタイミングでサンドイッチや水をくれるようになった。
そうなってくると断然過ごしやすくなる。
彼らの真似をしたり、くだらない世間話をしたりして、時間を過ごす。
その内、使用人が使う場所は使用してもいいとなったのか、体を洗うことも出来る様になった。
それでも、用件が済むと門の外に放り出されるのだが。
ここまでくると、何がやりたいのか、と周りの人間は思うだろう。
実際の所、母も私もそれなりに真剣ではあるのだが、周りからすれば、じゃれ合いみたいに映っているのかもしれない。
別にそれでいい。
そうやって、どこか面白おかしく、門番の真似事をしていたある晩。
世界が揺れる様な感覚に襲われた。
「ハイデス様!?」
ガラスで作った世界と言う名の作品が、砕けて壊れて、落ちていく。
そんな言いようも無い破壊と喪失。
ぐらぐらと視界が揺れて、音も聞こえはするけど聞こえるだけで、何の音か分からない。
何が起こったのか。聞けるだけの余裕も無い。何もかもがぐちゃぐちゃにされるような感覚を覚え、そして、私の意識はそこで途切れた。
目が覚めたのは自室だった。
流石に母上も倒れた息子をそのまま放置はしなかったらしい。
こうして私と母の妙な戦いは私が倒れた事によって終戦を迎えた。
しかし、何が起こったのか。
悩んだところで分からなかったので、あの日感じた感覚は疑問に思いつつも忘れる事にして、王都からの連絡を待つことにした。
妹が処刑される必要なんて無い。
父上と兄上が国賊となる必要は無い。
母上が連座で監獄に送られる必要はない。
私が、もっと早く覚醒して、王都を滅ぼせば良い。
父上も母上も、妹も母上も、皆連れて別の国に逃げれば良い。
早く来い。私はいつでも人を捨てられる。家族のためなら。
そして、待ちに待った王都からの連絡が来た。
母上がそれを読み、顔を怒りに染めた。
「何かありましたか?」
分かっていながら声をかける。
母上が私に手紙を渡してきた。自分で口にするのも嫌なのだろう。
私は手紙を受けとり、文字を追う。
そこに書かれた文字に、私は息が止まるほど驚いた。
「……えん罪?」
「ええ! あろうことか、あの子にえん罪がかけらそうになったと! 少し考えれば分かる事なのに!」
母上が苛立ちながら言葉を紡いでいる。私はもう一度手紙を読み直した。一度ならず、二度も三度も。
何度読み直しても、そこにはえん罪をかけられそうになった、とあるだけで、妹が罪を犯したという文字は無い。
それどころか、望み通り婚約を破棄すると書かれている。
王家から公爵家ではなく、公爵家から王家に、だ。
それが出来るだけの立場が妹に残されているらしい。
何が起こったのか、分からない。
怒り心頭な母と違い、私はよく分からない戸惑いに支配された。
これからどうすれば良いのか、分からず日々を過ごす。
「あらまぁ。こうなったのね」
王都から届いた次の手紙に母親が少し呆れたように言った。
「決着がついたのですか?」
「ええ。ルビアンの婚約者が第三王子から第二王子に変更になりました。婚約期間も再度設けられる事となるので、一度戻ってくるそうよ」
母上の言葉に私は、己の運命が変わった事を理解した。
妹が戻ってくる。
もう二度と会えないと思っていた妹。
「……では、あの子が戻ってくる頃に合わせて、あの子が好きな食材を用意しておきましょう」
泣きそうになるのを堪えてそう伝えると、母上からは、ちゃっかりと自分の好物もついでに取ってくるようリクエストが入ったが構わない。喜んで探してこよう。
こうして、私は、何故運命が変わったのか分からないまま、妹が帰ってくるのを待った。
そして、帰ってきたあの子の隣にいる一人の少女を見て、過去のあの日の様に、全てを識った。
彼女だ、と。
彼女が、妹を、家族を、私を救ってくれたのだ、と。
「彼女は、ユリアース・ギルガメッシュさん。ユリアさんとわたくしは呼んでます。わたくしの恩人なので、けして、粗相はないように」
妹は使用人達に厳命し、彼女はそんな妹にあたふたとしていた。
自分はただ証言をしただけで、と慌てているが、その証言がなければ、妹は、処刑されていたのだろう。
彼女の証言が私達の運命を変えた。
いや、運命を壊した。
私はユリア嬢の前に立つ。
「ユリア嬢?」
「は、はい。ユリアース・ギルガメッシュと申します」
慌てて礼をとる彼女に、私は畏まらないように、と告げてから、もう一度彼女を見る。
戸惑いを見せるものの、私に対し嫌悪を向ける事がないその眼差しに、私の心は決まった。
彼女の前で膝を折る。
「ユリア嬢。私と結婚してくださいませんか?」
彼女の手を取り、その甲に口付ける。
私の運命は彼女によって壊された。
理不尽とも言える、けして受け入れがたい運命を。
ならば、私は、その恩に報いたい。
いや、恩なんてどうでもいいのかもしれない。
彼女を見て、彼女の瞳に私の瞳に対する嫌悪が浮かばなかった事で、私の心はただ、彼女が愛おしいと感じてしまった。
「ハイデス」
「ちょっと来い」
何故か、ユリア嬢の返事を聞く前に二人と共に帰ってきていた父上と兄上に引きずられて、屋敷の中に戻ると、これまた何故か説教を受けるはめになった。
「確かに、まずは、婚約者の有無の確認からでしたね」
「「違う!!」」
二人の説教を聞いて出した結論に何故か、二人はそう否定するのであった。
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