第13話 しめて四十七万九千二百円也
義妹たちのギスギスを目撃した日から数日後、俺は川沿いの公園に来ていた。紫色に咲くライラックと歴史的建造物が織りなす風景が評判で、散策や写真撮影に訪れるひとも多い。
しかし俺はここに現実逃避をしにきたわけではない。むしろ現実を直視しにきたのだ。
ベンチに座っていた俺は立ちあがった。遊歩道を歩いてくる愛結の姿が見えたからだ。
ノースリーブのブラウスとロングのプリーツスカート。落ち着いた清潔感のあるファッションは(しゃべらなければ)大人っぽい彼女によく似合っている。
そして道の反対からもうひとりの姿が近づいてくる。
仁夏だ。オフショルダーのトップスにデニムのショートパンツはグラマラスな彼女の魅力をぐっと引き立てている。
さらに、土手の階段を下りてくるのは槙央だ。
毒々しい赤色の心臓――しかも剣が刺さって血が噴きだしている――のイラストが描かれた漆黒のTシャツと黒デニムのショートパンツ。ベルトにはシルバーの鋲がたくさんつけられている。右のふとももにはレッグリングも巻かれていた。
三人はお互いの存在に気づいたようだった。怪訝な顔をしながら(愛結だけは嬉しそうな顔で)近づく。
槙央は顎に人差し指を当てた。
「これは奇妙ですね」
「いや槙央がね!?」
仁夏は大声で言った。
「ってかパンク系かよ」
「ダメですか?」
「ダメじゃないけど意外っていうか。黒はイメージどおりだけど、もっと地味だと思ってたから」
「逆に仁夏さんはイメージどおりですね」
「ふふん、だべ?」
と、トップスのフリルをつまんだ。
「やっぱり乳は放り出すんですね」
「ちょっと谷間を見せてるだけだろ! いやらしい言い方するなよ!?」
仁夏は胸元を腕で隠し、顔を真っ赤にして抗議した。
「ふたりとも可愛いよ」
と、愛結がはしゃいだ声を出す。仁夏は愛結を上から下までじっくり観察し、言った。
「あんたには負けるよ……」
愛結はよく分からないといった様子で小首を傾げて微笑んだ。
さて、そろそろ行こう。俺は三人に歩み寄る。
「みんな、よく来てくれた」
「お兄、これどういうことだ」
俺より先に槙央が答える。
「どういうこともなにも、兄さんがわたしたちを呼んだということでしょう」
「だからなんで三人ともなんだよ」
「もしかして自分だけ呼びだされたと思ってました?」
「い、いや、なんも思ってないけどお?」
と言いつつ目が泳ぐ。
「三人とも呼びだされたということは……、最悪の展開も覚悟しておくべきでしょうね」
「え? みんなで出かけるんじゃないの?」
愛結はきょとんとしている。ひとりだけなにも分かっていなかった。安定の愛結だ。
「大丈夫、最悪にはならない――いや、絶対にしない。だから固くならないで聞いてほしい」
意を決して俺は言う。
「本日はお忙しい中、お越しくださいましてまことにありがとうございます。さて本日は晴天にも恵まれ――」
「固い固い固い!」
仁夏がすかさず制止する。
「形式的なものだから」
「それが固いって言ってんの!」
「仕方ない、ここははしょろう」
せき払いして仕切りなおす。
「受けとってほしいものがある」
俺はポケットからピンクのジュエリーケースを取りだした。
仁夏が目を丸くする。
「これって……」
「そのとおりだ」
「じゃあやっぱり」
「ああ」
俺は逆のポケットからグレーのケースを取りだした。
「……ん?」
仁夏は眉間にしわを作る。
俺は尻のポケットからブラックのケースを取りだした。
「ちょちょちょ……。え、なに?」
「なにがだ?」
「ええと……、指輪、だよね?」
「そうだ」
「なんで三つ?」
「だって三人いるから」
「こういうのは一つだろふつう!」
ふつうはそうかもしれない。しかし俺は、ふつうを超えてやろう、そう決意したのだ。
「お前たちがうちで女子会をやっていたとき、俺は隣の部屋にいた」
「兄さん、バイトだったのでは?」
「急に休みになったんだ」
「覗いてたってこと?」
仁夏が俺に非難の視線を送る。
「ああ! 覗いていたのさ!」
「開き直りがエグい」
「問題はそこじゃない。大事と小事を見誤るな」
「ええ……、なんであたしが叱られる流れ……?」
仁夏はなにかに気づいたような顔をする。
「じゃ、じゃあ、あれも聞いてた……?」
「『あれ』?」
「あ、あたしたちが、その……」
「ああ、俺を好きってやつか。聞いてた」
「あはああああああああああ!!」
ぼっと燃えあがるように顔が赤くなる。
「だからこうして来てもらったんだ」
「だからなんで三人ともなんだよ!」
俺は全員の顔を見てから言った。
「俺も好きだからだ」
「……どういうこと?」
「三人とも好きだ! だから受けとってほしい! さあ手を出せ! どうした早くしろ!」
「早い早い早い! 消化する時間をくれよ!」
「なんでだ。おかゆ並に消化しやすい話だろ」
「実はおかゆはそんなに消化よくないから」
「え、そうなの?」
「食べやすいけど、その分あまり噛まないから逆に消化は遅くなる」
「へ、へえ」
食べ物の話題で仁夏には敵わない。
俺の話をいち早く消化した槙央が言う。
「つまり三股するということ?」
「は、ハレンチだあああああ!!!!」
仁夏がまた叫び声をあげた。
「人聞きの悪いことを言うな」
「どう聞いたって悪いだろ!!」
「俺は本気だ」
「なおさら悪い!」
「なにが悪いんだ」
「浮気だからだよ!」
「浮気とは心がふらふらと移ろうことだろう。いわば照準がひとつだけ。俺のはマルチロックだぞ?」
槙央が仁夏からバトンを継ぐ。
「全員愛しているとはいっても、均等なわけではないでしょう? そこには多少の差異はあるはず」
「そーだよお兄! 誰が一番好きなんだよ!」
槙央の発言を後押しする仁夏。さっきまでやりあっていたのに絶妙のコンビネーションだ。
「イチゴとブドウとマンゴーを比べて、どれが優れているかなんて決められるわけがない。その日の体調や気分によって感じる味は変わるしな」
「……」
槙央は難しい顔で黙る。
しばしの沈黙のあと、仁夏がおずおずと尋ねる。
「……なあ。ちなみに、誰がマンゴー?」
「なぜ?」
「いや、なんか、……なんとなくだけど」
槙央が補足する。
「仁夏さんはマンゴーと聞くとニヤニヤしちゃう思春期真っ只中だから」
「さ、三人とも同い年だろ!」
「マンゴーは仁夏さんです」
「なんでだよ!?!」
「おっぱい放り出してるし」
「またその話かよ!?」
と胸元を隠す。
「わたしイチゴが一番好きだよ」
愛結が手をあげて言った。
「なんか、不純でごめん……」
仁夏は恥じ入ったようにうつむく。槙央も黙ったところ見ると多少は恥じているのかもしれない。
「それに、お前たちはなにか勘違いしている」
「なにを」
「俺は三人と付きあいたいわけじゃない」
「じゃあどうしたいんだよ?」
「俺は三人と家族になりたいんだ」
「???」
三人の表情に疑問の色がにじむ。
俺はごくりとつばと飲みこみ、その言葉を口にした。
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