第12話 義妹、一堂に会す

 その日、急にバイトが休みになり、手持ちぶさたになった俺は自室でごろごろしていた。


 ――そういえば最近貯金してなかったな……。


 財布を漁って五百円玉を見つけだし、貯金箱に投入する。


 ガチャ、と硬貨と硬貨のぶつかる音がした。


 ――……。


 なにも感じない。以前はこの音を聞くたび胸が高鳴っていたのに。


 ――百万貯まったとして、だからなんだ……?


 もちろんお金はあって困るものじゃない。でも今の妹たちに必要なのはお金だろうか。


 違う、気がする。


 そのときリビングのほうから物音が聞こえた。


 ――槙央が帰ってきたのか。


 話し声が聞こえてきた。槙央と話しているのは舞乃さんではないようだ。友だちでも連れてきたのだろうか。


 俺は薄く開いていた引き戸の隙間からリビングを覗き見る。


 そこには高校の制服姿の槙央。そして同じ制服を着たふたりの客。


 愛結と仁夏だった。


 頭がフリーズする。再起動するまでにはたっぷり数秒を要した。


 ――な、なんでえ……!?


 再起動したところで混乱状態は解消しなかったが。


 どういう状況だこれは。なぜふたりがこの家に?


 俺は胸を押さえて静かに深呼吸した。


 情報がないのだから、すべきことはまずは観察だ。


 俺は引き戸の後ろに隠れ、耳をそばだてた。




「わ~! これ仁夏ちゃんが作ったの?」


 テーブルの上のケーキボックスを覗きこみ、愛結が歓喜の声をあげた。


「ん、まあ、時間がなかったから簡単なやつだけど」

「ううん、すごいよ! 本物みたい!」

「……うん、本物ではあるんだけどな」

「じゃなくて、ええと……、プロのひとみたい」

「い、いや、あたしなんてまだまだ」


 などと言いつつ、仁夏は照れくさそうに身体をよじる。その横で槙央は淡々とケーキをさらに切り分けていた。


 三者三様という言葉がぴったりだ。それに客観的に見ると――。


 ――やっぱり、みんなめちゃくちゃかわいいな……。


 妹という贔屓目で見なくても、明らかに顔面の作りが良い。なんというハイレベルな女子会――いや、義妹会か?――なんだろう。


 ――こんな子たちの誰かが俺に惚れているのかもしれない、だと……?


 心臓が激しく胸を叩く。


 ――お、落ち着け。目的を見誤るな。


 惚れているというのもまだ仮定の話だ。


 三人がどういう関係なのか、まずそれを探ろう。





 三人はケーキと紅茶を楽しみながら歓談している。


「それにしてもさ、お兄は幸せ者だよな。こんな可愛い義妹たちがいるんだから」


 仁夏は言ったが、槙央は無反応で紅茶を飲んでいる。


「……」

「はははっ」

「……」

「は、はは……」

「……」


 仁夏は愛結にも話を振った。


「な、なあ、そう思うだろ?」


 愛結は口の中のケーキを飲みこむ。


「え? ごめんね、聞いてなかった。もう一回言ってもらっていい?」

「だ、だからあたしたちみたいな、か、かわ……、可愛い……義妹に……」


 仁夏の語尾はだんだんすぼまっていった。顔が赤い。


「なに? よく聞こえないよ」

「……いえ、ちょっとした冗談のつもりだったんで、もういいです……」


 仁夏は敬語で言ってうつむいた。


 槙央がちらりと愛結の顔を見る。愛結の口元にはクリームがついていた。


 槙央は無言でペーパータオルを差し出す。


「ありがとう!」


 そう言って愛結はペーパータオルを受けとり、胸にかけた。


「そうじゃない」

「え?」

「それフランス料理とかの使い方」

「あ、あはは、そっか。ケーキに紅茶なんてお洒落な食べ方したことなかったから緊張しちゃった」

「いつもはなにを飲んでるの?」

「牛乳! けっこうなんにでも合うんだよ」

「ああ……」


 槙央は納得したように頷いた。愛結の背がすらりと高いのは牛の力らしい。


「口のクリーム、拭きなよ」

「うん、ありがとう」


 愛結は口元のクリームを指ですくいとり、投げキッスするみたいにちゅっと吸うと、ペーパータオルで指先を拭った。


 槙央はそれを呆れたように見ていた。その気持ちは痛いほどよく分かる。しかし――。


 ――甘いな、槙央。愛結の言動を予測するなど不可能かつ無意味だ。


 槙央の視線に気づいた愛結は、しかし視線の意味には気づかず、首を傾げてにっこりと微笑んだ。


 三人のやりとりを観察し、俺は思った。


 ――仲良すぎじゃないか?


 それ自体は望ましいことなんだが、まるで以前から付きあいがあるかのような。それだけ馬が合うということなのだろうか。それとも――。


「そ、それにしてもさあ!」


 仁夏はへこたれずに話題を提供する。頑張れ仁夏。


「お兄があいかわらずで逆に安心した。変なとこで真面目っていうか、固いっていうか。あれじゃカノジョもできないよなあ。な、槙央、カノジョいないんだろ?」

「兄さんにカノジョは――」

「う、うん……」


 槙央は紅茶に口をつけた。


「……」

「……」

「……」

「いやいや!? なんで止まるんだよ!」

「喉が渇いた。いっぱい話したから」

「え、いつ……?」


 仁夏は怪訝な顔をした。


「もう潤っただろ。お兄にカノジョは」

「いない」


 すると仁夏はぱっと顔を明るくした。


「だ、だよなあ! 思ったとおりだ」


 ――『思ったとおり』……?


 え、そんなにカノジョがいなさそうか、俺……。別にカノジョを作るための努力をしたこともないし、どうしても欲しいとも思わないけど、ちょっぴり傷ついた。


 槙央が無表情のまま言う。


「一生、独り身のまま――死ぬかも」


 ――死ぬ!?


 俺まだ高校生だぞ!? 一生独り身確定なのかよ。


 仁夏と槙央の会話をきょとんとした顔で聞いていた愛結が口をはさんだ。


「わたしはそうは思わないけどなあ」

「いや、あの様子じゃ無理だね」

「そんなことないよ」


 愛結は必死に否定する。


 ――嗚呼、愛結……、ありがとう。癒やし……、俺の光、俺の希望。


 しかしそんな希望の光である愛結がとんでもない爆弾を投下した。



「だってわたし、お兄ちゃんのこと好きだもん」



「……え?」

「……」


 仁夏は目を剥く。槙央も少し驚いているように見えた。


 水を打ったように静まるリビング。俺の思考は停止した。もしかしたら心臓も停止しているかもしれない。


「あ、あっはっは!」


 仁夏の無理やりな笑い声が静寂を破った。


「あれな。ラブじゃないくてライクってやつだろ?」

「……?」

「だから、兄として好き、みたいな」


 愛結は首を振った。


「違うよ」

「じゃ、じゃあどういう――」

「男のひととして好き」


 再び、しばしの沈黙。


「聞いてないぞ!?」


 硬直から復帰した仁夏が叫んだ。


「おまっ、そういうあれだったのか!?」

「仁夏さん、好きじゃないんですね」


 槙央が言った。仁夏は信じられないものを見るような目を向ける。


「『は』って……。槙央、お前もか!」

「ブルータスみたいに言わないでもらえますか? ――大丈夫。兄さんはわたしが孤独死させませんから」


 槙央の口角が勝ち誇ったように少し上がった。


「う、あ、あ……」


 仁夏はうめき声をあげる。


「じゃ、じゃあわたしも! わたしも好き!」

「『じゃあ』ということは、そんなに好きではないということでよろしいですか?」

「よろしくない! ふつうに好きだから!」

「ふつうレベルなんですね」

「ふつうじゃない! ぞっこんイカれてる!」

「え、古っ」


 にわかに騒がしくなるリビング。対照的に俺は、端から見ればほとんど死んでいるかのようにぴくりとも動けなくなっていた。


 ――あのDM……。


『あなたと出会った少女は あなたを愛しています』


 ――あの文面じゃ誰かひとりだと思うだろおお……!


 別にDMを信じきっていたわけじゃない。しかし義妹の恋心を俺が意識するきっかけには違いなく、どこかで指針にはしていた。


 なのに……、なのにい……!


 ――ああもう、どっか遠いところへ旅に出たい……。ヨーロッパ……はちょっと遠すぎるな。エジプト……は暑そうだし。タイ……、いや台湾がいいな。台湾に行きたい……。安く済みそうだし、近いし……。


 具体的な台湾旅行のプランを立て、頭の中で空港の税関を通過したあたりで、


「あたし、もう十六だぞ。一番お姉さんだ!」


 という仁夏の激しい声で我に返った。


「槙央は誕生日いつだ?」

「……十二月」

「ふ~ん、十二月。じゃあまだ十五歳か」

「年齢は関係ないし」

「愛結は?」

「わたしは四月八日」

「……ね、年齢は関係ないな! 大事なのは想いの深さだろ!」


 日和る仁夏に槙央がツッコむ。


「それだと一番長く兄さんを想ってる愛結さんが有利だけど」

「ふ、深さも関係ない! 大事なのはお兄の気持ちだ!」

「証言が二転三転しており、警察では余罪を追及しています」

「どの法律に触れたんだよ!?」


 仁夏が墓穴を掘っては槙央が指摘する。その様子を愛結はおどおどと見ていることしかできないでいた。


 せっかくいい雰囲気だったのに、俺のせいでぎすぎすしてしまった。


 やがて義妹会は終了し、愛結と仁夏は言葉少なに辞した。槙央も食器をシンクに下げると、大きくため息をついて出ていってしまった。


 俺は部屋を出た。生クリームの甘い匂いと紅茶の香りが残っている。


 みんなが集まって、やっとこれから幸せに暮らしていけるのだと思っていたのに、こんなことでバラバラになるなんて。


「いや……」


 じゃない。妹たちにとっては大事なことなんだ。でなければあそこまで本気で言い合ったりしない。


 それだけ強く、俺のことを想ってくれている。


 ガチャ、と音がしたような気がした。それは多分、俺の中にある心の貯金箱に妹たちの想いが投入された音。


 胸が高鳴る。五百円玉貯金では感じられなくなっていた、あの――いや、あれ以上の高鳴り。


 振りかえると棚には、俺がなにより大切にしていた百万円貯まる貯金箱がある。


「……よしっ」


 俺は自室に戻り、貯金箱に手を伸ばした。

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