第11話 誰も不幸にしない方法

 俺は玄関のドアを薄く開けて廊下の様子を窺っていた。


 隣の部屋のドアが開いて、愛結がごみ袋を持って出てくる。可燃ゴミ収集の日の朝は必ずこの時間に愛結がゴミ出しをする。しかも運動を兼ねているのか上り下りに階段を使っているらしく、戻ってくるまで十分以上はかかる。


 ――今だ!


 愛結の姿が見えなくなってから廊下に滑り出て、隣の部屋の呼び鈴を押す。


 少ししてドアががちゃりとと開いた。


「どしたの~? なんか忘れ物~?」


 気だるそうな声とともに珠々さんが姿を見せた。キャミソールとショートパンツの部屋着に薄手のガウンを羽織っている。なんだか妙にセクシーな格好だ。


「あ、ええと……」


 俺は言葉に詰まる。眠そうな顔をしていた珠々さんは目を大きく見開き、


「すわああああああ!?」


 と悲鳴をあげ、勢いよくドアを閉めた。


 しばらくして再びドアが開くと、ガウンのボタンをしっかりと留め、下にスウェットを履いた珠々さんが出てきた。


「お、おはようございます~。申し訳ありません、お見苦しいところを。愛結ちゃんが引きかえしてきたものだとばかり」


 真っ赤になった顔を手のひらで覆う。


「い、いえ、突然お邪魔したのはこっちですし。俺こそデリカシーがなくてすいません」

「いえいえいえいえ!」

「いやいやいやいや!」

「恐縮です」

「こちらこそ」


 珠々さんが吟味するような目で俺を見る。


「お兄さんってマネージャーに向いてそうですね」

「そ、そうですか?」

「もしもその気があったらわたしにご連絡ください」

「あ、ありがとうございます」


 思ってもみないところで就職の伝手ができてしまった。ありがたい話だが今日の用件はそれではない。


「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「マネージャーに必要な資格ですか? とくにありませんが持っていたら有利なのは――」

「ではなく。――これは世間一般の話なんですが、芸能人ってやっぱり……、恋愛は禁止ですよね?」


 受け入れても突っぱねても誰かしら不幸になるなら、自分の意志で諦めてくれれば――、そう考えた。


「いいえ」


 しかし俺の希望はすげなく一蹴された。


「で、でも少しは……」

「いいえ」


 とりつく島もない。というか、不自然なほど返事が固い。


「なにか含むところがある感じですか……?」

「いいえ!」


 珠々さんは真顔のまま激しくかぶりを振った。


 ――すっごいありそう……。


「最近は人権に対してすごくうるさい風潮だから恋愛禁止だなんて公言すると四方八方から叩かれて炎上してしまうためなにも言えないだなんて言えません!」


 ほぼ言ってる。


「しかし――」


 珠々さんは声をひそめた。


「これはわたし個人の見解であり、所属組織を代表するものではないのですが」


 なんかTwitterのプロフィールみたいなことを言いだした。


「もしも愛結ちゃんにちょっかいをかける輩が現れたとしたら」

「したら?」

「ぶち殺す」


 剛速球のデッドボールだ。


「こ、殺すのはやりすぎでは」

「すみません、少し大人げなかったですね。では――、いっそ殺してくれと懇願したくなるほどなぶります」


 ――精神のほうを殺しにきた……。


 むしろ猟奇度が高い。


「ま、またまた、朝からきつい冗談を」

「……」

「はは、は……」


 珠々さんはにこりともしない。俺の笑いはしぼんで消えた。


「で、では、お邪魔しました」


 俺はいたたまれなくなり、お辞儀をして玄関を出た。


「ちなみに、なんですが」


 俺は振りかえって尋ねる。


「どうしてずっと顔を隠してるんですか?」


 こちらにお邪魔してから珠々さんは終始、両手で顔を覆っていた。


「そ、それは……、の――」

「『の』?」

「ノーメイクだからに決まってるじゃないですか!」


 アニメみたいな甲高い声が俺の鼓膜を突き刺した。脳が直接揺すられたみたいにくらくらする。


「と、突然押しかけてすいません」


 最初にちらりと見えた珠々さんのすっぴんを思いかえす。


「でも、ふだんとあまり変わらないっていうか、肌めちゃくちゃきれいだと思いますけど」

「ほ、褒めてもなにも出ませんよ!」

「いえ、見たままの感想を言っただけです」

「も~、そうやってうまいこと言って!」


 珠々さんはいったん部屋に引っこむと、小さな紙袋を持って戻ってきた。


「これ、レーズンバターサンドなんですけど、よかったら」


 ――即行で出てくるじゃん……。


「い、いただきます」

「いえいえ~、また今度ゆっくり愛結ちゃん談義でも」


 ――なにその談義……。


 俺は会釈して珠々さん宅を辞した。


 自宅に戻り、リビングへつづく廊下を歩きながら考える。


 話を聞くかぎり、暗に恋愛は禁止されているようだ。これなら仮に愛結が俺のことを好きだったとしても諦めてもらえそうだ。じゃないと俺の命が危うい。


 問題がひとつ解決した。そのはずなのに、胸がもやもやする。


 夢のために恋を諦めさせることが俺の望みなのか?


 ――……。


 自室に戻ってからも悶々と考えつづけ、けっきょくバイトの時間になるまでなにも手につかなかった。






 バイト先のディオンにいつもより早い時間に到着したが、すでに末松さんは出勤していて、姿見の前で念入りに身なりを整えていた。


「おはようございます」

「ぽう!?」


 末松さんはキングオブポップみたいな奇声をあげた。


「『ぽう』?」

「おはよう。いやちょっとびっくりしてさ。ははは……」

「仁夏なら今日は休みですよ」

「え? な、なに言ってんの? なんでそこで仁夏ちゃんの名前が? なんかまるで僕が仁夏ちゃんに見せたくてファッションのチェックをしていたところにお兄さんがやって来たから動揺したみたいじゃん」

「説明ありがとうございます」


 俺は末松さんの後ろを通って自分のロッカーへ移動する。


 ――末松さんみたいに屈託なく恋愛を楽しめたらなあ……。


 ワイシャツに着替えていると、


「なんか悩み事?」


 と、末松さんが尋ねた。俺はどきりとして振りむく。顔に出てしまっていたようだ。


「なんでも先輩に相談してみい?」

「まさか俺を狙ってるんですか?」

「どうしてそうなった!?」

「弱っているところを相談にかこつけて取り入る手かと」

「違うよ! いい手だとは思うけど」


 ――思うのか。


「今回はほんと純粋に心配してのことだから」

「『今回は』……」

「いつも純粋だけどね僕は!」


 じゃあなにをそんなに慌てることがあるのか。


「で、なにを悩んでるんだい?」


 末松さんは長椅子に腰掛け、大袈裟な動作で脚を組んだ。


「……」


 義妹に惚れられているかも、なんて軽々しくひとに言えることではない。しかしなんだかんだ言っても末松さんは俺なんかよりずっと恋愛経験が豊富ではあるはずだ。


「たとえばなんですけど……、末松さんが同時に複数の子に惚れられてるかもって気づいたら、どうしますか?」

「そりゃあまず大喜びするよね」

「大喜び……?」

「だって、そんなにたくさんの子が僕のことを好きなんだろ? 嬉しいじゃない」


 俺の中にはまったく存在しない発想だった。


「で、でも困りますよね。誰か選んでも、誰も選ばなくても、誰かが不幸になる」

「そうだねえ。でも仕方ない」

「仕方ない……?」

「僕はほら、一途なタイプだから。迷うことなく一番好きな子を選ぶよ」

「でも他の子は」

「縁がなかったんだよ。かわいそうだけど、ごめんなさいするかな」

「……」

「どうしたの? なにか疑問?」

「いえ……。末松さんとは思えないほど現実的な回答だと思いまして」

「高城くんは僕のことどう思ってるの!?」

「え? いやあ、ははは」

「そこ笑ってごまかされると余計に傷つくんだけど……」


 末松さんは「ん、んっ」とせき払いした。


「だから仮に僕が仁夏ちゃんとそういう仲になっても安心し――」


 俺がぎろっとにらむと末松さんは、


「な、なあんてね。軽いジョーク」


 と、怯えた表情で目を逸らした。


 ――じゃあなんなんだ、その顔は。


 しかし心遣いには感謝している。追いつめるのはやめておこう。


「参考になりました。ありがとうございます」


 礼を言ってロッカー室を出ようとしたところ、末松さんに呼びとめられた。


「高城くん、ちなみにその相談って――」

「え? い、いえ、あの」

「なんてゲーム?」

「……はい?」

「Zwitchのやつ?」

「……」


 なにか大きな勘違いをしているようだ。しかしそれならそれで都合がいいような気もするので黙っておくことにしよう。


「いえ、ステームのやつです」

「あ~PCか。そっちはちょっと分かんないなあ」


 末松さんがPCを持っていないのを知っててそう言った。


「いやあそれにしても高城くんがそういう系のゲームを好きとは意外だなあ。僕もね、前に狙っ――気になっていた女の子がゲーマーでね、一時期プレイしていたことがあるのよ」

「はあ」

「でもほら、俺って一途だから。ハーレムルートがあったとしても、この子と決めたら他の子には目もくれないわけよ」


 ふふん、と得意げに鼻を鳴らした。


「で、特定のキャラばかり攻略してたら」

「してたら?」

「真面目にやれってキレられて、恋が終わったんだよね……」


 末松さんは暗い顔でうなだれた。


「いいところを見せようとしすぎて独りよがりになってしまったんですね」

「言葉が鋭利すぎない?」


 と、乾いた笑いをした。


「俺がゲームをやってることは黙っておいてくださいね」

「別に今どき恥ずかしいもんじゃないと思うけど。まあ了解」

「お願いします」

「うぃー。じゃ今日もよろしくー」


 と、二指の敬礼をしてロッカー室を出ていった。


 それを見送りながら思う。


 ――末松さんって惚れっぽいだけで恋愛経験が豊富なわけじゃないのでは……。


 でも打たれ強くてポジティブなところは素直にうらやましいと思う。


 ――それにしても……。


 意見を聞くたび、考えるたび、どんどん胸の中の靄が濃くなっていく感じがする。


 俺はその靄を吐きだそうと大きく深呼吸した。


 ――よし、考えるのはいったんやめだ。今日も張りきって稼ぐぞ!


 俺はネクタイをぎゅっと締め、ロッカー室を出た。

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