第10話 槙央に惚れられている?

 俺に逃げ場はない。


 異常にエンカウント率の高い愛結。


 バイト先が同じ仁夏。


 家に帰ったとしても、もうひとりの義妹、槙央が待ち受けている。


 鍵を開けて玄関に入ると、ちょうど脱衣所から出てきた槙央と鉢合わせた。でかいドクロがプリントされたオーバーサイズのTシャツにショートパンツ。濡れた髪、ピンクに色づいた首筋。


「た、ただいま……」


 声が震えてしまった。なぜなら槙央は改めて観察するまでもなく、闇美先生のアドバイスに当てはまるからだ。


 槙央はいつもどおりの無表情で俺を流し目に見て、抑揚のない声で言う。


「おかえり」


 そしてふいと顔をそむけ、リビングへ歩いていった。


 俺は頭を抱えた。


 ――好き避けえ……!



▼第三章第一項『好き避け』


『女の子から素っ気ない態度をとられて「俺、嫌われてる……?」と不安になったことはありませんか? それ、もしかしたら”好き避け”かもしれません。素っ気ない態度も、あなたのことが好きすぎて緊張しているせいかも。』



 笑顔がないのも、口数が少ないのも、目を合わせないのも、すべて闇美先生が列挙した『好き避け女性あるある』に当てはまってしまっている。


 俺はぶるぶるとかぶりを振った。


 ――いや、あれは槙央がクールなだけで好き避けとかそんなんじゃない……はずだ!


 まだすべての項目に当てはまったわけではない。ひとつ肝心なのが残っている。


 それは『憎まれ口』。好意に気づかれるのを恐れ、本音とは正反対な言葉を相手にぶつけてしまう、らしい。俺も小さいころ経験がある。好きな子の悪口を言ってしまうあの心理。だから槙央のこれは好き避けではないのだ。多分、絶対。


 リビングに行くと槙央がダイニングテーブルに頬杖をしてスマホをいじっていた。


「舞乃さんは?」

「寝た」

「早いな」

「明日早出だから」

「そうか」

「……」

「……」


 沈黙。じとっと背中に汗がにじむ。


 ――違う違う。槙央は寡黙なだけだ!


 槙央が本当はよく気がつく良い子なのは分かっているのに、変な知識を得たせいで必要以上に緊張してしまう。


 そう、むしろぎこちなくなっているのは俺のほうなのだ。そのうえ舞乃さんもいないとなってはまったく間がもつ気がしない。


「じゃ、じゃあ、俺も風呂に入ってさっさと寝るかな」

「……」

「は、は、は……」

「……」


 もう汗をかきすぎてシャツが身体に張りついてしまっている。早く風呂に入りたい。


 踵を返したそのとき、


「兄さん」


 と、なんと槙央のほうから話しかけてきた。


「な、なんだ?」

「……」

「なにか聞きたいことか?」

「……」


 ――なんなのお……?


「ど、どうしたのかな?」

「……ちょっと聞きたいんだけど」


 ――だからそう言ったでしょ……!


「お、おう。なんでも聞いてくれ」


 槙央はスマホをせわしなくスワイプしながら言う。


「兄さんって……。――カノジョとか、いるの?」


 俺は硬直した。



▼第一章四項『今、付きあってる人いる?』


『女の子に今フリーかどうかを尋ねられたら、それはあなたと付きあいたい気持ちの表れかも。相手のために素直に答えましょう。』



「どうしたの兄さん。生まれたばかりのキリンみたいに震えてるけど」


 俺は壁に手をつき身体を支える。


「ん? ん~ん、なんともないよ? か、カノジョ? カノジョね」


 ――これはただの雑談。そうに決まってる!


「……いないけど」

「そう」


 こちらに視線も向けず、短く返事をしただけだった。表情もまったく変わらない。


 ほらやっぱり。なんとなく気になったことを尋ねてみただけ――。


「兄さんは花よりお金って感じだもんね」


 槙央はふんと鼻を鳴らした。無表情のままだったが、それはどうやら失笑のようだった。


 ――に、憎まれ口だぁ……。


 膝から力が抜ける。崩れ落ちないようにイスの背もたれをつかんだ。


 そんな俺の様子を見て、槙央は目を瞬かせた。


「大丈夫? 怨霊みたいにげっそりしてる……」

「ダイジョウブ、ダイジョウブ……、ウフフ……」

「馬鹿にしたつもりはなかったんだけど……。ごめんね?」

「イいヨ、ナんトモなイよ」

「なんともありそう。すごく」

「お風呂に入って英気を養ってくる……」

「それがいいと思う」







 気がつくと俺は自室の布団に寝転がっていた。


 ――お、俺はいったい……?


 あまりのショックのため記憶が飛んでしまったらしい。


 寝返りをうち、ため息をつく。そして今日一日の義妹観察の内容を反芻した。


 彼女たちの言動は、俺に惚れていると考えてもまったく違和感はなかった。


 思えば再会した日からそういった類の言動はあった。でもあのころはそんなこと考えもしなくて気づかなかった。


 こんなふうになってしまったのは――。


 ――あのDMのせいだ。


 あのDMがなければ俺はこんな考えには至らず、今も彼女らと兄妹として仲よくやれていたい違いない。


 それにしても――。


 ――いったい誰が俺のことを好きなんだ……?


 みんなそう見えるのは俺の色眼鏡のせいだろうか。


 どうあれ、大事なのはどう対処するか。具体的に言えば、どうすれば妹たちを不幸にしないで済むか、だ。


 恋心に気づかないふりをする? いや、それはたんに問題解決を先送りしているだけだ。第一、告白されたらどうする?


 仮にイエスと答えたとしよう。その場合、残りふたりとの仲がぎくしゃくしかねない。


 ではノーと答えたら。当然、フラれた彼女が悲しむ。


 八方塞がりだ。誰も不幸にならない方法はないのか……?


 いずれにしても今日はもう精神力の残量がゼロに近い。考え事は明日の俺に任せて、今は体力の回復を図るべきだ。


 俺は布団をかぶり、ぎゅっと目をつむった。

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