第9話 仁夏に惚れられている?

 俺と仁夏の部署は離れているため、勤務中ほとんど会うことはない。


 セールを前にしていつもより納品が多く、忙しくしていると瞬く間に時間は過ぎていった。


 そして二十一時半。退勤して通用口に向かうと――。


「よ、よう、お兄」


 仁夏が小さく手をあげた。


 シフトが重なる日はこうして待ちあわせして、自宅まで送っていくようにしている。


 だからこれは特別なことじゃない。なのになぜ仁夏は少し緊張したような面持ちなのだ。


 嫌な、予感がする。しかし俺は努めて平静を装った。


「お疲れ。じゃあ帰るか」

「あ、お兄。ちょ、ちょっといいかな」

「どうした?」

「あのさ――」


 仁夏はバッグから包みを取りだして見せた。


「これ、作ってきたんだけど」

「……なにを?」

「弁当」


 ――やっぱりぃ!!!


 俺は膝から崩れ落ちた。



▼第二章二項『手料理』


『料理は手間がかかるもの。それをあなたに作ってあげたいということは……。愛情の隠し味に気づいてあげて。』



 ――いや待て落ち着け。俺たちは兄妹だぞ? 家族に料理を振る舞うなんてよくあることだろ……!


「お、お兄? 大丈夫?」

「大丈夫。よくあることだから」

「よくあるなら大丈夫じゃなくない?」


 いけない、余計な心配をかけてしまった。俺はなんでもないふうを装って立ちあがる。


「それより、さっそくいただくよ」

「じゃあ休憩室に行こう」


 刺身をごちそうになったときと同じように、俺たちは休憩室のイスに向かいあって座った。


 弁当箱を開ける。


「おお……!」


 思わず歓声が漏れる。それほどに仁夏の弁当は凝っていた。


 だし巻き卵、カボチャの煮物、鶏の唐揚げ、ウインナー、大学芋、マカロニサラダにプチトマト。ご飯は小さなおにぎりにされていて、それぞれの真ん中に梅やシャケ、おかかが載っている。豪華でお洒落だ。


「すごいな!」

「え? へへっ。そんなことないけど」


 仁夏は照れくさそうにツインテールをくるくるといじる。


「いや、本当にすごい」

「んっふっふっふう……!」


 サイドテールがさらにぐるぐる回る。


『おかずの品数の多さは愛情の多さ』


 そんな文章が思い浮かび、俺はびくりとなった。


 ――い、いや、闇美先生はそんなことをおっしゃってはいない。


 ありもしないアドバイスを俺の恐怖心が勝手に生み出したのだろう。


 ――大丈夫、これ以上はなにも起こらないさ。


「いただきます」


 弁当に箸を伸ばす。


 と、仁夏の前にも弁当箱があるのに気がついた。俺の視線に気づき、仁夏は言う。


「お兄と一緒に食べようと思って」

「そうか、一緒に――」


 そのとき闇美先生のアドバイスが脳裏をよぎった。



▼第一章十項『あ~ん』


『あ~んをして食べさせてくれるなら、もうゴールは目前です。あなたもあ~んをして食べさせてあげて、一気に仲を深めましょう。』



「俺、自分で食べれるから!」

「え? うん。え、偉い、ね?」


 仁夏は当惑の表情を浮かべた。


「仁夏も食べれるよな?」

「当たり前だろ。なに言ってんのお兄」

「だよな。よかった。じゃあ、いただきます」

「……? いただきます」


 俺の警戒をよそに会食は滞りなく楽しいまま終わった。店を出てからも会話が途切れることはない。


 そんな時間ほど早く過ぎ去るもので、気づくともう仁夏の自宅が見えてきた。


 急に話が途切れる。隣を見ると、仁夏は斜め前方を見つめたまま押し黙っていた。


「どうした?」

「な、なあお兄」

「ん?」

「あの、さ……。ちょっとコンビニ寄ってかない? いつものジュースが切れてたの忘れてた」


 俺は愕然と立ち止まった。


「お兄?」



▼第二章一項『もう少しおしゃべりしない?』


『帰り際に、”もう少しおしゃべりしない?”、”もう少し歩かない?”、”もうちょっとゆっくりしていこうよ”。……なんて、言われたことはありませんか。それはきっと、もっとあなたと一緒にいたいけど素直に言えない――そんな彼女の必死の引き留めに違いありません。』



「違いないかなあ!」

「え、な、なに言ってんの! 本当だってば!」

「は?」

「だから、ジュース。本当に切れてて……!」

「あ、そ、そうか。だよな。じゃあちょっと寄ってくか」

「もー、なんで疑うかなあ」


 引きかえしてコンビニに行くあいだも、仁夏はずっとぶつぶつ文句を言っていた。


 コンビニに到着し、仁夏は奥のドリンクストッカーに向かった。


「う~ん……」


 腕を組んでうなっている。まるでなにを買おうか迷っているかのように。


「買うのは決まってるんじゃないのか?」

「え!? あ……、そうだけど! こ、ここにはないなあって」


 とごまかすみたいに笑う。


「あ、じゃあこれ買おうかな。夜だし」


 そう言ってゼロカロリーのサイダーを手にとり、レジに向かう。


「……仁夏」


 ふくらんでいく疑念に耐えきれず、俺は仁夏に尋ねた。


「本当に、切れてたジュースを買いに来ただけなんだよな?」


 仁夏はギシギシと音が聞こえそうなほどぎこちない動作で振りむく。


「い、いやだなあ。本当だって。何回言わせんの」


 と、表情筋を引きつらせた。


 ――なんだよその顔は……!?


 疑念は解消されるどころかさらに深まった。しかしそれ以上、追及する勇気はなく、俺は仁夏を家まで送ったあと、泣きそうになりながらマンションに帰った。

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