好かれすぎ、嬉しすぎ、つらすぎ

第8話 愛結に惚れられている?

 歴代の義妹たちとの再会してからひと月ほどがたった。


 お隣さんの愛結とはちょくちょく顔を合わせる。仁夏とはバイト先で、槙央とはもちろん自宅で。


「なあに? にやにやして」


 一緒に昼食のナポリタンスパゲッティを食べていた舞乃さんが、俺の顔を覗きこむようにして尋ねた。


「え? 顔笑っちゃってました? えっへっへっ」

「ええ、今は全部笑ってるけど」

「ええっへっへっへっへ」


 家族が集まったのだ、こんなに嬉しいことがあるか。しかも昔と同じく――いや、昔よりずっと親密になった。怖いくらい幸せだ。


 前は遠くから見守るつもりだったが、離れていては感知できない問題も起こりうる。そう考えれば皆が手の届く範囲に集まったのは幸運だった。


 みんな大事な家族だ。俺のような思いは絶対にさせない。


「そういえば、最近どう?」


 舞乃さんが尋ねた。


「体調は良好ですよ」

「じゃなくて、学校」

「行ってます」

「じゃなくて~! 友だちとかカノジョとか」

「舞乃さん」


 俺はペーパータオルで口元のケチャップを拭き、指を組んで舞乃さんを見すえた。


「春休みにがっつりバイトのシフトを入れていた時点で察してください」

「な、なんかごめんね~……」


 二三言言葉を交わすくらいのクラスメイトならいるが、おそらくそれは友だちとは呼べないだろうし、ましてカノジョなんているわけもない。俺がそんな愛される側の人間だったら、父親も母親も俺を置いていなくなったりしないだろう。


「妹ちゃんたちとは? 連絡とってたんでしょう?」

「年賀状で年に一回くらいは」

「それだけ?」

「向こうにも新しい家族がいるし」


 過去の短いあいだだけ義兄だった男から頻繁に連絡が来ても迷惑だろう。しかし安否の確認だけはしておこうと考え、最小限の連絡にとどめていたのだ。


「気にしすぎだと思うけどな~」

「舞乃さんはもっと自分の酒量を気にしてください」

「う、うう、ん……。と、ところであれは? あれ、あの……あれは、どうなの?」

「ごまかすの下手くそですか」

「わ、分かったわよう。ちゃんと休肝日を設けます。月一で」

「週一でお願いします」

「……善処しま~す」


 と、スパゲッティをつるりとすすった。


 しないな、これは。まああまりうるさいことは言うまい。なぜなら今の俺はいまだかつてないほどハッピーだから。






 食後、愛結向けの低カロリーレシピをスマホで検索していたとき、ふと、あの不審なDMのことが思い出された。


 Twitterのアプリを開き、封書のアイコンをタップする。


「あれ?」


 DMが消えていた。というか、あのアカウント自体が消えているようだ。しかし文面はしっかり覚えている。



『あなたと出会った少女は あなたを愛しています』



 けっきょくあれはなんだったのだろう。悩むだけ無駄と結論づけたものの、まったく気にならなくなったわけではない。頭の片隅にいつもなんとなくこびりついているような感覚があった。


 しかし俺にはドラマチックな出会いをした少女なんていないし――。


 そのとき、を思いついてしまったのは、直前に舞乃さんとカノジョや妹の話をしていたせいかもしれない。


 ――もしも……、もしもだ。あのDMの内容が事実だったとして……。


 俺が出会ってきた少女――そして最近、再会したのは愛結、仁夏、槙央だ。


 この中に俺のことを好きな子が――。


「ば、馬鹿馬鹿しい」


 あるわけがない。俺たちは家族で、決してそういう間柄になるような関係ではない。


 ないのだが……、少し気にかかることはある。


 それは妹たちの言動だ。


 ――……確かめてみるか?


 ……い、いや、違うぞ? 誰かが俺のことを好きだったらいいなあ、とかそんな不埒で不純なことを考えているわけじゃない。そりゃ三人ともかわいいし、もしも俺が兄ではなく赤の他人だったらきっと……。――きっと接点すらなかっただろうな、うん。


 ともかく、あのDMがくだらない悪戯だったのだと確定させる。それが目的だ。


 ――それにはまず……。


 俺はとあるワードを検索し、表示されたページの内容を熟読した。





 俺は玄関に立ち、一度、大きく深呼吸した。


 ――大丈夫、きっと俺の勘違いだ。


 俺が検索したのは恋愛に関するワード。その中でも好意を示すサインについてだ。


 俺たち兄妹は仲が良い。しかしその仲の良さ――とくに妹たちから俺に対しての――が、家族のそれとは違うというか、少々逸脱しているような気はしていた。


 それが『仲の良すぎる家族として』なのか『恋愛対象として』なのかを確かめる。


 俺はスマホの画面を見た。


『女の子が示す”好意のサイン”を見逃さないで!』


 ライフスタイル系総合サイトに載っていた、自称恋愛講師、病垂やまいだれ闇美やみみ先生の記事だ。うっかり信じてしまったらボロボロにされそうな名前だが、ビュー数も多く人気の記事だし、内容にも一定の説得力があると感じた。


 今日一日、できるだけふだんどおりに過ごし、義妹たちの言動に『好意のサイン』があるかどうかを観察する。


 ――頼むぞ、闇美先生……!


 俺はドアノブを回し、外に出た。






 買い物を終えてマンションに帰ってくると、エントランスの前で愛結がラジオ体操をしていた。


「あ、お兄ちゃん! ぐ、偶然だねえ!」


 工業用ロボットみたいなぎこちない動きで手を振る。


 ――こ、これ、闇美先生のゼミで見たやつだ!



▼第二章七項『偶然の出会いが多い』


『最近あの子とよく鉢合わせるなあ、と感じているあなた。それは偶然ではありません! 意図的にタイミングを合わせてあなたに会いにきているのです。あなたに好意を持っているからなのは言うまでもありません。』



「お兄ちゃん? 大丈夫?」


 はっと我に返ると、心配そうに覗きこむ愛結の顔が目の前にあった。


「あ、ああ、大丈――」


 ――ま、待てよ。これも……!



▼第一章三項『距離が近い』


『身体の距離は心の距離。女の子のほうから距離を詰めてくるのは好きのサインです。勇気を出して、あなたも一歩踏み出しましょう!』



「踏み出すか!!!」

「え、な、なに? 踏み出すって……」


 愛結は怯えたように首をすぼめている。


「い、いや、すまん。先生に悪の道を勧められて」

「? 先生なのにひどいね」

「だよな。でも大丈夫、俺は決して悪には染まらない」

「分かってるよ。お兄ちゃん優しいもん」


 と、微笑む。



▼第一章十四項『よく褒める』


『格好いいね、頭いいねとよく褒められませんか? 好きな人はキラキラして見えるもの。彼女の目にはあなたが絶世の美男子に映っているのかもしれません。』



「俺は優しくねえ!!」

「ええ? 優しいよ」

「そんなわけあるか! わ、悪口言ったことあるし!」

「誰でもあると思うよ」

「ポイ捨てとかもしたことあるし!」

「悪いことしたなあって思ってる?」

「思ってるけど……」

「なら、やっぱりお兄ちゃんはいいひとだよ」


 ――また褒められてしまった……。この短時間に二度も!


 これ以上はここにいるのは危険だ。


「そ、そろそろ行くよ。肉が傷むといけないから」

「じゃあわたしが一個持ってあげる!」


 愛結は手を伸ばし、買い物袋――を持った俺の手を握った。



▼第一章八項『ボディタッチ』


『――手へのタッチはもっとあなたに近づきたいという心理の表れ。男らしいあなたの手に女の子は内心ドキドキかも?』



「ちぇえええええい!!」


 俺はバンザイするみたいに両腕を挙げて愛結の手を振り払った。


「見てのとおり体力はあり余っている! 手伝いには及ばん!」

「そうなんだ……。お兄ちゃん力持ちだね」

「っ! も、もう俺を、俺を褒めないでくれええええ!!」


 俺はその場を逃げだした。


 エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆けあがり、自宅の玄関に飛びこんで、閉めたドアにもたれかかる。


 じわりとにじんだ額の汗を拭う。


 ――違う、違う、違う……!


 愛結のあれは親愛的なあれだ。決してそういうあれではない。そう決して――。


「どうしたの?」

「うぉほう!?」


 びくりとして顔をあげる。俺に声をかけたのは舞乃さんだった。


「ま、舞乃さんか。びっくりした……」

「なあに、息を切らして」


 舞乃さんはにまっと笑う。


「もしかしてえ、女の子にでも追いかけられたのかな?」

「そんなわけないでしょう! ――そんなわけないでしょう!」

「なんで二回」

「俺が婦女子に好かれるわけがない!」

「婦女子て」


 俺は首を伸ばしてリビングを見る。


「槙央は?」

「昔の友だちに会いにいったけど」

「そうですか……」


 少しほっとする。さっきのことがあったばかりで義妹への警戒心……、いや、恐怖心大きくなっているようだ。


 いったん落ち着こう。特別な行動をする必要はない。


 ――いつもどおり、いつもどおり……。


「じゃあ、食事の下ごしらえをするので」

「今日は仕事休みだしわたしがやるから、大ちゃんはゆっくり――」

「気持ちだけで結構です! いつもどおりでお願いします!」

「いつもどおりって」

「日がな一日ソファでだらだらと過ごしていてください!」

「わたしそんなイメージ……?」


 できるだけふだんどおりに。でなければ正しい判断ができなくなる。俺は無心になって下ごしらえを開始した。






 下ごしらえを終え、学校の課題も消化した。時刻は十六時半を迎えようとしている。


 ――よし。


 いつもどおりの行動、いつもどおりの時間だ。


 そろそろバイトに行こうと部屋を出ると、舞乃さんがソファで居眠りしていた。テレビはつけっぱなし、テーブルにはさきイカとノンアルコールビールの缶が放置されている。


 ――やっぱりだらだらしてるじゃないか……。


 ノンアルコールなのはせめてもの抵抗だろうか。その努力は認めざるを得ない。


 俺は舞乃さんを起こさないように忍び足で家を出た。


 バイト先への道のりを歩いていると仁夏の顔が思い浮かび、不安がぶり返してくる。


 ――いや!


 意識するな。ふだんどおりに過ごすんだ。


 腕時計を見る。


 ――まずい、いつもより一分遅れてる……!


 俺は早足になってバイト先のディオンへ向かった。

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