第7話 義妹三人目2

 食後、俺たちは近所のスーパーに買い物に行った。ちなみに食器はいつの間にか槙央が洗ってくれていた。


 スーパーに到着すると槙央はすぐにカートを押して持ってきた。


「俺が押すぞ?」

「わたしが。なにを買うか分からないし」


 ――なんだよ……、なんだよなんだよ……!


 いい子じゃん……!


 気分が盛りあがって余計な買い物までしてしまいそうだ。気をつけないと。


「そうだ、槙央はなにが食べたい?」

「わたしは、べつに……」


 いつもきっぱりした物言いの槙央。今回は少しだけ言いよどんだように聞こえた。


「遠慮することないぞ?」

「でも、面倒だから」

「今日は休みだし、問題ない」

「……」


 明後日の方向に目を向けたまま、槙央は言った。


「……コロッケ」

「コロッケな。よし、じゃあ腕によりをかけて、カニクリームコロッケでも――」

「じゃなくて、ふつうの」

「ジャガイモの?」

「ジャガイモとひき肉の」

「クリームコロッケでもいいんだぞ? たいして手間も変わらないし」

「じゃなくて……」


 と、言葉に詰まる。


「もしかしてだが……」

「……」

「ポテトコロッケのほうが好きなのか?」

「……」


 槙央は小さく頷いた。


「よ、よし! じゃあめちゃくちゃ豪勢なやつを作ってやる!」

「ふつうのでいい」

「たくさん作るからな!」

「ふつうの量でいい」

「遠慮するな」

「ふつうのがいいの」

「でも――」


 おっと危ない。またテンションが上がってせっかくのいい流れをぶち壊すところだった。


「分かった。じゃあふつうのを丹精込めて作る」

「うん」


 あいかわらずの無表情なのに、怒っているとはもう感じなかった。やはり俺の気の持ちようだったのだ。


 清算の終わった品物を買い物袋に詰めていると、槙央の姿がないことに気がついた。


 周囲を見渡すとすぐに見つかった。レジのところで見知らぬ老人と話している。


 槙央はセルフレジを指さし、なにか言っている。老人は老眼鏡を上げたり下げたりしながら、ふんふんと頷いている。


 使い方を教えているらしかった。


 ――いや、もう、なんだ……。ちょっと泣きそう……。


 槙央は愛想がなく、口数も少ない。だからと言って怒っているわけでも冷たいわけでもない。ただちょっとひとより感情のアウトプットが小さいだけ。


 俺はいったいなにを見ていたんだ。兄として反省しなければ。






 家に帰ってきて、さっそくコロッケの仕込みをしておこうとキッチンに立ったとき、ふと思いたつ。


 ――せっかくだから、もっと距離を縮めてみるか。


 洗面所のほうからダイニングに戻ってきた槙央に声をかける。


「暇だったらでいいんだけど……、一緒に作らないか?」

「いいけど」


 ――即答!?


 思わず二度見してしまった。


「なに?」

「い、いや、助かる」


 こんなにあっさり了承されるとは思っておらず、挙動不審になってしまった。


「じゃあ、まずジャガイモの皮を剥いてくれるか」

「分かった」


 槙央はピーラーで皮を剥いていく。決してうまくはないが丁寧だ。俺は槙央が処理してくれたジャガイモを包丁で切っていく。


 出会ってから一年もたって、ようやく初めての共同作業。案外、息も合っている。


 うまくやっていけそうな気配に、俺はますます嬉しくなる。


 コロッケのタネが出来上がり、次はパン粉をつけていく作業だ。薄力粉をまぶし、溶き卵をつけ、最後にパン粉をまとわせる。


「槙央、バットに薄力粉を出してくれるか」

「うん」


 槙央が戸棚に向かう。そのあいだに俺はボウルに卵を割り入れ、箸でちゃかちゃかと混ぜた。


「これくらい?」


 薄力粉の入ったバットを持って槙央がこちらにやってくる。ちょっと多いが問題はない。


「それで大丈夫。次は――」


 指示を出そうとしたそのとき――。


「っ!?」


 槙央がキッチンマットにつまずいた。


 宙を舞うバットと薄力粉が、いつか観た映画の演出みたいにスローモーションに感じた。


 しかし俺はそんなスローモーションの世界でふつうの速度で動ける特殊能力を持っている――わけはなく、薄力粉はあえなく俺の顔面にぶっかかった。


「……っ! ご、ごめん……」


 槙央の慌てる声を初めて聞いた。目が開くことができれば慌てる表情も見れたかもしれない。


「そうそう、こうやってな、薄力粉をまぶしてな――、っておいっ」

「……ごめん」


 冗談で和ませようとしたがあまり効果はなかった。


「問題ない。それより怪我はないか?」

「う、うん」

「ならよかった」

「粉、落とさないと」

「ここで払ったら広がっちゃうから、ひとまず顔を洗って、それからシャワーを浴びるよ」


 罪悪感を抱かせないように、俺はわざとのんびりした声で言う。


「じゃ、じゃあ、こっちに……」

「触ったら汚れるから槙央は離れてな」

「う、うん。ごめん……」


 俺は手探りで蛇口を探す。と、指先に柔らかい感触が当たった。


 ――お、これは、コロッケのタネか?


 つんつんとつつく。


 ――でもこんなに弾力あったっけ……?


 軽く掴んでみる。温かい。そしてやはり弾力がある。俺はその感触を確認するように、何度も指先に力を入れたり抜いたりした。


 ――あれ? これ……。


 手を止める。あるひとつの可能性に思い至り、背筋に冷や汗がにじむ。


 ――まさか、そんな……。


 目元の粉を指で拭い、おそるおそるまぶたを開く。


 俺の手が槙央の胸を鷲づかみにしていた。


「どぅわあああず!!??」


 思わず叫び声をあげ、弾かれるように手を離した。


「すまんすまんすまんすまーん!!」


 薄力粉のまき散らされた床に額をこすりつける。


 これはさすがにクリティカルだ。パイタッチ、なんて次元じゃない。つつき、掴み、揉みしだいてしまったのだ。しかもちょっと感触を楽しんですらいた。


「……」


 槙央は腕で胸を隠すようにし、大きく息を吐いた。


 ――怒ってる……!


 激しい落雷を覚悟し、俺は顔を伏せる。


 しかし――。


「大丈夫。事故だし」


 聞こえてきたのはいつもどおりの冷静な声だった。


「え?」


 顔をあげる。槙央は目をそらした。


 あいかわらずの無表情。しかし耳まで真っ赤になっている。


「お、怒ってるわけでは、ない……?」

「怒ってない。ちょっと……びっくりしただけ。それに、おあいこだから」

「おあいこ?」

「兄さんを真っ白にしちゃったし」

「あ、あ~、なるほど。そうか、おあいこか」


 以前なら、そう言いつつ怒っているに違いないと決めつけていたことだろう。しかし今は、素直に言葉どおりなのだと信じられる。


 しかしよくもまあこんなレアなハプニングが重なったものだ。今さら可笑しさが込みあげてきて俺は笑った。


『――くても怒らないけど――』


 槙央がぼそりとなにか言った。


「ん? なんて?」

「別に。――それよりシャワー浴びてきなよ。掃除はわたしがやるから」

「ああ、頼む」


 粉を落とさないように慎重に歩いて脱衣所まで行き、服を洗濯機に放りこんだ。浴室に入り、シャワーを浴びようとノブに手を伸ばす。


 と、その手を止める。


 ――さっき……。


 槙央がぼそりと言ったこと。


『――くても怒らないけど――』


 笑い声が重なってよく聞こえなかったが、あれが仮に、


『おあいこじゃなくても怒らないけど』


 だったとしたら。


 俺になら身体に触れられても不快ではない。そういう意味になって――。


「いや!」


 ただたんに家族と不意の接触があったところで怒るほどのことでもないということだろう。


 俺は不埒な考えを消し去るために冷水のシャワーを頭に被った。

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