第6話 義妹三人目1
俺はレンゲで炒飯をすくい、口に運んだ。
対面の席の少女も同じように炒飯を食べる。
彼女の名は高城
前髪で片目の隠れたボブカット。感情の起伏に乏しい表情。
会話はない。食器がたてるかちゃかちゃという音だけが食卓に響いている。
気まずい。
――舞乃さん、早く帰ってきてくれ……!
俺は虚空に向かって祈るほかなかった。
◇◆◇
槙央がこのマンションに引っ越してきたのは愛結が隣に引っ越してきた少しあと、仁夏とバイト先で再会する少し前の三月下旬だった。中学校は祖父のところから通っていたが、高校は舞乃さんのところから通うこととなったのだ。
そういう事情もあって、俺と槙央は兄妹ではありながら今まで数回しか顔を合わせたことがなかった。
槙央が帰ってくる日、俺はとても緊張していた。なぜなら嫌われているっぽいからだ。
ドアの開く音が聞こえ、俺は玄関に出迎えに行く。
「おかえりなさい」
駅まで迎えに行った舞乃さんと、その後ろに槙央。
「ただいま~。今日は焼肉だからね。うふふ」
と、舞乃さんは柔らかく笑い、上機嫌でリビングへ向かった。
「お、おかえり」
玄関で靴を脱ぐ槙央に声をかけた。
「ただいま」
俺を一瞥し、抑揚のない声で答える。
「久しぶりだな~。正月に会ったきりだから、二ヶ月半ぶりくらいか」
「そうだね」
「だな」
「……」
「は、はは……」
――会話が続かん……!
「荷物持とうか?」
「大丈夫」
「疲れてるだろ?」
「大丈夫」
「のど渇いてないか?」
「大丈夫」
「若さだな。あ、俺と一個しか違わないか」
「……」
「は、はは……」
――背中がびっちょびちょだ……。
「そこ、通っていい?」
「あ、すまん」
俺は廊下を横に避ける。槙央は無言のまま通りすぎた。
思わずため息が漏れる。やはり嫌われてるっぽい。
とぼとぼとリビングに戻ると舞乃さんはソファに行儀よく座り、缶チューハイをぐびぐび呷っていた。槙央は隣の部屋に行ったようだ。
「さっそくアルコールですか」
「でも五%だよ?」
「なにがどう『でも』なんですか」
「いいじゃない、娘が帰ってきた祝い酒」
「本音は?」
「日の高いうちから飲むお酒は最っ高!」
――最低の発言だ……。
「そうだ。部屋、そのまま使っていいからね」
「え、いいんですか?」
「今わたしが寝室に使ってる部屋は槙央に使ってもらうから」
「でもそうしたら舞乃さんは」
「わたしはほら、いつもここでお酒を飲んでるから」
「それはそうですけど」
「もう! そこは『そんなことないですよ』でしょ!」
――そんなことはあるんだが……。
「基本的に部屋は槙央が使って、寝るときだけわたしも使う。仕事で不在が多いし、休みの日もリビングで充分だから」
「でも」
「いいの。大ちゃんはわたしの息子なんだから、もっと甘えて」
もう充分甘えさせてもらってるけどなあ。しかし固辞してはかえって舞乃さんを困らせてしまう。
「じゃあ、ありがたく」
俺は受け入れることにした。
「いえいえ。それより見た? 槙央の様子」
不機嫌そうな槙央の顔を思いだし、ブルーな気持ちがぶり返す。
「はい……」
「すごく嬉しそう」
――どこが!?
認識の齟齬がでかすぎる。
「ま、まあ、前と変わらずです」
「でしょう?」
と、嬉しそうに缶チューハイを飲み干した。舞乃さんには俺の見えていないものが見えているようだ。シャーマンかなにかだろうか。
◇◆◇
「どうかした?」
レンゲを持ったまま固まる俺に、槙央があいかわらずの無表情で俺に問いかけた。
「え? あ、いや、なんでもない。ははっ」
再会当時のことを思いかえしていてぼんやりしてしまっていた。笑ってごまかし、炒飯をかき込む。
「多かったら残してもいいからな?」
「大丈夫」
「味、濃すぎないか?」
「おいしいけど」
と言いつつ、無表情で炒飯を口に運ぶ。
――おいしくなさそ~……。
気を遣わせてしまったようで申し訳なくなる。
「あの……、提案なんだが」
「なに?」
「舞乃さんがいないときは無理しなくていいからな?」
槙央は手を止め、小さく首を傾げた。
「俺もいろんなひとと家族になってきたから分かるんだ。いきなり現れて『兄貴です』って言われても困るよな」
「別に困ってないけど」
「いいんだ、気を遣わなくても。思ってもないことを言って取りつくろわないといけない家なんて居づらいだろ。でも舞乃さんがいるときだけは頼むよ。心配かけたくないからさ」
槙央はちょっと考えるように視線を漂わせたあと、尋ねた。
「もしかして、わたしに嫌われてると思ってる?」
ストレートすぎる質問に俺は狼狽した。
「え!? あ、あ~、その~……。ま、なんというか、あれだな、うん。な?」
「それ、実質なにも言ってないけど」
「あはは……。ま、まあ、好かれては、いないかな、と……」
「やっぱり」
と、小さい吐息のようなため息をつく。そしてレンゲを皿に置き、俺をまっすぐに見つめて、言った。
「わたし、兄さんのこと好きだよ」
「………………え?」
「わたし、兄さんのこと、好きだよ」
槙央はもう一度、噛んで含めるように言った。
『わたし、兄さんのこと、好きだよ』
頭の中でリフレインする。
「……好き?」
槙央は頷く。
「それは建前ではなく?」
「建前ではなく」
「マジなやつ?」
こくりと頷く。
「マジなやつ」
「……」
それが事実なら嬉しいが、でも実際は――。
――……いや!
俺自身、ころころと家族が変わって少なからず嫌な思いもしてきたから、きっと槙央もそうなのだと思いこんでいただけかもしれない。槙央は不機嫌なのではなく単に感情が表に出ずらい性分なだけで、実はなんとも思っていない――いや、言葉どおり、俺に好意的なのかもしれない。
きっと――、否、絶対にそうだ。妹を信じられなくてどうする。
――俺はもうビビらん!
思いたったら即行動だ。
「槙央!」
「なに?」
「このあと買い物に行くんだが、一緒に行かないか」
俺はごくりとつばを飲みこんだ。喉が渇いているのは炒飯の塩味が濃すぎたからではないだろう。
提案がとうとつ過ぎたかと後悔しはじめたとき、槙央が返事をした。
「いいけど」
――やった……!
槙央は俺が嫌い。いつも不機嫌。怒っている――。やはり俺がそう勘違いしていただけなのだ。
「よ、よし、じゃあ出ようか」
「まだ食べてる」
「そ、そうだな、すまん、ゆっくり食べていいからな。洗い物も俺がするから」
「分かった」
嬉しさのあまりテンションが上がって気持ちが急いでしまった。これでは本当に嫌われてしまう。落ち着かなければ。
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