第5話 義妹二人目2

「おにい!」


 その声、その呼び方。一気に昔の記憶が蘇る。愛結と再会したときと同じ感覚だった。


仁夏にか……!?」


 まちがいない。俺が『貴島きじま大樹』だったときの義妹、仁夏だった。


 以前の髪型はボブカットだったし、カラーも茶色だった。それに身体ももうちょっとほっそりしていたはずだが、ずいぶんと女性らしいフォルムに成長していた。緩い胸元から覗く谷間は深く、短いスカートから伸びるふとももは肉感的だ。中学生の姿のまま記憶をアップデートしていなかったから、その発育っぷりには目を見張った。


 ――成長期って……、マジで成長するんだな。


 俺は当たり前のことに感銘を受けた。


「な、なんだよ、じっと見て……」


 仁夏がもじもじしている。


「人間の身体ってすごいなって感動してた」

「今は妹との再会に感動してくれる?」

「そ、そうだ、なんで仁夏がここに」

「ちょっと前に近くに引っ越してきたんだよ。で、バイトを始めて。お兄は」

「俺は近くに住んでて……。――というか大丈夫か? 派手に転んでただろ」

「それは大丈夫。まさかあのタイミングでお兄に会うと思ってなかったから緊張しちゃって」


 仁夏は照れ笑いした。


 ――……?


 なんだか少し違和感のある言い回しに思えた。


「どうしたの? お兄」

「……いや。俺のせいだな。驚かせて悪かった」

「ち、違うって! あたしが勝手に慌てただけだし。――ほんと、そういうとこ変わんないね」

「『そういうとこ』?」

「責任感が強いっていうか強すぎるっていうか」

「そうでもないと思うけど」

「多分お兄だけだよ、そう思ってるのは」


 と、苦笑する。


 遠回しに堅苦しいと言われているのだろうか。いけない、仁夏をリラックスさせないと。


「そんなことないぴょん」


 頭の上に手のひらでウサ耳を形作った。


「え、なに急に……。怖っ……」


 仁夏は眉をひそめた。試みは失敗に終わったようだ。俺は恥ずかしくなり、せき払いをして仕切りなおした。


「そ、その後はどうだ?」

「新しいお母さんができた。すごくいいひと。料理うまいし。お兄は?」

「今は親戚の――母親の従姉妹だから従叔母いとこおばっていうのか、そのひとの息子になって、苗字は高城だ」

「そのひとはいいひと?」

「すごく」

「よかった」


 仁夏は顔をほころばせた。


「料理といえば仁夏、包丁の扱いがうまくなったな」


 昔の仁夏は料理がまったくできず、野菜を切るのもおっかなびっくりといった様子で、だから俺がよく簡単なものを作って食べさせていた。それを考えるとめざましい進歩だ。


「え、あ、そう? そんなでもないけど」


 などと言いつつ、口元が嬉しそうにニヨニヨとゆるんでいる。


「そうだ、お兄に食べてもらおうと思って社割で買ってきたんだ。お作り」


 と、持っていたレジ袋を持ちあげた。


「仁夏が切ったやつか?」

「そ。本当はちゃんと料理したやつを食べてもらいたかったん――」

「なに言ってんだ。魚をさばくのだって立派な料理だよ」

「う、うん」

「ありがたくいただく」

「うん、食べて」


 レジ袋を受けとった俺はいま来た道を引きかえした。仁夏が慌てたような声を出す。


「え、ど、どこ行くの?」

「食べるんだが?」

「どこで」

「休憩室」

「家でじゃなく?」

「早く食べたいからな」


 たしか休憩室には醤油などの調味料や紙皿、割り箸などが常備されていたはずだ。


「ほら、行くぞ」

「あたしも?」

「一緒に食べるだろ?」

「……食べる」


 仁夏は小走りでついてきた。


 閉店まで三十分の休憩室には誰もいなかった。


 刺身のパックを取りだし、醤油を注いだ紙皿と割り箸とともに机に並べる。そして俺はしげしげとマグロの刺身を観察した。


「うまいもんだな」

「ただの刺身なのに分かんの?」

「切り口がきれいだし、ちゃんと筋に添ってる。並べ方もきれいだ。食べるひとのことを考えてる。料理がうまい証拠だ」

「へ、へへ……」


 仁夏は照れくさそうに身体をくねくねさせている。


「じゃあ、いただきます」


 ちょんとマグロに醤油をつけ、口に運ぶ。咀嚼する俺を、仁夏は緊張の面持ちで凝視している。


 飲みこむ。あまりのうまさに顔が笑ってしまう。


「うまい……!」

「……」


 仁夏は目を大きく開き、無言で俺を見つめている。てっきり得意顔になるか照れ顔になるかと思ったんだが。


「ん? どうし――」


 尋ねようとしたまさにその瞬間、仁夏の大きな瞳から大粒の涙が溢れた。


「ぐっ、ふ、ふぐぅ……!」


 顔をくしゃくしゃにしてむせび泣く。


「本当にどうした!?」


 わさびをつけすぎたとかいうレベルじゃない。というか仁夏はまだ食べてすらいない。


「だ、だってえ……! おに、お兄にぃ、食べてもらいたくてぇ、ずっ、ずっと練習じでぎだがらざあ……!」

「え、そ、そうなのか」


 何度もしゃっくりをしながら、仁夏はたどたどしく言う。


「いつも、お兄にばっかり、ご飯の準備させて、あたじはなにぼでぎなぐでぇ……。内緒で練習してだら、い、いなくなっちゃうんだもん……!!」


 俺たちが離ればなれになったときのことを言っているようだ。あのときも仁夏はこんなふうに泣いていた。


 しかし同じ涙でも、そのときと今日とでは意味が違う。叶わなかった悔し涙と、叶った嬉し涙。


 俺は手を伸ばし、仁夏の頭を撫でた。


「ありがとうな」

「……うん」


 涙顔に笑みを浮かべる。ずっと俺のことを思ってくれていただなんて、俺もちょっとじんとしてしまった。


「成長したもんだな」

「だってあたしもう高校生だよ」

「だよなあ」


 二切れ目のマグロを噛みしめる。


 ――そうだ、俺も久しぶりに料理を作ってやろう。仁夏は炊き込みご飯が好きだったよな。あれを……。いや、せっかく再会したんだからお祝いもかねて……。


「今度、赤飯を炊いてくるよ」


 きっと喜んでくれる。そう思ったのだが。


「………………」


 仁夏が真顔になった。その顔がどんどん紅潮――それこそ赤飯のように――していく。


「な、な……、なに言ってんだお兄!!!???!」


 目をぐるぐるさせながら叫ぶ。


「そ、そそそんなことしなくていいって!!! ってかもうとっくに済んでるし!!」

「……? まだ済んではいないだろ」

「済んでるよ!! 小学生のときに!!!」

「なんで再会のお祝いが小学生のときに済んでるんだよ。ループでもしてるのか」


 仁夏はきょとんとした。


「……再会の……お祝い……?」

「それ以外になにが――あ」


 俺は気づいた。


 成長、赤飯、小学生のときに済んでいる――。


 つまり仁夏は、女の子特有の身体の変化と勘違いしていたのだ。


 かあっと顔が熱くなり、俺は手で額を押さえた。


「す、すまん……。この話の流れならそうとも受けとれるな……」

「あ、謝んないでよ!」

「本当に悪かった」


 俺は頭を下げる。


「やめてって! 勘違いしたあたしが恥ずかしくなるじゃん!!」

「いや、勘違いさせたのは俺だし」

「だからあたしが――」

「俺のデリカシーが足りなかった。本当にすまん。以後、下ネタと勘違いさせないように発言には細心の注意を――」

「もーいいからあああ!!!」


 仁夏は悲鳴のような声をあげながら休憩室から逃げだした。


「あ、おい!」


 送っていこうと思ったのに。


「高城くぅん」


 急に名前を呼ばれて俺はびくりとなった。


 声の主は末松さんだった。戸口から顔を半分だけ覗かせている。


「な、なんですか?」

「見させてもらったよお。JKちゃんと仲がよさそうだったじゃないの」

「そりゃまあ」


 妹だし。


「ちょっと君との付きあいを考えなければいけないね」

「え、どういう意味ですか」

「師匠、と呼ばせてもらうよ」


 なに言ってんだ、このひと。


「この短時間で一緒に食事をして痴話喧嘩をして仲直りまでして……。展開が早すぎるよ。ファスト映画だよ」

「ち、違いますよ」

「なにが違うってんだい。女の子が男に頭を撫でさせるなんてよっぽどだよ?」

「妹なんです。義理ですけど」

「妹……?」

「だから仲がいいのは当たり前で」

「高城くん、妹が多すぎない? 次から次へと湧いて出てくるね」

「俺、プロの連れ子ですから」

「プロって。それで生計を立ててたわけでもあるまいし」

「いえ、ある意味では立ててました」

「……」

「冗談です」

「冗談に許される重さじゃないよ!?」


 笑ってくれて構わないんだけどな。たしかに不幸ではあったが、それは過去のこと。もう前向きに生きようと決めたのだ。


「それにしても、妹だったのか……。ちょっと君との付きあいを考えなければいけないね」

「今度はなんですか」

「お兄さん、と呼ばせてもらうよ」

「しばき倒して折りたたんで窓からぶん投げますよ」

「ええ? 高城くんってそんなキャラだったっけ? 怖あ……」


 末松さんはテーブルに目を向けた。


「おや、それJKちゃんが作ったやつかい? 一切れもらっても?」

「ええ、どうz――」


 俺はちょっと考えて言いなおした。


「末松さん、まだ仕事中なんじゃないですか?」

「え? あ、あ~、まあそうね。うん、ちょっと通りがかったっていうか、まあバックヤードでの雑談は禁止されてないし?」

「申し開きは以上ですか?」

「な、なに? ほんと今日の高城くん怖いなあ」


 末松さんは「はあ忙しい忙しい」などとぶつぶつ言いながらその場を去った。


 ちょっと申し訳ないことをした。でも――。


 俺は仁夏が切ってくれた刺身に目をもどす。


 ――これはちょっとあげられないよな。


 俺は最後の一切れまで、ゆっくりゆっくり味わった。

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