第4話 義妹二人目1
春休みが終わり、高校二年生としての生活が始まった。
とは言ってもやることは一年のころとほとんど変わらない。淡々と授業を受け、放課後にはバイトに行く。これだけだ。
午後四時半を過ぎたころ、俺はバイトに行くために玄関を出た。
と、どたどた音が聞こえてきて、隣の部屋のドアが勢いよく開き、愛結が飛びだしてきた。
ひどい格好だった。変装用の黒縁眼鏡は斜めになっているし、お下げを結う高さが左右で違う。
シャツもひどい。胸に消火器のピクトグラム、その下にゴシック体で『消火器』の文字。制作者はなにを思って消火器の標識をモチーフにしたのだろう。うちの妹は消火器ではないのに。
本当に女優としてやっていけるのだろうかと不安になる。しかしこの姿を見て誰も芸能人の卵とは思わないだろうから、変装としては完璧だ。
愛結は必死の形相で言う。
「お、お兄ちゃん、偶然だね」
「……そうだな」
そういうことにしたいのなら、そういうことにしておいてやろう。
「バイトに行くの?」
「ああ」
「送っていこうか?」
「気持ちだけもらっておく。帰りが愛結ひとりになるから」
「そ、そっか」
と、残念そうにうつむいた。
「それにその格好じゃ恥ずかしいだろ」
「え? あ……、あ~……、えへへ」
愛結は眼鏡とヘアゴムの位置を整え、照れ笑いを浮かべた。
「シャツもそんなのじゃな」
「だよね。サイズ大きいし」
「いやそこじゃない」
「???」
「え、それ以外に違和感ないの? マジで?」
「うん。だって普段着だから」
「じゃあ、もしかして……、気に入ってる、のか……?」
「そうだよ? 可愛いでしょ?」
と、自慢げに裾を引っぱって広げてみせる。
――可愛い、とはなんだろう……?
哲学的な問いが頭に浮かぶ。しかし大切なのは『可愛い』の本質ではなく、本人が可愛いと感じているかどうかだ。
「……おう。俺はいいと思う」
「へへ~」
頬を赤らめてはにかむ。うん、愛結が満足ならそれが一番だ。
「じゃあ、行くから」
「うん……」
愛結はなにか言いたげだ。
「どうした?」
「……わたしも、お兄ちゃんと同じところでバイトしようかな」
「なんだ急に」
「同じところならお兄ちゃんもいるし、安心じゃない?」
「シフトがいつも同じになるとはかぎらないだろ。それにそんな暇あるのか?」
「……」
つまらなさそうに口をとがらせる。
「拗ねるなよ。お菓子買ってきてやるから」
「もう! わたしそんなに単純じゃないから!」
頬をふくらませ、部屋に引っこんだ。
やれやれ、とエレベーターに向かおうとしたところガチャリとドアが開き、愛結が顔を出す。
「いってらっしゃい」
「あ、ああ、いってきます」
ドアが閉まる。再び歩きだそうとしたところ、またドアが開く。
「わたしグミがいい」
ドアが閉まった。
――食べたくはあるのか。
俺は苦笑した。
◇
「あいかわらず高校生には見えないねえ」
ロッカー室でネクタイを締めていると、バイトの先輩である
「この前も別部署のアルバイトさんに社員とまちがえられました」
「だよねえ! 貫禄がすごいもん」
末松さんは手を叩いて笑った。
近所の大型スーパー『ディオン』でバイトを始めたのは高校一年になってすぐだったから、このひととの付きあいは一年ほどだ。たしか四つ年上の大学三年生だったと思う。
「もっと僕みたいにさ、流行を取り入れてかないと」
と、姿見に顔を近づけ、パーマのかかった毛先をいじる。
「自分、無器用なんで」
「もうその発言が昭和なのよ!」
アメリカドラマの登場人物みたいに肩をすくめる。
「そんなんじゃ新しい子と仲よくなれないよ?」
「新しい子?」
「まだ会ってないんだっけ? 女の子だよ~。JK」
「犯罪ですよ」
「まだなにもしてないだろ!?」
「まだ、ってことはする気はあるんでしょう?」
「そりゃ君、女の子を口説かないなんて失礼に当たるだろ?」
自分が女の子に好かれないわけがないと確信している。とにかくすごい自信だ。いや妄信か。どっちにしろ俺とは正反対だ。
「それに、本気の恋は刑法じゃ裁けないのさ」
「分かりました、そう言っていた証言しておきます」
「捕まるのは確定なの……?」
末松さんは顔をこわばらせた。
さて、そろそろ勤務を開始しなければ。俺の持ち場は一階の日用雑貨売り場。品物の陳列や補充が基本業務だ。最近は商品の発注も任されている。責任は重くなったが、時給を少し上げてくれたので御の字だ。
バックヤードから運んできた商品を陳列棚に補充していく。今日、社員は休みで不在だがやることは変わらない。淡々と時給分の仕事をするだけだ。
台車を押してバックヤードへ戻ると、食品部門のほうへ歩いていく人物――俺と同じ高校の制服を着た女子高生がちらりと見えた。あれが末松さんの言っていた新しい子のようだ。
――なかなかハイカラな髪だったな……。
シュシュでまとめたツインテール。それとインナーカラーというのだろうか、グレーに染められた髪がまだらに入り混じっていた。客商売のファッションとしてはややパンチが効いている。
――あれでよく受かったな。
持ち場が離れているから関わることはなさそうだが。
台車に商品を積み、俺は再び売り場に出た。
お客さんに豆乳の場所を尋ねられて案内したあと食品売り場を歩いていると、冷蔵ストッカーの奥にあるガラス張りの作業場で調理する従業員たちの姿が目に入った。
みんなテキパキと作業している中、特に目についたのは一番手前で一心不乱に魚をさばいている人物だった。
とにかく手際がいい。アジは次々と三枚におろされ、マグロの切り身は刺身になっていく。
――なるほど、包丁の角度はあれくらいにしたほうがいいのか。
参考にしようとさらに覗きこんだところ、その従業員と目が合った。
――あれ? このひと……。
帽子をかぶってマスクもしているが、少しだけ覗いているもみあげがグレーだ。どうやらさきほどの女子高生と同一人物らしい。なるほど、裏方だからこの髪色でも受かったのか。
俺はぺこりと会釈した。彼女は遠いものを見るみたいに目を細める。
――なに、その目……?
後ろを振りかえってみるが陳列棚しかない。つまり俺を見ているということだ。
目が悪いのだろうか。それとも仕事の邪魔をされてにらんでいる……? もう一度、頭を下げてその場を去ろうとしたとき、彼女はまな板に包丁を置いて、作業場の出入り口に向かった。文句を言いに出てくるつもりだろうか。
――え、怖っ。ヤンキー……?
と、そのとき――。
『――んぎゃ――』
彼女は盛大にすっころんだ。ガラス越しにもその叫び声がかすかに聞こえた。床が濡れていて足を滑らせたらしい。ほかの従業員たちが駆け寄る。
――お、俺のせいじゃ、ないよな……?
一応、謝ったほうがいいかと思って作業場に回ってみたが、彼女は念のため医務室に向かったらしくすでにいなかった。尻餅をついただけでたいしたことはなさそうという話ではあったものの、あとで謝罪したほうがいいだろう。
ともかく、まだ勤務時間だ。退勤時間になったらすぐに上がって、通用口で待っていれば会えるはずだ。
俺は日用雑貨売り場に戻り、発注業務を再開した。さきほどのことが気にかかるが、なんとか集中力を切らさずに勤務時間を終えた。タイムカードを打刻し、急いで着がえて通用口へ向かう。
すると、探すまでもなくすでに目的の人物がいた。
というより待ち受けていた。
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