第11話 見知らぬ訪問者

 昨日から風邪っぽいのか咳が出る。自宅の部屋で課題を進める中、咳のせいで手が止まった。

 やっぱりあの日、屋上での俺は何かおかしかったのだろうか。

 今思い返してみても胸の鼓動は早くならないし、体が熱くなることもない。胸に当てた手を下ろし、ため息をついた。


 ***


 昼休みの過ごし方は人それぞれだ。教室から出て別の場所で食べる生徒もいて、見覚えのない生徒が近くにいたりする。

 そんな授業の間の休み時間とは違った騒がしさに囲まれながらとった昼食後、残った時間を最上と話しながら過ごしていると、クラスメイトが声をかけてきた。


「穂積ー。穂積に用があるって人が来てるよ」

「俺?」

「そう」


 ドアを見ると見知らぬ男子生徒がいて目が合う。ひらひらと振られた手に、俺に用があるのが彼なのだとわかった。


「誰だろ?」

「知らないのか」

「見覚えないんだよな……まぁ行ってくる」


 誰なのかわからないながらも椅子から立ち上がる俺に、最上は「おー」と興味なさそうに返事をした。


「俺を呼んだの君?」

「そう、俺」


 ドアの所で待っていた、にこっと笑う相手に覚えはない。顔が整っていて、髪も明るく染めていることから女子に人気がありそうだと思ったら、ちょうど廊下にいた女子が彼に視線を送っているのが見えてそれが間違いじゃないのだと悟った。そんな人気のありそうな人が何の用なのだろう。


「君のこと知らないんだけど、何か用?」

「ここじゃなんだから、場所を移動しよう」

「……わかった」


 彼に促されるまま教室から出て向かった先は屋上。前回同様、すんなりと開いたドアを通った後に男子生徒が鍵を閉めた。


「え、何で鍵……」

「ああ。ここの鍵、普段は開いてないんだよ。俺が開けてんの」

「いや、それも気になるけど、なんで鍵したんだ」

「そんなの決まってるだろ?」


 さっきよりも口角が上がり笑みは深まったはずなのに、瞳は不思議と笑っていないように見えた。


「大切な話をするためだよ」

「大切な、話……?」

「織田さん、だったかな? 君達がここに来た時ドアが開いてたのは、俺が開けたからなんだよ」


 嫌な汗が垂れる。聞きたくないのに、聞かずにはいられない。


「じゃあ、あの時もしかして……」

「君が想像している通り、俺もいたよ。あの時屋上に」


 当たってほしくない予想が当たってしまった。

 視線をそらしたいのに、そらしたら何かが起こりそうで懸命に瞳を見続ける。


「ここ、梯子はしごかかってるの気がつかなかった? この上にいたんだけど、その様子だと気づかなかったみたいだね」

「そんな……」

「ダメだよ。そういう秘密にしたいことはちゃんと確認しないと」


 にこにことした笑顔を浮かべたままゆっくり近づいてくる目の前の男に、じりじりと後退りする。


「ど、どこまで見た」

「どこまでって……ぜーんぶ、だよ」


 後ろには壁が迫っていて、もうすぐで前からやって来る男とで挟まれそうだ。


「彼女が君に抱きついたところも、君の血を吸ってるところも、ね」


 もう、終わりだと思った。秘密はもう知られている。


「誰にも、言わないでくれ」

「えー、どうしよっかなぁ?」

「何をしたら黙っていてくれる?」


 それでも何もせずにはいられなかった。命乞いをするかのように、目の前の男に願うしかない。


「ははっ、必死だねぇ。彼女が血を啜る化け物なのが知られたくないの? それともそんな化け物に血を与えている自分のこと?」


 にやっとひどく楽しそうに笑った顔に激しい感情が沸き上がる。


「やめろ! 織田さんは化け物なんかじゃない!」

「そうかなぁ。人の血を啜るなんて、普通の人間じゃないよ?」

「俺達にとって普通じゃなくても、彼女にとっては必要なことで普通なんだよ!」


 たとえそれが人の道から外れていようとも。俺には彼女が化け物のようには見えなかった。

 慌てる姿も喜ぶ姿も、板垣さんや辻さんと楽しそうに話をして、笑っている姿だって、同じ学校に通うただの女子生徒だった。ただひとつ、血を吸わないと生きていけない生き物だっただけだ。


「ふぅん。そうなんだ」

「何だよ」


 睨み付けても何のダメージにもなっていない態度がしゃくさわる。


「いいや、何でもないよ。彼女のこと、大切なんだなって思っただけ」

「は!? 何言ってんだよ!」

「まあまあ、君に免じてこのことは内緒にしててあげるから」


 てっきり誰かに言いふらしたり、無理難題を押し付けたりしてくるのかと思って拍子抜けした。


「え? いいのか?」

「いいよ? その代わり」

「その代わり?」

「君の血が欲しいなぁ」


 その言葉を聞いて後退ると、無情にも背中には壁の冷たい温度が伝わった。


「なっ、どういう意味だよ」

「そのままの意味だよ。内緒にする代わりに君の血を頂戴?」

「は? そんなのどうやって……」

「決まってるじゃないか。この牙で君の肌を突き破るんだよ」


 開いた口には鋭利な牙が生えていて、その鋭さに腰が引けた。

 思いもしなかった。こんなにも近くに、織田さんと同じヒトがいるなんて。


「お前……」

「ああ、自己紹介するの忘れてたね。俺は朔夜。織田さんと同じ化け物だよ。俗に言う、吸血鬼ってやつ」

「……騙したのか」

「騙したなんて人聞きの悪い。嘘なんて言ってないよ、俺」


 その時、ドアを開けようとする音がした。それに助かったと喜ぶ気持ちと話を聞かれたかもしれない恐怖に襲われる。声を出して物理的に助かったとしても、後に起こることを考えると助けを呼ぶことなどできなかった。


「別に織田さんが吸血鬼とか興味ないけどさ、君には興味あるんだよね」


 何度かその音が響くが、こいつは顔色を変えることなく涼しい顔をして俺にだけ聞こえるような声で囁いた。


「吸血鬼だって知りながら身を差し出すってどんな気持ち? 血を吸われるのって気持ちがいい? ……君の血も、美味しいのかな?」


 目の前の男の笑顔がやけに怖く思えて横から逃げようとしたが、腕を掴まれてそれが叶うことはなかった。


「待ってよ、まだ話は終わってないよ」

「離せっ」

「離せって言われると余計離したくなくなるよねぇ」


 掴まれた両腕が痛む。跡にでもなっていそうなほど力が加えられていて顔をしかめた。


「俺さ、今まで何人もの血を吸ってきたけど、若い女性の血が1番美味しいと思うんだ」


 そんな話聞きたくないのに、逃げることも耳を塞ぐこともできないこの状態に苛立ちが募る。

 いつの間にかドアを開けようとする音も消えて、屋上はまた静寂を取り戻しているのが恐怖を煽った。


「なんか男は物足りない感じがするんだよねぇ。何でだろ?」

「そんなの知る訳ないだろ……」

「そうだよねぇ。でも、君なら美味しいかもって思ったんだ。いつもは全然興味ないのに」

「だったら俺にも興味持つな!」


 危機感を抱いて先ほどより強くもがくが、びくともしない。なんなんだこの男。握力イカれてんのか。


「だからそんなに抵抗されると、もっとやりたくなるから気をつけた方がいいよ?」


 それでもなお抵抗していれば、目の前の男もイラついてきたようで舌打ちが聞こえてきて、心なしか空気がひんやりとしたものになった。


「そんなに暴れないでよ、そんなの逆効果に決まってるでしょ?」

「いっ!」


 こいつ、爪立てやがった!


 握る強さとは別の痛みに声がもれる。動くのを止めたことで肌に食い込んだ爪は離れていったが、血でも出てそうなくらい痛い。


「あ、そうそう。吸血鬼って血を吸っている時、その人の気持ちがわかるって聞いたことある?」

「何だよ急に。そんなこと聞いたことない。そんなのあるのかよ」

「さて、どうだろうね?」


 おとなしくなった俺に気を良くしたのか口調も少し柔らかくなった感じがする。

 隙を見て逃げだせないかと考えるが、ドアの鍵も閉められた状態じゃ八方塞がりだ。


「彼女に聞いてみたらいいんじゃない?」


 途切れた言葉に顔を上げてしっかりと視界の中に入れる。そこにはひどく楽しそうに口元を歪めて笑う男の姿があった。ぞくぞくっとした何かが体を駆け巡り、気味の悪さに眉を寄せる。

 そんな俺の様子など気にすることはなく、ぐっと近づいてくると耳元に息がかかった。


「どんなこと思ってるかわかる?……って」


 かっと体が熱くなったように感じて、実際に顔が赤くなっているのを隠せなかったようだ。


「あれ? 何か心当たりありそうだね?」


 おもちゃを見つけたように楽しそうにするから、本当にヤバいやつだと確信する。こいつ嫌がる顔が好きなやつだ。


「咬み跡もさぁ、なくなっちゃってるけどマーキングみたいじゃない? 自分のものっていう」


 いつの間にか両手は相手の片方の手で拘束され、首元を無理やり引っ張られる。かゆみだけが残ったそこは、こいつの言うように何事もなかったかのように綺麗になっている。彼女が俺を咬んだことなど、かゆみ以外では証明などできないほどに。


 それでも今自分の中で渦巻いているのは、こいつに咬まれたくないということだった。

 同じ無理やりでも、こいつより織田さんがいい。こいつなんかに血をやりたくない。

 それはこいつが嫌なだけで、織田さんは関係ないと誰に言うでもなく否定したかった。否定したい理由もわからないまま。


「嬉しい? 彼女の所有物になれたみたいで」


 この前の熱がぶり返したかのように、先ほどよりも上がる体温。


 俺は彼女に血を吸われて嬉しかった?

 彼女の糧になることに喜びを感じていた?


 わからない。今なんで体温が上がっているのかも、咬まれた首元がうずくのかも。


「──ストーーップ!」


 唐突に屋上に響いた声がそんな思考を遮断した。驚いて反射的に顔を上げると、そこにいたのは見覚えのありすぎる人だった。掴まれた手の力が緩んだ隙を見て距離を取る。


「なんか目が合った気がして来てみたら、やっぱりそうだったんですね!」

「織田さん! どうしてここに!」


 織田さんは腰に手を当て仁王立ちをし、瞳は鋭くこちらを睨んでいた。

 普段の慌てたり、喜んだりする姿とも違った、ひどく冷たい顔で、この前の誤解された時のことを思い出した。


「その人と目が合った気がして後を追ってきたら、屋上のドアが開かなくてびっくりしましたよ! まあそれでビビッときて今ここです!」

「でもドア閉めてたのにどうやって来たの!?」


 屋上への唯一の通り道であるドアには鍵をかけていた。おそらくドアを開けようと動かしていたのは織田さんであるはずで、そこが壊された様子もない。ならばどこから?


「そんなの窓からとうっ! です!」


 相変わらず無茶苦茶な身体能力を持っているらしく、何も伝わってこないし理解できない。もはや現実味がなさ過ぎて気が抜けてきた。


「それより! やっぱり穂積くん、他の吸血鬼に咬まれていたんですね!?」

「なっ! 違うよ!」


 あらぬ疑いをかけられ否定の言葉を口にしても織田さんの耳には入らないのか、話し続ける。


「そんなの言ってくれたら、私だって……」


 織田さんの声がどんどん小さくなっていき、遂にはうつむいてしまった。

 そんなに落ち込ませるようなことだったのかと疑問に思いながら、きちんと訂正しようと口を開きかけた時、先ほどまで黙っていた男が喋り出した。


「や、初めまして。織田朱莉さん」

「あなたですか! 穂積くんをたぶらかしたのは!」

「ちょっと、誑かすって……!」


 何だか人聞きが悪いんだけど!?


「ん? 俺穂積くんと話したの今日が初めてだし、誑かすなんて、ねぇ?」

「そんな訳……! じゃあ寝てる間に咬みましたね!?」

「穂積くんの家知らないよ?」


 笑みを浮かべながら、織田さんの指摘を否定していく様は見事としか言いようがない。織田さんも悔しそうに顔をしかめている。


「うぐぐ……」


 織田さんと話をしている間に朔夜と名乗った男からじりじりと離れ、織田さんに少し近寄った。悔しいが、あの男に物理的に対抗するには俺は力不足だ。だからせめて、織田さんの邪魔にならないようにあの男と距離を取るしかないと思った。


「俺、穂積くんの血は飲んだことないよ。味見してみようかとは思ったけど」

「味見!?」


 目に見えてショックを受けた顔をしている織田さんを見ていると、なぜかこっちが冷静になってきた。俺より動揺してそう。


「やっぱり狙ってるじゃないですかー!」

「ははっ、でもいいや。穂積くんは君のお気に入りみたいだし、手は出さないでおくよ」


 俺達をじっくり観察するように見つめると、満面の笑みを浮かべた。それが胡散臭さ過ぎて顔をしかめるのも仕方ないだろう。


「じゃあね」


 最後まで笑顔を浮かべたまま、あっさりドアの鍵を開けて去っていった彼を、俺はただ見送るしかなかった。


「あの、織田さん?」


 朔夜がいなくなってから、一言も言葉を発しない織田さんの様子を窺う。


「……今日の夜、穂積くん家に行きますから」

「え、なんで?」

「あの人のこと、全部話してもらいますからね!」

「えぇ……」


 きっと睨まれて後退る。今逃げることができても、夜には逃げようがない。その前に機嫌を直してもらいたいが、それは難しそうだ。


 朔夜と名乗った男子生徒によって生まれた疑問は、知らぬ間に胸の奥で静かに芽吹いて成長していく。それが花を咲かせるのはいつになるのか誰にもわからない。

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