第8話 交わした約束

 休日、母におつかいを頼まれ、近くのスーパーへ向かった。今日の夕食に足りない食材を頼まれただけだったため、あまり時間もかからずに済んだ。

 母も待っているだろうし、早く帰ろうと帰り道を気持ち早く歩いていると、前方に女性がいた。


 大きなバッグを肩にかけて歩く後ろ姿に、どこか見覚えがあるような気がした。どこで見かけたか記憶を辿たどりながら横を通りすぎようとした時、横目で見た顔に目を見開いた。


「──織田さん?」


 俺の声に勢い良く振り向いた彼女は、ぽかんとした少し間抜けな顔をしていた。


「え? 穂積くん?」

「こんにちは。織田さんも今帰り?」

「あ、はい。買い物の帰りです」


 まだ少し驚いているのか、目を瞬かせながらも織田さんの目線はバッグに向かった。


「あ、それ保冷バッグ?」

「そうです! いっぱい買いました!」

「そっか。重くない? 持とうか?」


 持ち直したバッグは重そうで、思わずそう聞いたら織田さんが慌て出した。


「そ、そんな悪いです! 私こう見えて力あるので大丈夫ですよ!」


 ぎゅっと握り拳をつくっている姿は、残念ながら力があるようには見えなかった。力強いというよりも、むしろか弱い印象を受けたのだが、それは言わないでおこう。


 それにしても、やはり肩にかけ直す様子から見てもバッグは重そうである。

 しかし、ここで無理矢理持つのも織田さんが気にしてしまうのではないか。そう思い、本当に辛そうだったら勝手に持ってしまおうと心に決めた。


「じゃあ、織田さんもおつかい?」

「んー、おつかい、って訳じゃないですけど……」

「まあ確かに、おつかいって量じゃなさそうだね」


 言ってしまえば、母の買い物帰りの姿に似ていた。野菜や肉などが入ったバッグを重そうに、でも慣れた様子で持つ母に。


「はい、今日は買った食材でポトフを作る予定なんですよ!」

「……織田さんが作るの?」

「そうですけど……?」


 織田さんは首を傾げると、しばらくしてはっとした顔をした。


「あ! 私に作れるのかって思ってますね!?」

「いや、作れるんだな、とは思ったけど」

「こう見えて私、よく料理するんですから!」


 胸を張って自信ありげにする彼女に、思わず尊敬の眼差しを向けた。


「そうなんだ、俺は母さんに任せきりだから見習わないとな……」


 包丁もどれくらい触っていないかわからない。前は確か、調理実習の時だったような。

 思い返すと随分と前の事のようで苦笑をもらした。


「いいなぁ、私もお母さんの料理食べたいな……」

「……えっと、ごめんね」


 その声は隣にいてギリギリ聞こえるような小ささだったが、威力は抜群だった。

 返ってきた言葉は予想外なもので、織田さんを見ると浮かべていたのは寂しそうな表情。


 これは、何か言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれない。

 そう思うと、背後からじわじわと不安の波が押し寄せてきた。


「え? あ、いや! 変な意味じゃないですよ? 私の母、料理が凄く苦手でほとんど作れないんです。だから、今度食べれるのはいつかな、と思っててつい口に出ちゃいました」


 ごめんなさい。そう言って織田さんは困ったように笑った。


「いや、こっちこそ変に捉えちゃってごめん」


 触れてはいけない話題ではなかったようで内心ほっとしたが、謝る必要もないのにそう言わせてしまったことを申し訳なく感じた。


「いいんですいいんです! 本当に気にしないでください! ……あ!」

「ん? どうかした?」


 先ほどまでの困り顔からうってかわって何か思いついた顔するものだから、よくそんなに表情が変わるなと思ってしまうが、ころころと変わる表情は見ていて飽きない。


「今度お弁当作ってくるので食べてください! 私の腕前を見せてあげます!」

「……遠慮するよ」

「なぜ!!」


 やる気満々だったみたいだけど、そんなショックを受けた顔をされても困るし、なぜもなにも、


「母さんが作ってくれてるから、大丈夫だよ」

「あ、なるほど……」


 なんだか悩んでるみたいだけど、諦めたらいいんじゃないだろうか。

 わざわざ作ってもらうのも悪いし、と再度断ろうとした時。


「じゃあお休みの日にピクニックはどうでしょう! それならお弁当が無駄になることはないですし、行ってみたいです!」


 ……諦めないんだね。なんでそんなに俺に食べさせたいのかはわからないけど、織田さんの意志は思ったよりも固いらしい。


「行ったことないの? ピクニック」

「行ったことはあると思うんですけど、あまり記憶になくて……だから行きたいです! 穂積くんとピクニック!」


 殺し文句だと思った。あまり記憶のないピクニックに、俺と行きたいなんて。

 そうしたら織田さんの記憶には、俺との思い出の方が鮮明に残ってしまうかもしれないのに。それでもなお一緒に行きたいと言われているようで、そんなの断われる訳ないじゃないか。


「……わかった。行こっか」

「ありがとうございます!!」


 今日だけでいろんな表情を見たけれど、やっぱりそうやって笑っている方がいいなんて、柄にもなく考えていた。


 ***


「──本当に同じマンションだったんだ……」


 マンションのエレベーターの中でぽつりと呟く。ふたりだけの小さな箱の中、口に出した声は思ったよりも大きく聞こえた。


「嘘だと思ってたんですか?」

「嘘だとは思ってなかったけど、改めて実感したと言うか……」


 マンション付近で織田さんを見かけたのが初めてだったからかもしれない。同じマンションに住んでいる実感は今もないが。


 結局、織田さんの力があるという言葉通り、マンションに着くまで耐えきれずによろけることもなかったため、俺が代わりにバッグを持つことはなかった。


 いっそ、あの時持っておけば良かったかな、なんて今思っても遅いか。


 あっという間に俺の部屋がある階に到着すると、開くボタンを押した織田さんに、降りるよう促された。振り返ってひとり立っている織田さんに手を振る。


「じゃあまた、学校で」

「はい。また、」


 織田さんは何か言いかけて口をつむぎ、結局何も言わずに手を振るとドアを閉めた。

 その様子に少し疑問を抱きながらも、母におつかいを頼まれていたことを思い出し、早足で部屋へ向かうのだった。

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