第6話 始まりの香り

 あの日見つけた、あの甘美な香りが忘れられない。


 教室の隅から香る血には、食欲をそそるものとはまた別の、不思議な香りがした。


 ***


 最上に相談をした日の夜に、織田さんから明日の夜に血をもらいに行ってもいいかとの連絡があった。


 >いいよ、来る時に連絡してね


 承諾の返事が来たけれど、本当に連絡が来るかはわからない。

 今日だってなぜか俺を見ていたらしいし、行動の予想がつかないのだ。


「……寝よ」


 考えていてもわからないし、明日は遅くなりそうだから早く寝よう。考えることを早々に放棄してベッドに潜り込んだ。


 ***


 織田さんにそれは恋じゃないって言うのを忘れた弊害が出ている。


「板垣さん……」

「楽しそうよね」

「それはそうなんだけどさぁ……」


 視線の先には、織田さんと辻さんが話している。


 朝、いつものように教室に着くと既にこの状況だった。ここまでは全然いいし、むしろ仲良くなったみたいで良かったなとは思うけど。


「辻さんは穂積くんとどんな話をしてるの?」

「ん~? どんな話してたかなぁ。他愛ないことばっかだと思うぞ覚えてないからね!」

「いいな~」


 俺もたいして覚えてないけど、そうなにバッサリと覚えてないって言われるとちょっと悲しくなるよ。


「どうしてこうなったの?」

「朱莉が辻ちゃんに話しかけてたの」


「辻さん!おはよう!」

「……おや? 織田さんじゃないか! おはよう! どうしたんだい!」

「あの、辻さんは穂積くんと仲良いよね」

「まぁそうだね!」

「それで、どうやったら仲良くなれるのか知りたくて……」

「なるほど! 役に立てるかはわからないけど、力になるぞ!!」


「……って感じに」

「うわぁ……」


 それ俺が聞いていいやつだったのかな板垣さん……

 というか板垣さんいつからふたりを見てたんだろう。気づかないふたりもあれだけどさ。


「おお! 来ていたんだね穂積くん! おはよう!」

「あ、うん。おはようふたりとも」

「お、おはよう……」


 やっとこちらの存在に気づいたのか、辻さんが声をかけてきた。

 いつもと変わらない態度の辻さんに対して、さっきまでの態度とは打って変わってうつむいてしまった織田さん。

 辻さんと話している時は楽しそうだったのに、俺とはオドオドしてる姿ばかり見るから胸の奥がモヤモヤする。


 そういえば一緒にいた板垣さんがいなくなったなと思ったら、少し離れた所に最上と立っていた。

 え、そこ仲良かったっけ?


 疑問に思っていると、織田さんと辻さんも気づいたようでふたりに呼びかけていた。


「最上くんなんでそんな遠くにいるんだい! こっちに来なよ!」

「ま、真白ちゃん……!」


 仕方なさそうにこちらにゆっくりやってくる最上と、にこにこしている板垣さん。

 ……待ってここカオスじゃないか?


「おはよう。楽しそうだったわね」

「いつから見てたの!?」

「さぁ、いつかしらね?」


 慌てている織田さんを板垣さんはからかっているみたい。やめてあげて。


「おはよう最上くん!」

「おはよ」

「今日もゆっくり登校してきたのかね?」

「うん。でも眠い」


 こっちは普段通り過ぎるしマイペース。

 そして一人残された俺。


「辻さん、また今度お話聞かせてください!」

「おうともさ!」


 俺とは会話という会話をせずに織田さんは板垣さんと向こうに行ってしまった。

 というか、なんで辻さんの方が仲良くなるのが早いの? 俺の方が先に話したりしてたのに、一向に仲良くなった気がしないんだけど。ちょっと複雑な気分。


「辻さん。織田さんと仲良くなったの?」

「そう、なのかな?」

「俺にはそうにしか見えなかったけど?」

「ふーん」


 ニヤニヤした顔でこちらを見てくるから少したじろいでしまう。


「何?」

「いや~?」


 その視線に耐えかねて、助けてもらおうと最上の方を見ると興味なさそうにぼーっとしていた。

 ダメだ助けにならない……!


「織田さんのことが気になるのかい?」

「気になるっていうか、もう少し話してみたいとは思うけど……」

「なんと!!」

「え、何!?」


 仕方なく辻さんの視線やらを受け止めていると、何かが辻さんの琴線に触れたらしい。


「これは悩ましい……恋する乙女を応援したい……! でも友人である穂積くんのことも考えると無理やりはいけない……!」

「うんうん」


 頭を抱えている辻さんに対して、ただ頷いて同調する最上。いや最上、君さっきまで全くこっちのこと見てなかったじゃん。急に乗ってきてどうした。


「ということで私達は君達の行く末を見守ろうと思うのだよ!」

「よ」

「いやそれもどうかと思うんだけど」


 なんか方向性がずれているような……

 それに"恋する乙女"って言ってしまってるけど、それでいいのか?

 あと最上は辻さんに乗っかってるだけでたいして興味ないんじゃないの?

 ぐっじょぶじゃないんよ。やるんならせめて笑ってくれ。


「もっとこうちょっかい出したいけど我慢しなくちゃね!」

「何かしてこじれたら大変だからね」

「面白がってるなこれ」


 ちょっかい出したいって完全に楽しんでるやつだね。


「何言ってるんだい穂積くん!」

「面白がってる訳ないよ」

「きゅんきゅんしてるんだぞ!!」

「最上は思ってないだろ」

「あははは」

「笑うなら口角を上げなさい」


 なぜが辻さんと最上に織田さんとの行く末を見守られることになったのだが、もう先行きが怪しくて怪しくて仕方がない。

 でもちょっかいは出さないつもりみたいだから、そこはいいのかな……?


 個人的には仲良くなるにしても、ゆっくりと行きたいとは思っているのだけど、周りがそうさせてくれなさそうなのが困りものだ。


 ***


 家族が寝静まった頃。

 窓の開く音と共に聞こえてきたのは想定していた通りの声だった。


「こんばんは」

「こんばんは……お邪魔します」


 そう言ってお辞儀をした織田さんは、来る前にきちんと連絡をくれていた。また起きたら吸われた後でした、なんてことになりそうだったから良かった。


「そう言えば、親御さんに聞いてくれた?」

「何をです?」


 ひとまず本題に入る前に床に置いたクッションに座ってもらう。


「俺のかゆみの心当たりだよ。忘れちゃったの?」

「あ、いえ! 忘れていた訳ではなくて、ちょっと最近考えることが多くて違う事に気を取られていたと言いますか、」

「うん、落ち着いて。大丈夫だから」


 責めたつもりはなかったけど、言い方がきつかったかな。すごい早口になってたから、あんまりちゃんと聞き取れなかった。


「ごめんなさい、今度こそ聞いてきます!」

「うん。そんなに急がなくていいから、よろしくね」


 でも答えは引き延ばしか……

 聞くのに今日は丁度いいかと思ったけど、聞けてないなら仕方ない。

 それで何か手掛かりが掴めるといいんだけどな。


「あ、あの」

「どうかした?」

「何のヒントにもならないかもしれないんですけど、一番最初から私にとって穂積くんは特別でした」

「……ぇ?」


 動揺して口を挟むことも出来ず、ただ静かに聞いていた。


「1年生の時も穂積くんと同じクラスで、最初はただのクラスメイトでした」

「……うん」

「それが変わったのは穂積くんの血を嗅いだ時でした」

「うん?」

「手を紙で切ってしまったことで血が出てたみたいなんですけど、本当にいい香りで。でもそれと同時に不思議な香りがしたんです」

「あ、そっちね」


 あぁ、てっきり特別って好きってことかと思ってしまった。そんなことを考えた俺が恥ずかしい。


「だからその時から穂積くんの血は私にとって特別なんです」

「それを最初に言って欲しかったな……」

「言いませんでしたか?」

「ちょっと足りない単語があったかな」

「? 気をつけますね」


 変に胸がドキドキした。

 この前から織田さんには振り回されてばかりだ。それなのに、少し楽しいと思う自分がいることを疑問に感じていた。


 それから、かゆみの原因を探るためにも今回は手首を咬んでもらった。

 咬む前にその部分が舐められるのがぞわぞわしたが、少しの痛みしかないのが不思議だった。

 彼女が言っていた通り、痛みが軽減されているみたいで、俺が起きないことにも納得がいった。


 初めての吸血行為を眺めながら、わからないかゆみの正体と軽減された痛みについて考えるのだった。

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