第3話 独り歩きする勘違い

 翌日の教室にて、昨日咬まれたことでまたも首元のかゆさと奮闘していると、最上が近寄ってきた。


「はよ……」

「おはよう。今日は一段とだるそうだね」


 大抵だるそうにしているが、心なしかいつもより動きがゆっくりに見える。


「寝不足……」

「今日は早く寝なよ」

「そうする……」


 最上はこくんと頷くとあくびを噛みしめていた。


「どっせ~い!」


 そんな掛け声の後。飛んできたのは辻さんだった。

 辻さんに対して体格が良い最上は、勢い良くぶつかられても少しよろけるぐらいで全然無事だったが、理不尽に体当たりされたせいか、不機嫌そうに顔をしかめている。


「おはようであります!」

「なんで普通に来ないんだ……」

「おはよう。急いで来なくても最上は逃げないし、危ないからもうやらないようにね」

「逃げないってなんだ」

「はーい! もうやらないです!」

「というか君は謝りなよ」


 辻さんは片手を挙げて、とっても満足そうに笑いながら元気いっぱいな返事をくれた。最上はため息ついてたけど。

 仲良きことは美しきかな。

 今日も仲良く喧嘩しな。とは良く言ったものだ。

 彼らの絡みはいつ見ても面白くて、特等席で見るのが俺の楽しみになっていた。



 ─そんな彼らを見つめる瞳があった。


「朱莉。そんなに何見てるの」

「真白ちゃん!……ちょっとね」

「何なのー」


 穂積のクラスメイトであり、実は吸血鬼の織田朱莉あかり。そして彼女の友人の板垣真白が教室の片隅の席にいた。

 真白が視線の先を探すと、あったのは穂積達の姿。

 穂積は辻と最上が言い合うのを楽しそうに見ている。


「穂積くんがどうかしたの?」

「なっ、なぜ穂積くんを見ていると!?」

「朱莉、気づいてなかったの? たまに穂積くんのこと見てるわよ」

「なっ、なっ、ななななな」

「はいストップ」


 思考停止に陥り壊れた人形のように「な」しか言わなくなった朱莉の口を真白の手が塞いだ。要するに黙れということである。

 近くにいたことで、その様子を見てしまった生徒はぎょっとした顔をしたのだが、話に夢中になっているふたりは気づかなかった。


「話しかけたくても話しかけられないのかなって。あなた、人見知りだもの」

「ぷはっ。いや、それもあるんだけど……」


 朱莉があまりにもがくから、真白はひとまず口から手を離すことにした。

 煮え切らない態度をする朱莉に対して、真白は不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせた。


「なに? 好きになったの?」

「す!? すっ、すすすすす」

「はいストップストップー」


 今度は勢いよく口を塞いだのか、ぱちんと音が鳴った。

 口を塞がれた本人はというと、頬をほんのり赤く染めていて、手から逃れようともがくこともなくじっとしていた。それを真白は観察するように見ると手を離す。

 一方で、またしてもその様子を見てしまった人の顔はひきつっていた。


「一旦落ち着きなさいな」

「い、いや、あのですね。本当にたぶんなんだけど、すっ、好きになっちゃったのかもしれなくって……」

「ほぉーん」


 まるで興味のない返事をした真白を気にもとめず、横目で穂積のことを見る朱莉は、恋をした乙女のようだった。

 とっても甘美な血であったあの味は、思い出すだけで朱莉を幸せな心地にさせる。

 ある意味血に恋をしているのかもしれないが、朱莉は穂積という人に恋をしたと思っていた。


「はぁ……血的ちてきにいいなぁ……」

「え、なに?…… 知的で素敵ってこと?」

「あっ、うん! そうそう!」

「まぁ同級生の中では落ち着いてて、大人っぽいものね」


 真白が上手いこと勘違いをしてくれたので、ほっと胸を撫で下ろす。

 実際の所、穂積は落ち着いているというより、ほとんどのことをまあいいかと思う、あまり気にしないたちなだけなのだが、そこらへんのことを知る人はここにはいなかった。


「うん。頭ごなしに怒るんじゃなくて、ちゃんと聞いてくれるの」

「……そう。穂積くんのことよく知ってるのね」

「いや! ちょっとこう、そういう場面を見たことがありまして、それでそういう側面もあって素敵だなと言いますか! 知っていると言えるようなそんな間柄でないのでおこがましいのですが!」

「はーい、そんなこと言ってないわよー深呼吸しなさーい」


 焦ると口調が変わるのか、へんてこな敬語が口からするする飛び出してきた。背中を叩かれながら真白に言われた通り、数回深呼吸をすると朱莉のたかぶった感情も少し穏やかになったような気がする。

 今度は口を塞がれることはなかったものの、先ほどから目撃してしまっている者にとっては何か起きるのではないかハラハラしていた。


「そういえば、先週ぐらいに穂積くんに呼び出されてなかった?」

「うっ……」

「……別に言いたくなければ言わなくていいけどね」


 言えない。自分が吸血鬼だなんて、友人である真白にも気軽に言えることではなかった。

 今親しくしていても、受け入れてくれるとは限らないのだから。

 それに言い訳をしようとすれば、余計なことを言ってしまうことがあるのも朱莉はわかっていた。


「……あなたの言う通りの人なら、上手く話せなくても大丈夫なんじゃない?」

「うん……」

「無理に話すことはないけれど、穂積くんのことを知るには見てるだけでは限界が来るわ」


 朱莉にはその言葉が重く感じられて、うつむいた。


「だから、少しずつ、関われていけたらいいわね」


 それはおそらく、ひそかに花を枯らすかの如く、親しくなることもなく、ひっそりと終わりが来ることのないように。悔いて、余計に苦しむことがないよう願うからだった。


 朱莉は穂積とふたりきりで話すことはできたが、それは穂積の部屋だったから。学校では話しかけることすらできない。

 普通であれば、他人の部屋に入ることの方に躊躇し、ましてふたりきりで話すなど比べようのないほどの状況であったが、朱莉にとって彼の部屋は警戒するような場所ではなかった。落ち着けるような場所でもなかったが、夜という時間帯が彼女を安心させる要因にもなっていた。


「うん……ありがとう、真白ちゃん」

「私は何もしてないわ」


 それでも、自身を心配してくれる存在がありがたかった。朱莉はそんな面倒見の良い真白が好きだった。もし姉がいたとしたら、こんな人がいいなと思うくらいに。


「まずは挨拶から、頑張ってみようと思います……」

「ええ、応援してるわ」


 それがどう転ぶかはわからない。

 前かどうかわからなくとも、一歩ずつ、進んでいきたい。



 ─こうした彼女達の視線に気づいていた人物がいた。それは、最上ただひとりだけ。


 こうして勘違いは加速していくのだが、穂積が気づいた頃には後の祭り。彼女達の間では、この恋はほぼ確定事項となっていた。

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