第13話
肉を大量に担いで本拠地まで戻った俺は、天日干し用の柵の上に肉と内臓と頭を下ろした。
毛皮は木の枝に引っ掛けて干す。
絨毯にしようか、掛け布団にしようか。使用用途は無限大である。
大量に得た食料は明らかに人一人で食える量を逸しているので、日ごとに分けて食べる予定だ。
ただし、ここは森の中で冷蔵庫などという文明の利器はない。
しかも温暖な気候で、そのままにしていれば一日と経たず腐ってしまう可能性もある。
下腹部の脂が多い部分は早めに食べるとして、他の部位は燻製肉と、乾燥肉にして長期にわたって食べられるようにする予定だ。
どっさりと取れた肉を見る。この量なら一週間は持つんじゃないだろうか。
ふふっ、なんと幸せな期間が続くのだろう。
にやけ顔が止まらない。
肉や内臓は新鮮なのだが、それでもやはり臭みはある。
先ほどから暖かい空気に乗って、生臭い匂いが流れてくるのだ。
まあこれも調理したらうまくなるから大丈夫だ。
臭いのは今だけ。ちょっとだけ匂いに違和感を覚えるが、肉がさっそく腐り始めているのか?
そんなはずはない。
おそらく魔物の肉だから、特有の臭みだろう。
鍋にはまだ水を入れていない。
先ほど大量に肉を担いだから、1人では持ちきれなかった。
お腹がすいでいるので、いったん串刺した肉を焼きつつ、それをつまみながら水を汲みに行こうと思う。
焼いてよし、鍋にしてよし、食材がいいとバリエーションが増えてうれしいな。
脂身の上質な腹の部位をサイコロ状にカットして、木の枝に串の要領で一切れずつ刺していった。
いつものように火炎キノコ+のそばでじりじりと焼いていく。
これまで経験したことのないレベルの脂が辺りに飛び散る。
「あつっ」
俺の頬や体にまで飛んできた。こんな時は裸が嫌になる。
熱くて危ないけど、薫りが凄くて顔を遠ざけることが不可能である。
すでに俺はこの肉の魅力に憑りつかれた愚か者である。
今の俺をこの肉から引きはがせるものがいたら出てきてみやがれ!!
どんな美女も、どんな金銀財宝もこの肉の前にはその存在が霞む。
この肉にはそれだけの価値があるのだ。
この肉を奪うものが現れたなら、命を懸けて戦う覚悟がある。
それだけの熱い思いを抱えていた。
頃合いを見て、塩と胡椒を振りかけた。
薫りが跳ね上がる。
煙がすでに美味しい。
すーすーうまい薫りを吸い込んでいたら煙にやられてせき込んでしまった。
涙がぼわっと噴き出す。
バカなことをしたが、後悔はない。さっきの煙は間違いなく世界一うまい煙だったからな。
肉の表面に軽く焦げ目がついたころ、これ以上は肉が固くなりそうだったので火から放した。
余熱でまだ表面がじゅうじゅうと音をたて、おいしそうな脂の溶け込んだ肉汁を流している。
ワイルドでシンプルな最高級の肉の塊が目の前に、それも食べられる状態でやってきた。
ならば!食べるほかあるまい!
串の一番上の肉を、丸ごと口に入れて頬張った。
料理というものとは縁遠い、ただ切って焼いて調味料を振っただけの肉。
それが、なぜこんなにもうまいのか。素人が焼いただけのこの肉が……どうしてこんなに。
ウサギもどきやウォークフィッシュ、鳥のようなとろける肉の柔らかみはない。
ただし、圧倒的な肉感!
嚙応えのある肉は、噛むごとに肉汁と旨味が溢れ出して口を覆う。
もったいなくて飲み込めない。あと何回、この肉を嚙ことができるのだろう。感触がある限りずっと噛んでいたい。お前と一生一緒にいたい。結婚しよう。
今までの比にならない脂感も、いっきに心を躍らせる。
あまり量は食べられないだろうけど、一口一口の満足感が限界突破していた。
目を全力で開いて、俺はただただ肉を咀嚼することに集中する。
肉汁を絶対に逃がすまいと口を完全に閉じて食べているので、鼻息がどんどんと荒くなる。
はたから見たら俺は何かと戦っているように見えるのだろうか。
しかし、俺は既に戦い終えたんだ。勝ったからこそ、この肉をいただけている。
……強くなろう。またこのうまい肉を食べるために、俺、強くなるんだ。
今度は正面からこのイノシシの魔物を倒せるようになるまで、ステータスを上げる。
うん、毒キノコ+いっぱい撒いておこう。
あれはいい。苦労なくレベルが上がるのがいい。
人生楽な方がいいよね。
ごくん、と肉を全てのみ込み、俺は次の肉に狙いを定めた。
魔物と戦ったのも命がけだったが、思えば内臓処理も結構命がけだった。あんなに臭いとは思っていなかったからな。あんなに臭いものがこんなにもうまいとは、世の中不思議である。
我が糧となるのだ、二切れ目!
かぶりつこうとするその時、頭の上に何かが落ちてきた。
空から雨が降ってきたのかと一瞬勘違いした。
頭の中に水滴のようなものが入ってきたからだ。
ちょっとどろりとしていて、温いのが、なんだか違和感があった。
片手で髪の中に手を入れ、水滴を触ってみる。
それは水滴なんかじゃなく、かなりの水量を含んだ粘液だった。
粘液と表現したのは、触るとネチョッとしており、糸を引いて透明な液体が伸びたからだ。
「えあ!?」
少し間抜けな声が漏れた。
べちょっ、と続けざまに背中に粘液が落ちた。
またも少し温く、かなりの量がある。
大量に背中にかかった粘液に、今度はあわてて立ち上がった。
なんなんだ、この大量の粘液は。
串を口に加えて、両手で背中の粘液を払っていく。
途中手に付いた粘液を嗅ぐと、信じられないくらい臭かった。
「くっせー」
そしてこの匂いに覚えがある。
先ほどから拠点一体に漂う生臭い匂いを濃くしたような、そんな匂いだ。
「唾液?」
匂いに覚えがあったのは先ほどから漂っていたからだけではない。
人間の唾液にもどこか近い匂いがある。
かなり臭い。
しかし、今気にすることは匂いじゃない気がしてきた。
恐る恐る頭上を見上げると、そこには黄金に輝く生物が興奮を抑えきれない様子でこちらを見下ろしてきていた。
人の頭くらいあるトカゲのような大きな目が、森の闇の中で光っていた。
大木に爪を食い込ませて、尻尾は天に頭は地面側に向けて、ゆっくりとなにかが降りてくる。
徐々に見えてきた。
その黄金の体が光を浴びて輝きだす。いかにも固い鱗に覆われていることが、薄暗い中でも分かった。
尻尾の先から頭まで10メートルはあるだろうか。
体高は2メートルほど。翼は現在折りたたまれているが、広げたら体は更に大きく見える気がする。
そいつは間違いなく、黄金色に輝く、ドラゴンそのものだった。
地面が近くなった頃、首を伸ばしてこちらに顔を近づけてくる。
腕が入りそうなほど太い鼻の穴から、ブフーッ、と轟音と共に吹かれた息が俺の顔にかかり、髪を後ろ吹き流す。
少し目を閉じてしまったが、すぐに目を開けて目の前に光景を直視する。
今度こそ死んだと思った。
イノシシの魔物でさえ、自力でどうにかできないと感じたのに、目の前には正真正銘のドラゴンである。
息を吹きかけられただけで、一瞬後ろにのけぞりそうになったレベル。
存在としてのレベルが違いすぎる。
勝てるわけないし、逃げ切れるわけもない。
視線を俺とあわせたまま、ドラゴンが口を開けて、舌を出した。
俺は食べられるのだろう。
これも自然の摂理。俺だって今まさに自分より弱いものを食べて命をつないできた。
もう抗うことはすまい!さあ、食べてくれ!
ベチョリ。
俺は食べられることなく、その大きな舌で顔を舐められた。
美女とのキスよりも濃厚に、舌の根元から舐められたのだ。
「あえっ?」
少し戸惑って直立していると、再び舌が近づいてきて、ねっちょりと濃厚に俺のことを舐め続ける。
あまりの粘着力に頭が少し引っ張られた。
……あれ?
食べられないみたいだぞ。
じゃあ、なんで舐めた。
そして、くっさ。ドラゴンの唾液くっさ!人間の比じゃないぞこれ。
「ちょっ、やめろ」
俺が嫌がって、ドラゴンの顔を思わず押してしまった。
もちろんびくとも動かないのだが、触ってしまったという衝撃でなんだか恐怖が薄れてきた。
俺、ドラゴンに触っちゃった。
そしてドラゴンの目を冷静にまじまじと見ることが出来た。
どこか、無邪気な目だった。
あれ、楽しんでる?そういう風にも見えた。
ベロンベロン、とドラゴンは再び舐めてくる。
顔だけじゃなく、体までも。裸だからもろにねっちょりとした感触がある。
やめろと抵抗すればするとほど、余計に舐めてくる。
さてはこいつ、楽しんでるな!?
あの目、この行動、悪戯好きな無邪気さはまさに子供だ。
その圧倒的な存在感と大きさに怯えて気づくのが後れたが、こいつは子供のドラゴンだとわかってきた。
「お前、遊んで欲しいのか?」
その目が俺の顔を見つめる。
そして、視線が手に移る。
そこには、先ほどまで口に加えていた肉の串があった。
口に加えたままだと落としそうだったので、左手で今は大事に握りしめている。
「これが欲しいのか?」
ブフー、と豪快な鼻息が俺に吹きかけられた。臭い。
そして、黄金の子供ドラゴンがそうだと言わんばかりに、よだれをどっさりと垂らす。
先ほど俺の頭上に落ちてきたのはこれみたいだ。お腹が空いて垂らした涎。
おいしそうな匂いにつられてやってきたか。
俺を食べるために近づいてきたわけではなかったか。
遊んだのは無邪気故。
真の目的は肉だったか。
しかし、この肉を求めるならば話は変わる。
これは俺が命がけで得た糧である。ドラゴンだろうと、世界最強だろうと、この肉はやれぬ!俺は空腹なんだ!
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