2022年9月4日 私の祖父
9月は敬老の日があるってことで、今日は天国で楽しんでいるだろう祖父の話。
本当は敬老の日に書けばいいんだろうけど、その日は忙しそうだから先に書きます。
私の父方の祖父は、実家の近所に住んでいたこともあって、とてもかわいがってもらった。祖父は孫だけでなく、誰にでも(大人子供関係なく、家族友人関係なく見知らぬ人に対しても)やさしく親切で、とにかく柔和な人だった。祖父が大声を出したり、怒ったりしている姿を私は見たことがなく(いや、きっと若い時はいろいろあったんだろうけど)いつも私の話を「うんうん」と聞いてくれた。
私がこの人はおじいちゃんだと認識したころには、すでに仕事もリタイヤしており、毎日朝早くから自転車で15分ほどの畑で野菜を育てていた。よく野菜を取りに畑まで来なさいと言われ、母に連れられて私も畑に遊びに行っていた。
祖父は大の甘党だった。昔の人だったので、チョコレートとかケーキ、アイスという洋菓子ではなくて、お砂糖どっさりの「あんこ」と「きなこ」が大好物だった。そして大食いだった。痩せてほっそりした体型だったけど、おはぎや団子に目がなく、とにかく祖母が「もうやめなさい」と言うまで食べるほどであった。
そんな祖父には、食事の時にちょっと変わった習慣があった。食事を済ませると、必ず祖母がホットコーヒーを淹れてくれ、そのコーヒーにお砂糖とミルクをたっぷり入れて飲む。ここまではよくある習慣。
ゆっくり時間をかけて飲み、もうそろそろ飲み切るという最後の一口になると、祖父はおもむろに立ち上がり炊飯器の前へ。そして、スプーンでごはんをすくってマグカップの中にポトッといれるのだ。それを一気にぐいっと飲んで(食べて?)食事の〆としていた。
この<コーヒーごはん>(激甘コーヒーに白いホカホカごはん!!!)は、当たり前だが、家族にはめちゃくちゃ評判が悪かった。祖母も両親も毎度「まーたやってる!やめなさい!!」と注意していたが、祖父はにこにこしながら「ふふふ」と笑うだけだった。
一方の私はその<コーヒーごはん>に興味津々で何度も母に「私も食べてみたい!」と言ったけど、毎度却下されていた。せめて食べる姿を見たいという好奇心から、祖父と一緒に食卓を囲むときには、祖父の手元が気になってしょうがなかった。食事が終わる頃にはソワソワ、ニヤニヤしながら祖父を見守り、ついに祖父が炊飯器の前に立つと、私も炊飯器まで飛んでいき、完成した<コーヒーごはん>をグイっと飲む姿をすぐそばで見ながら「あーおじいちゃん!!またコーヒーのごはん食べよる!!」と大声で騒いでいた。
そんなお茶目なところもあった祖父だが、私が中学生の頃、交通事故に遭って入院することになった。事故の連絡を受けて、すぐに母と私は入院先の病院へ行ったのだが、ケガそのものは大したことがなくすぐにでも退院できるということだった。ホッとしたのもつかの間、祖父の姿を見てびっくりした。表情はうつろ、声もうまく出せない。私たちのこともわからないし、トイレも一人ではいけない、自分の手や口も洗えなくなっていた。その後リハビリのおかげで多少戻ったものの、認知症と診断された。
祖父の認知症はムラがあるようで、こちらの話もしっかり理解して、普通に受け答えできるときもあれば、何もわからずぼーっとしてしまうときもあった。突然大昔の話をすることもしばしばで、いろんな世界を行き来しているようだった。退院してしばらくは、私も祖父宅へ通って様子を見ていたが、だんだんこれまでの祖父と違うことが受け入れられず、足は遠のいていった。
私が高校生になった頃、祖父母がそろって我が家に来たことがあった。祖父は私に「久しぶりに来たから、散歩に付き合ってくれないか」と言った。正直なところ私は祖父に対してどう接していいかわからず、めんどくさいという気持ちが大きかったのだが、しぶしぶ散歩に付き合った。
散歩中、祖父との話題を見つけられなかったので、まるで年下の子供にでも話しかけるような口調で、家の周りを説明した。ゴミ置き場はここだ、この家の犬は良く吠える、ここは〇〇さんの畑だ、ここは友人の××ちゃんが住んでいるなど。祖父は聞こえているのかいないのか、無反応だったので、まったく盛り上がらないまま散歩は終わった。
家の前まで帰って来て、玄関をあけようとしたときに、祖父は私に1000円札をくれた。私は祖父からお金をもらったことなんてなかったのでびっくりしたと同時に、焦っていた。小遣い欲しさに散歩に付き合ってあげたと思われるのも嫌だったし、かと言って、面倒だと思っていたのも事実で見透かされていたのか、という恥ずかしい気持ちもあって、「そんなもんいらん!!」と突っぱねた。祖父は「何が好きなんかわからんから、これ」と言って無理やり私に1000円札を握らせて、先に入っていった。
その数か月後、祖父は亡くなった。祖父らしいと言えばそうなのだが、大好きな饅頭を食べていた時に、喉に詰まらせて亡くなったのだ。ちょうど誰も近くにおらず、助けてあげられず、そのまま亡くなってしまった。しかもその時、私は学校の交換留学制度でイギリスへ行っており、お通夜にもお葬式にも出られなかった。祖母と両親とで話し合って、帰国してから知らせようとなったようだ。
そんなことを知らない私は、イギリスの家庭の味と言われているライスプディング(ミルク粥)を見た瞬間「これはおじいちゃんが食べていた<コーヒーごはん>に通づるのではないか!!」と思い作り方をステイ先の家族に教わっていた。
無事に帰国した空港で、母から祖父の訃報を聞き、空港からそのまま祖父母宅へ行って手を合わせた。知らせてくれなかった両親に対しての腹立たしさ、急に天国へ飛び立った祖父へのいら立ち、日本へ帰ってきた安堵感など、いろんな感情を処理しきれなかった私は、高校生にもなってふてくされながら手を合わせたのを覚えている。
あれから二十数年の時が経った。ライスプディングを誰にふるまうこともなく、とっくに作り方も忘れてしまったのだけど、最近になってようやく、あの最後の散歩で握らせてくれた1000円の愛情を理解できるようになった。
あの頃すでに祖父一人で出歩くこともなくなっていたし、祖母も大きなお金を祖父に持たせるようなことはしなかった。せいぜい迷子になったときの為に1000円札を巾着に入れて持たせていた。好きなものを買うことも、誰かの為に何かを準備することも、祖父はもうできなかった。玄関の外で渡したのも、家の中で渡せば祖母や母にあれこれ言われると思ったんだろう。
孫に何かしてやりたいという愛情いっぱいの1000円だったに違いない。ろくなおじいちゃん孝行もできないままお別れしてしまった事を悔やみながら、こうして祖父に想いを馳せる時間を大切にしていきたい。
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