第4話
ドクドクと、心臓がうるさく動くのを感じた。どちらの音か、なんて考えなくてもわかりきっていた。
「私、次に呼ばれるときがもう、最期かもしれない」
「それって、どういうこと……?」
「私の身体、もう限界なんだって。これ以上は足を引っ張るだけだから……だから、次は」
絵七はそう言って言葉を詰まらせた。続きは聞かなくても、わかっていた。
固い胸の奥からは、聞こえるべき音が聞こえない。
そう、絵七は戦闘機のパイロットになったわけではなかった。絵七自身が戦闘機そのものだったのだ。
兵器として改造された絵七の身体には、もう人間の臓器は詰まっていない。その代わりに、耳を澄ませるとわずかな機械音が聞こえる。
その機械が止まる寸前に、多くの機密情報を孕んでいる絵七の身体は、敵の戦闘機を巻き込んで自らを爆発させ、消滅する。彼女の運命は初めからそう、決められていた。
「絵七のしたいこと、教えて。私にできることがあったら、なんでもするから」
心の底から、その言葉を発した。
「でも……」
「だったらその代わり、私のお願いも、聞いて? それでフェアになるでしょ」
躊躇う絵七に、ありったけの想いを伝えようと思った。これが最期だというなら、もう。
「絵七のことが、好きなんだ。誰よりも大事なんだ。今までも、これからも、ずっと。……だから、せめて終わるときくらいは、一緒に行きたい」
「紅葉……だめだよ、そんなの」
そう言う絵七だったけど、私から離れることはしなかった。むしろ、今までよりも強く、ぎゅっと私にしがみつく。
しばらく、私たちはずっとそうしていた。沈黙が続いた後で、絵七は口を開いた。
「私、紅葉と一緒に、見たいものがあるんだ」
真剣な表情の絵七に、私もまっすぐに目を見て答える。
「いいよ。……何が見たいの?」
絵七は私の耳元に顔を寄せて、囁いた。
「アルビレオ」
かばんに付けっぱなしのキーホルダーが重なりながら揺れて、カチャリと音を立てる。それは、星の名前だった。この飾りのように、青色と黄色の星が合わさった二重星のことだった。
*
数日後、絵七は基地をこっそり抜け出して、私たちは山の奥にある天文台へと向かった。既に使われておらず、人が誰もいなくなったそこは、私たちがこっそり会うにはちょうどいい場所だった。
放棄された巨大な望遠鏡のレンズを通して、私たちは二つの光を観た。
「ちゃんと、二つあるんだね」
「うん」
「なんか、私たちみたいだね」
「えっ?」
どういうことだろう、と思っていると、絵七は言った。
「あの二つの星は、本当は二重星じゃないんだ。肉眼では一つにしか見えないけれど、本当はずっと遠く離れていて、二つが交わることはないんだ」
そう言う絵七の表情は、とても言葉では言い表せないものだった。
「私たちも、ずっと一緒にいたけれど。本当は、違う生き物だから。私はもう、紅葉とは一緒にいられない。……今日、来てくれてありがとうね。……大好きだよ」
そう言ったかと思うと、警報音と共に、絵七の身体は変形を始めた。戦闘時と同じ、兵器の形になるのだ。
「……嫌だ」
私は思わず、変わり始めた絵七の身体に触れる。かなりの高温になっているそこに触れて、私の腕はじゅ、っと音を立てる。感じたことがないほどの強い痛みに、声を上げてしまう。だけど離したくなかった。
「紅葉……!」
絵七の悲鳴のような声が響く。だけど一度始まってしまった身体の変化はもう止められないようだった。
「ごめん……ごめんね」
涙声の絵七に、私は精一杯の力を振り絞って言う。
「言ったでしょ。……最期まで、一緒に行かせてよ」
私がそう言い終わらないうちに、絵七の身体は、私の身体を巻き込んで形を変えていく。
私の身体は、変形した絵七の身体に包まれる。
「行くよ」
「うん」
絵七の固い背中からは四本の翼のような塊が生えて、動き出す。絵七は静かに飛び立った。ものすごい速さで、どんどん高度を上げていく。本来なら呼吸なんてできないはずだけど、絵七の中にいるからか、苦しくはなかった。
怖くなかったと言えば、嘘になる。だけどそこは温かくて、不思議と落ち着く場所で。まるで絵七と私が一つの生命体になったみたいで、私は嬉しくなった。
いつのまにか、地上から遠く離れた私たちは、暗い夜空の中を浮遊していた。地上から観ていたのとは違って、ここからは天の川も、デネブもベガもアルタイルも、ちゃんと見ることができた。
「きれいだね」
そう言いたかったけれど、もう声は出なかった。
だけど、それは確かに絵七に伝わっているとわかった。短冊に書いた無謀な願いは、図らずともこのとき、叶ってしまった。
『絵七とひとつになりたい』
だけどもしも来世というものがあるのなら、次もまた、別の個体として生まれて、絵七と共に生きていきたい。今度は見かけじゃなく、本物の二重星として、ずっと。
そんなことを思いながら私の意識は少しずつ溶けていく。絵七の時間が減っていく音が聞こえる。それはゆっくりと減速していき、やがて私たちは、ひとつの流れ星になった。
アルビレオ 霜月このは @konoha_nov
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